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第14話 焦燥交錯
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#第14話 焦燥交錯
遠くの路地で鳴った風鈴の音が、微かに耳に残っていた。
けれど、この部屋には、風も音もなかった。
空気は密閉され、言葉さえも重力に引きずられて落ちていく。
煌都・ヘリオス地区の最奥に建つ、“ヘリオスの屋敷”。
その最奥にある和洋折衷の執務室には、今、三つの影が揃っていた。
「……よく、顔を出せたな。」
和装の男が、卓の向こうから言葉を落とす。
斑目炎蔵――“ヘリオス”の主。
歳は七十を越えているはずだが、その声は土よりも深く、炎よりも静かだった。
「お久しぶりです、親分。」
応じたのは、無地のスーツに身を包んだ中年の男。
背筋を伸ばしたその姿に、威圧も媚びもない。
ただ、過去を共に知る者同士の“間”だけが流れる。
「ずいぶんと、涼しい顔だな。“風見”の件も、悪びれず……。
……どうせまた、厄介な話でも持ってきたんだろう。」
「さて、どうでしょう。」
その笑みにも、皮肉にも聞こえる響きはない。
逆に、あまりにも無色で――かえって、空気を張り詰めさせる。
部屋の一角。
背にした本棚の前に、もうひとつの影が立っていた。
燈坂烈司。
左眼に艶消し黒の眼帯をつけ、スリーピースのスーツを纏った男。
懐に手を添えたまま、その片目だけで忠勝を睨む。
手綱を握る者の責任が、肩から滲んでいた。
「……へぇ、これがルクシオンのボスね。」
唐突に口を開いたのは、壁際にだらしなく腰かけていた若い男だった。
黒崎 臣(おみ)――“斑目の餓狼”。
袖から見える左腕の義手が、陽光を鈍く跳ね返している。
黒いカーボン繊維の中に、見え隠れする刃の痕跡。
「あんたんとこのガキ、なんか嗅ぎ回ってるみてぇじゃん。」
「……」
「……一回、遊んでもらいてぇな。歯応え、ありそうだ。」
「……臣。」
燈坂が、面倒そうに名を呼ぶ。
「喋るなとは言わんが、“選べ”とは言ったろ。」
「は?選んで喋ってんだよ。」
「そうか。なら、もっと読め。」
返事代わりに、燈坂が臣の首根っこを引っ張って黙らせる。
だが、臣の顔にはまだ笑みが残っていた。
そのやり取りを、忠勝は黙って見ていた。
茶を口にすることも、視線を逸らすこともなく。
ただその場に“在る”だけで、部屋の圧が、さらに深く沈んでいく。
斑目が湯呑みを手に取り、ようやく言葉を落とす。
「で――なんの用だ?」
「……ただの、挨拶です。」
「……笑わせる。」
「何も起きていません。“今は”、まだ。」
斑目の指が、湯呑みの縁をなぞった。
「“今は”、か。」
「ええ。“今は”です。」
一拍。
斑目の目が、わずかに細まった。
「――茶でも飲むか。」
「いただきます。」
その言葉だけが交わされたあと、しばし沈黙が続いた。
何も起きていない――はずだった。
けれど、そこにいた全員が知っていた。
“何か”は、もう始まっている。
---
――場所は変わり、煌都・ルクシオン事務所。
昼下がりの空調音が、静かに室内を撫でていた。
ナオは、相も変わらず無言のまま、書類に目を通している。
けれど、その指先はわずかに滞り、視線もどこか上の空だった。
そんな空気を破るように、軽やかな足音が廊下から近づいてくる。
「はーい、今手が空いてるやつ、集合ね~!」
派手な声とともに顔を覗かせたのは、蘭子だった。
サングラスを頭に乗せ、ひらひらと手を振っている。
「……俺しかいねぇよ。」
ナオの返しは、いつも通りに低く、素っ気ない。
だが、その目の奥に浮かんだ微かな揺れを、蘭子は見逃さなかった。
「んまぁ、そうでしょうね。」
と、ふっと笑った直後、壁のスピーカーが反応音を立てた。
『蘭子ちゃん、“私たち”も動けるよ。』
雪の声が、ほんのり明るく響く。
沈みかけた空気を、そっと押し上げるような温度を持っていた。
にっと、蘭子の口角が上がる。
「……あのバカ、まだ戻ってないんでしょう?そろそろ回収に動くわよ。」
その言葉に――ナオの手が止まった。
机上の資料から視線を外し、わずかに眉を寄せる。
すぐに戻ったが、その僅かな揺れは確かだった。
「まずは捕捉しなくちゃね。」
蘭子がリモコンを操作すると、壁のディスプレイに煌都のマップが浮かび上がる。
いくつかのエリアが点滅し、ゆるく囲いが引かれていく。
「……叉道街は監視網が薄い。カメラも死んでる場所が多い。」
ナオは低く呟き、そのまま静かに立ち上がった。
焦りも怒りも見せはしない。
ただ、音もなく焦燥が滲んでいた。
『大丈夫、それは任せて!クラウンが来てくれたから、サーチ能力アップだよ!』
雪の声が、はじけるように続く。
そのすぐあと、クラウンのぼやきが小さく入った。
『……ま、足は引っ張らないと思うけど。』
『ふふ、大丈夫よ。私が教えてるんだから。』
スピーカー越しに交わされるふたりの声。
そのやり取りを聞きながら、ナオの指先がほんの少しだけ動く。
ディスプレイには、新たな映像が次々と浮かんでは消え、包囲網が少しずつ絞られていく。
ナオはロッカーを開け、無言でジャケットを取った。
手早くネクタイを締め直し、足元には、すでに選んで置かれていたブーツ。
誰も、何も言わなかった。
蘭子だけが、その動きをちらと見て、唇の端をわずかに持ち上げる。
(……ほんと、素直じゃないわね)
空調の音が、静かに部屋を満たしていた。
“ルカを迎えに行く”――その準備は、音もなく整えられていく。
---
場所は、煌都・叉道街の外れ。
廃れた壁面に背を預けながら、ルカはひとり、街の気配を読み取っていた。
照明の死んだ街灯、崩れかけたブロック塀。
足元に転がる使い捨ての注射器。
……全部、記憶にある風景だ。
なのに、今日は妙に、呼吸がしにくい。
胸ポケットの端末が震えた。
着信名を見た瞬間、息が詰まる。
――鷹宮忠勝。
躊躇いの末、画面をスライドする。
「……なんだよ」
『どこにいる』
低く、抑えた怒気が滲む声。
ルカのこめかみに、じわりと汗が滲む。
「……関係ねぇだろ。調べもんだよ、ほっとけよ」
『“調べてる”?依頼なのか?違うな。――お前一人の勝手な行動だ』
「……それでも……それでも、放っておけるかよ……」
『言ってるよな?俺たちはボランティアじゃねぇ。“手の届くところ”を見極めて動く。
"ビジネス"じゃなきゃいけねぇんだ――それを超えれば、』
忠勝の言葉が、静かに突き刺さる。
その向こうにいる父の顔が浮かび、ルカは奥歯を噛んだ。
「……届くよ。"届かなきゃいけねぇ"んだよ、これは……」
一拍。
「これは……誰かが手を伸ばさなきゃいけねぇ“地獄”なんだよ。」
『……一度ここへ戻れ。一人で動――』
「っ、ほっとけよ!!」
遮るように言い放ち、通話を切る。
端末を胸ポケットに戻すその手が、かすかに震えていた。
「……っ、くそ」
喉が渇いている。
声にならない息が、口の中で燻る。
代わりに、拳を壁に打ちつけた。
鈍い痛みと、ヒビの入った壁。
周囲の空気が、また一段階冷たくなる。
ルカはふと、道の奥――人気のない路地へと視線を向けた。
そこに、人の気配。
小さな足音。
そして、まるで獲物を見つけたような、冷たい視線。
次の瞬間、黒革手袋の男が、ゆっくりと姿を現す。
眼鏡の奥の目が、どこまでも無機質に、ルカを見ていた。
遠くの路地で鳴った風鈴の音が、微かに耳に残っていた。
けれど、この部屋には、風も音もなかった。
空気は密閉され、言葉さえも重力に引きずられて落ちていく。
煌都・ヘリオス地区の最奥に建つ、“ヘリオスの屋敷”。
その最奥にある和洋折衷の執務室には、今、三つの影が揃っていた。
「……よく、顔を出せたな。」
和装の男が、卓の向こうから言葉を落とす。
斑目炎蔵――“ヘリオス”の主。
歳は七十を越えているはずだが、その声は土よりも深く、炎よりも静かだった。
「お久しぶりです、親分。」
応じたのは、無地のスーツに身を包んだ中年の男。
背筋を伸ばしたその姿に、威圧も媚びもない。
ただ、過去を共に知る者同士の“間”だけが流れる。
「ずいぶんと、涼しい顔だな。“風見”の件も、悪びれず……。
……どうせまた、厄介な話でも持ってきたんだろう。」
「さて、どうでしょう。」
その笑みにも、皮肉にも聞こえる響きはない。
逆に、あまりにも無色で――かえって、空気を張り詰めさせる。
部屋の一角。
背にした本棚の前に、もうひとつの影が立っていた。
燈坂烈司。
左眼に艶消し黒の眼帯をつけ、スリーピースのスーツを纏った男。
懐に手を添えたまま、その片目だけで忠勝を睨む。
手綱を握る者の責任が、肩から滲んでいた。
「……へぇ、これがルクシオンのボスね。」
唐突に口を開いたのは、壁際にだらしなく腰かけていた若い男だった。
黒崎 臣(おみ)――“斑目の餓狼”。
袖から見える左腕の義手が、陽光を鈍く跳ね返している。
黒いカーボン繊維の中に、見え隠れする刃の痕跡。
「あんたんとこのガキ、なんか嗅ぎ回ってるみてぇじゃん。」
「……」
「……一回、遊んでもらいてぇな。歯応え、ありそうだ。」
「……臣。」
燈坂が、面倒そうに名を呼ぶ。
「喋るなとは言わんが、“選べ”とは言ったろ。」
「は?選んで喋ってんだよ。」
「そうか。なら、もっと読め。」
返事代わりに、燈坂が臣の首根っこを引っ張って黙らせる。
だが、臣の顔にはまだ笑みが残っていた。
そのやり取りを、忠勝は黙って見ていた。
茶を口にすることも、視線を逸らすこともなく。
ただその場に“在る”だけで、部屋の圧が、さらに深く沈んでいく。
斑目が湯呑みを手に取り、ようやく言葉を落とす。
「で――なんの用だ?」
「……ただの、挨拶です。」
「……笑わせる。」
「何も起きていません。“今は”、まだ。」
斑目の指が、湯呑みの縁をなぞった。
「“今は”、か。」
「ええ。“今は”です。」
一拍。
斑目の目が、わずかに細まった。
「――茶でも飲むか。」
「いただきます。」
その言葉だけが交わされたあと、しばし沈黙が続いた。
何も起きていない――はずだった。
けれど、そこにいた全員が知っていた。
“何か”は、もう始まっている。
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――場所は変わり、煌都・ルクシオン事務所。
昼下がりの空調音が、静かに室内を撫でていた。
ナオは、相も変わらず無言のまま、書類に目を通している。
けれど、その指先はわずかに滞り、視線もどこか上の空だった。
そんな空気を破るように、軽やかな足音が廊下から近づいてくる。
「はーい、今手が空いてるやつ、集合ね~!」
派手な声とともに顔を覗かせたのは、蘭子だった。
サングラスを頭に乗せ、ひらひらと手を振っている。
「……俺しかいねぇよ。」
ナオの返しは、いつも通りに低く、素っ気ない。
だが、その目の奥に浮かんだ微かな揺れを、蘭子は見逃さなかった。
「んまぁ、そうでしょうね。」
と、ふっと笑った直後、壁のスピーカーが反応音を立てた。
『蘭子ちゃん、“私たち”も動けるよ。』
雪の声が、ほんのり明るく響く。
沈みかけた空気を、そっと押し上げるような温度を持っていた。
にっと、蘭子の口角が上がる。
「……あのバカ、まだ戻ってないんでしょう?そろそろ回収に動くわよ。」
その言葉に――ナオの手が止まった。
机上の資料から視線を外し、わずかに眉を寄せる。
すぐに戻ったが、その僅かな揺れは確かだった。
「まずは捕捉しなくちゃね。」
蘭子がリモコンを操作すると、壁のディスプレイに煌都のマップが浮かび上がる。
いくつかのエリアが点滅し、ゆるく囲いが引かれていく。
「……叉道街は監視網が薄い。カメラも死んでる場所が多い。」
ナオは低く呟き、そのまま静かに立ち上がった。
焦りも怒りも見せはしない。
ただ、音もなく焦燥が滲んでいた。
『大丈夫、それは任せて!クラウンが来てくれたから、サーチ能力アップだよ!』
雪の声が、はじけるように続く。
そのすぐあと、クラウンのぼやきが小さく入った。
『……ま、足は引っ張らないと思うけど。』
『ふふ、大丈夫よ。私が教えてるんだから。』
スピーカー越しに交わされるふたりの声。
そのやり取りを聞きながら、ナオの指先がほんの少しだけ動く。
ディスプレイには、新たな映像が次々と浮かんでは消え、包囲網が少しずつ絞られていく。
ナオはロッカーを開け、無言でジャケットを取った。
手早くネクタイを締め直し、足元には、すでに選んで置かれていたブーツ。
誰も、何も言わなかった。
蘭子だけが、その動きをちらと見て、唇の端をわずかに持ち上げる。
(……ほんと、素直じゃないわね)
空調の音が、静かに部屋を満たしていた。
“ルカを迎えに行く”――その準備は、音もなく整えられていく。
---
場所は、煌都・叉道街の外れ。
廃れた壁面に背を預けながら、ルカはひとり、街の気配を読み取っていた。
照明の死んだ街灯、崩れかけたブロック塀。
足元に転がる使い捨ての注射器。
……全部、記憶にある風景だ。
なのに、今日は妙に、呼吸がしにくい。
胸ポケットの端末が震えた。
着信名を見た瞬間、息が詰まる。
――鷹宮忠勝。
躊躇いの末、画面をスライドする。
「……なんだよ」
『どこにいる』
低く、抑えた怒気が滲む声。
ルカのこめかみに、じわりと汗が滲む。
「……関係ねぇだろ。調べもんだよ、ほっとけよ」
『“調べてる”?依頼なのか?違うな。――お前一人の勝手な行動だ』
「……それでも……それでも、放っておけるかよ……」
『言ってるよな?俺たちはボランティアじゃねぇ。“手の届くところ”を見極めて動く。
"ビジネス"じゃなきゃいけねぇんだ――それを超えれば、』
忠勝の言葉が、静かに突き刺さる。
その向こうにいる父の顔が浮かび、ルカは奥歯を噛んだ。
「……届くよ。"届かなきゃいけねぇ"んだよ、これは……」
一拍。
「これは……誰かが手を伸ばさなきゃいけねぇ“地獄”なんだよ。」
『……一度ここへ戻れ。一人で動――』
「っ、ほっとけよ!!」
遮るように言い放ち、通話を切る。
端末を胸ポケットに戻すその手が、かすかに震えていた。
「……っ、くそ」
喉が渇いている。
声にならない息が、口の中で燻る。
代わりに、拳を壁に打ちつけた。
鈍い痛みと、ヒビの入った壁。
周囲の空気が、また一段階冷たくなる。
ルカはふと、道の奥――人気のない路地へと視線を向けた。
そこに、人の気配。
小さな足音。
そして、まるで獲物を見つけたような、冷たい視線。
次の瞬間、黒革手袋の男が、ゆっくりと姿を現す。
眼鏡の奥の目が、どこまでも無機質に、ルカを見ていた。
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