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38.届かない後悔

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 家を出た時とは打って変わり、足取りは軽快だ。
 ツインテールをひらひら揺らしながら急いでマンションへ向かうミルカを、後ろから呼ぶ声がした。

 足を止めて振り返るとナツがいつものように明るい笑顔で寄ってくる。
 再び歩き出せば当たり前のように隣を歩き出す。

 コンシェルジュに挨拶を返し、ロビーを抜けるナツの足取りは慣れたもので、ミルカ自身もこうやって並んで歩くことに不快感はない。
 彼とは疎遠になる時期はあっても幼い頃から兄妹のように過ごして来た。
 
「今日は元気そうだな。やっと精気を吸収したのか?」
「ううん、してないわ。まっずい精気なんかいらないもの。あのね、ミルカ、ソウマ様に会いに行ってくるね」

「は? どうやって?」
「ソウマ様の幼馴染が連れて行ってくれるの。急いで用意しなきゃ。じゃあ……」
 
 またねと言おうとした矢先、同じくエレベーターに乗りんだナツに抱きしめられる。
 拘束するような腕に抵抗すべくじたじた暴れてみるけど、小柄なミルカにはやっぱり外すことは出来なかった。
 扉は閉まって、背中は壁へと押しつけられる。
 
「ナツ、いい加減に……」
 
 苛立ちを示しながら顔を上げた先にあったのは、強い光を称える赤の瞳だった。
 思えばこの短期間でたくさんの知らないナツを見てしまった気がする。
 
「行くなよ。天界なんて俺たちが行くような場所じゃない。あいつはミルカを置いてった。そんなやつなんか追わなくていいだろ。今まで通り、何も縛られずに生きよう。天使になんか捕まらないってミルカずっと言ってただろ」
「そうなんだけど……。ごめんね。ソウマ様と離れて生きるなんて、もう出来ないよ」
 
 だって契約が存在しない今だってこんなに縛られている。
 見えない鎖はいまだ健在なのに、その先に蒼真の手はない。
 
「天界なんて、何があるのかわからないのに」
「何があっても平気よ。ミルカを舐めないでよ。ねえ、離して。もしかして邪魔をするの?」
「行かせない」
 
 屈み込んだナツのくちびるが触れそうに近づく。
 だけど今回は手のひらでは止めない。スッと目を細くしたミルカにぎくりとナツが硬直した。

 濃いピンクの瞳が燃えるように揺れる。全身を包む可視化出来るほどの赤い光。
 エレベーター内に広がる魔力圧は凄まじく、引き攣るナツに緊張の汗が浮かぶ。

 暇つぶしに少し魔力を操る練習をしたおかげで、以前よりは上手く使えるようになった。
 
「誰に向かって言ってんの? ナツだから大目に見てあげてたけど、ミルカの邪魔をするなら許さないわ」
「ごめん……、降参です」
 
 あっさりと身を離し、両手を挙げるナツを確認したミルカは威圧的だった瞳を元に戻す。
 空間に漂っていた刺さるような緊張感も同時に霧散した。赤く変色したエレベーター内も通常の色合いに戻っている。

 魔力なんて滅多にひけらかさなかったのに最近出番が多い。他人事のように思いなんとなく笑ったミルカをナツは面白くない顔で、じとりと眺めた。
 
「いっつも忘れそうになるけどさ、反則だよなぁ……その力」
「ふふ、羨ましいでしょ。ミルカもたまに忘れちゃう。パパママに感謝だわ」

「ミルカを使い魔にするなんて、あいつ相当運が良いよ。知ってんの? ミルカの家のこと」
「言ってないよ。だってミルカが誰の娘かなんてソウマ様には関係ないもん。それにパパもママもミルカに甘いから大丈夫でしょ」
 
 まさか身に宿る魔力のおかげで蒼真が一時的に大量の理力を消費したとは思わなかったけど。
 それだけは少しこの力が恨めしい。

 あっという間に上昇が止まり、扉が開く。デジタルの階数は目的の階を示している。
 なにごともなかったかのように廊下へ足を進めたミルカだが、ナツは扉を開けたまま箱から出ようとしない。
 
「来ないの?」
「うん、もう帰るわ。顔見に来ただけだから。そうやって自信満々のほうがミルカらしいよ。幼馴染として応援するよ。したくないけど」
「どっちよ」
「だってさー、寂しいじゃん」

 拗ねたようなナツの声にミルカはくすくす笑う。
 
「ナツ……色々ありがとね。他人なんてどうでもいいけど、ナツのことは大好きよ」
 
 ぎゅっと手を握って笑うとナツもつられたように笑った。
 眉が下がって少し困ったような、小さな頃からずっと変わらない笑顔。
 我が儘を言ってもいつもこの顔で許してくれる彼はミルカに安心感をくれる。
 
 じゃあ、と手を振り合って今度こそ部屋に歩き出したミルカの背後でエレベーターの扉が静かに閉まった。
 
「もっと早くに気付けば良かったのかもな……。時間は腐るほどあったのに。あーあ、残念」

 そう自嘲気味に呟かれた声は、もちろんミルカに届くはずもなかった。
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