虚無式サマーバニラスカイ

凛野冥

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すべて何もかもが加速する

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 ホテルからタクシーで戸倉ビルの近くまで送ってもらい、その最上階にやって来た。かつての〈愛の巣〉――我ながら恥ずかしい呼び方をしてたもんだ――いまは犯罪集団〈夜の夢〉のアジト。阿弥陀は神経を逆撫でするニヤニヤ笑いで僕を迎えた。

「よう、蟹原。せっかく来てくれたのに悪いが、白樺には今、会えないぜ」

「いくつか質問させろ。君はそれに答えるだけでいい」

 くだらない雑談をしに来たんじゃないんだよ当然。

「随分とせわしいな? 答えられる範囲内であればこ――」

「君は〈首将〉に会ったことはあるのか?」

「ないな。〈首将〉とのやり取りはすべて手紙だ。指示もそれで来る」

「どれでもいい、その手紙を見せろ」

「無理だ。文面を記憶した後、処分するようにしている」

「じゃあ――〈首将〉はどんな字を書く?」

「ふむ。筆跡を隠すためだろう、ミミズがのたくったような字だよ。ペンを口で咥えてるんじゃないだろうか。いつも判読に苦労す――」

「君達が殺した高校生カップルの生首が生きて動いてる動画が出回ってるな? あれも君達の仕業か?」

「ああ、それか。俺は知らんよ。だが〈夜の夢〉がやっていることには違いない。一枚岩の組織じゃないからな」

「首切り殺人を実行してるのはあの二人の子供だと云ってただろう。回収した生首はどうしてるんだ? 此処に保管されてるのか?」

「すまんな。それについては〈首将〉から口止めされている。何も答えられん」

 どれも想像していた通りの答えだった。充分だ。充分すぎる。

 迷うことはなかった。

「僕を〈夜の夢〉に入れてくれ」

 阿弥陀は「おや」と意外そうな顔をした。白々しい野郎だ。

「どうした蟹原? 『天地が引っくり返っても』ないのに」

「………………」

「ははは、冗談だよ。前にも云ったな――俺達はお前を歓迎する」

 手を差し伸べられたが、無視した。こいつとの慣れ合いに興味はない。

「でも良かったな」

 肩をそびやかす阿弥陀。

「もう少しで手遅れになってたぜ。実はそろそろ、火津路町から離れようとしていたところなんだ。だいぶやりにくくなってきたし、俺達の目的ははなから、日本中で事件を起こすことにある」

「そうか。学生の身分は捨てるんだな?」

「当たり前だよ。ひとかけらも惜しくないね。既に俺達は、いわば新機軸のテロ組織なんだ。お前もそれで構わないよな?」

「無論だ。ところで君達、町から出るにあたって検問なんかは問題にならないんだろう?」

「ならんよ。〈夜の夢〉のバックにはある組織がついている。警察機構はもちろん、政界や財界にも影響を与えられる巨大な――」

「〈アウフヘーベン〉だな」

「お、よく知ってるじゃないか。なかなかの探偵ぶりだ」

 探偵ぶりも何も、みんな向こうから絡んでくるんだから世話ないぜ。奴らが僕の居所を突き止められたのは――そうだな――僕が海老川さんと共にいるのは多くの人間に見られているし、海老川さんはあのホテルに宿泊していることを隠していない――別に不思議な話じゃなかった。〈アウフヘーベン〉やその協力者は、きっと何処にでもいるんだから。

「じゃあひとつ頼むよ。一緒に天織黄昏も連れ出して欲しい。彼女は今、僕が保護してるんだ」

「おやおや、お前も侮れんな」

 わざとらしく肩をすくめる阿弥陀。いちいち気取らないと気が済まないのか。

「いいだろう。そのように手配しておく。天織黄昏も、この町のムーブメントに貢献してくれたひとりだからな」

「ああ、よろしく。僕は一度帰って、夜にまた、黄昏を連れて此処に来るよ。その世話までは必要ない」

 踵を返した。『急いだ方がいい』。急がなければいけない。しかし阿弥陀に「ちょっと待て」と引き留められる。

「ひとつ教えてくれよ。きっとこうなると〈首将〉は予言していたが、どうしてお前は急に入会を決めたんだ?」

 答えようか否か少しだけ考えたが、まぁ、仔細しさいないだろう。

「〈首将〉は――僕の姉さんだよ。だから阿弥陀、あまり調子に乗らない方がいい。君は単に、組織内に僕の顔見知りがひとりは必要というだけの理由で選ばれたに過ぎないんだ」

 阿弥陀はこれには、本心から目を丸くしたようだった。良い顔だったね。



 ホテルの部屋に戻って「黄昏、僕だ」と云うと、ベッドルームから胸に手をあてつつ彼女は出てきた。

「あー遅かったから不安になってきちゃってたわ」

「ごめんね。それで今度は急な話になるんだけど、これから僕と一緒に来てくれるかい? 予定していたよりも、ずっと簡単に安全に町を出られるんだ」

「どういうこと?」

「うん、困惑させてしまうよね。変な話だから――でも信じて欲しい。黄昏は頭が良いから、すぐに状況を飲み込めるはずだ」

 僕は説明しながら、部屋に備えてある便箋びんせんに文章を綴る。海老川さんへの書き置きだ。

「火津路町では君の脳姦殺人の他にも連続殺人が起きているだろう? あれをやってるのは〈夜の夢〉っていう集団なんだが、彼らが協力してくれるんだ。いや、正直に云うと僕もその構成員のひとりなんだよ――馬鹿みたいだけどね。彼らがあれだけ派手なことをしていながら捕まらないのは、警察やそれに止まらない各界に裏の繋がりがあって、巧妙に工作してもらってるから。だから君を脱出させるのもわけない。大丈夫、これで〈借り〉ができて後で面倒事に巻き込まれたりはしないよ。それは僕が保証させる。むしろ君は意図せずして〈貸し〉がある方の立場なんだ。遠慮も心配も要らない。VIP待遇さ」

 説明が終わると同時に書き置きも完成。『海老川さんへ 僕はひとりで頑張ってみることにします。家にはまだ戻りませんが、心配しないでください。お世話になりました。探偵としてのご活躍、お祈りしています』わけの分からない文章になったけれど、別にいいだろう。その方がいいくらいだ。

「どうかな? 問題はないと思うんだけど」

「あー……」

 黄昏は天井に視線を向け、少しだけ考えた。

「……そうだね。そうさせてもらう。刹先輩――ひひっ、本当に変な人だ。探偵の弟子だったり、犯罪集団?の一員だったり。どうやったらそんなに面白い人生が送れんの?」

 彼女はまたワクワクし始めたようだった。ああ、この子のこういう悪趣味な無邪気さはすごく愛おしいと思う。何より頭が良い。姉さんの他には、今までこういう子はいなかった。いや、会えなかったんだな。下品で退屈で馬鹿馬鹿しいこの町だったけれど、この子に会えたのだけが僥倖ぎょうこうだった。

「さあ、周りが勝手にそうなっていくんだよね。でも――ありがとう、信じてくれて。ねぇ黄昏、キスしてもいいかい?」

「はっ?」

「親愛の情を込めてだよ。駄目かな?」

「……いい、ですけど」

 処女でもあるまいに、両手をもじもじと前で組んで、両目を瞑る黄昏。僕はその頬に手を添えて、ちゅ……と軽く口付けた。小さくて柔らかい、女の子の唇だったね。

「じゃあ黄昏、またで悪いんだけど、スーツケースに入ってくれる? 〈夜の夢〉のアジトに行く前に一度、僕の実家に寄りたいんだが……これも許して欲しい。済ませたい用事があるんだよ」

「う、うん、全然いいよ。刹先輩についてく……」

 どうしたんだろう。黄昏は少し、どこか調子が変な感じだった。あんなキス程度、今更どうということもないだろうに。それとも案外、縞崎から酷い仕打ちを受け、自らも複数人の男達にあんな残酷な真似をしておきながら、こういうところには初心うぶさが残ってるのかね? だとしたら随分と微笑ましいけども。

 黄昏が入ったスーツケースをなるべく負担が掛からないように引きずって、僕はホテルを出た。再びタクシーに乗り、大嫌いな我が家へ。新たなる旅立ちの前には、それまでのすべてを清算しなければならない。そして清算しなければならないすべてとは、あの家にあるんだ。
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