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第一話 白い結婚ということにいたしましょう
「これは白い結婚ということにいたしましょう」
月の光が差し込む夫婦の寝室にて、柔らかなベッドに腰を下ろしたわたくしは、これから夫となる方にお願いしていた。
結婚初夜。本当であれば夫婦が身を重ね合わなければならない時間。
わたくしの衣装は完全にそれのためのものだし、周囲が期待していることも知っているけれど。
――彼に抱かれるのだけは御免ですわ。
そしてそれはきっと、彼もわたくしに対して思っているはずで。
わたくしの正面、部屋の中央で棒立ちになっているその青年は、しばらく悩んだ後に頷いた。
「……ああ、お前の好きにしろ」
「ありがとう存じます、皇太子殿下」
「私のことはヒューパートと呼べ。白い結婚であれ何であれ、私たちはこれから夫婦になるのだからな。殿下呼びは不自然だろう」
「承知いたしました。ではそう呼ばせていただきますわね」
どこまでも事務的で冷たい会話。色気など微塵もなく、夫となる彼は最後までわたくしと目を合わそうとさえしない。
やはりこれはなるべく速やかに離婚した方がよろしいようですわね、とわたくしは改めて思った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ハパリン帝国の名門貴族、スタンナード公爵家の長女として生を受けたわたくし――ジェシカ・スタンナードには、十歳になる頃にはすでに政略的な思惑で定められた婚約者がいた。
それは隣国フロディの王弟、ナサニエル様。わたくしより五歳以上年上で、フロディ王国との友好関係を円滑に築くため結ばれた婚約だった。
ナサニエル様は物腰柔らかでレディに対して優しい、まさに理想の殿方。
とはいえわたくしは歳上である彼を恋愛的な意味では好きになるようなことはなかったけれど、それでも彼の妻となり、支えていく気でいた。
――でも。
「ジェシカ嬢。僕の兄である国王が先日崩御したのは知っているね?」
フロディ王国国王が病に侵され没したことで、状況は変わってしまった。
「はい。存じ上げておりますわ。心からお悔やみ申し上げます」
「本来王太子が継ぐはずだったが、まだ彼は十歳になったばかりでね。年齢的な問題でひとまずは僕が王位継承せざるを得なくなった。僕は到底国王になるような器ではないけれど仕方のないことなんだ。
そして他国の出の者に王妃は任せられないと宰相や貴族たちが口々に言い出してね。僕はそう思っていないが、ジェシカ嬢を悪意に晒したくはない。だから、婚約解消をしてほしいと思っている」
ナサニエル様は慰謝料、そして我が帝国への謝罪文や婚約解消の書面などを事前にきっちりと用意していた。
わたくしとの婚約解消後も両国の関係に歪みが生じぬように。
そこまでされてしまっては、わたくしに婚約解消を拒む理由も権利もない。
「今までたくさん良くしていただきありがとうございました。今後のご活躍をお祈り申し上げますわ」と頭を下げ、わたくしは隣国のナサニエル様のお屋敷から馬車でスタンナード公爵領へ戻った。
それが十七歳の時の話。
本来翌年に婚姻するはずであったというのに急な婚約解消をされたわたくしは、代わりの嫁ぎ先に困ってしまった。
スタンナード公爵家の家格に釣り合う者は皆婚約あるいは婚姻してしまっている。子爵家以下の貧乏令息や、稀に伯爵家以上の令息も残っていたが、素行に大きな問題がある故に婚約解消になった厄介者ばかりだった。
かといって弟がいるので公爵家を継ぐというわけにもいかず、このままではわたくしは行き遅れと呼ばれてしまう。
焦った父は、皇帝陛下に相談したらしい。そして王命が下された。
――ハパリン帝国皇太子ヒューバート・レンゼ・ハパリンと婚約するように、と。
わたくしはそれを知らされた瞬間、思わず天を仰いだ。
貴族家の娘としてどんな相手に嫁がされても文句は言わないつもりだった。
だが、ヒューパート皇太子殿下だけは話が違う。
容姿だけで言えば、彼は乙女なら誰もが頬を染める美丈夫だ。
煌めく銀髪に燃え盛る炎のような真紅の瞳。顔は整い過ぎているほどに整っているし、そこそこ引き締まった長身。彼の両腕に抱かれたいと夢見る者も少なくない。
わたくしも初めての出会いでは思わずうっとりと見惚れてしまったほどだった。
もちろんその中身を知ってからは、そんなことはなくなったけれど。
彼とは同い歳だったし皇家と公爵家の付き合い上顔を合わせることが多く、いわゆる幼馴染という関係ではあったが、その仲は決して良くなかった。
いいや、むしろ最悪だと言った方がいいかも知れない。
「どうしてお前はそれほど美しいのだ! 私より目立つなど不敬だぞ」
「お前を見ているだけで虫唾が走る。早く私の視界から消えろ!」
五歳の頃、出会って最初に言われたのがこれである。
まだ外の世界に満ちている悪意というものを知らず、公爵家の中で蝶よ花よと育てられていたわたくしが初めて真っ向から浴びせられた容赦のない罵倒。相当戸惑ったのを記憶している。
それ以来、会う度に「お前など顔も見たくない」やら「偶然暇だったから、父上に言われて仕方なく会ってやっているだけだからな」などと、端正な顔を赤く染め、激怒しながら言ってきた。
相手が格上の皇太子殿下なので言い返すという愚行はしなかったが、わたくしは彼のことをひどく嫌っていった。
十歳の頃にナサニエル様と婚約し、皇太子殿下と距離を置けるようになったことでようやく安心できていたというのに。
彼に嫁いでしまったら、毎日そのような悪意を浴びせられなければならないではないか。
しかしこれは皇帝陛下直々の命令。公爵家の娘でしかないわたくしが逆らうなど、できるはずもなくて。
わたくしは一年間の妃教育を受けてから、皇太子妃としてハパリン皇家へと嫁がされることになった。
月の光が差し込む夫婦の寝室にて、柔らかなベッドに腰を下ろしたわたくしは、これから夫となる方にお願いしていた。
結婚初夜。本当であれば夫婦が身を重ね合わなければならない時間。
わたくしの衣装は完全にそれのためのものだし、周囲が期待していることも知っているけれど。
――彼に抱かれるのだけは御免ですわ。
そしてそれはきっと、彼もわたくしに対して思っているはずで。
わたくしの正面、部屋の中央で棒立ちになっているその青年は、しばらく悩んだ後に頷いた。
「……ああ、お前の好きにしろ」
「ありがとう存じます、皇太子殿下」
「私のことはヒューパートと呼べ。白い結婚であれ何であれ、私たちはこれから夫婦になるのだからな。殿下呼びは不自然だろう」
「承知いたしました。ではそう呼ばせていただきますわね」
どこまでも事務的で冷たい会話。色気など微塵もなく、夫となる彼は最後までわたくしと目を合わそうとさえしない。
やはりこれはなるべく速やかに離婚した方がよろしいようですわね、とわたくしは改めて思った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ハパリン帝国の名門貴族、スタンナード公爵家の長女として生を受けたわたくし――ジェシカ・スタンナードには、十歳になる頃にはすでに政略的な思惑で定められた婚約者がいた。
それは隣国フロディの王弟、ナサニエル様。わたくしより五歳以上年上で、フロディ王国との友好関係を円滑に築くため結ばれた婚約だった。
ナサニエル様は物腰柔らかでレディに対して優しい、まさに理想の殿方。
とはいえわたくしは歳上である彼を恋愛的な意味では好きになるようなことはなかったけれど、それでも彼の妻となり、支えていく気でいた。
――でも。
「ジェシカ嬢。僕の兄である国王が先日崩御したのは知っているね?」
フロディ王国国王が病に侵され没したことで、状況は変わってしまった。
「はい。存じ上げておりますわ。心からお悔やみ申し上げます」
「本来王太子が継ぐはずだったが、まだ彼は十歳になったばかりでね。年齢的な問題でひとまずは僕が王位継承せざるを得なくなった。僕は到底国王になるような器ではないけれど仕方のないことなんだ。
そして他国の出の者に王妃は任せられないと宰相や貴族たちが口々に言い出してね。僕はそう思っていないが、ジェシカ嬢を悪意に晒したくはない。だから、婚約解消をしてほしいと思っている」
ナサニエル様は慰謝料、そして我が帝国への謝罪文や婚約解消の書面などを事前にきっちりと用意していた。
わたくしとの婚約解消後も両国の関係に歪みが生じぬように。
そこまでされてしまっては、わたくしに婚約解消を拒む理由も権利もない。
「今までたくさん良くしていただきありがとうございました。今後のご活躍をお祈り申し上げますわ」と頭を下げ、わたくしは隣国のナサニエル様のお屋敷から馬車でスタンナード公爵領へ戻った。
それが十七歳の時の話。
本来翌年に婚姻するはずであったというのに急な婚約解消をされたわたくしは、代わりの嫁ぎ先に困ってしまった。
スタンナード公爵家の家格に釣り合う者は皆婚約あるいは婚姻してしまっている。子爵家以下の貧乏令息や、稀に伯爵家以上の令息も残っていたが、素行に大きな問題がある故に婚約解消になった厄介者ばかりだった。
かといって弟がいるので公爵家を継ぐというわけにもいかず、このままではわたくしは行き遅れと呼ばれてしまう。
焦った父は、皇帝陛下に相談したらしい。そして王命が下された。
――ハパリン帝国皇太子ヒューバート・レンゼ・ハパリンと婚約するように、と。
わたくしはそれを知らされた瞬間、思わず天を仰いだ。
貴族家の娘としてどんな相手に嫁がされても文句は言わないつもりだった。
だが、ヒューパート皇太子殿下だけは話が違う。
容姿だけで言えば、彼は乙女なら誰もが頬を染める美丈夫だ。
煌めく銀髪に燃え盛る炎のような真紅の瞳。顔は整い過ぎているほどに整っているし、そこそこ引き締まった長身。彼の両腕に抱かれたいと夢見る者も少なくない。
わたくしも初めての出会いでは思わずうっとりと見惚れてしまったほどだった。
もちろんその中身を知ってからは、そんなことはなくなったけれど。
彼とは同い歳だったし皇家と公爵家の付き合い上顔を合わせることが多く、いわゆる幼馴染という関係ではあったが、その仲は決して良くなかった。
いいや、むしろ最悪だと言った方がいいかも知れない。
「どうしてお前はそれほど美しいのだ! 私より目立つなど不敬だぞ」
「お前を見ているだけで虫唾が走る。早く私の視界から消えろ!」
五歳の頃、出会って最初に言われたのがこれである。
まだ外の世界に満ちている悪意というものを知らず、公爵家の中で蝶よ花よと育てられていたわたくしが初めて真っ向から浴びせられた容赦のない罵倒。相当戸惑ったのを記憶している。
それ以来、会う度に「お前など顔も見たくない」やら「偶然暇だったから、父上に言われて仕方なく会ってやっているだけだからな」などと、端正な顔を赤く染め、激怒しながら言ってきた。
相手が格上の皇太子殿下なので言い返すという愚行はしなかったが、わたくしは彼のことをひどく嫌っていった。
十歳の頃にナサニエル様と婚約し、皇太子殿下と距離を置けるようになったことでようやく安心できていたというのに。
彼に嫁いでしまったら、毎日そのような悪意を浴びせられなければならないではないか。
しかしこれは皇帝陛下直々の命令。公爵家の娘でしかないわたくしが逆らうなど、できるはずもなくて。
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