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夢の彼女
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晩飯の時間になると、炊事場から普段とは違う香りが漂ってきた。美緒が子どもたちと一緒に作ったらしい。鍋の中には豚肉とジャガイモの煮物──にくじゃがという料理だそうだ。
しょうゆと砂糖の甘じょっぱい匂いが広がり、思わず唾を飲み込む。
器を手にして一口食べた瞬間、びっくりした。……うまい。これまで食べてきたどの料理よりもうまい。ジャガイモはほろほろとくずれ、肉は柔らかく、味がよく染みている。
慌てないように気をつけたが、箸は止まらなかった。気づけば、子どもたちに負けないくらいの速さで夢中になって口へ運んでいた。
ふと、視線を感じた。顔を上げると、美緒がじっとこちらを見ていた。
──どう反応すればいい。
正直、心の中では「こんな味は知らなかった」と驚きっぱなしだった。けれど、素直に口にするのはどうにも照れくさい。子どもたちの前で浮かれるような真似もしたくない。
だから、わざと淡々とした声で返した。
「……悪くない」
美緒の顔がぱっと明るくなった。
その時、美緒の視線がふいに動いた。
部屋の隅にある木の棚の上──そこに置かれた一台のラジオに、まるで吸い寄せられるように目を奪われていた。
それは最近発売されたばかりの、最新のモダンなラジオだった。重厚な木枠に真鍮のつまみが光り、どっしりとした存在感を放っている。まだ世の中で手にしている家はほんの一握り。粗末な長屋の中にあるのは場違いといってもいい。
けれど俺は、どうしても欲しくて買ってしまった。
こいつらを食わせていくのに金を惜しむべきなのに、店先で見たときに心が勝手に動いた。
まだラジオ放送が始まったばかりで、この機械から流れる音は試験放送や短い音楽くらいだ。それでも、不思議な魅力があった。声が遠くから届くという事実だけで、未来をのぞき込むような気持ちになる。
美緒は息をのんだように立ち尽くしていた。彼女の瞳が真剣で、まるで再会を果たしたかのようにラジオを見つめている。その横顔を見て、俺は思わず声をかけた。
「目ざといな」
そして続ける。
「ラジオなんて珍しいだろ。この家にある唯一の高級品さ。こいつらを食わせていくことを考えると贅沢する余裕なんてないんだが……どうしてか、店で見て、欲しくて欲しくて仕方がなかったんだ」
しかし、彼女は聞こえていないのか、ラジオを見つめたまま吸い寄せられるように近づいていった。
「……聞いてみてもよい?」
美緒が聞いてくる。
「……ああ。ただし、壊すなよ」
高価なだけに壊されないかと少し気になったが、その真剣な様子に断れなかった。
美緒はそっとチューナーのダイヤルに指をかけた。冷たく硬い金属の感触を確かめるように、慎重に回す。カチリと音が鳴り、ラジオからざらざらとしたノイズが流れ、やがて抑揚のない男の声が混じった。
『──ただいま試験放送を行っております……一、二、三、四──』
部屋の子どもたちが一斉に目を丸くした。
「しゃべった!」
「すげぇ!」
興奮した声が飛び交う中、美緒はさらにダイヤルを回した。声は途切れ、ざーーっとした雑音に変わる。それでも手を止めない。
……この音。
俺は眉をひそめた。美緒の肩が小刻みに震えていたからだ。次の瞬間、涙が頬を伝い落ちるのが見えた。
「……どうして……」
美緒が小さくつぶやいた。自分でも理由が分からないように、苦しげな表情だった。
その横顔を見つめながら、胸の奥がざわめいた。
──この娘が、時折夢に見るあの少女なのかもしれない。
街で初めて見たときから「似ている」と思った。けれど今はもう、ただの思い込みでは済まされない気がしていた。
俺は腕を組み、無言で彼女を見続けた。本当にそうなのか、自分に問いかけながら。
しょうゆと砂糖の甘じょっぱい匂いが広がり、思わず唾を飲み込む。
器を手にして一口食べた瞬間、びっくりした。……うまい。これまで食べてきたどの料理よりもうまい。ジャガイモはほろほろとくずれ、肉は柔らかく、味がよく染みている。
慌てないように気をつけたが、箸は止まらなかった。気づけば、子どもたちに負けないくらいの速さで夢中になって口へ運んでいた。
ふと、視線を感じた。顔を上げると、美緒がじっとこちらを見ていた。
──どう反応すればいい。
正直、心の中では「こんな味は知らなかった」と驚きっぱなしだった。けれど、素直に口にするのはどうにも照れくさい。子どもたちの前で浮かれるような真似もしたくない。
だから、わざと淡々とした声で返した。
「……悪くない」
美緒の顔がぱっと明るくなった。
その時、美緒の視線がふいに動いた。
部屋の隅にある木の棚の上──そこに置かれた一台のラジオに、まるで吸い寄せられるように目を奪われていた。
それは最近発売されたばかりの、最新のモダンなラジオだった。重厚な木枠に真鍮のつまみが光り、どっしりとした存在感を放っている。まだ世の中で手にしている家はほんの一握り。粗末な長屋の中にあるのは場違いといってもいい。
けれど俺は、どうしても欲しくて買ってしまった。
こいつらを食わせていくのに金を惜しむべきなのに、店先で見たときに心が勝手に動いた。
まだラジオ放送が始まったばかりで、この機械から流れる音は試験放送や短い音楽くらいだ。それでも、不思議な魅力があった。声が遠くから届くという事実だけで、未来をのぞき込むような気持ちになる。
美緒は息をのんだように立ち尽くしていた。彼女の瞳が真剣で、まるで再会を果たしたかのようにラジオを見つめている。その横顔を見て、俺は思わず声をかけた。
「目ざといな」
そして続ける。
「ラジオなんて珍しいだろ。この家にある唯一の高級品さ。こいつらを食わせていくことを考えると贅沢する余裕なんてないんだが……どうしてか、店で見て、欲しくて欲しくて仕方がなかったんだ」
しかし、彼女は聞こえていないのか、ラジオを見つめたまま吸い寄せられるように近づいていった。
「……聞いてみてもよい?」
美緒が聞いてくる。
「……ああ。ただし、壊すなよ」
高価なだけに壊されないかと少し気になったが、その真剣な様子に断れなかった。
美緒はそっとチューナーのダイヤルに指をかけた。冷たく硬い金属の感触を確かめるように、慎重に回す。カチリと音が鳴り、ラジオからざらざらとしたノイズが流れ、やがて抑揚のない男の声が混じった。
『──ただいま試験放送を行っております……一、二、三、四──』
部屋の子どもたちが一斉に目を丸くした。
「しゃべった!」
「すげぇ!」
興奮した声が飛び交う中、美緒はさらにダイヤルを回した。声は途切れ、ざーーっとした雑音に変わる。それでも手を止めない。
……この音。
俺は眉をひそめた。美緒の肩が小刻みに震えていたからだ。次の瞬間、涙が頬を伝い落ちるのが見えた。
「……どうして……」
美緒が小さくつぶやいた。自分でも理由が分からないように、苦しげな表情だった。
その横顔を見つめながら、胸の奥がざわめいた。
──この娘が、時折夢に見るあの少女なのかもしれない。
街で初めて見たときから「似ている」と思った。けれど今はもう、ただの思い込みでは済まされない気がしていた。
俺は腕を組み、無言で彼女を見続けた。本当にそうなのか、自分に問いかけながら。
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