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回想録3
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バルビエ邸でパイプを吹かす訳にはいきませんでしたが、吸った気になれるようにパイプを握りしめていました。今夜は自分の不甲斐なさを夜風に慰めてもらうだけです。
「ふふ…またルール違反だ。」
どうやら神は私を見捨てて居なかったのです。しかも、あの時の再会と同じです。
運命とはこういう事です。
「でも吸ってないみたいだね?」
涙を指で隠し、私は淑女に言います。
「ええ、マナー違反ですから。――まだ、ね。」
パイプを胸ポケットに入れます。今度は悪魔の囁きには負けません。
「キミとは、また会って話したいと思ってたんだ。きちんと自己紹介してなかったし、なんせあのクレマンの論文も知ってるみたいだったからね。」
神よ、今一度…いえ、二度でも三度でも感謝します。この高貴な身分の方が、私とまた会いたいと言ってくださったのです。
ただでさえ、バルビエ侯爵からの招待状と、マルグリット嬢に会えた喜びだけで感無量なのに…言葉になりません。
「改めて、マルグリット・ド・ラ・トゥールだ。よろしくね。」
ラ・トゥール。
その苗字で先程までの感謝の祈りは呪いへと変わりました。
神は私の2つ目の願いを叶えてくれなかったのです。
「これは…私の様な者に名前を教えていただけるとは。」
私は動揺を隠すのが下手な様です。喉の奥がひくりと鳴り、指先に力が入らなくなりました。
彼女が微笑んでいるという事実だけが、やけに現実味を失っていきます。
それでも彼女の表情は変わりません。その微笑みが何を意味すのか、私には判断がつかなかったのです。
それでも、淑女が手を差し出したのなら、紳士は拒めません。
あれ程までに願ったキスは喜びでも緊張でもなく、ただ恐ろしいものになったのです。
「……ふーん?」
彼女は何かを察したのでしょう。灰色の瞳が私の心を覗き込んできます。これ以上近づくと、その恐怖と彼女本来の魅了に心も身体も差し出しそうになります。
「ダントン・ドラン。ダミアン・ドランの孫でダミアンの代で爵位をもらった家系だよね?」
彼女は続けます。
おっしゃる通り、ダミアンは私の祖父です。
「確かー…先の魔女裁判で貢献して、爵位を与えられたんだっけ?」
確認する様に私に問いかけます。
「あの日君に挨拶された時は思い出せなかったけども、エマが来て直ぐに思い出したんだ。ダントン、君のこともね。」
ゴクリと生唾を飲み込みました。あの日、彼女は本当に思い出せなかった。
けれど、侍女のエマ様が来て、すぐ私のことを思い出した。
彼女の機転の速さで私は医師となり――バルビエ侯爵の医学論文の話題を出したのです。
貴族の末端にいるような、私という人間の噂…ありとあらゆる情報を高位貴族は知っているのです。
「そんなに怯えなくてもいいよ?」
「い、いい、いいえ。そ、そんな事は…」
何もかも見透かされている様な、それはまるでよく当たると有名な占いで当てられるよりも恐ろしいものでした。
「ドラン家の三男坊が、最近サロンや社交界に顔を出している。論文を読むのが趣味だとも聞いてたから、話してみたかったんだ。」
愛らしいマルグリットは、この愚かなダントン・ドラン――こと私と話をしたかったのです。
「中々友達で医学に詳しい人は居なくてね…。それに、あの信じ難い論文達をキミがどう思ってるのかも知りたい…。」
あぁ、皆さん分かりますか?
こんなうら若き乙女が、淑女が、そんな事を言えば世の中の全ての、ありとあらゆる男は断れません。断ることはできません!
断言します。
私はもう彼女の為に身も心も差し出そうと決心しました。
「私はー…マドモワゼルと同じで、殆どの医学論文はあまり信じてはおりません…。」
「へえ?どうしてそう思うの?」
「い、いやぁだって、背中を強く叩けば咳は止まるだとか、脇の油を脱脂綿に含ませたあと、それをリンゴと一緒に煮詰めたジュースを飲めば下痢は収まるとか…どうも…。
中には自分でも試したものはありますが…論文の様にはいかず…。それに最後は神に祈るとか書いてある論文までもありますし。」
「ふーん?」
「あ、あぁ、いえ、別に神を信じてないわけではありません。むしろ、私は敬虔な方です。ミサにも行きますし…。神は居るとー…思います。」
昨日も今日も祈り、特に今日は感謝もしましたからね。神は居るのです。ただ、自信がないのです。
「いいね。その感想。」
私の感想はどうやら彼女のお眼鏡にかなった様です。
「ねぇ、ダントン?」
「は、はい。…なんでしょう?」
この日、この夜、バルビエ侯爵の招待状を私は生涯大事にした日です。
今も尚、手紙が色あせてもこの思い出は色褪せることはありません。
そっと彼女の指先が、先程私が胸ポケットにいれたパイプに触れます。
そして、つうっと横へなぞり、私の心臓に当たります。
灰色の瞳は、屋内からの明かりと夜の明かりで、緑にも青にも見えます。
声に出して言えませんが、これが本当に魔女の魅力なのかもしれません。
「ねぇ、私と――結婚してくれない?」
「ふふ…またルール違反だ。」
どうやら神は私を見捨てて居なかったのです。しかも、あの時の再会と同じです。
運命とはこういう事です。
「でも吸ってないみたいだね?」
涙を指で隠し、私は淑女に言います。
「ええ、マナー違反ですから。――まだ、ね。」
パイプを胸ポケットに入れます。今度は悪魔の囁きには負けません。
「キミとは、また会って話したいと思ってたんだ。きちんと自己紹介してなかったし、なんせあのクレマンの論文も知ってるみたいだったからね。」
神よ、今一度…いえ、二度でも三度でも感謝します。この高貴な身分の方が、私とまた会いたいと言ってくださったのです。
ただでさえ、バルビエ侯爵からの招待状と、マルグリット嬢に会えた喜びだけで感無量なのに…言葉になりません。
「改めて、マルグリット・ド・ラ・トゥールだ。よろしくね。」
ラ・トゥール。
その苗字で先程までの感謝の祈りは呪いへと変わりました。
神は私の2つ目の願いを叶えてくれなかったのです。
「これは…私の様な者に名前を教えていただけるとは。」
私は動揺を隠すのが下手な様です。喉の奥がひくりと鳴り、指先に力が入らなくなりました。
彼女が微笑んでいるという事実だけが、やけに現実味を失っていきます。
それでも彼女の表情は変わりません。その微笑みが何を意味すのか、私には判断がつかなかったのです。
それでも、淑女が手を差し出したのなら、紳士は拒めません。
あれ程までに願ったキスは喜びでも緊張でもなく、ただ恐ろしいものになったのです。
「……ふーん?」
彼女は何かを察したのでしょう。灰色の瞳が私の心を覗き込んできます。これ以上近づくと、その恐怖と彼女本来の魅了に心も身体も差し出しそうになります。
「ダントン・ドラン。ダミアン・ドランの孫でダミアンの代で爵位をもらった家系だよね?」
彼女は続けます。
おっしゃる通り、ダミアンは私の祖父です。
「確かー…先の魔女裁判で貢献して、爵位を与えられたんだっけ?」
確認する様に私に問いかけます。
「あの日君に挨拶された時は思い出せなかったけども、エマが来て直ぐに思い出したんだ。ダントン、君のこともね。」
ゴクリと生唾を飲み込みました。あの日、彼女は本当に思い出せなかった。
けれど、侍女のエマ様が来て、すぐ私のことを思い出した。
彼女の機転の速さで私は医師となり――バルビエ侯爵の医学論文の話題を出したのです。
貴族の末端にいるような、私という人間の噂…ありとあらゆる情報を高位貴族は知っているのです。
「そんなに怯えなくてもいいよ?」
「い、いい、いいえ。そ、そんな事は…」
何もかも見透かされている様な、それはまるでよく当たると有名な占いで当てられるよりも恐ろしいものでした。
「ドラン家の三男坊が、最近サロンや社交界に顔を出している。論文を読むのが趣味だとも聞いてたから、話してみたかったんだ。」
愛らしいマルグリットは、この愚かなダントン・ドラン――こと私と話をしたかったのです。
「中々友達で医学に詳しい人は居なくてね…。それに、あの信じ難い論文達をキミがどう思ってるのかも知りたい…。」
あぁ、皆さん分かりますか?
こんなうら若き乙女が、淑女が、そんな事を言えば世の中の全ての、ありとあらゆる男は断れません。断ることはできません!
断言します。
私はもう彼女の為に身も心も差し出そうと決心しました。
「私はー…マドモワゼルと同じで、殆どの医学論文はあまり信じてはおりません…。」
「へえ?どうしてそう思うの?」
「い、いやぁだって、背中を強く叩けば咳は止まるだとか、脇の油を脱脂綿に含ませたあと、それをリンゴと一緒に煮詰めたジュースを飲めば下痢は収まるとか…どうも…。
中には自分でも試したものはありますが…論文の様にはいかず…。それに最後は神に祈るとか書いてある論文までもありますし。」
「ふーん?」
「あ、あぁ、いえ、別に神を信じてないわけではありません。むしろ、私は敬虔な方です。ミサにも行きますし…。神は居るとー…思います。」
昨日も今日も祈り、特に今日は感謝もしましたからね。神は居るのです。ただ、自信がないのです。
「いいね。その感想。」
私の感想はどうやら彼女のお眼鏡にかなった様です。
「ねぇ、ダントン?」
「は、はい。…なんでしょう?」
この日、この夜、バルビエ侯爵の招待状を私は生涯大事にした日です。
今も尚、手紙が色あせてもこの思い出は色褪せることはありません。
そっと彼女の指先が、先程私が胸ポケットにいれたパイプに触れます。
そして、つうっと横へなぞり、私の心臓に当たります。
灰色の瞳は、屋内からの明かりと夜の明かりで、緑にも青にも見えます。
声に出して言えませんが、これが本当に魔女の魅力なのかもしれません。
「ねぇ、私と――結婚してくれない?」
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