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役立たずの秘蔵っ子
しおりを挟むセイディの主であるエマが今日、聖女となる。
三百年ぶりに開かれる聖女就任の儀に、この聖国シェイストの要、サリア教の心臓とも呼ばれる大神殿は、この三か月、毎日上を下への大騒ぎとなっていた。
(特に、当日の今日ともなると、皆慌ただしいわ)
廊下のあちこちで忙しなく指示をしたり、動き回っている神官やその見習いに目を向けつつ、セイディは足早に歩く。
(いつも寡黙なシリウスさんの口数が、やや多い。温和なベンジャミンさんは、口元の筋肉に微かなこわばりがある……陽気なマーティンさんは、緊張をした時に首の後ろを触る癖があるけれど、それが今日はいつもよりも、多いみたい)
人を観察し感情を悟ろうとしてしまうのは、セイディの幼い頃からの悪い癖だ。
(慌ただしい……ううん、気持ちを作業で紛らわせているのね。おおよそのお仕事は終わってるみたい。動きや声音に切迫感がないもの)
皆、緊張と喜びで高揚しているようだ。
無理もない。力がないため儀式に参加することはできず、ただの付き人にしかすぎない自分でさえ、そわそわとして落ち着かないのだから。
(なんといっても今日、聖女が誕生するんだもの)
サリア教を信仰するこの聖国シェイストには、数百年に一度聖女が現れる。
そのタイミングは様々だ。
洪水が起きるとき、異常な干魃の兆候が見えたとき、死病となる流行り病が現れかけたとき。
共通しているのは、必ずこの聖国の――いや、大陸全土に危機が迫る時だということ。
そしてそんな時には必ず、強い神力を持つ神官に聖女が現れることや、その姿形の神託がくだる。
そして神託通りに聖女が祈り力を発揮することで、この大陸は守られるのだった。
しかしこれには一つ、問題があった。
聖女の手がかりは、神官が――大抵が神官長だ――が受けた神託のみ。
さして広大ではないこの聖国でも、姿形を頼みにたった一人の少女を探し出すことは非常に骨が折れる、難しいことだった。
しかし聖女は幼い頃から、非凡な力を持つものだ。
そのためこの大神殿には、はるか昔より類稀な能力を持つ少女たちが集められることになった。大抵が治癒の力だが、中には未来予知や動物と会話できる能力といった、強い能力を持つ少女もいる。
すべては危機から国を、大陸を守るために、この聖国は来たるべき日のために聖女候補を集め続ける。
資源も国力もないこの聖国は、今や聖女というその存在のみで成り立っているのだった。
そうして、三月ほど前。
この大神殿の頂点に立つ神官長より、三百年ぶりに神託がくだったことが公表された。大陸のあちこちに、災いの始まりとなる瘴気が湧き始めていた矢先のことだった。
聖女の名前は、エマ・ラ・グレイヴス。
伯爵家の出身という高い身分に、幼い頃から当代随一と言われた治癒力と、神官長に次ぐと言われた高い神力を持つ彼女が聖女に選ばれたことは、神託がくだった以上当然のことだった。
セイディは、そんなエマの側付きだ。五歳の時に拾われてから、もう十年エマに仕えている。
セイディはこの大神殿で、唯一何もできない役立たずだ。簡単な治癒もできなければ、簡単な結界を張ることもできない。
(……といっても本当は。エマさまと神官長さまだけが知ってる能力があるのだけれど)
しかしその能力は、何の意味もない。誰一人救えない能力をひけらかしても意味がないということで、それは隠すことに決めていた。
神殿にいる資格がない、そんなセイディを拾い「よく気の利く秘蔵っ子なの」と目をかけてくれるエマ。神殿中が彼女の優しさを知っている。
そんな彼女が聖女になるのだから、神殿中がそわそわと落ち着かないのもまた当然のことなのだった。
(……だけど。儀式に参加しないわたしくらいは、落ち着いてないとだめだわ)
だって一番落ち着かないのは、今日の主役であるエマだろうから。
ようやく着いた主聖堂の控室の前で深呼吸をし、浮き足立つ気持ちを引き締め、セイディはノックした扉を開けた。
「エマさま。セイディが、今戻りました」
「……ああ、セイディ。早かったのね」
複数の侍女に髪を結われ、同時に化粧を施されているエマがセイディに一瞬だけ視線を向けて微笑んだ。
「今日は神殿中がばたばたとしているでしょう。また誰かに用事を言いつけられたんじゃないかと、心配していたのよ」
「大丈夫です。エマさまのお支度があることを、みんな知っていますので」
それに、セイディは確かによく人の雑用を引き受けてはいるが、それは用事を言いつけられているばかりではない。誰かが食事や睡眠返上で働いている時は、ついつい自ら手を貸してしまうのだ。満たされた食事と睡眠、それから適切な運動は健康に何より大切なことだと、セイディは固く信じている。
しかし今日は、エマの大切な日だ。日頃からエマのお世話を最優先にしているけれど、今日だけは空いた時間もエマに捧げると決めている。
(最近は神殿中も忙しいから、お手伝いに行かされることが多くてエマさまのお側にいられることも少なかったもの。今日だけは、側付きとしてお仕事を果たさなくっちゃ)
セイディの言葉に、エマが「そう。それはよかった」と呟くように言った。
「それじゃあ早速だけれど、お茶を淹れてくれるかしら。セイディのお茶を飲むと気持ちが安らぐから」
「もちろんです」
頷きながら、お茶を入れる準備に入る。すると周りの侍女が、「エマ様も緊張なさるんですね」と驚きとも安堵ともつかない声を出した。
「それはそうよ。だって今日は、各国から王侯貴族が集まるのだもの。その場で粗相をしたら……なんて考えるだけで、怖くなってしまうわ」
「まあ。エマ様に限って粗相なんて」
侍女たちがころころと笑う。
その会話に耳を澄ましながら、セイディは「お茶が入りました」とエマの前に差し出した。今日はエマが一番好きで、リラックス効果もある茉莉花(ジャスミン)のお茶だ。
「茉莉花茶ね。良い香り」
一瞬の間を置いて、エマが微笑む。
侍女の一人が「同じ茶葉を使ってもこの香りは出せないのよねえ」と相槌を打ったあと、何かを思い出したように「あ」といい、悪戯めいた笑みを見せた。
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