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聖女の隠し事
しおりを挟む「このお茶を、神官長さまにもお出しした方が良いんじゃないかしら。だって最近の神官長さま、プレッシャーがすごいのか毎日胃を抑えてるんだもの」
「ああ、私も見たわ」
他の侍女も手は止めず、苦笑しながら頷いた。
「最近では夜ごとバルコニーに出て星を見上げては、練習なのか聖句を呟いているようよ。もう聖句なんて骨の髄まで染み込んでいるでしょうに、努力家よね。まあ、なんというか……胆力を鍛えた方が良いのでは? と思うけれども」
「神官長さま、そこまで緊張しているのですか……」
ここ最近、神官長と顔を合わせていなかったセイディは驚いた。
確かに、神官長が少しプレッシャーに弱いことは知っている。
神官長はこの国の王族に匹敵する権力を持っているのに、王城に呼ばれたときなどいつも「緊張が……」と胃を押さえているのだ。
それでも長年――セイディがここに来る前よりも、何十年も前から神官長を勤めている彼が、そこまで追い詰められるものなのだろうか。
不思議に思うセイディに、侍女の一人が「ここだけの話だけど」と小声で言った。
「隣国グローサズから来る筈だった第二王子が来れなくなって、急遽第三王子が来ることになったの。そのせいみたいよ」
「いらっしゃる変わったのですか」
首を傾げる。
確かに、グローサズは非常に強大な軍事国家で、大陸で一番慎重な外交が求められる国だ。
数年前まで精力的な侵略戦争をあちこちに仕掛けていたと聞き、周辺諸国からも大変恐れられている。
しかし大陸で一番信仰されているサリア教の聖地であるこの国は、聖女の存在のおかげで侵略の危険性は低い。
(大した資源も国力もないのに、侵略したら大陸中から非難されるだろう国を侵略するなんて、何の得もないものね……)
なんだか悲しいものがあるが、ありがたいことでもある。
とはいえ万が一、ということもあるため、彼の国の賓客のもてなしは一番神経を使うらしい。
その賓客が差し代わるとなれば、もてなしもまた変わってくるのだろうけれど……とは思いつつ、そこまで恐ろしがることなのだろうかと心の中で再び首を傾げる。すると侍女たちは更に声をひそめながら、話を続けた。
「第三王子は、グローサズの中でも群を抜いて冷酷で、残虐な人だそうよ」
「ああ、聞いたことがあるわ。王子にも関わらず戦争が好きで今までずっと戦地にいて、味方が恐れるほど残酷。容姿はとても美しい方だけれど、国では腫れ物扱いで……化物と呼ばれているのですって」
(化け物……)
侍女の言葉に、セイディは困って眉を下げた。
それに気づかず、侍女は「神官長が胃を痛めるのもわかるわ」と心配そうに頬に手を当てる。
「ただでさえエマさまの次に重責を担っているというのに、お可哀想だわ。ねえセイディ。あなた、手が空いたら……」
「お喋りはそこまでになさい」
真っ直ぐに鏡を見ていたエマが静かに、しかし毅然とした声でそう言った。
「他国の賓客についてあれこれ語るなんて、今日という日にふさわしくない振る舞いだわ」
「! 失礼しました、申し訳ありません……」
エマの注意に慌てて頭を下げる侍女たちに、エマは「そろそろ儀式が始まるわね」と言った。
「あとは装飾品だけね。……儀式の間は、食事をする間もないでしょう。あなた達は、今のうちに軽食を摂っておきなさい。あとはセイディにやってもらうわ」
「かしこまりました」
慇懃に頭を下げて、侍女たちが出ていく。
鏡の前に座るエマの後ろに立ち、セイディは儀式に使う髪飾りを手に取った。しゃらしゃらとした長い飾りが絡まないように丁寧に頭に乗せながら、エマのことをそれとなく観察をする。
(……最近は、気を張ってらっしゃるようだったけれど。今日は特にそうみたい)
自ら『緊張している』とは言っていても、内心の気の張り詰めようはそれどころではなさそうだ。
元々エマは、感情を隠すことがうまい。いくらポーカーフェイスがうまい人間でも、普通は怒りや不安や驚きを覚えた瞬間に0.2秒程度は、眉や口元に感情が現れるものだ。
しかしエマは咄嗟の表情の管理にも長けていて、この0.2秒が極めて短く、無いと言っても過言ではない。
(とはいっても、瞳孔の広がりや無意識の仕草、手足の向きに気持ちは現れてしまうもの。――ううん、やっぱりお茶だけで気持ちが安らぐことはないわよね……)
自分の力不足を感じつつ、他に何かできることはないかと手を動かしながら考えていると、エマの呆れたような揶揄うような笑い声が聞こえた。
「ふふ、セイディ。私の気持ちを読もうとしているでしょう」
「あっ……す、すみません」
不意をつかれて咄嗟に謝る。読心術などという大層なものではないのだが、人は自分の感情を読まれたら不快になるものだと、セイディは知っている。
「いいのよ。ここまで来たらあとはもう、儀式が始まるだけだもの」
恐縮するセイディにエマが微笑みながら「本当に私、隠し事が上手なのよね」と苦笑した。
(隠し事?)
自嘲するような声音と言葉を訝しくは思いつつ、それでも詳しく聞かれたくはないのだろうとなんとなく察したセイディは、「そういえば」と明るく口を開いた。
「エマさまは、かくれんぼがお上手でしたよね。わたしはいつも見つけるのに苦労して……」
「……ふふ、かくれんぼね。懐かしい。あなたはあの時何もできなくて、できることといえば私の遊び相手だけだったわね。あの頃の小さくて何もできない、そんなただ可愛かっただけのあなたに、もう一度会いたいわ」
エマがくすくすと笑いながら、懐かしむように目を閉じて、小さく呟いた。
「変わってしまったものね。私も、あなたも。状況も」
「……エマさま?」
強い違和感を覚えて名前を呼ぶ。エマは「そろそろ時間ね」と立ち上がった。
大きな髪飾りが顔に影を落とし、その瞳孔は窺えない。ゆったりとしたローブはエマの所作を美しく隠し、エマが何を考えているのかは読めなかった。
「そろそろ行きましょう」
そう言って歩き出すエマの後ろを、セイディは一拍遅れて慌てて歩き出す。
(……すごく、不安になっているのかな。エマさま)
昔の懐かしい頃を、思い出すほどに。
胸に一抹の不安がよぎる。凛と背筋を伸ばすエマの後ろを歩きながら、セイディは儀式が行われる主聖堂へと向かった。
◇
儀式が始まった主聖堂には、厳粛な空気が広がっていた。
主聖堂の真正面に、エマが立つ。
その前に跪いた神官長が、朗々とした聖句を唱える。淀みのないその聖句によかったなあと思いつつ、端に控えて葡萄酒の入った聖杯を持っているセイディは、かつてないほど緊張をしていた。
「少しだけ緊張するわね」
「そう? 私たちは葡萄酒を持っていくだけじゃない。それよりもここから賓客が見えないのは残念だわ。イケメンがいないの?」
同じく葡萄酒を持っている侍女二人が、ひそひそとそんな会話をしている。
セイディは会話どころではない。ただエマの補佐をするだけのセイディだったのに、神酒となる葡萄酒をエマの前に持っていく侍女の一人が体調の悪さを訴え、急遽暇なセイディが代わりを勤めることになったのだ。正直言って泣きそうだ。
「――神が遣わした聖女に、祝福を。この葡萄酒を神の名の下にお捧げ致します」
その言葉が合図だ。自分の心臓がばくばくと鳴る音を感じつつ、他の侍女の後をついて歩きながら、葡萄酒の入った聖杯をエマの元へと持っていく。
(もしも私が粗相をしたら、エマさまに恥をかかせる――いえ。国の威信をかけた。それだけは、絶対にだめ)
そう心の中で唱えているうちに、ようやくエマの前へと着いた。この葡萄酒を、エマが受け取ればセイディの役目は終わりである。
そのことに心の底から安堵しつつ、葡萄酒を掲げてエマの顔を見ると、エマはまったく感情が窺えない、無表情でセイディを見ていた。
驚いて目を見開くと、エマがセイディの聖杯を受け取る。
それと同時に耳元で、小さく「ごめんなさいね」と囁く声が聞こえた。
「だけどこれは、私には必要なことなの」
次の瞬間、エマがセイディから受け取った聖杯を、ゆっくりと逆さにする。
聖杯から溢れた葡萄酒は、美しい赤だった。少なくとも、零れ落ちた数秒は。
音を立てて溢れる赤い葡萄酒が、セイディの白い神官服を漆黒に濡らしていく。
悲鳴ともどよめきともつかない声が、賓客の座っているだろう場所に響き渡る。
驚きに言葉も出ないセイディに、エマの鋭い声が響いた。
「――側付き風情が、神聖なる儀によくも穢らわしい真似を!」
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