もう君以外は好きになれない

皐月めい

文字の大きさ
7 / 31

一番欲しいもの

しおりを挟む
 

 図書寮は、いつも人が少なく静かだ。乾いた紙と墨の匂いが心を落ち着かせてくれる。
 しかし、どうにも落ち着かない様子の男が一人いる。形の良い眉を顰め、心ここにあらずといった様子だ。しかしそんな様子でも桜の間違いはわかるのだから、かわいくない。


「眉間のしわ」

 自分の眉間を指で指す桜に、橘は怪訝な顔を浮かべる。

「俺には見えませんが、化粧品の類なら女官にお願いしてください」
「私じゃなくて、あなたよ」

 先日の花見の後から、橘の様子がおかしい。
 いつも眉間にしわを寄せて、何だか憂いているようにも見える。朝顔が「憂える美男子もまた素敵でございます……」と心配しつつも感嘆していたけれど、桜はどうにも落ち着かない。まだいつもの無表情がましだった。

 花見の時の桔梗の様子が気にかかっているのかもしれない。
 あの後彼からは身内が申し訳ないと謝罪を貰い、あんな事を言い出すとは想定していなかったと何度も謝られた。

 桔梗からは丁寧な詫び状が届いたし、何より橘は庇おうとしてくれた。だから桜は気にしてないしそれは伝えたけれども、可愛い妹分があの場であのような振る舞いをした事自体に、橘は胸を痛めているのだろう。

「桔梗様のことを気にしているの?」
「それは……まあ、それもありますが、個人的な悩みがあるだけです。試練も近いですしね」
「ああ……」


 もう少しで、第一の試練が始まる。

 試練の課題は弓・馬・剣の三種類。一番最初の試練は弓だった。
 帝を始め、全ての公家の前で試験は行われる。皇后候補の近衛武士というだけでも誉れだが、この試練に一度でも勝ったものは武士として最高の名誉と褒美が与えられる。


「緊張、するわよねえ……」
「緊張は、しますね。本当にこれで良いのかと、毎日思い悩んでおります」

 練習量のことだろうか。毎日、橘は凄く練習していると聞いたのだけれど。
 橘が見つめる彼の手のひらに目を向けると、手は擦り切れて至るところに血が滲み、見るも無惨なことになっていた。気づいた桜はきゃっと小さく悲鳴をあげる。

「薬は?手当しなくちゃ」
「いえ、そこまででは……」
「いいから!」

 桜が席を立ち、図書寮の外で控えていた女官に手当のための道具を取ってきてもらうと、綺麗な水で布を湿らせ橘の手を優しく拭った。絶対痛いやつだ。見ている桜まで痛い。むしろ怖い。

 ある程度綺麗になったところで薬を塗り、綺麗な布をぐるぐると巻きつけた。

「はい、おしまい。毎日ちゃんと薬を塗ってね。布も取り替えて」
「……ありがとうございます」

 そう言って手当をした手を、橘がまじまじと見る。

「……ねえ、手が擦り切れるほど練習したら、本番には痛くて力を発揮できないんじゃないの?治るまでお休みしたら?」
「いえ、集中していれば痛みはそこまででも。精神統一になりますし」
「えええ……まあ私が言うことじゃないけど、やめた方がいいと思うのだけど……」

 この状態の手では物を掴むだけでも痛そうだ。桜が顔を顰めて、強制するわけじゃないけど、と続ける。

「近衛になるほどの腕を身につけて、ここまで練習しているあなたならきっと一番になれると思う。例え弓が上手くいかなくても、馬も剣もある。気負い過ぎない方が上手くいくんじゃないかしら……」
「一番……」

 橘が目を瞬かせ、逡巡し目を伏せた。

「俺があなたのために一位を獲ったら、褒めて頂けますか」

 今度は桜が目をぱちくりと瞬かせた。言っている意味がよくわからない。

「私が?私、橘を褒められるような人間じゃないような気がするんだけど……」

 何せ現在進行形で勉強を教わっている。全てに於いて、今のところは橘のほうが上なのに、褒めてつかわすとは、言いにくい。

「急にしおらしくなられる。褒めるのはお嫌ですか」

 嫌とかではないけど、目的がわからない。
 私に褒められて橘に何の得があるのだろうかと、桜は訝しんだ。もしかして何かの隠語の一つだろうか。
 そう考えて、はたと思い浮かんだ。報賞だ!

「なるほど、もちろん。それから一番望むことを言ってみて。叶えましょう。今の私にできる範囲内ならいいわよ」
「一番望むこと……」

 考え込む橘に、桜が慌てて「爬虫類は却下」と付け加える。昔誕生日の祝いに蛙の卵が欲しいと言われたことを思い出した。半泣きで獲ったのだ。


「……では、祝福を頂ければ」
「え、それが一番なの?」

 西の大陸で行われているという祝福は、自身の持ち物に相手の無事を願い渡すことだ。以前橘が言っていた。

「一番ではないですが、それはどうも叶わなそうなので。頂けるのなら、何でも結構です」

 まあ確かに、桜ができることなどたかが知れている。一番の望みは叶えられないだろう。

「わかったわ。でも何にしようかなあ……橘は化粧品なんか、使わないわよね?」

 うんうん悩む桜に、橘は苦笑して「使いませんが、何でもいいですよ」と、いつもの調子でそう言った。






しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛する人のためにできること。

恋愛
彼があの娘を愛するというのなら、私は彼の幸せのために手を尽くしましょう。 それが、私の、生きる意味。

私は《悪役令嬢》の役を降りさせて頂きます

・めぐめぐ・
恋愛
公爵令嬢であるアンティローゼは、婚約者エリオットの想い人であるルシア伯爵令嬢に嫌がらせをしていたことが原因で婚約破棄され、彼に突き飛ばされた拍子に頭をぶつけて死んでしまった。 気が付くと闇の世界にいた。 そこで彼女は、不思議な男の声によってこの世界の真実を知る。 この世界が恋愛小説であり《読者》という存在の影響下にあることを。 そしてアンティローゼが《悪役令嬢》であり、彼女が《悪役令嬢》である限り、断罪され死ぬ運命から逃れることができないことを―― 全てを知った彼女は決意した。 「……もう、あなたたちの思惑には乗らない。私は、《悪役令嬢》の役を降りさせて頂くわ」 ※全12話 約15,000字。完結してるのでエタりません♪ ※よくある悪役令嬢設定です。 ※頭空っぽにして読んでね! ※ご都合主義です。 ※息抜きと勢いで書いた作品なので、生暖かく見守って頂けると嬉しいです(笑)

今宵、薔薇の園で

天海月
恋愛
早世した母の代わりに妹たちの世話に励み、婚期を逃しかけていた伯爵家の長女・シャーロットは、これが最後のチャンスだと思い、唐突に持ち込まれた気の進まない婚約話を承諾する。 しかし、一か月も経たないうちに、その話は先方からの一方的な申し出によって破談になってしまう。 彼女は藁にもすがる思いで、幼馴染の公爵アルバート・グレアムに相談を持ち掛けるが、新たな婚約者候補として紹介されたのは彼の弟のキースだった。 キースは長年、シャーロットに思いを寄せていたが、遠慮して距離を縮めることが出来ないでいた。 そんな弟を見かねた兄が一計を図ったのだった。 彼女はキースのことを弟のようにしか思っていなかったが、次第に彼の情熱に絆されていく・・・。

侯爵令嬢はざまぁ展開より溺愛ルートを選びたい

花月
恋愛
内気なソフィア=ドレスデン侯爵令嬢の婚約者は美貌のナイジェル=エヴァンス公爵閣下だったが、王宮の中庭で美しいセリーヌ嬢を抱きしめているところに遭遇してしまう。 ナイジェル様から婚約破棄を告げられた瞬間、大聖堂の鐘の音と共に身体に異変が――。 あら?目の前にいるのはわたし…?「お前は誰だ!?」叫んだわたしの姿の中身は一体…? ま、まさかのナイジェル様?何故こんな展開になってしまったの?? そして婚約破棄はどうなるの??? ほんの数時間の魔法――一夜だけの入れ替わりに色々詰め込んだ、ちぐはぐラブコメ。

半世紀の契約

篠原皐月
恋愛
 それぞれ個性的な妹達に振り回されつつ、五人姉妹の長女としての役割を自分なりに理解し、母親に代わって藤宮家を纏めている美子(よしこ)。一見、他人からは凡庸に見られがちな彼女は、自分の人生においての生きがいを、未だにはっきりと見い出せないまま日々を過ごしていたが、とある見合いの席で鼻持ちならない相手を袖にした結果、その男が彼女の家族とその後の人生に、大きく関わってくる事になる。  一見常識人でも、とてつもなく非凡な美子と、傲岸不遜で得体の知れない秀明の、二人の出会いから始まる物語です。

【完結】王太子と宰相の一人息子は、とある令嬢に恋をする

冬馬亮
恋愛
出会いは、ブライトン公爵邸で行われたガーデンパーティ。それまで婚約者候補の顔合わせのパーティに、一度も顔を出さなかったエレアーナが出席したのが始まりで。 彼女のあまりの美しさに、王太子レオンハルトと宰相の一人息子ケインバッハが声をかけるも、恋愛に興味がないエレアーナの対応はとてもあっさりしていて。 優しくて清廉潔白でちょっと意地悪なところもあるレオンハルトと、真面目で正義感に溢れるロマンチストのケインバッハは、彼女の心を射止めるべく、正々堂々と頑張っていくのだが・・・。 王太子妃の座を狙う政敵が、エレアーナを狙って罠を仕掛ける。 忍びよる魔の手から、エレアーナを無事、守ることは出来るのか? 彼女の心を射止めるのは、レオンハルトか、それともケインバッハか? お話は、のんびりゆったりペースで進みます。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

某国王家の結婚事情

小夏 礼
恋愛
ある国の王家三代の結婚にまつわるお話。 侯爵令嬢のエヴァリーナは幼い頃に王太子の婚約者に決まった。 王太子との仲は悪くなく、何も問題ないと思っていた。 しかし、ある日王太子から信じられない言葉を聞くことになる……。

処理中です...