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監獄
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冷たい地下牢の岩壁に背を向けて、ミリアは大きく悲し気なため息をついた。
この地下牢は彼女の身長よりも遥か高い場所に、西向きの窓がある。
一日に一度、夕方になるとそこから柔らかな光が漏れてくる。
ミリアはもう何度それを数えただろうか。
十か、二十か。
三週間を超えた辺りから、虚しくなり、数えるの止めてしまった。
地下牢の窓の向こうには広く豊かな男爵家の庭がある。
そこで無邪気に遊ぶ、まだ幼い我が子の声を聞くことが、ミリアにとって何よりの救いだった。
物心つかないままにあの子たちは、新しい母親とうまくやっているのだろう。
そう思い、彼らの幸せを願うことで元男爵夫人はどうにか心の平穏を保っていた。
◇
「ミリア、この毒婦め! 俺が留守にしがちなのをいいことに、他所の男を連れ込むとはいい度胸だな……。子供たちがまだ幼いというのに、母親の役割を忘れたお前など、もう不要だ!」
「あなた――っ!?」
一月前。
元夫である、オーテス男爵はそう言い叫ぶと、平手でミリアの頬をぶった。
子供たちが寝静まった後であり、家人たちがいない寝室でのできごとだった。
男爵の怒りは一撃では気が済まず、ミリアの釈明を聞く気もない。
「私は子供達の世話でそんな暇はありませんでした!」
「嘘をつくな、お前が隣の伯爵家の息子ジョージと、二人きりで馬車に乗りいかがわしい場所に入っていたことを誰もが知っている。俺が誰からそのこと聞いたと思うんだ!」
「それは……」
「やっぱりそうか、この毒婦め! お前のような女がいるから、子供たちが幸せになれないんだ」
決めつけるようにそう叫ぶと、男爵はベッドの上に倒れ込んだミリアの両肩を掴み、自分の方へと引き寄せた。
がくがくと凄い力で前後に揺さぶれると、ミリアの心に恐怖が走る。
「離して! 離してください……っ」
身をよじりどうにか逃げようとしたが、男爵の指にこもった力は緩むことなく、更に両手首を掴まれてしまった。
逃げようのなさに、ミリアは自分の無力を知る。
結婚してから子供を産み育ててきた中で初めての夫から受ける暴力に抵抗した。
激しい痛みが両手首に走った。
ミリアが腕を引き上げ、束縛から解放されると、彼は再び肩を掴んできた。
「自分の罪を認めずにまだ抵抗しようとするのか! とんでもない女だ」
「それは全部あなたの勘違いです! 伯爵家のジョージと馬車に乗ったことなんてこれまで一度もない!」
「まだ言うのか、そんなに俺を嘘つきにしたいのか? お前のせいで、宮廷の陛下の目の前で、周りから散々笑われたというのに!」
そう言って男爵はミリアをベッドの袖の部分に叩きつけた。
背中を強く打ちつけられて、ミリアの息が止まる。
頭が地面にぶつけたボールのように、跳ね返った。
「どうして自分だけ正しいと思うの! 私の言うことを通して信じてくれないの?」
ミリアは叫ぶ。それは心からの怒りだった。
自分を信じてくれないことへの。ただ一人の愛する人間に裏切られ暴力を振るわれたことに対する、原始的な怒りだった。
だがそれは相手に通じることはなく、男爵はどこが皮肉そうに片頬を上げる。
それから手をふりあげ、拳をかためると、ベッドの上に倒れ込んだ妻の顔面に向かってそれを打ち下ろした。
ミリアの頭の中で金属同士がぶつかったような甲高い音がした。
鼻の奥に熱いものを感じると、それは鉄臭い匂いにすぐにとってかわった。
脳のすべてに浸透するような見えない手に掴まれて、意識がふっと途切れそうになる。
それはまさにミリアの幼い頃の記憶にある、母親を殴る父親と同じだった。
「逃げたいか? 逃がすものか、俺は笑われたんだ! 陛下の御前で、お前のせいで不貞を問われた! 俺は馬鹿にされたんだぞ! お前のせいでな!」
二度、三度と遠慮のない暴力が振り下ろされる。
頭の中は真っ白となり、ミリアはどうにかもがいて助けを求めた。
手の届く場所にあった、陶製の大きな花瓶が指先に当たり、それをはたき落して床に落とした。
勢いと共にそれは床に叩きつけられて、盛大な音を残してミリアの助けを執事たちに知らせた。
執事と数名の侍女たちが寝室に割り込み、まだ彼女を殴りたいないと叫ぶ男爵を引きはがす。
「この魔女が! お前のような最悪な女は離婚だ! 地下でその罪をあがなうがいい!」
言葉を返す余裕もなかった。
そんなものが耳に入る余地すらなかった。
痛みに悶え苦しむミリアの顔は赤黒く腫れ始めていた。
唇はあらぬ方向に曲がり、鼻からは大量の出血をして、床の上には数本の歯が散っていた。
それほど男爵の拳は固く彼の怒りは激しいものだった。
その夜遅く。
ミリアは男爵邸の地下にある、罪人を閉じ込めるための牢屋に監禁された。
この地下牢は彼女の身長よりも遥か高い場所に、西向きの窓がある。
一日に一度、夕方になるとそこから柔らかな光が漏れてくる。
ミリアはもう何度それを数えただろうか。
十か、二十か。
三週間を超えた辺りから、虚しくなり、数えるの止めてしまった。
地下牢の窓の向こうには広く豊かな男爵家の庭がある。
そこで無邪気に遊ぶ、まだ幼い我が子の声を聞くことが、ミリアにとって何よりの救いだった。
物心つかないままにあの子たちは、新しい母親とうまくやっているのだろう。
そう思い、彼らの幸せを願うことで元男爵夫人はどうにか心の平穏を保っていた。
◇
「ミリア、この毒婦め! 俺が留守にしがちなのをいいことに、他所の男を連れ込むとはいい度胸だな……。子供たちがまだ幼いというのに、母親の役割を忘れたお前など、もう不要だ!」
「あなた――っ!?」
一月前。
元夫である、オーテス男爵はそう言い叫ぶと、平手でミリアの頬をぶった。
子供たちが寝静まった後であり、家人たちがいない寝室でのできごとだった。
男爵の怒りは一撃では気が済まず、ミリアの釈明を聞く気もない。
「私は子供達の世話でそんな暇はありませんでした!」
「嘘をつくな、お前が隣の伯爵家の息子ジョージと、二人きりで馬車に乗りいかがわしい場所に入っていたことを誰もが知っている。俺が誰からそのこと聞いたと思うんだ!」
「それは……」
「やっぱりそうか、この毒婦め! お前のような女がいるから、子供たちが幸せになれないんだ」
決めつけるようにそう叫ぶと、男爵はベッドの上に倒れ込んだミリアの両肩を掴み、自分の方へと引き寄せた。
がくがくと凄い力で前後に揺さぶれると、ミリアの心に恐怖が走る。
「離して! 離してください……っ」
身をよじりどうにか逃げようとしたが、男爵の指にこもった力は緩むことなく、更に両手首を掴まれてしまった。
逃げようのなさに、ミリアは自分の無力を知る。
結婚してから子供を産み育ててきた中で初めての夫から受ける暴力に抵抗した。
激しい痛みが両手首に走った。
ミリアが腕を引き上げ、束縛から解放されると、彼は再び肩を掴んできた。
「自分の罪を認めずにまだ抵抗しようとするのか! とんでもない女だ」
「それは全部あなたの勘違いです! 伯爵家のジョージと馬車に乗ったことなんてこれまで一度もない!」
「まだ言うのか、そんなに俺を嘘つきにしたいのか? お前のせいで、宮廷の陛下の目の前で、周りから散々笑われたというのに!」
そう言って男爵はミリアをベッドの袖の部分に叩きつけた。
背中を強く打ちつけられて、ミリアの息が止まる。
頭が地面にぶつけたボールのように、跳ね返った。
「どうして自分だけ正しいと思うの! 私の言うことを通して信じてくれないの?」
ミリアは叫ぶ。それは心からの怒りだった。
自分を信じてくれないことへの。ただ一人の愛する人間に裏切られ暴力を振るわれたことに対する、原始的な怒りだった。
だがそれは相手に通じることはなく、男爵はどこが皮肉そうに片頬を上げる。
それから手をふりあげ、拳をかためると、ベッドの上に倒れ込んだ妻の顔面に向かってそれを打ち下ろした。
ミリアの頭の中で金属同士がぶつかったような甲高い音がした。
鼻の奥に熱いものを感じると、それは鉄臭い匂いにすぐにとってかわった。
脳のすべてに浸透するような見えない手に掴まれて、意識がふっと途切れそうになる。
それはまさにミリアの幼い頃の記憶にある、母親を殴る父親と同じだった。
「逃げたいか? 逃がすものか、俺は笑われたんだ! 陛下の御前で、お前のせいで不貞を問われた! 俺は馬鹿にされたんだぞ! お前のせいでな!」
二度、三度と遠慮のない暴力が振り下ろされる。
頭の中は真っ白となり、ミリアはどうにかもがいて助けを求めた。
手の届く場所にあった、陶製の大きな花瓶が指先に当たり、それをはたき落して床に落とした。
勢いと共にそれは床に叩きつけられて、盛大な音を残してミリアの助けを執事たちに知らせた。
執事と数名の侍女たちが寝室に割り込み、まだ彼女を殴りたいないと叫ぶ男爵を引きはがす。
「この魔女が! お前のような最悪な女は離婚だ! 地下でその罪をあがなうがいい!」
言葉を返す余裕もなかった。
そんなものが耳に入る余地すらなかった。
痛みに悶え苦しむミリアの顔は赤黒く腫れ始めていた。
唇はあらぬ方向に曲がり、鼻からは大量の出血をして、床の上には数本の歯が散っていた。
それほど男爵の拳は固く彼の怒りは激しいものだった。
その夜遅く。
ミリアは男爵邸の地下にある、罪人を閉じ込めるための牢屋に監禁された。
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