4 / 6
戻らない彼女
しおりを挟む
「そうだな。あそこなら、今夜の俺たちに相応しい」
「ロイヤルスイートがいいわ!」
「君の望むままに、我が姫」
オリバーの同意を得て、王立楽団の歌姫であってもおいそれとは宿泊できない最上級の部屋に泊まれる嬉しさを以って、カナリアは恋人に近づいた。
あと一歩というところで、いつも彼女は歩みを止める。
しかし、今夜は違った。また一歩近づいた。
楽器と楽譜を片腕に寄せると、彼の額におちた前髪を払いのけ、じっとこちらを見つめて来る。
形の良い小さなあごを親指と人差し指でそっと持ち上げたら、目が合い、唇が重なって二人の時が一瞬、止まった。
「本当にいいのかしら。我が儘だと思われない?」
言ってから迷う彼女はとても可愛らしい。
「本当だよ。俺は今週末から第二王子と共に、辺境視察に行く。その間、寂しくさせることへの詫びだと思って頂きたいね、我が姫様」
「今週末って、もうあと三日もないじゃない」
いきなり知らされた予定に、カナリアはちょっとだけ不機嫌になった。
「すまない。急に決まったんだ」
「私は来週末まで王都であなたと過ごそうと思っていたのに‥‥‥」
二人の想いは同じだと分かるとオリバーは早くカナリアを抱きしめたい欲求に駆られた。
唇を奪い、全てを奪い尽くしてしまいたい。
「俺も同じだよ。姫様」
「……いいわ。許してあげる。でも、戻ってきたら旅行に行きましょう? お互い、結婚式の話もしないといけないし」
結婚。
考えてはいたが、これまでの付き合いからなんとなく実感のわかなかったその言葉が、オリバーの背中から寂しさを、激しい痺れとともに流して行く。
本当に彼女を妻にできるのだ。
幸福感で視界が明るく染まった。
夜会の演奏のために控え目にされていた会場の明かりが、元通りになったせいではあるまい。
「そうだな。次に会えるまで時間がある。今夜は最後の晩にしたいしな」
「最後の晩?」
片方の眉を上げて、カナリアは意味を問う。
「恋人としての最後の夜だ。次は純白のドレスを着た君を見たい」
「……指揮のレットーと会うことになっているの」
「二人でか?」
レットーとはこの国の第二王子だ。
オリバーが剣を教えている相手でもあり、三十代の才能豊かな音楽家でもある。
今夜の夜会で指揮を務めたのも彼だった。
「いいえ、楽団のみんなでよ。振り返りと、次の公演についての説明も」
「それなら仕方ないな」
結婚式を匂わせるオリバーの言葉に、カナリアは恥ずかしそうに頬を赤らめて、踵を返した。
あと少し。
もう少し待てば、本当の愛が手に入る。
カナリアが去る際、半分ほどに伏せた瞼の合間から寄越した眼差しは初めて見るものだ。
オリバーの心は高鳴った。
手を伸ばせば届くところにいる少女を引き寄せて、荒々しくキスをした衝動を我慢した。
情熱と純粋な愛の炎で、欲望を焼き尽くされるまで唇を重ねられたら、どんなにいいことか。
「待っているよ」
「ええ、オリバー。早く終わらせる」
彼女のうわずった声は潤いに満ち、オリバーの胸を期待感で満たした。
しかし、この夜。
いくら待っても、カナリアは戻ってこなかった――。
「ロイヤルスイートがいいわ!」
「君の望むままに、我が姫」
オリバーの同意を得て、王立楽団の歌姫であってもおいそれとは宿泊できない最上級の部屋に泊まれる嬉しさを以って、カナリアは恋人に近づいた。
あと一歩というところで、いつも彼女は歩みを止める。
しかし、今夜は違った。また一歩近づいた。
楽器と楽譜を片腕に寄せると、彼の額におちた前髪を払いのけ、じっとこちらを見つめて来る。
形の良い小さなあごを親指と人差し指でそっと持ち上げたら、目が合い、唇が重なって二人の時が一瞬、止まった。
「本当にいいのかしら。我が儘だと思われない?」
言ってから迷う彼女はとても可愛らしい。
「本当だよ。俺は今週末から第二王子と共に、辺境視察に行く。その間、寂しくさせることへの詫びだと思って頂きたいね、我が姫様」
「今週末って、もうあと三日もないじゃない」
いきなり知らされた予定に、カナリアはちょっとだけ不機嫌になった。
「すまない。急に決まったんだ」
「私は来週末まで王都であなたと過ごそうと思っていたのに‥‥‥」
二人の想いは同じだと分かるとオリバーは早くカナリアを抱きしめたい欲求に駆られた。
唇を奪い、全てを奪い尽くしてしまいたい。
「俺も同じだよ。姫様」
「……いいわ。許してあげる。でも、戻ってきたら旅行に行きましょう? お互い、結婚式の話もしないといけないし」
結婚。
考えてはいたが、これまでの付き合いからなんとなく実感のわかなかったその言葉が、オリバーの背中から寂しさを、激しい痺れとともに流して行く。
本当に彼女を妻にできるのだ。
幸福感で視界が明るく染まった。
夜会の演奏のために控え目にされていた会場の明かりが、元通りになったせいではあるまい。
「そうだな。次に会えるまで時間がある。今夜は最後の晩にしたいしな」
「最後の晩?」
片方の眉を上げて、カナリアは意味を問う。
「恋人としての最後の夜だ。次は純白のドレスを着た君を見たい」
「……指揮のレットーと会うことになっているの」
「二人でか?」
レットーとはこの国の第二王子だ。
オリバーが剣を教えている相手でもあり、三十代の才能豊かな音楽家でもある。
今夜の夜会で指揮を務めたのも彼だった。
「いいえ、楽団のみんなでよ。振り返りと、次の公演についての説明も」
「それなら仕方ないな」
結婚式を匂わせるオリバーの言葉に、カナリアは恥ずかしそうに頬を赤らめて、踵を返した。
あと少し。
もう少し待てば、本当の愛が手に入る。
カナリアが去る際、半分ほどに伏せた瞼の合間から寄越した眼差しは初めて見るものだ。
オリバーの心は高鳴った。
手を伸ばせば届くところにいる少女を引き寄せて、荒々しくキスをした衝動を我慢した。
情熱と純粋な愛の炎で、欲望を焼き尽くされるまで唇を重ねられたら、どんなにいいことか。
「待っているよ」
「ええ、オリバー。早く終わらせる」
彼女のうわずった声は潤いに満ち、オリバーの胸を期待感で満たした。
しかし、この夜。
いくら待っても、カナリアは戻ってこなかった――。
1
あなたにおすすめの小説
だいたい全部、聖女のせい。
荒瀬ヤヒロ
恋愛
「どうして、こんなことに……」
異世界よりやってきた聖女と出会い、王太子は変わってしまった。
いや、王太子の側近の令息達まで、変わってしまったのだ。
すでに彼らには、婚約者である令嬢達の声も届かない。
これはとある王国に降り立った聖女との出会いで見る影もなく変わってしまった男達に苦しめられる少女達の、嘆きの物語。
【完結】「私は善意に殺された」
まほりろ
恋愛
筆頭公爵家の娘である私が、母親は身分が低い王太子殿下の後ろ盾になるため、彼の婚約者になるのは自然な流れだった。
誰もが私が王太子妃になると信じて疑わなかった。
私も殿下と婚約してから一度も、彼との結婚を疑ったことはない。
だが殿下が病に倒れ、その治療のため異世界から聖女が召喚され二人が愛し合ったことで……全ての運命が狂い出す。
どなたにも悪意はなかった……私が不運な星の下に生まれた……ただそれだけ。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します。
※他サイトにも投稿中。
※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。
「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」
※小説家になろうにて2022年11月19日昼、日間異世界恋愛ランキング38位、総合59位まで上がった作品です!
これからもあなたが幸せでありますように。
石河 翠
恋愛
愛する男から、別の女と結婚することを告げられた主人公。彼の後ろには、黙って頭を下げる可憐な女性の姿があった。主人公は愛した男へひとつ口づけを落とし、彼の幸福を密やかに祈る。婚約破棄風の台詞から始まる、よくある悲しい恋の結末。
小説家になろうにも投稿しております。
扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。
聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)
蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。
聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。
愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。
いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。
ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。
それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。
心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。
悪役令嬢の涙
拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。
帰還した聖女と王子の婚約破棄騒動
しがついつか
恋愛
聖女は激怒した。
国中の瘴気を中和する偉業を成し遂げた聖女を労うパーティで、王子が婚約破棄をしたからだ。
「あなた、婚約者がいたの?」
「あ、あぁ。だが、婚約は破棄するし…」
「最っ低!」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる