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第三話 破邪の一族
しおりを挟む荒くなく、左右に曲がる際の重力も低く、肉体をあちこちぶつけてうっ、とかぐっ、とか呻くこともなく、そのまま車は走り続けた。
余程、運転が丁寧なのか、扱う品に注意を払う必要があるのか、彼……運転手はたぶん、若い男性のはず……は、微細な神経を張り巡らせながら、運転を継続する。
それは彼個人の繊細で温和な人柄が現れているようで、秋奈は何時間かにも及ぶ拷問のような時間からようやく少しだけ開放された気分になる。
心に安堵が生まれると……安心してはいけない状況なのだが、眠気が襲ってきた。
睡魔の甘い誘惑に抗えず、秋奈はついうとうとと、舟を漕ぐ。
遠くなる意識の向こうで見たのは、こうなってしまった、今朝の記憶だった。
◇
日本には、神代の時代からあの世とこの世をつなぐ『岩戸』が存在する。
岩戸が開くと、過去や未来から災いを及ぼす邪妖が招かれ、天変地異が起こるという。
扉の鍵は「宝竜の御鏡」と呼ばれる神器によって、開閉するのだが、これを着け狙う輩がいた。
邪妖と呼ばれる悪意に満ちたあやかしたちである。
そんな邪妖を祓い、御鏡を管理するのが、十二家の破邪師たち。
継承されてきた御鏡の本体を知るのは、代々の当主のみとされていた。
そして、「宝竜の」と名が付くように御鏡を護るのは、破邪師だけでなく神格を持つ獣「宝竜」もまた、同様に家の守り神として継承されてきたのだ。
秋奈は双子の姉、雪乃とともに、十二家の一つ、香月の傍流に生まれた。
雪乃を産んだあと、母親は最後の力を振り絞り、秋奈を産み落としたのだという。
母を愛していた父親は姉を可愛がり、妹の秋奈を「母殺し」と罵って暴力を奮い、片目の視力を奪った。
家人たちからも、実の姉からも「死ねばいいのに」と嘲られ「残り物がまだ生きている」と笑われて、食事を抜かれることも多い日々。
常日頃からそんな扱いを受けていれば育ち盛りのころに必要な栄養を賄えず、成長が止まってしまうのも、無理からぬことだった。
学校に通うこともなく、「母殺し」として屋敷の地下牢に幽閉されて、早や十六年。
年に数度、本家への挨拶周りの時期がやってくると、父親は途端に優しくなる。
目に触れる場所への暴力は止み、必要最低限の作法を教え込む猿のようなしわくちゃな顔をした老婆がやってきて、秋奈に鞭奮いながらそれを覚え込ませた。
世界が一面の銀景色に染まっていたり、むせぶ様な春の青々とした緑の香りを宿していたり、夏の濃い青空は身近で、冬の薄まった蒼穹は遠くに感じることなどを、秋奈はその都度知った。
友人はおらず、たまたま雪乃が気まぐれに使い古したタブレットを与えると、それだけが唯一の生きる悦びになった。
ネットの海に浮かぶさまざまな情報を貪るように吸収し、殴られ、貶められて育った日々。
SNSを漁れば、外国の言葉も、自分と同じような少年少女が習っている学習内容も、数学や歴史、更には自分たち破邪の一族が生業としている妖怪退治などが都市伝説として語られていることは、とくに興味を惹いた。
少ない栄養をどう生かせば、健康的に生きることができるか、それを模索し、家人が寝入ってから気づかれぬようにトレーニングに励んだ日々。
肉体を鍛えれば、心もストイックになり、生存することのみを生き甲斐として励むことが、生きる拠り所になったのは、大きな収穫だった。
そんな不遇なのか、それとも趣味に没頭できた甲斐あって、多少の暴力では心を悲しみの色で染めないようになったことが幸福なのかは、まだ意見の分かれるところだが。
秋奈はすくなくとも、死ぬことを最期の手段とした。
究極の逃げる策として選ぶようになったから、食事を与えてくれる家人にへつらい、食事の量をこっそり増やしてもらうことも。
癇癪持ちでなにか気にいらなければすぐに鞭奮い、自分を罰する老婆のご機嫌を伺って、孫を失い寂しさを抱えていた老婆に取り入り、いつの間にか可愛がられるようになることも、特段、恥だとは思わなかった。
逆を言ってしまえば彼女のそんな生きるために必死な行動が、功を奏したと言ってもいいだろう。
やがて老婆は姉の雪乃よりも秋奈の方が筋がいいと評して、 単なる礼儀作法にとどまらず歌舞音曲から詩歌に至るまで、ありとあらゆる老婆の持つ才を授けてくれた。
しかしそんな優れた才能を妹が開花させた後でも父親は姉と同様に「母親殺し」と罵って暴力を振るい、地下牢に彼女を幽閉したままだった。
今朝までは……。
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