本日は、絶好の婚約破棄日和です。

秋津冴

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見えない闇の手

 こんな馬鹿な茶番はさっさと終わらせるべきだ。
 王国のためにも、お互いのためにも。
 一瞬だけ、トマスという私と不貞の仲を疑われた貴族子弟のことが気になった。
 その者を王の前に召喚し、審問会を設けて、身の潔白を証明する方法もあるからだ。
 だけど‥‥‥本当に存在するかどうかわからない。
 聖女として王立学院に進学して六年。
 大体の在校生や著名な卒業生は心得ているつもりだったけれど。
『レゾンド伯爵家の後継ぎ、トマス』
 そんな新興貴族のことは聞いた覚えがない。
 この国の貴族は女神様の信徒だから、その派閥についての知識もいやというほどに入ってくる。
 聖女という職業は、世間で考えられているよりもかなり、黒い一面を持っているのだ。
 地方の有力貴族から王族に繋がる門閥貴族、没落したけれど家の格だけは高い名家たち。果ては新年に多額の寄付をしてくれる有力商人に至るまで。
 その多くを私は熟知していた。
 しかしそれでも、レドンド伯爵家。
 そんなものに関わった記憶はなかった。

「それでは殿下。こう致しませんか?」
「何か提案がある、とでも?」
「ええ、ございます。婚約を破棄なさりたいのなら、御自由におやりください。女神様には私の方からお伝えしておきましょう。国王陛下には、殿下からお伝えください」
「相変わらず意味のわからないことを。何を伝えるというのだ」

 私の申し出に、彼は眉をしかめる。
 肩をすくめて「何を言っているのだこの女は」と小さく吐き捨てるのが聞こえた。
 たぶん彼の頭の中では、私を冤罪で投獄し、聖女の座から追い落として別の誰かと挿げ替える。
 もしくは、意中の女性を結婚して、王国をさらに発展させる未来しか想像できていないのだろう。
 その全く真逆の王国の荒廃と、彼自身の没落については思い至ることはないらしい。
 
「簡単なことですわ。王命として、殿下と私の婚約破棄を成立させるのならば。神殿の最高責任者として、女神様の代理人として、王族と女神教の婚約も破棄させていただきます」
「……は?」

 こんな愚かな婚約者と結婚するなんて、聖女の浪費だ。
 王国にも、神殿にも。
 両方にとっていいことは何もない。
 王命だけで何もかも思い通りにいくなんて思いこみを、許してはいけないのだ。
 私はきょとんとする彼に、続きを伝える。

「王国が女神教を国教として制定している間、国には女神様の庇護がもたらされるでしょう。でも、王族は別。貴族も別。庶民にはあるかもしれませんね、女神様の恩恵が」
「なっ! お前にそんな権限など――あるはずが、ない‥‥‥」
「いえいえ、あるのですが」
 
 と、先ほど彼が行ったのと同じように、大げさに肩をすくめてみせる。
 額に片手を当て頭を大きく揺らして、信じられないことです! と、どこまでも悲し気に叫んでみせる。
 それから彼がしたのだから私だってやっていいはずだ、と冷ややかで冷酷な目で、見据えて言ってやった。

「あなたから申し出られたのですから、こちらとしては喜んでお受けいたします。婚約破棄? ええ、結構ですね。あいにくと私は浮気相手とあなたが言われたトマス様も。あなたの意中の女性も存じ上げませんが、お二人の今後を聖女として祝福いたします。ああそれから、この決定はもう覆りませんので。よろしくどうぞ」

 そう言ってやったら、彼の顔が次第に青ざめて見えた。 
 唇がわなわなと震え肩と指先は緊張のあまり硬直している。
 私の宣告はそんなに理不尽だっただろうか? 
 二年間共に過ごしてきた婚約者の裏切りの方が余程、ひどいものではないのだろうか。
 そんなことを考えている間に、彼の顔は青から赤になっていた。
 怒りのあまり我を忘れてこちらに突進してきて、私を絞め殺しそうな感じだ。

「決定が覆らないとはどういう意味だ!」
「意味が通じませんでしたか、愚かな元婚約者様。女神様は私のご友人。哀れな聖女の味方をしても、友人を裏切るような男には興味がないとおっしゃっておりますので。その男の親族や家族にももう用はないとおっしゃっておりましたから」
「はあっ!? 一体どのようにして女神様の確認を取ったというのだ? 嘘を吐くのもいい加減にしろ!」

 私が嘘をついていると、彼がそう叫んだとき。
 天空に黒々とした雷雲がいきなり発生した。
 それが、数度の雷を殿下の周辺に叩き落し、庭園の樹木をさんざんに薙ぎ払ったのは、一瞬の出来事で。
 ラスティンも、周囲につめかけていた様々な立場の観衆も、それが女神様の怒りだということを察するまでに時間はかからなかった。

「ばっ、馬鹿なっ‥‥‥こんなこと! お前が、お前が言うことを訊かないから!」

 叫ぶと同時にラスティンがこちらに向けて突撃をかけた。
 異常を察知してさっ、とその身で私を守ってくれる神殿騎士たち。
 特にアーガイルには感謝しかない。
 怒りに我を忘れた人間の狂気というものはすさまじく、あと少しのところで私の髪先はラスティンに掴まれるところだった。
 それを阻止し、槍の台尻で殿下の背中をしたたかに打ち据えて、気絶させたのは彼の手腕だ。
 婚約破棄を申し付けられたから、逆に婚約破棄をしてやったらその場で絞殺された聖女、なんて。
 悲劇どころか喜劇のネタにもならないだろう。
 それは勘弁して欲しかった。

「……ありがとう。危うく殺されるところだった」
「聖女様にお怪我がなくて何よりです。しかし、これからどういたしますか」

 アーガイルは気を失ったラスティンの肉体を、駆け寄って来た衛士たちに引き渡すと、まだ敵か味方かもわからない周囲から私を守るようにして、神殿のある建物まで導いてくれた。
 王族に手をあげれば、それだけで反逆罪。
 例え神殿騎士といえども、死罪はまぬがれない。
 彼の名誉を守りながら、女神様の意向を盾に神殿を守ることになるだろう。
 王城の側にある神殿には数百人の神殿騎士がいる。
 彼らを総動員すれば、王国をこのまま乗っ取ることも可能かもしれない。
 まだ早朝だし、王城各所にいる衛士や近衛騎士たちが集まるまでには、まだまだ時間もあるだろう。
 しかし、それをやれば間違いなく国は二つに分かれる。
 悲しむのは一般の信徒たちだ。
 彼らを巻き添えにすることはちょっと躊躇われた。

「これからどうしようかしら。女神様が降臨でもなさってくれたら、何もかもが神の意志で上手く回るのだけれども」
「……さすがにそれは望めないかと。神の御姿を目にしたのは、千年以上昔だったとされております」
「そうよねえ。でもこんなことを言えば叱られるかもしれないけれど、さっきの良かった」
「は? 何が良かった、と」
「あなたの槍が、殿下を打倒したときよ! スカッとしたの! これまで二年間もあんな感じにいびられ、威張られ、女だからって理由で馬鹿にされて、下に付いてきたんだもの。婚約破棄を伝えたことで、心が晴れやかになったし。そういう意味じゃ、私にとって今日は最高の婚約破棄日和だわ!」
「聖女様」

 たしなめるようにアーガイルは困った顔をして、それでも「よくわかります」と同意してくれた。
 婚約者には恵まれなかったけれど、どうやら私は部下には恵まれたらしい。
 そのことを実感できて、心がこれまでで一番晴れやかになった。
 と同時に、自分が宣言したことの重さが、私の両肩にずんっと重くのしかかってくる。
 王族と神殿の関係を破棄する、なんて。
 怒りに任せて言ったものの、これから大神官様をはじめとする幹部連中に、さんざんしかられそうだし。
 下手をすれば、王命で国外追放とか。
 信者達の迫害が始まるかもしれない。
 そうなってしまったら、まず真っ先に断頭台に上がることになるのは‥‥‥。

「私、ね」
「は?」
「いえいえ、何でもないの」

 自分勝手に決めておいてわがままなお願いだけれども。
 女神様はこんな私を救ってくださらないだろうか?
 そんなわがままは‥‥‥。まずないよね、ない。 
 あってはならないことだ、自分が決めたことなのだから。
 潔く運命を受け入れるしかないのだ。
 
「とりあえず調べてちょうだい」
「あのレゾンド伯爵とかという謎の海外貴族のことですか」
「それもそうだし、殿下が最後まで言わなかった‥‥‥女性のことも」
「裏で誰かが糸を引いていると?」
「それはわからないけれど、彼の心を射止めた新しい女性がいることは間違いがないと思う」
「もし分かったらどうなさるおつもりですか。先ほどの雷で焼き付くしてやりますか」

 アーガイルは面白そうに言って、槍の柄をドンっと床に叩きつけた。
 そんなこと、しないってば。
 まるで私が男を奪われて腹いせに仕返しをしたように見えてしまうじゃない。

「やらないわよ、そんなこと。時間の無駄だからやりたくないやってもいいけど。それなら殿下と共に焼いた方がすっきりするわねー」
「さすが戦女神の聖女‥‥‥」
「そんな冗談言ってないで早く調べてちょうだい。それから国王陛下には大神官から丁重にお詫びを申し上げてくださるように、彼に伝えて頂戴。彼らは私と違って、もう数十年来の友人だもの。きっとお怒りを諫めてくれると思うの」
「大神官様にもこの一件は伝えてあります」
「そう。それでなんて言っていたの」
「あのおてんばのマージがとうとうやらかしてくれた、と。そう言って笑っておられましたよ」
「そう‥‥‥」
 
 恰幅のいい老紳士は、普段から気前が良くて、砕けた人柄で大神官なんて堅い役職には不向きなくらい、気さくな人だった。
 その言葉に甘えてしまい、申し訳なさを感じる。

「部屋に戻ります」
「では話がまとまればご報告にあがります」
「待ってるわ」

 自室に戻り意気消沈して国王陛下からの伝達を待つこと、数時間。
 その間、生きた心地がしなかった。
 自決して、全ての罪を自分であがなうべきかもしれないとまで、考えていた。
 部屋の中には、付きの侍女たちがいてくれて、それが少しばかり心の支えになってくれる。
 そんな私のもとに届けられた一つの吉報。
 それは―ー。  

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