本日は、絶好の婚約破棄日和です。

秋津冴

文字の大きさ
7 / 13

車窓の彼方から

しおりを挟む

 十年近く住んだ王都から離れること、二週間。
 数十の騎馬と五台の箱馬車。
 それぞれに荷物と神殿騎士たち、そして、私と侍女たちが分乗して、旅に出た。
 グレイスター辺境伯領は、北の山岳地帯と大森林の合間に位置する、王国の北の要害だ。

 そこを任されている当代の辺境伯はまだ若く、二十代後半。
 私は、毎年冬に開催される女神様への奉納祭で彼とは何度か顔を合わしていた。

 グレイスター辺境伯アレクセイ・スヴェンソン。

 背は私よりも頭二つは高く、体格は神殿騎士でも有数の武人、アーガイルと同等か、それ以上に鍛えているという印象があった。
 あの土地に住む民族独特の赤銅色の肌と栗色の髪、一重で常に眠たそうなその瞼の下には、狩りを楽しむ男たち特有のどこか野蛮で、命を賭けて戦いを楽しむような危険な紅の瞳が輝いていた。

 昨年あった時も挨拶はそこそこに、女性に対する物腰は柔らかかった。
 けれど、戦場ではないのに、獲物追い求めるその視線が、周囲の男性陣を油断なく探っているように見えて。
 まさか彼は、会場にいる貴族の誰かに命でも狙われているのかと思い確認をしてみたら、なんと、驚きの返事が返ってきたことを覚えている。

 なんと、彼は社交界での時間よりも、その後に待っているポーカーのことを考えていたのだ。
 祭りの後に待っている貴族たちの賭け事の席に早く行きたいと言い出したのだから、呆れるしかない。

『よくそんなことを恥ずかしげもなく言えますね』
 と訊いたら、
『己の保身のために国王陛下に献身的な貴族たちよりは、まともな生き方をしているつもりです』
 なんて返事が返ってきた。

『私の戦場は辺境にありますが、政治的な駆け引きを行うためにこんな場所に来ているわけではない』
『ならあなたはなぜここにいるんですか』
『一つは女神様にご挨拶するため。一つは‥‥‥これは毎月のことですが、国王陛下に辺境の様子を伝えるため。最後の一つは、数少ない学友たちと交流するためですよ』
『ああ……。卒業生なのですね、あなたも学院の』
『その通り。祭りの後に彼らと行うポーカーの席は、私にとって数少ない人生の楽しみの一つなんです。女性と語り合うよりもよほど、楽しいことが待っている』

 つまり、私と会話することは望んでいない。
 そういう意味だと受け取って、あのときは挨拶もそこそこに別の貴族たちとの交流に場を移したものの‥‥‥。


「あの土地に入って本当に歓迎されるのかしら?」

 そんな不安が頭の片隅をよぎる。
 どんな貴族だって、聖女との会話は大事にするものだ。
 自慢ではないけれど、王族とともに、私は王国の中枢にいて、彼らと昵懇の間柄だった。

 その私と会話をすることは時間の無駄だってぬけぬけと言われたのだから、呆れ果てたものだ。
 とはいえ‥‥‥。

「その仲良くしてきた連中の一番身近だった存在に裏切られたのも、私だし」
「なにか?」

 移動する車窓から見慣れない岩山の景色を眺めてそう呟くと、侍女の一人が訊いてきた。
 赤髪のまだ若い彼女は、気立てがよく、色々なことによく気が付く子だ。
 この馬車での移動の最中も、私が不自由しないように気をつかってくれる。
 しかし、この旅に参加することが、彼女の初仕事らしい。
 ポーツマス大神官の姪だという話だったけれど、今一つ、距離感が掴めずにいた。

「ああ、なんでもない。ありがとう、リーレ」
「そうですか。裏切者、と聞こえたものですから」
「……いい耳ね。忘れなさい」
「はい、マルゴット様」

 余計なことを言ったと彼女の顔が曇ってしまう。
 しかりつける気はなかったのに、そんな顔をさせてしまった自分を少し恥じた。

「あなたが悪いわけではないわ。こんな近い距離なら、聞こえて当然だものね」
「いえ、勝手を申しました」

 リーレはそう言い、俯いてしまう。
 残念なことに、頭から被っているベールのせいで、その横顔をうかがい知ることはできなかった。
 王国の貴族の女性や、その付き人になる女性の多くは、旅行をするときには顔を隠す習慣がある。それは、ベールでもいいし、スカーフを被る女性もいる。

 中には丸い柄の広がった帽子を被り顔を隠す女性もいるけれど、この習慣を好きだと思ったことはあまりない。
 とにかく夏場が暑いし、理由が不明瞭だからだ。
 歴史と伝統という学者もいれば、王都は女神様のおひざ元だけれど、遠くに行けば行くほどその恩恵から身を離してしまうから、顔を隠して魔から身を潜めるのだと叫ぶ神官もいる。

 どちらにしても、太陽のもとに素顔を晒せないようなこの行為は、逆に女神を避けるようにしているのでは? と私は思うのだけれど。

「そんなこと、言ったら絶対に神学者が黙っていないわね」
「聖女様、また」
「あー……。あなたも聞かなくてもいいのに」
「いえ、大神官様からあまり目を離すなと、申し付けられておりますから」

 私は監視が必要な猛獣か犯罪者か、なにかかな?

 王都に戻ったら、必ずポーツマスに一言、文句を言ってやろうと心に決める。
 それから、やっぱりこの子も、あの婚約破棄宣言の揉め事を耳にしているのね、と心でため息をつく。

 あのクソ王太子殿下、私に婚約破棄をされたことで、国王陛下から王位継承権をはく奪されたのだとか。
 王位継承権を持つ者が王族であって、忌々しいあの男は自分のミスで王族から追放されたことになる。
 今では公爵位に格下げされ、王宮の離宮で幽閉生活を一生送るようになったのだ、と数日おきにやってくる連絡係から受け取った大神官の手紙には、そう書いてあった。

 とはいえ、私の発言を撤回するつもりはないらしく、それは神殿の運営に携わる司祭たちを交えた会議でも支持を受けたと書いてあったから、国王陛下は今頃、生きた心地はしていないはず。

 その割に私はまだ呼び戻されない。
 さて、これはどういうことなのか。
 例の新興貴族と王弟殿下の策略が王都では渦巻いている予感がするものの、国王陛下がもし追いかけてきて、平身低頭、謝罪したとしても受け入れるつもりはなかった。

 聖女不在、さらに、神殿とは縁を切られた王族がどうなろうが、私が知ったことではないのだ。
 でも、どことなく民を見捨てたような発言になってしまった気もしないでもない。

「……ねえ」
「は? あっ、はい!」

 私は、まだ俯いたまま顔を上げないリーレに声をかけた。
 彼女は私なんかより、余程、民に近しい。

 あの一件から少しして王都を逃げるように抜け出したものの、それでも幾人かとこの話題で盛り上がったかもしれないし‥‥‥民は私の言葉になにを感じたのだろうと、知りたい欲求に駆られてつい、声をかけてしまった。

「あなたも聞いているわよね、私と殿下の間になにがあったかを」
「いっ、いえ。何も耳にいたしておりません。なにも‥‥‥」

 と、一旦顔をあげた彼女は私の質問に顔を青くして、また俯こうとする。
 そんな反応はいらないのだけれど。
 やっぱり、大神官がこの話題に触れるなと命じているのかもしれない。
 そうだとしたら、聖女の権威を振りかざして無理やり聞き出すのも、どうかと思ってしまう。

「そう‥‥‥」

 と、自分の行いがなんだか虚しくなって外に目をやろうとしたら、いきなりリーレは小さくしゃべり出した。

「みんなは、その‥‥‥みんなっていうのは、神殿の女官とか巫女たちですけれど。みんなは聖女様がお可哀想だと、そう申しております。わたしも、そう‥‥‥で、ございます」
「可哀想、なんだ。そっか、そうねー‥‥‥婚約破棄された情けない女だもの」
「いえ、そんなことは!」

 リーレはちょっと語尾を強めて否定した。
 その頬が、赤く染まって見える。
 彼女も勇気を出して答えてくれたのかな、と思うとちょっと嬉しくなった。

「そんなことは?」
「あり、ませ‥‥‥ん。叔父も申しておりました。あのようなことになったのは、お側近くにおりながら殿下の心変わりに気づけなかった自分たちにも、問題がある、と‥‥‥すいません、どうかお忘れください」
「……忘れるわ。ついでにポーツマスに文句を言おうと思っていたけれど」
「ひっ、それはーっ」
「しないわよ。もう忘れた。殿下も陛下もいまはどうでもいいの。みんなに迷惑をかけて後始末をさせているのに、私だけここにいるのが、とても申し訳ない。ただ、それだけよ」
「聖女様‥‥‥」

 侍女はそのようなことでお心を痛めないでください、なんて一言をくれた。
 でも、やっぱり気になるのです。
 王都は王都で。
 辺境は辺境で。
 それぞれ、いろいろと思惑が動いている中、私もその駒の一つにされているのだなあ、なんて思うと。

 あと二日ほどで着く、グレイスター辺境伯の城、アロンゾ城では果たして歓迎されるのか、それとも冷遇されるのか。

 車窓から見える北の空が曇り出したように、なんとも、心が重くなるのでした。
 
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

氷の王弟殿下から婚約破棄を突き付けられました。理由は聖女と結婚するからだそうです。

吉川一巳
恋愛
ビビは婚約者である氷の王弟イライアスが大嫌いだった。なぜなら彼は会う度にビビの化粧や服装にケチをつけてくるからだ。しかし、こんな婚約耐えられないと思っていたところ、国を揺るがす大事件が起こり、イライアスから神の国から召喚される聖女と結婚しなくてはいけなくなったから破談にしたいという申し出を受ける。内心大喜びでその話を受け入れ、そのままの勢いでビビは神官となるのだが、招かれた聖女には問題があって……。小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

傷物の大聖女は盲目の皇子に見染められ祖国を捨てる~失ったことで滅びに瀕する祖国。今更求められても遅すぎです~

たらふくごん
恋愛
聖女の力に目覚めたフィアリーナ。 彼女には人に言えない過去があった。 淑女としてのデビューを祝うデビュタントの日、そこはまさに断罪の場へと様相を変えてしまう。 実父がいきなり暴露するフィアリーナの過去。 彼女いきなり不幸のどん底へと落とされる。 やがて絶望し命を自ら断つ彼女。 しかし運命の出会いにより彼女は命を取り留めた。 そして出会う盲目の皇子アレリッド。 心を通わせ二人は恋に落ちていく。

婚約者に「愛することはない」と言われたその日にたまたま出会った隣国の皇帝から溺愛されることになります。~捨てる王あれば拾う王ありですわ。

松ノ木るな
恋愛
 純真無垢な侯爵令嬢レヴィーナは、国の次期王であるフィリベールと固い絆で結ばれる未来を夢みていた。しかし王太子はそのような意思を持つ彼女を生意気だと疎み、気まぐれに婚約破棄を言い渡す。  伴侶と寄り添う幸せな未来を諦めた彼女は悲観し、井戸に身を投げたのだった。  あの世だと思って辿りついた先は、小さな貴族の家の、こじんまりとした食堂。そこには呑めもしないのに酒を舐め、身分社会に恨み節を唱える美しい青年がいた。  どこの家の出の、どの立場とも知らぬふたりが、一目で恋に落ちたなら。  たまたま出会って離れていてもその存在を支えとする、そんなふたりが再会して結ばれる初恋ストーリーです。

夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました

香木陽灯
恋愛
 伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。  これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。  実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。 「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」 「自由……」  もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。  ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。  再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。  ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。  一方の元夫は、財政難に陥っていた。 「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」  元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。 「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」 ※ふんわり設定です

お飾りの婚約者で結構です! 殿下のことは興味ありませんので、お構いなく!

にのまえ
恋愛
 すでに寵愛する人がいる、殿下の婚約候補決めの舞踏会を開くと、王家の勅命がドーリング公爵家に届くも、姉のミミリアは嫌がった。  公爵家から一人娘という言葉に、舞踏会に参加することになった、ドーリング公爵家の次女・ミーシャ。  家族の中で“役立たず”と蔑まれ、姉の身代わりとして差し出された彼女の唯一の望みは――「舞踏会で、美味しい料理を食べること」。  だが、そんな慎ましい願いとは裏腹に、  舞踏会の夜、思いもよらぬ出来事が起こりミーシャは前世、読んでいた小説の世界だと気付く。

捨てられた令嬢と、選ばれなかった未来

鍛高譚
恋愛
「君とは釣り合わない。だから、僕は王女殿下を選ぶ」 婚約者アルバート・ロンズデールに冷たく告げられた瞬間、エミリア・ウィンスレットの人生は暗転した。 王都一の名門公爵令嬢として慎ましくも誠実に彼を支えてきたというのに、待っていたのは無慈悲な婚約破棄――しかも相手は王女クラリッサ。 アルバートと王女の華やかな婚約発表の裏で、エミリアは社交界から冷遇され、"捨てられた哀れな令嬢"と嘲笑される日々が始まる。 だが、彼女は決して屈しない。 「ならば、貴方たちが後悔するような未来を作るわ」 そう決意したエミリアは、ある人物から手を差し伸べられる。 ――それは、冷静沈着にして王国の正統な後継者、皇太子アレクシス・フォルベルト。 彼は告げる。「私と共に来い。……君の聡明さと誇りが、この国には必要だ」

【完結】お飾り妃〜寵愛は聖女様のモノ〜

恋愛
今日、私はお飾りの妃となります。 ※実際の慣習等とは異なる場合があり、あくまでこの世界観での要素もございますので御了承ください。

婚約者が妹と結婚したいと言ってきたので、私は身を引こうと決めました

日下奈緒
恋愛
アーリンは皇太子・クリフと婚約をし幸せな生活をしていた。 だがある日、クリフが妹のセシリーと結婚したいと言ってきた。 もしかして、婚約破棄⁉

処理中です...