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6. リーリエの想い
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数日後、ディートリヒの私室。
リーリエは再びそこに招かれ、淑やかに佇んでいた。
自宅で大騒動があったというのに、それを全く感じさせない態度で。
「それで、私の妻になるという話はどうする?」
ディートリヒが単刀直入に切り出すと、リーリエはふわりと微笑み告げた。
「お断り致しますわ」
「それは――どうして?」
「私とアレクシス様の婚約はまだ有効です。正式に破棄されたわけではありませんもの。ただ、個人的に告げられただけ。事務的な処理は何も行われておりません」
「兄上は廃嫡された。それでも?」
「アレクシス様にはエーレンベルクに婿入りしていただきますわ」
ディートリヒは面白そうに笑って言った。
「なるほど。それで――全部思い通りになった気分はどうだ?」
リーリエは表情を崩さず、ただ、微笑みだけを返した。
◆◆◆
公爵家の跡取り娘として生を受けたリーリエは、母からは慈しまれて育ったが、乳母を筆頭に使用人たちはどことなく余所余所しく、幼いリーリエには母が全てだった。
なぜ彼等にそのような態度を取られるのか、聡明なリーリエは朧気ながらも理解していた。
「おとうさま、本日はまじゅつの先生にまほうやくの作り方を学びました! 先生はさいのうがあるってほめてくださったの!」
「そうか。励むといい」
「ライナルト様、リーリエは本当に頑張っていて、色んな分野の先生からお褒めの言葉をいただきますのよ」
「……」
多忙な父とは余り顔を合わせる機会がなく、家族で晩餐を共にできる日は貴重だった。
そういった機会になると、リーリエは必死に自らの価値を父へ示そうとした。
しかし、リーリエが何を言おうと、父は簡単に返事をするだけで目も合わせようとしない。
母に至っては無視される有様だった。
公爵家の主である父がこれでは、使用人たちの態度もそれに合わせたものになる。
表立って冷遇されるようなことはなかったが、広い公爵家で多くの人間たちが働いているのにも関わらず、リーリエは常に母と二人きりであるような孤独を感じていた。
そして母の方も、リーリエを心の支えにしているようだった。
「私の可愛いリーリエ、エーレンベルクの後継者として恥ずかしくないよう頑張るのよ。そうすれば、きっとお父様も認めてくださるわ」
「はい、おかあさま!」
リーリエを通して公爵を繋ぎ止めようと母は必死だった。
リーリエも母の期待に応えたかった。
その頃には、母は自分を愛しているのではなく、ただ利用しようとしているだけだということに薄っすら気づいてはいたが。
礼法、数学、言語、音楽、詩作、果ては魔術まで。
血の滲むような努力を重ね、ありとあらゆる教養を身につけていった。
礼法の教師は「もう何も教えられることはありません」と早々に授業を終了させたし、近隣諸国の言葉は数年ですべて問題なく話せるようになった。
数学や詩作の教師は「リーリエ様はいずれきっとこの分野で名を残します」と目を輝かせた。
中でも魔術関連は目覚ましく、デビュタント前には、既に王宮魔術師に匹敵するような実力を身に付けていた。
それでも、父から顧みられることはなかったが。
アレクシスとの出会いは、王宮で開かれた小さな夜会だった。
正式なものではなく、王家と親しい家だけが招かれる小規模なもの。
そこで、ただ微笑み、じっとしているだけの少年がアレクシスだった。
魔術に精通していたリーリエは、ひと目見て彼が呪いに苦しんでいることがわかった。
王族は皆、呪いや毒は対策している筈なのに、どうして。
哀れに思ったリーリエは、そっとアレクシスに近寄り解呪した。
すると、みるみるアレクシスの顔色が良くなる。
「ありがとう、君が治してくれたの?」
「そうですわ、殿下。魔導具はお持ちではないの……?」
「持ってるんだけど、調子が悪かったみたい。助かったよ」
アレクシスは胸元のブローチを示したが、そこからはまるで魔力が感じられない。
魔力が弱まったにしては痕跡がまるで感じられない。おそらくは、初めからただのブローチでしかなかったのだ。
「ディーから……弟から貰ったんだけど。僕は魔術はよくわからなくて、術を掛け直すこともできなかったんだ」
はは、とアレクシスは笑いながら言う。
(暢気な人。今までかかっていた呪いだって、その弟王子のせいに違いないのに)
彼は兄のことが邪魔で、あわよくば死んで欲しいのだろう。
それに気づかず柔和な笑みを浮かべる彼は、危機感のないとんだ馬鹿王子だ。
(それにしたって、誰か彼が具合がよくなさそうなことぐらい気づくでしょうに。……いえ、違うわ)
この場にいる誰もが、アレクシスに興味がないのだ。
今王太子であるだけで、いずれきっと消されるであろう凡庸な第一王子。
まともな護衛もついておらず、リーリエは近づき術をかけることさえできる。
可哀想な王子。誰からも必要とされていないのだ。
(私と、おんなじね)
そうして二人の交流は始まった。
歪んだ初恋だった。
リーリエは再びそこに招かれ、淑やかに佇んでいた。
自宅で大騒動があったというのに、それを全く感じさせない態度で。
「それで、私の妻になるという話はどうする?」
ディートリヒが単刀直入に切り出すと、リーリエはふわりと微笑み告げた。
「お断り致しますわ」
「それは――どうして?」
「私とアレクシス様の婚約はまだ有効です。正式に破棄されたわけではありませんもの。ただ、個人的に告げられただけ。事務的な処理は何も行われておりません」
「兄上は廃嫡された。それでも?」
「アレクシス様にはエーレンベルクに婿入りしていただきますわ」
ディートリヒは面白そうに笑って言った。
「なるほど。それで――全部思い通りになった気分はどうだ?」
リーリエは表情を崩さず、ただ、微笑みだけを返した。
◆◆◆
公爵家の跡取り娘として生を受けたリーリエは、母からは慈しまれて育ったが、乳母を筆頭に使用人たちはどことなく余所余所しく、幼いリーリエには母が全てだった。
なぜ彼等にそのような態度を取られるのか、聡明なリーリエは朧気ながらも理解していた。
「おとうさま、本日はまじゅつの先生にまほうやくの作り方を学びました! 先生はさいのうがあるってほめてくださったの!」
「そうか。励むといい」
「ライナルト様、リーリエは本当に頑張っていて、色んな分野の先生からお褒めの言葉をいただきますのよ」
「……」
多忙な父とは余り顔を合わせる機会がなく、家族で晩餐を共にできる日は貴重だった。
そういった機会になると、リーリエは必死に自らの価値を父へ示そうとした。
しかし、リーリエが何を言おうと、父は簡単に返事をするだけで目も合わせようとしない。
母に至っては無視される有様だった。
公爵家の主である父がこれでは、使用人たちの態度もそれに合わせたものになる。
表立って冷遇されるようなことはなかったが、広い公爵家で多くの人間たちが働いているのにも関わらず、リーリエは常に母と二人きりであるような孤独を感じていた。
そして母の方も、リーリエを心の支えにしているようだった。
「私の可愛いリーリエ、エーレンベルクの後継者として恥ずかしくないよう頑張るのよ。そうすれば、きっとお父様も認めてくださるわ」
「はい、おかあさま!」
リーリエを通して公爵を繋ぎ止めようと母は必死だった。
リーリエも母の期待に応えたかった。
その頃には、母は自分を愛しているのではなく、ただ利用しようとしているだけだということに薄っすら気づいてはいたが。
礼法、数学、言語、音楽、詩作、果ては魔術まで。
血の滲むような努力を重ね、ありとあらゆる教養を身につけていった。
礼法の教師は「もう何も教えられることはありません」と早々に授業を終了させたし、近隣諸国の言葉は数年ですべて問題なく話せるようになった。
数学や詩作の教師は「リーリエ様はいずれきっとこの分野で名を残します」と目を輝かせた。
中でも魔術関連は目覚ましく、デビュタント前には、既に王宮魔術師に匹敵するような実力を身に付けていた。
それでも、父から顧みられることはなかったが。
アレクシスとの出会いは、王宮で開かれた小さな夜会だった。
正式なものではなく、王家と親しい家だけが招かれる小規模なもの。
そこで、ただ微笑み、じっとしているだけの少年がアレクシスだった。
魔術に精通していたリーリエは、ひと目見て彼が呪いに苦しんでいることがわかった。
王族は皆、呪いや毒は対策している筈なのに、どうして。
哀れに思ったリーリエは、そっとアレクシスに近寄り解呪した。
すると、みるみるアレクシスの顔色が良くなる。
「ありがとう、君が治してくれたの?」
「そうですわ、殿下。魔導具はお持ちではないの……?」
「持ってるんだけど、調子が悪かったみたい。助かったよ」
アレクシスは胸元のブローチを示したが、そこからはまるで魔力が感じられない。
魔力が弱まったにしては痕跡がまるで感じられない。おそらくは、初めからただのブローチでしかなかったのだ。
「ディーから……弟から貰ったんだけど。僕は魔術はよくわからなくて、術を掛け直すこともできなかったんだ」
はは、とアレクシスは笑いながら言う。
(暢気な人。今までかかっていた呪いだって、その弟王子のせいに違いないのに)
彼は兄のことが邪魔で、あわよくば死んで欲しいのだろう。
それに気づかず柔和な笑みを浮かべる彼は、危機感のないとんだ馬鹿王子だ。
(それにしたって、誰か彼が具合がよくなさそうなことぐらい気づくでしょうに。……いえ、違うわ)
この場にいる誰もが、アレクシスに興味がないのだ。
今王太子であるだけで、いずれきっと消されるであろう凡庸な第一王子。
まともな護衛もついておらず、リーリエは近づき術をかけることさえできる。
可哀想な王子。誰からも必要とされていないのだ。
(私と、おんなじね)
そうして二人の交流は始まった。
歪んだ初恋だった。
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