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16.二人になれない二人
しおりを挟む昔々ある国に、平民に恋をした王子様がいました。
冷酷で名高い王子様は、愛というものを知ったことで、人が変わったように優しくなりましたが……それは恋人の前だけでした。
しかも恋人にサプライズする費用も、旅行する費用も税金です。
王子様の豪遊に激怒した民衆が、王子様に刃を向けたこともありましたが、王子様の神々しいカリスマ性を前にした平民たちはいっせいに土下座しました。
これがのちに、土下座の乱と呼ばれた有名な反乱の歴史です。
「王子様の名言の中にこんな言葉があります。少年よ、大枚をはたけ……」
「先生」
穏やかな空気が流れる教室。
担任の小金先生が言い終える前に、私の隣に座る秋斗が手をあげた。
すると切れ上がった三白眼が、秋斗を捉える。
「なんですか、相智くん」
「教科書にそった授業をお願いします」
「これは私が作った立派な教材ですが?」
「日本でもあまり知られていない国の話をされても困ります」
「あまり知られていないからこそ、価値のあるお話なのですよ」
「模試対策のために、もうちょっとメジャーな話でお願いします」
「相智くんはわかっていませんね。他人と同じ勉強をしても、他人を超えられませんよ」
「むしろ覚えるだけ無駄な話です」
いつもの調子で秋斗と南人兄さんがやりとりをする中、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
緊張が解けて騒がしくなる教室で、私は秋斗に訊ねる。
「ねぇ、秋斗」
「どうしたの? リア」
「さっきの先生の話だけど……」
「あのよくわからない国の話?」
「秋斗はどう思う?」
「どうって何が?」
「秋斗は……身分差の恋とか……どう思う?」
「身分差なんて、ナンセンスだよ。人間に序列をつけたのは人間であって、神様じゃない。宗教観にもよるかもしれないけど」
「秋斗は神様とか信じるんだ?」
「まあ、神様に祈るくらいはするよ。モチベーションを上げるためにね」
「私は神様なんて信じられないよ」
「意外だね」
「そうかな? だって私……」
前世で幸せになれなかったから、神様がいても呪ってしまうかもしれない。
とは言えず、かわりに当たり障りのない答えを用意した。
「神様には会ったことがないし」
「リアは現実的なんだね」
「そうかもね」
私が苦笑いすると、秋斗は少しだけ悲し気に笑った。
そして私と秋斗の間に複雑な空気が流れる中──その人は唐突にやってくる。
「リア! どこにいるの、リア!」
教室のドアを破壊する勢いで開けたまーくんが、入ってくるなり私を探していた。
けど、メガネをかけていないせいか、まーくんはいつまで経っても私を見つけることができなくてウロウロしていた。
「あいつ……お昼休みにまで来るなんて……本当に鬱陶しいな」
「お弁当持ってるみたいだけど、まだ食べてないのかな? 私を探してる間に食べ損ねるんじゃ……」
「あいつの空腹事情なんてどうでもいいよ」
「まーくん! 私はここにいるよ!」
「リア」
私がまーくんを呼び寄せると、秋斗はぎょっとした顔で私を見る。
だって、どうしても放っておけなかったから──と言うまでもなく、秋斗は私の内心をわかっているようで、やれやれとため息をついた。
まーくんはようやくメガネを装着すると、私を見つけて笑顔になる。
「リア発見!」
「まーくん、お昼ごはん食べた?」
「まだだよ」
「だったら、一緒に食べよ?」
「うん! リアと食べる」
近くにあった椅子を持ってきたまーくんは、私の机に来るなりお弁当を広げた。
日の丸ご飯に卵焼きという、シンプルなお弁当だった。
「まーくんって、体は大きいのに子犬みたいだね」
まーくんはうさぎみたいな目をくりくりさせてご飯を食べる。
私が小さく笑うと、秋斗は機嫌の悪さを隠すことなく声に出した。
「ねぇ、リア」
「なあに? 秋斗」
「僕とこいつ、どっちが好き?」
「え? えーっと……」
答えは決まっているけど、こんな場所で言いたくない……と思っていると、さらに機嫌の悪さを増した秋斗が、綺麗な笑みを浮かべた。
「即答できないの? それとも同じくらい好きとか?」
「どうしたの、秋斗」
「田橋のことばかり気にして……僕はリアがわからないよ。せっかく手に入れたと思っても、リアは手からこぼれ落ちる水のようだ」
「まーくんは友達だよ?」
もっと言えば、近所の犬のような感覚なんだけど……とはさすがに言えなかった。
「なんだ、ヤキモチか?」
口いっぱいにご飯を詰めこんだまーくんが、メガネを光らせる。
秋斗はまーくんを見ないようにして、お弁当のサンドイッチを口にした。
「お前には関係ない」
「リア、嫉妬深い男なんてやめて、僕にしなよ」
「いちいち近いんだよ」
まーくんがリアと呼びながら秋斗のほうに寄っていく。
けど秋斗も慣れたのだろう。嫌な顔をするだけで、帰れとは言わなかった。
「ふふっ……秋斗はなんだかんだ、まーくんに優しいよね」
「僕のどこが?」
「二人が並んでいるのを見ると、なんとなくホッとするんだ」
「どうせ並ぶなら、リアと二人がいいよ」
「僕だって、リアと二人きりがいい」
「おい、触るな」
サンドイッチを食べようとする秋斗の頬をまーくんがつつく。
私が思わず吹き出しそうになっていると、秋斗がまーくんの手を払いのけた。
「リアはほっぺも可愛いね」
「お前……匂いでリアを判別できるんじゃないのか?」
「近すぎるとわからないんだ」
「無駄な能力だな」
「そうだ、リア。今日は僕、補講があるから、一緒に帰れないんだ」
「補講? まーくん、頭いいのに珍しいね」
「昨日、リアを探している間にテストが終わっちゃって」
「授業中に私を探すのはやめなよ」
「リアがそういうなら、今度からそうする」
「ということは、久しぶりにリアと二人?」
わかりやすく機嫌を直した秋斗に、私はまたもや吹き出しそうになった。
「……こうやって二人きりで帰るのって久しぶりだね、リア」
「そ、そうだね」
放課後のすでに暗い住宅街。
久しぶりに秋斗と二人きりというのが照れくさくて、私はずっと俯いていた。
「リア、どうしてそんなに緊張してるの?」
「え? 私? そんな風に見える?」
「僕を意識してくれるのは嬉しいけど、あまり硬くならないでほしいな」
「私、そんなにわかりやすいかな?」
「僕だからわかるんだよ」
秋斗がそっと私の髪に触れてくる。
髪には感覚なんてないのに、なんだかくすぐったい気がした。
「ねぇ、リア。今日はリアのご飯が食べたいな」
秋斗が甘えるように言った。
その声にドキドキしていると、秋斗は小さく笑った。
「リア、顔が赤いよ」
「だ、だって……秋斗が私の料理を食べたいとか言うから」
「リアはいつまで経っても変わらないよね。そういうところがすごく好きなんだ」
「ちょっと、秋斗。恥ずかしいから、好きっていうのやめて」
「嫌だよ。好きな人に好きって言えないなんて、どんな拷問だよ。──それで、今日はリアの家に寄っていい?」
またもや甘えた声で小首を傾げる秋斗に、私は言葉を詰まらせる。
秋斗は『甘える』というスキルを身につけたらしい。
いつの間にそんなものを覚えたのだろう。秋斗の声が好きな私は、甘えられると胸のあたりがくすぐったくなった。
「い、いいけど。ご飯だけだからね?」
「ご飯だけですむわけないけどね」
「なに?」
秋斗の早口が聞き取れなくて訊ねると、秋斗は「何も言ってないよ?」と可愛い笑みを浮かべた。
「じゃあ、ご飯作るから……ちょっと待っ……んっ」
うちのリビングに入るなり、秋斗は私の口を塞いだ。
息継ぐ暇もないほどの口づけに、思わず秋斗の胸を押し返そうとするけど、その手を掴まれてキスは続いた。
「──……はあ、秋斗!」
「ごめん、リア」
キラキラした笑顔で告げる秋斗に、私は頭を抱える。
二人きりになったら、こうなることはわかりきっていたはずなのに。
「嫌だった?」
うかがうように見つめてくる秋斗。
『甘える』を覚えた秋斗は本当に最強だった。
「……そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、もっといいかな」
「え? 待って……ダメ!」
私が威嚇しながら後ずさると、秋斗は屈託のない笑みを浮かべた。
「リアが可愛すぎて困る」
「そんなの、知らない」
「リアはもっと自分のことを知ったほうがいいよ。田橋のような人間が他にも現れたらと思うと怖いんだ」
「まーくんみたいな人は、そういないよ」
「でもリアはそういう人を引き寄せるよね」
「私に寄ってくる人なんて……秋斗しか知らない」
「僕もそうあってほしいと思うよ」
そう言って甘い雰囲気を出す秋斗に、私が恥ずかしくなって俯いていると──頭上から少しだけ低い声が響いた。
「僕のことをもっと知ってほしいよ」
「ん?」
いつもと違う声に思わず顔をあげると、目の前には体格の良い背中があった。
「ちょっとまーくん、どうやって入ってきたの?」
「玄関が開いてたよ」
「秋斗!」
「ごめん、僕のせいだ」
「夜に二人きりになんてさせないからね!」
────プシュッ。
意気込むまーくんの腰に、太い針のようなものが刺さる。
気づくと、玄関に竹筒を持った南人兄さんが立っていた。
まーくんは吹き矢を自分で抜きながら口の端をあげる。
「こんな子供だましの吹き矢でこの僕が倒れるとでも?」
「王子の邪魔はさせません」
「おい、いつから見てた?」
機嫌の悪い秋斗に、兄さんは親指を立てる。
「私にかまわず、二人は良い夜を過ごしてください」
「二人とも出てけ」
「もう、兄さんまで……仕方ないなぁ、夜ご飯はビビンバでいい?」
「やったぁ! リアのご飯だ」
「私は少し辛いのが良いです」
「お前たち……遠慮する気はないのか」
疲れた顔でため息をつく秋斗に、私は悪いと思いながらも少しだけ楽しいと思ってしまった。
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