闇鍋という名の短編集

悠木全(#zen)

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大家さん

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「おはようございます、大家さん」

「はい、おはようございます」

 アパートの庭を掃除していると、二階を借りている大学生の男の子が、爽やかに挨拶をして通り過ぎてゆく。
 若いって素敵よね。いろんな未来を描くことができるんだから。それに比べて私は、もう隠居のような暮らしをしていた。
 五年前に祖母から引き継いだアパートを管理するだけで、毎日精一杯だった。まだ三十五だというのに、寂しい人生だ。以前はコンサルタントをしていて、恋に仕事に大忙しだったけど。祖母の仕事が楽しそうだな、なんて思ってアパート管理を引き継いだのが始まりだった。
 ちなみに入居者は全部で七人。みんな若い子ばかりで、なんだか自分が年を感じてしまうようになった。入居者は良い子ばかりなんだけどね。

「大家さん、おはようございます」

「おはようございます」 

 庭を通りかかったのは、社会人二年目の達郎くんだ。その手には花があるけど、誰かに贈るのだろうか?

「まあ、素敵なお花ね。今日はデートかしら?」

「ま、まさか!」

 首をぶんぶんと横に振るのを見ると、図星かしら? 若いっていいわよね。私もあと十才若ければ、参戦するのに。——なんて、妄想するのも失礼かしら。ここの入居者はイケメンばかりだから、本当に目の保養になるわ。
 私がにこにこしながら見守っていると、達郎くんが花を差し出した。

「あの、実は……いつもお世話になっている大家さんに——」

 言いかけた、その時だった。さきほど通り過ぎていった大学生の小松くんが、ものすごいスピードで走ってくる。

「ちょっと待ったぁ!」

 その異様なほどの剣幕に、私が笑いながら見守っていると、花を渡そうとしていた達郎くんがムッとした顔をする。

「何を抜け駆けしてるんですか! 第七条、二節によると、理由のない贈り物は禁止です!」

 小松くんがビシッと指を差して言うと、達郎くんは反論する。

「何を! これには日頃のお礼という理由があります! だから罰則にはなりません!」

 いったい、なんの罰則だろう。達郎くんも負けじと言い返すところを見ると、何か事情がありそうだけど……私には二人のやりとりが理解できなかった。普段は仲良くしているのに、どうして今日に限ってこんなに雰囲気が悪いのか。
 ああ、もしかして小松くんは——。

「わかった! 小松くんは妬いているのね。達郎さんのことが大好きですもんね」

「「はあ?」」

 私が両手を合わせて、理解したとばかりに顔を輝かせると、達郎くんと小松くんが顔を見合わせる。その顔は、少し青いように見えるけど、気のせいだろうか。そしてある事を思いついた私は、達郎くんに上目遣いで尋ねた。

「達郎くん、そのお花……私にくれるのよね?」

「は、はい」 

 小松くんが睨む中、私は達郎くんから花を受けとった。そしてその花を小松くんに押し付けるようにして持たせる。

「はい、小松くん」

「え? え?」

「小松くんの大好きな達郎くんのお花、あげるわ」

 私がニコニコしながら言うと、小松くんも達郎くんも真っ青になる。そして顔を見合わせたあと、達郎くんが口を開く。

「あの、それは大家さんに……」

「私がもらったものなら、好きにしてもいいわよね?」

 私が強めにお願いすると、達郎くんは黙り込む、そして「時間がないので、会社に行きます」と言って、足早に去っていった。
 もう、照れ屋なんだから。
 本当は知っているんだからね? 小松くんに渡したくても渡せないから、私に花をくれたんでしょう? 
 そしてやりきった感いっぱいの私が、小松くんに親指を立てて見せると、小松くんはため息を吐いて「大学に行きます」と去っていった。
 
 残された私は、うっとりと小松くんの背中を見送る。
 なぜなら、私は生粋の腐女子なのである。祖母のアパートを継いだのは、このアパートが男子専用なせいもあった。

「ああ、今日も良い活力をもらったわ」

 私が再び箒で庭を掃く中、通り過ぎた二人の男子高生が、挨拶をした。そして、私の聞こえないところで、ヒソヒソと話し合う。

『相変わらず、綺麗だよな。大家さん』

『けど、腐女子なんだろ? それでもいいから、俺もこのアパートに住みてぇ』

『お前もかよ。俺だって入りたいわ、この——』

 ————腐女子ハーレム荘に。

 巷では、私のアパートがそう呼ばれていることに、私だけが知らなかった。
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