闇鍋という名の短編集

悠木全(#zen)

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ゆで卵の妖精

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 ぐつぐつと湯立つ鍋の中にいる僕は、その時が来るのを今か今かと待っていた。何を隠そう、僕はゆで卵の妖精なのである。愛情を込めて作られたゆで卵には、妖精が宿ることがあった。
 ちなみに今日僕を作ってくれているのは、幼稚園で年少のエリちゃんだ。どうして作っている人間のことがわかるかって——そりゃ、妖精だからね。作り手の情報くらいはわかるさ。そしてエリちゃんの愛情は、ブクブクとお湯が沸く鍋の中にたくさん注がれていた。こんな可愛くて、優しい女の子に作られて、なんという幸せ! なんという幸運! なんというファンタジー!
 僕はこの日のために生まれてきたと言っても過言ではなかった。また、僕みたいな妖精が生まれるのは、生み出してくれた人間の願いを叶えるためでもある。だからエリちゃんの願いを叶えることこそが僕の喜びでもあった。
 こうして十分ほどで茹で上がった僕は、火を止めて冷水にさらされた。小さな手が、僕の殻を外してゆく。そしてようやく綺麗になったゆで卵を見て、エリちゃんは満面の笑みを浮かべた。

 さあ、今だ! 今こそエリちゃんとコンタクトをとるのだ!

「えー、オホン。マイクのテストちゅ~」

 僕が声を出すと、エリちゃんはびくりと肩を揺らして、周囲を見回した。だが誰もいないと知って、エリちゃんは不思議な顔をする。そして僕は、さらに声をかけた。

「エリちゃん、こんにちは」

「こんにちは?」

 首を傾げて目を丸くするエリちゃんは、微笑ましかった。泣かれなくて本当に良かった。こういう時、子供は驚きのあまり泣いて、ゆで卵を捨てることがある。そうやって、無惨に散っていった友人を思い浮かべながら、僕はエリちゃんとの会話をすすめた。

「あの、僕はゆで卵の妖精だよ」

「ようせい? ようせいさんなの?」

「そうだよ。エリちゃんのおかげで生まれたんだ。だから、エリちゃんの願いを一つだけ叶えてあげる」

「おねがいをかなえてくれるの?」

「そうだよ! だから、願い事をなんでも言ってみて」

「んー……」

 エリちゃんは考えに考えた後、小さな声で言った。

「おかあさんにあいたい」

「オーマイガー」

 子供が母親が恋しいのは当たり前だろう。この年なら、常にべったりが当たり前なくらいだ。だが、僕は知っているのだ。エリちゃんのお母さんは病気で入院していることを。それを治すのは、さすがに自然の摂理に反することになる。人の生死に関わることだけは、触れてはいけないのである。
 大量の汗をかいた僕は、エリちゃんにどう言い訳しようか考える。エリちゃんなら、きっと聞き分けが良いから素直に聞いてくれるだろう。だが、傷つけるのは間違いない。僕はエリちゃんの悲しい顔なんて見たくなかった。だから僕は提案した。

「エリちゃん、僕はお母さんの病気を治すことはできないけど、僕を食べてくれれば、きっとお母さんを幸せな気持ちにさせてみせるよ」

 自己犠牲的精神でなんとかこの場を突破しようとした僕。そしてエリちゃんも納得して深く頷いた。

「じゃあ、僕をお母さんのところへ——」

「お、うまそうなゆで卵」

 言いかけた時、エリちゃんの手からひょいと取り上げられた僕。そしてそのまま僕はエリちゃんのパパにパクリと食べられてしまった。
 なんということだろう。
 湯上がりお父さんの横暴である。
 エリちゃんはしばらく泣いていたけど、翌日リベンジして再び生まれた僕を、無事にお母さんのところへ連れていったのだった。
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