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カラスの神様
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私の住む村には言い伝えがある。なんでも、山の頂きにある祠に百十一回お参りすれば、願いが叶うというもの。祠にはカラスの神様が住んでいると聞いた。けど、そんなことを信じる人間は、今の時代、子供すらいなかった。
だけど、私の母親だけは違っていた。祠の伝説を信じているらしい。弟が余命半年と知ってから、毎日お参りするようになった。
雨の日も風の日も、どんなに暑くたって山を登り、祠にお参りした。そして小さな村なので、母のことはすぐに広まった。周囲の人たちは母を応援し、素晴らしい人間だと褒め称えた。でもどうしてだろう。私だけは応援することができなかった。母は弟のことばかりで、私のことは考えてくれなかった。母が山を登る間、私はいつも一人でご飯を食べた。レトルトばかりだった。
母がやりたいようにやるのは、悪いことではないと思う。けど、中学生になったばかりの私は大人になりきれなくて、少し悲しかった。
母の笑顔を見なくなって、どれだけの時間が経っただろうか。毎日悲壮な顔をしてお参りをする姿は、正直見たくなかった。
そんな中、私は母の代わりに弟の病院に通い、弟の世話をした。すでにトイレすらままならない弟を一人にはできなかったから。私は弟の世話ばかりするうち、いつしか友達ともまともに付き合えなくなっていた。それでも百十一日我慢すれば、母が戻ってくると思い、私は耐えた。
そんなある日のことだった。
「祈里……大地が」
百十一日を目前にして、弟が死去した。もともと余命半年と言われていたが、思ったよりも病状の進行がひどかったらしい。おまけに肺炎になって、もう医者も手の施しようがなかった。
運が良かったのは、母がひさしぶりに弟の病院に顔を出したことだ。看取ることができて、良かっただろう。そう思っていたが——。
私が花瓶の水を替えて戻ってきた時、母はひどく取り乱した様子だった。そして弟の大地が眠るベッドの端で、母は泣き崩れた。
私は花瓶を置いて、母に何か声をかけようとするが、その前に母の方が振り返った。
「私は毎日頑張っていたのに、あんたがちゃんと見ないから!」
母の言葉に、私は愕然とした。私は学校生活を犠牲にして頑張っていたつもりだった。だが、母からは遊んでいるようにしか見えなかったのだろうか。それとも母の心が病んでいるのか、私は母の言葉が受け入れられず、静かにその場を去った。
それからは、お通夜が終わっても、暗い日々は続いた。母は弟が死んだのは私のせいだと言ったが、私が病院に通っていたのは周知の事実だったので、悪い噂はたたなかった。そして村の人間はみな、母を腫物に触るような扱いをした。
これは苦い思い出。
それから大人になっても、私はいまだに母とは向き合えないでいた。
あれから十年が経った。私にも子供が二人できた。明るく仲の良い姉妹で、母もそれなりに可愛がってくれた。私は子供ができたことで、母の気持ちが少しわかるようになった。いまだにわだかまりはあるけれど、それでもいつまでも険悪でいたら、娘たちの教育にも悪いだろう。そう思った矢先だった。
八才の姉が不治の病だと判明した。もしかしたら、遺伝的な問題なのかもしれない。絶望した私は、自然と祠に向かっていた。百十一日の奇跡を信じてお参りを始めた私は、毎日山を登った。だが、母と違ったのは、姉妹の面倒を見ながら、というところだ。私は日中は子育てをし、深夜になると山を登った。野生の獣が出たとしても怖くなかった。それだけ決意が固かった。
一つしかない体を酷使して、毎日笑顔でいるのは辛かった。それでも娘たちには心配をかけまいと、頑張った。だが、頑張りすぎた。
五十日を過ぎた日に、私は過労で倒れた。そんな私を母は愚かだと言った。百十一日お参りするためには、何かを捨てる覚悟をしなければならないと言った。だが、私は絶対に何も捨てたくなかった。私は欲張りなのだ。みんなに幸せでいてほしい、ただそれだけだった。
そして過労で倒れてから三日目の夜。私は密かに悔しい思いをしながら布団に入った。医者に、しばらくは安静にしなさいと言われたので、素直に従った。姉妹を守ることが優先だと思ったからだ。
すると、その夜、不思議な夢を見た。
「お前、よう頑張ってんな」
真っ白な空間で、労いの言葉をかけてきたのは、小さな一羽のカラスだった。長い嘴でどうやって喋っているのかはわからないが、器用に発声していた。
「あの……もしかして、カラスの神様ですか?」
「ああ、そうとも言うなぁ」
「どうして私の夢に……」
「そら、あんさんの願いを叶えにきたんや」
「どうして? まだ百十一日経ってないのに」
「百十一日って決めたんは、人間や。わしはなんも言うてへんで」
「でも、母の時は、現れなかったのに」
「そらそうや。周りを不幸にしてるのに、願いを叶えたいと思うはずもないやろ。それはあんさんが一番ようわかっとるんちゃうか?」
「私は、欲張りなだけです」
「欲張りでけっこう! あんさんが大切にしたことで、子供たちも毎日必死にお祈りしてたわ。知っとるか? あんさんが夜中にお参りしていると知って、娘さんたちも毎日応援して鶴を折ってたんやで。そらもう、笑顔でな。わしはそういうのが好きや」
「……娘たちが」
「だから願いごとを言うてみい。わしがなんとかしたる」
「ありがとうございます。なら、私は——」
それから私は、ありったけの気持ちを込めて願いを告げた。すると、カラスの神様は幸せそうな顔をして「また会おうな」と言った。
翌朝。私は夢の内容をいっさい覚えていなかった。だが、娘が奇跡的に回復したことで、私の願いが届いたことを悟った。
それから私は姉妹を連れて時々山に登り、神様の祠の前でピクニックするようになった。
なぜか笑顔を届けたくなったのだ——。
だけど、私の母親だけは違っていた。祠の伝説を信じているらしい。弟が余命半年と知ってから、毎日お参りするようになった。
雨の日も風の日も、どんなに暑くたって山を登り、祠にお参りした。そして小さな村なので、母のことはすぐに広まった。周囲の人たちは母を応援し、素晴らしい人間だと褒め称えた。でもどうしてだろう。私だけは応援することができなかった。母は弟のことばかりで、私のことは考えてくれなかった。母が山を登る間、私はいつも一人でご飯を食べた。レトルトばかりだった。
母がやりたいようにやるのは、悪いことではないと思う。けど、中学生になったばかりの私は大人になりきれなくて、少し悲しかった。
母の笑顔を見なくなって、どれだけの時間が経っただろうか。毎日悲壮な顔をしてお参りをする姿は、正直見たくなかった。
そんな中、私は母の代わりに弟の病院に通い、弟の世話をした。すでにトイレすらままならない弟を一人にはできなかったから。私は弟の世話ばかりするうち、いつしか友達ともまともに付き合えなくなっていた。それでも百十一日我慢すれば、母が戻ってくると思い、私は耐えた。
そんなある日のことだった。
「祈里……大地が」
百十一日を目前にして、弟が死去した。もともと余命半年と言われていたが、思ったよりも病状の進行がひどかったらしい。おまけに肺炎になって、もう医者も手の施しようがなかった。
運が良かったのは、母がひさしぶりに弟の病院に顔を出したことだ。看取ることができて、良かっただろう。そう思っていたが——。
私が花瓶の水を替えて戻ってきた時、母はひどく取り乱した様子だった。そして弟の大地が眠るベッドの端で、母は泣き崩れた。
私は花瓶を置いて、母に何か声をかけようとするが、その前に母の方が振り返った。
「私は毎日頑張っていたのに、あんたがちゃんと見ないから!」
母の言葉に、私は愕然とした。私は学校生活を犠牲にして頑張っていたつもりだった。だが、母からは遊んでいるようにしか見えなかったのだろうか。それとも母の心が病んでいるのか、私は母の言葉が受け入れられず、静かにその場を去った。
それからは、お通夜が終わっても、暗い日々は続いた。母は弟が死んだのは私のせいだと言ったが、私が病院に通っていたのは周知の事実だったので、悪い噂はたたなかった。そして村の人間はみな、母を腫物に触るような扱いをした。
これは苦い思い出。
それから大人になっても、私はいまだに母とは向き合えないでいた。
あれから十年が経った。私にも子供が二人できた。明るく仲の良い姉妹で、母もそれなりに可愛がってくれた。私は子供ができたことで、母の気持ちが少しわかるようになった。いまだにわだかまりはあるけれど、それでもいつまでも険悪でいたら、娘たちの教育にも悪いだろう。そう思った矢先だった。
八才の姉が不治の病だと判明した。もしかしたら、遺伝的な問題なのかもしれない。絶望した私は、自然と祠に向かっていた。百十一日の奇跡を信じてお参りを始めた私は、毎日山を登った。だが、母と違ったのは、姉妹の面倒を見ながら、というところだ。私は日中は子育てをし、深夜になると山を登った。野生の獣が出たとしても怖くなかった。それだけ決意が固かった。
一つしかない体を酷使して、毎日笑顔でいるのは辛かった。それでも娘たちには心配をかけまいと、頑張った。だが、頑張りすぎた。
五十日を過ぎた日に、私は過労で倒れた。そんな私を母は愚かだと言った。百十一日お参りするためには、何かを捨てる覚悟をしなければならないと言った。だが、私は絶対に何も捨てたくなかった。私は欲張りなのだ。みんなに幸せでいてほしい、ただそれだけだった。
そして過労で倒れてから三日目の夜。私は密かに悔しい思いをしながら布団に入った。医者に、しばらくは安静にしなさいと言われたので、素直に従った。姉妹を守ることが優先だと思ったからだ。
すると、その夜、不思議な夢を見た。
「お前、よう頑張ってんな」
真っ白な空間で、労いの言葉をかけてきたのは、小さな一羽のカラスだった。長い嘴でどうやって喋っているのかはわからないが、器用に発声していた。
「あの……もしかして、カラスの神様ですか?」
「ああ、そうとも言うなぁ」
「どうして私の夢に……」
「そら、あんさんの願いを叶えにきたんや」
「どうして? まだ百十一日経ってないのに」
「百十一日って決めたんは、人間や。わしはなんも言うてへんで」
「でも、母の時は、現れなかったのに」
「そらそうや。周りを不幸にしてるのに、願いを叶えたいと思うはずもないやろ。それはあんさんが一番ようわかっとるんちゃうか?」
「私は、欲張りなだけです」
「欲張りでけっこう! あんさんが大切にしたことで、子供たちも毎日必死にお祈りしてたわ。知っとるか? あんさんが夜中にお参りしていると知って、娘さんたちも毎日応援して鶴を折ってたんやで。そらもう、笑顔でな。わしはそういうのが好きや」
「……娘たちが」
「だから願いごとを言うてみい。わしがなんとかしたる」
「ありがとうございます。なら、私は——」
それから私は、ありったけの気持ちを込めて願いを告げた。すると、カラスの神様は幸せそうな顔をして「また会おうな」と言った。
翌朝。私は夢の内容をいっさい覚えていなかった。だが、娘が奇跡的に回復したことで、私の願いが届いたことを悟った。
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なぜか笑顔を届けたくなったのだ——。
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