闇鍋という名の短編集

悠木全(#zen)

文字の大きさ
40 / 88

カラスの神様

しおりを挟む
 私の住む村には言い伝えがある。なんでも、山の頂きにある祠に百十一回お参りすれば、願いが叶うというもの。祠にはカラスの神様が住んでいると聞いた。けど、そんなことを信じる人間は、今の時代、子供すらいなかった。
 だけど、私の母親だけは違っていた。祠の伝説を信じているらしい。弟が余命半年と知ってから、毎日お参りするようになった。
 雨の日も風の日も、どんなに暑くたって山を登り、祠にお参りした。そして小さな村なので、母のことはすぐに広まった。周囲の人たちは母を応援し、素晴らしい人間だと褒め称えた。でもどうしてだろう。私だけは応援することができなかった。母は弟のことばかりで、私のことは考えてくれなかった。母が山を登る間、私はいつも一人でご飯を食べた。レトルトばかりだった。

 母がやりたいようにやるのは、悪いことではないと思う。けど、中学生になったばかりの私は大人になりきれなくて、少し悲しかった。
 母の笑顔を見なくなって、どれだけの時間が経っただろうか。毎日悲壮な顔をしてお参りをする姿は、正直見たくなかった。
 そんな中、私は母の代わりに弟の病院に通い、弟の世話をした。すでにトイレすらままならない弟を一人にはできなかったから。私は弟の世話ばかりするうち、いつしか友達ともまともに付き合えなくなっていた。それでも百十一日我慢すれば、母が戻ってくると思い、私は耐えた。
 そんなある日のことだった。

祈里いのり……大地だいちが」

 百十一日を目前にして、弟が死去した。もともと余命半年と言われていたが、思ったよりも病状の進行がひどかったらしい。おまけに肺炎になって、もう医者も手の施しようがなかった。
 運が良かったのは、母がひさしぶりに弟の病院に顔を出したことだ。看取ることができて、良かっただろう。そう思っていたが——。

 私が花瓶の水を替えて戻ってきた時、母はひどく取り乱した様子だった。そして弟の大地が眠るベッドの端で、母は泣き崩れた。
 私は花瓶を置いて、母に何か声をかけようとするが、その前に母の方が振り返った。

「私は毎日頑張っていたのに、あんたがちゃんと見ないから!」

 母の言葉に、私は愕然とした。私は学校生活を犠牲にして頑張っていたつもりだった。だが、母からは遊んでいるようにしか見えなかったのだろうか。それとも母の心が病んでいるのか、私は母の言葉が受け入れられず、静かにその場を去った。

 それからは、お通夜が終わっても、暗い日々は続いた。母は弟が死んだのは私のせいだと言ったが、私が病院に通っていたのは周知の事実だったので、悪い噂はたたなかった。そして村の人間はみな、母を腫物に触るような扱いをした。

 これは苦い思い出。
 それから大人になっても、私はいまだに母とは向き合えないでいた。

 あれから十年が経った。私にも子供が二人できた。明るく仲の良い姉妹で、母もそれなりに可愛がってくれた。私は子供ができたことで、母の気持ちが少しわかるようになった。いまだにわだかまりはあるけれど、それでもいつまでも険悪でいたら、娘たちの教育にも悪いだろう。そう思った矢先だった。
 八才の姉が不治の病だと判明した。もしかしたら、遺伝的な問題なのかもしれない。絶望した私は、自然と祠に向かっていた。百十一日の奇跡を信じてお参りを始めた私は、毎日山を登った。だが、母と違ったのは、姉妹の面倒を見ながら、というところだ。私は日中は子育てをし、深夜になると山を登った。野生の獣が出たとしても怖くなかった。それだけ決意が固かった。
 一つしかない体を酷使して、毎日笑顔でいるのは辛かった。それでも娘たちには心配をかけまいと、頑張った。だが、頑張りすぎた。
 五十日を過ぎた日に、私は過労で倒れた。そんな私を母は愚かだと言った。百十一日お参りするためには、何かを捨てる覚悟をしなければならないと言った。だが、私は絶対に何も捨てたくなかった。私は欲張りなのだ。みんなに幸せでいてほしい、ただそれだけだった。
 そして過労で倒れてから三日目の夜。私は密かに悔しい思いをしながら布団に入った。医者に、しばらくは安静にしなさいと言われたので、素直に従った。姉妹を守ることが優先だと思ったからだ。
 すると、その夜、不思議な夢を見た。

「お前、よう頑張ってんな」

 真っ白な空間で、労いの言葉をかけてきたのは、小さな一羽のカラスだった。長い嘴でどうやって喋っているのかはわからないが、器用に発声していた。

「あの……もしかして、カラスの神様ですか?」

「ああ、そうとも言うなぁ」

「どうして私の夢に……」

「そら、あんさんの願いを叶えにきたんや」

「どうして? まだ百十一日経ってないのに」

「百十一日って決めたんは、人間や。わしはなんも言うてへんで」
 
「でも、母の時は、現れなかったのに」

「そらそうや。周りを不幸にしてるのに、願いを叶えたいと思うはずもないやろ。それはあんさんが一番ようわかっとるんちゃうか?」

「私は、欲張りなだけです」

「欲張りでけっこう! あんさんが大切にしたことで、子供たちも毎日必死にお祈りしてたわ。知っとるか? あんさんが夜中にお参りしていると知って、娘さんたちも毎日応援して鶴を折ってたんやで。そらもう、笑顔でな。わしはそういうのが好きや」

「……娘たちが」

「だから願いごとを言うてみい。わしがなんとかしたる」

「ありがとうございます。なら、私は——」

 それから私は、ありったけの気持ちを込めて願いを告げた。すると、カラスの神様は幸せそうな顔をして「また会おうな」と言った。

 翌朝。私は夢の内容をいっさい覚えていなかった。だが、娘が奇跡的に回復したことで、私の願いが届いたことを悟った。
 それから私は姉妹を連れて時々山に登り、神様の祠の前でピクニックするようになった。
 なぜか笑顔を届けたくなったのだ——。
しおりを挟む
感想 152

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【bl】砕かれた誇り

perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。 「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」 「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」 「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」 彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。 「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」 「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」 --- いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。 私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、 一部に翻訳ソフトを使用しています。 もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、 本当にありがたく思います。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

貴方なんて大嫌い

ララ愛
恋愛
婚約をして5年目でそろそろ結婚の準備の予定だったのに貴方は最近どこかの令嬢と いつも一緒で私の存在はなんだろう・・・2人はむつまじく愛し合っているとみんなが言っている それなら私はもういいです・・・貴方なんて大嫌い

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

処理中です...