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第四章 死神の涙と禁忌の夜
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大陸の北東部に広大な領土を持つグレイヴェリア帝国。
その国土の多くは山岳地帯や荒野であり、冬は長く厳しい。
豊富な鉄鉱脈を持つが、農耕に適した土地は少なく、食料自給率は低い。
それ故に、南方の豊かな穀倉地帯──エルバニア王国などへの侵攻は、国家存亡をかけた「口減らし」と「食料調達」の側面を持つ。
元々は、大陸北方に住む狩猟騎馬民族で、弓と機動力を武器にする軽装集団であった。
転換期は、西方諸国との接触により『製鉄技術』と『板金鎧』の文化を取り入れてからだ。
強靭な馬と鉄の装甲、そして狩猟民族の闘争心が融合し、大陸最強の重騎兵団が誕生した。
その圧倒的な突進力で周辺諸国を蹂躙・併合し、版図を拡大して、巨大帝国へと成長した。
『グレイヴェリアの鉄騎』と称する、人と馬の全てを鉄の装甲で鎧った重騎兵は、帝国の象徴にして最強戦力だ。
その戦術は、小細工なしの正面突破。
密集陣形で突撃し、敵を物理的に粉砕する。
帝政を敷いているが、その社会構造は完全な実力主義・武力至上主義だ。
武力や武器など鉄を持つ、扱う者が強いという価値観があり、武人や鍛冶師の地位は高いが、農民や商人の地位は低い。
たとえ皇族であっても、武勲がなければ軽んじられる。
そんなグレイヴェリア帝国は、周辺国からは『鉄蝗』──鉄の蝗と呼ばれ恐れられている。
『鉄の塊が群れを成して押し寄せ、穀物も財宝も全て食い尽くして去っていく』という意味でだ。
また、帝国軍の維持費──『鉄』のコストと兵の食費が膨大であるため、勝った土地から徹底的に略奪する必要があるという台所事情も揶揄されている。
*
アルバの野の会戦、もしくはエルガ川の戦いとも呼ばれる今回の戦いは、エルバニア王国軍を撤退させ、戦場を確保したグレイヴェリア帝国軍の『戦術的勝利』で幕を閉じた。
敗れたエルバニア王国軍の総大将グラハム・レノックス伯爵は、戦場となったアルバの野から南に下った『イルバの野』まで退却していた。
イルバの野は複数の街道が合流する交通の要衝であり、軍の再編成に適している。グラハムはこの地で援軍を待つつもりだ。
エルバニア軍の損害は、総兵力二万に対して死傷者・行方不明が凡そ七千。
そのうちの五千は、ルスラーナ率いる重騎兵隊の突撃を受けた中央部隊一千と右翼部隊四千だ。
右翼部隊は指揮官のデュラム将軍およびその一族──彼の子らが全員戦死したことで指揮系統が崩壊し、壊滅した。
「……ムニエルは、戻って来なかったか」
グラハムは、息子の一人で、騎兵隊一千五百の指揮官ムニエル将軍が未帰還──つまりは戦死したと悟り、沈痛そうに目を伏せる。
グレイヴェリア軍の後背を襲ったムニエルたちは、ヴァレンティン皇子親衛隊三百と交戦し、一兵残らず全滅したのだ。
グラハム自身も退却時に殿(しんがり)を務め、多くの兵を失い、自らも右腕を負傷していた。
「チョルニボフの黒姫──ルスラーナ皇女よ、我が子、孫らの仇は必ずや取るぞ!」
グラハムは復讐の炎を瞳に宿しつつ、その禿げ上がった頭の中で冷徹な計算を巡らせる。
二十万の援軍が来るまで、最低でも三週間。
その間、ただ指をくわえて待っているつもりはない。
(刺客でも送り、ルスラーナ皇女、もしくはヴァレンティンを暗殺しようかのう?
冒険者組合に依頼して、暗殺が得意な冒険者を都合するかのう)
老将グラハムの口元が、歪に歪む。
戦場での武働きだけが、戦争ではない。
盤外からの毒牙もまた、戦術の一つである。
勝利に酔うグレイヴェリア軍に、見えざる影が忍び寄ろうとしていた。
一方、勝利したグレイヴェリア帝国軍だが、その内実は痛み分けに近い。
エルバニア軍騎兵の奇襲により後方野営地は壊滅し、補給物資の約六割が焼失してしまったのだ。
勝利の立役者となったルスラーナ皇女だが、後方野営地の惨状を見て素直には喜べなかった。
破壊された天幕、燃やされた食料、累々と横たわる死体。
戦闘の後では珍しくもない、見慣れた地獄絵図──のはずだった。
だが、ルスラーナはある一点を見つめ、泥と煤にまみれた地面に立ち尽くす。
そこに、小さな遺体があったからだ。
昨夜、ゴーマン公爵から保護し、故郷へ帰す手配をしていた村娘だ。
少女の胸は、エルバニア騎兵の槍で無造作に貫かれていた。
突然の奇襲による阿鼻叫喚の最中、逃げ場を見失い、恐怖に竦んで動けなかったのだろう。
ルスラーナは少女を貫いた槍を引き抜き、怒りに任せてへし折ると、羽織っていたマントで遺体を包み、そっと抱き上げる。
(ゴーマメなんかに、寒い戦地に連れてこられて、とても辛かったでしょうね。
故郷に帰ると聞いて、さぞ嬉しかったでしょうに……)
まだあどけない死に顔を見つめていると、背後から気配が近づいてきた。
振り返ると、いつの間にか兄ヴァレンティン皇子が立っていた。
「……兄上」
ルスラーナは、腕の中の亡骸に視線を落としたまま呟く。
「私は前線で、何千もの敵を屠ったわ。けど、たった一人の女の子すら守れなかった……。
せめて、丁重に葬ってあげたいの」
「そうしてやるがいい。少しでも、お前の感傷が癒されるならな」
ヴァレンティンは妹に近寄り、彼女の頬を素手で優しく撫でる。
ルスラーナは女性にしては長身だが、ヴァレンティンはそれより頭一つ背が高い。
見下ろす兄の瞳は穏やかだが、その奥は凍てつく湖のように静かだった。
「これが戦争だ、ルスラーナ。
我々が前へ出れば、後ろが空く。
奴らはそこを突いた。それだけのことだ」
「わかってるわ……わかってはいるんだけどね」
兄の手は温かい。
だが、その正論が、今は何よりも冷たく、そして痛く感じるルスラーナであった。
村娘の埋葬を済ませ、陽が沈みかけた頃。
グレイヴェリア軍の陣地は、工兵隊の手によって野戦砦に強化されていた。
後方野営地の、修復されたヴァレンティンの天幕に、ゴーマン公爵が招かれた。
「ガハハハハ! 見よ! 我が軍の大勝利である!」
上座に座るヴァレンティンと、その傍らに控えるルスラーナの前で、ゴーマン公爵はふんぞり返って笑い声を響かせる。
風邪はまだ治っていないのか鼻声だが、その態度は以前にも増して尊大になっていた。
「いやあ、実に痛快であったな!
エルバニアの弱卒どもが、儂の姿を見ただけで蜘蛛の子を散らすように逃げていきおったわ!」
(……どの口が言うのかしら、この腐れゴーマメが!)
ルスラーナはこめかみに青筋を浮かべ、立てて持った斧槍で殺害したくなる衝動を必死で堪える。
自分の命令違反で橋を詰まらせ、あわや全滅の危機を招いた自覚が、この男には欠片もないのだ。
「しかし、惜しむらくはルスラーナよ。
貴様がもっと早く敵将グラハムを追撃しておれば、完全勝利であったものを。
詰めが甘いぞ、詰めが!」
「なんですって……!?」
さすがに看過できず、ルスラーナが一歩踏み出そうとした時、
「──仰る通りです、叔父上」
ヴァレンティンが、春の日差しのような笑顔でゴーマンの言葉を肯定した。
「叔父上の果敢な全軍突撃命令がなければ、敵は恐れをなして退却しなかったでしょう。
この勝利の立役者は、間違いなくゴーマン公爵、貴方です」
「おお、そうであろう! さすが賢き甥っ子、話がわかる!」
ゴーマン公爵は膝を叩いて喜ぶ。
ルスラーナは唖然として兄を見るが、ヴァレンティンは構わず続けた。
「つきましては、最大の功労者である叔父上に、最重要任務をお任せしたい」
「ほう? 何だ、申してみよ」
「我々は輜重を焼かれたため、一度本国へ撤退し補給しなければなりません。
しかし、せっかく血を流して確保したこの地をみすみす手放すのはあまりに惜しい。
叔父上、貴方がここに残り、この地を死守してください」
ヴァレンティンは芝居がかった仕草で言葉を継ぐ。
「これは、軍神のごとき武勇を持つ貴方にしか頼めない、名誉ある任務です」
「うむ! うむうむ!」
ゴーマン公爵は、その『名誉』という言葉に酔いしれた。自分が総司令官として、この最前線を任される。
それは皇帝の弟である自分にこそ相応しい。
「よかろう! 儂に任せておけ!
貴様らは安心して物資を取りに帰るがよい!」
彼は気づいていなかった。
敵将グラハムがただ負けて逃げたわけではないことを。
そして、この地が遠からず地獄の釜の蓋の上になることを。
「感謝します、叔父上」
ヴァレンティンは深々と頭を下げる。
その顔は笑っていたが、目は一切笑っていなかった。
ゴーマン公爵への「死守命令」という名の手の込んだ追放劇を演じ終えた後、ヴァレンティン皇子は右翼歩兵部隊指揮官のヴォルグ伯爵と、左翼歩兵部隊指揮官のゼノ男爵を天幕に呼んだ。
「貴殿らの働きは見事であった。
我が軍の勝利は、貴殿らの働きがあったからだ。礼を言う」
「「ははっ! 勿体なきお言葉!」」
彼らは、ゴーマン公爵に唆されて犯した命令違反を咎められるどころか、むしろ褒められるべきだと思っていた。
ルスラーナは何も言わず冷ややかな眼差しを向け、彫像然として立っている。
「貴殿らも知る通り、我が軍の輜重が焼かれた。
それ故に、私とルスラーナ皇女は本国に戻り補給の手配をする。
その間、この地の守りをゴーマン公爵に委ねるのだが、貴殿らは両翼としてゴーマン公爵を支えてほしい」
爽やかに微笑むヴァレンティンに請われた岩のような巨躯の勇猛な老将ヴォルグ伯爵と、一兵卒叩き上げの隻眼剣士ゼノ男爵はお互いを横目で見合わせると、先ずはゼノ男爵から口を開いた。
「ヴァレンティン殿下とルスラーナ殿下が本国にお戻りにならずとも、勝利の余勢を駆って進軍しましょうぞ!
補給など、エルバニアから収奪すれば賄えましょうに」
攻撃的な性格をしたゼノ男爵は、ルスラーナを前にしても恐れ入った様子もなく勇ましい事を言う。
「不詳、この俺めを先鋒にお任せあれば、エルバニアの王都ゼルノグラードまで一気に突き進み、陥落させて見せましょうぞ!
グレイヴェリアの勇者は、ルスラーナ殿下だけでない事を世に知らしめてやりとうございます」
(まあ、確かに剣だけなら私と互角かもね……こいつ殺すなら、剣を白刃取りしてへし折ってから首を捩じ切れば、終いだけど)
剣一本で成り上がったゼノ男爵の実力を、ルスラーナは彼女なりに認めつつ、具体的な殺害方法まで思いついていた。
口には出さず、兜の下で凶悪な殺気だけを滲ませる。
「ご、ご命令とあらば承りますが、両殿下がお戻りになる前に、エルバニアの反攻が来たらどうされます?」
ルスラーナを畏れて冷や汗をかきつつ、戦慣れした老将ヴォルグ伯爵は当然の懸念を述べる。
「ははは、ヴォルグ伯爵は老いて臆病になられたか?
エルバニアごときが反攻してこようと、蹴散らせばよい!」
「何を抜かすか成り上がりめが!」
ヴォルグ伯爵が声を荒らげた時、ヴァレンティンは闊達に笑った。
「はははは! 勇ましい両雄ならば、エルバニアが反攻してこようと物の数ではなかろう。
改めて、貴殿らに命ずる。ゴーマン公爵の両翼となり、この地を守れ!」
「「ははっ」」
ヴォルグ伯爵とゼノ男爵は、甲冑の胸を音高く叩いて承諾し退出した。
次に呼び出されたのは、右翼軽騎兵隊の指揮官アイザック卿、左翼軽騎兵隊の指揮官ロザリア女伯爵である。
「単刀直入に言おう。
貴公らの命令違反を不問に付す代わりに、この地に残り、ゴーマン公爵を補佐せよ」
「我らは……赦されて残留、でありますか?」
爵位を持たぬが由緒正しい高潔な騎士であるアイザック卿は不安げに問う。
ゴーマン公爵らより賢しい彼は、ヴァレンティンの真意を疑ったのだ。
「うむ。実はな、ヴォルグとゼノを両翼に付けたとはいえ、叔父上ゴーマン公爵にこの地の守りを任す事に、私は一抹の不安を抱いているのだ」
ヴァレンティンは声を潜め、さも二人を信頼しているかのように語りかける。
「ゴーマン公爵は兎も角、ヴォルグとゼノも猪突猛進なきらいがある。
敵は老獪なグラハムだ。必ずや執拗な偵察や揺さぶりをかけてくるだろう。
それに対応できるのは、思慮深いアイザック卿、そして果敢さと冷静さを併せ持つロザリア女伯爵……貴公らの軽騎兵しかいないのだよ」
「な、なるほど……! 殿下は、あえて我らを見込んで……!」
アイザック卿の表情が、不安から名誉欲に満ちたものへと変わる。
自分は評価されている、選ばれたのだという甘美な勘違い。
「任せとくれやす、殿下!
あたしの赤髪を見れば、南の軟弱男どもなんて尻尾を巻いて逃げ出すさ!」
ロザリア女伯爵もまた、胸を張って請け負った。
彼女のような武断派にとって、皇子からの「頼み」は断れるものではない。
「感謝する。本国に戻り次第、真っ先に貴公らの能力の高さを皇帝陛下に奏上しよう」
「「ははっ!!」」
二人は感動に打ち震えながら敬礼し、意気揚々と死地へ向かうべく退出していった。
天幕の入り口が閉じた瞬間、ヴァレンティンの瞳から温度が消えた。
(ゴーマンという餌だけでは、グラハムに見抜かれる恐れがあるからな。
ヴォルグとゼノでは競い合って暴走するかも知れん。
かと言って、それらしい付け合わせも置いていかねば、グラハムの食いつきが悪かろう。
精々、私が後ろに控えているように見せかけて散ってくれ)
ヴァレンティンにとって、彼らは「戦場の空気に流される」質の指揮官だ。
いつか命令系統に致命的な穴を空ける。
ならば、最も役に立つ方法で消費するのが将帥としての慈悲というものだ。
「──兄上、随分と悪い顔をしてるわよ」
彫像然としていたルスラーナが漸く口を開いた。
「人聞きが悪いな。適材適所と言ってくれ。
……さて、ルスラーナ。次は其方の人事だ」
ヴァレンティンは椅子に座り直し、妹を見据える。
「本日をもって、其方を私の親衛隊長から解任する」
「──えっ?」
ルスラーナは目を見開いた。
彼女にとって、兄の背中を守る最強の盾であることは、己の存在証明そのものだ。
「な、なんで……私、何か失敗した?
あの村娘のこと?
それとも、暴れ回った挙げ句グラハムのハゲを取り逃したこと……?」
動揺し、子どものように狼狽えるルスラーナ。
ヴァレンティンはふっと口元を緩めた。
「逆だ。お前の力は、私の傍らに置いておくには大きくなりすぎた。
私の盾として収まる器ではない。
これよりお前は、私と帝国のために敵を食い尽くす『矛』となれ。
独立遊撃部隊将軍、ルスラーナ・オブ・グレイヴェリアとしてな」
「将軍……私が?」
「そうだ。お前の手足となる部下も選別しておいた。入れ」
ヴァレンティンの合図で、天幕に入ってきた者たちがいた。
一組は、エルフ耳の女騎士ランスローネと、魔法術士のエーリカ。
そしてもう一人は、騎士デュランダールだ。
「げっ、よりによってドゥラークかよ……」
ルスラーナが初陣以来の戦友でもある小煩い騎士を見て露骨に嫌そうな顔をする。
「ひどい言い草ですな、ルスラーナ殿下……いや、閣下とお呼びすべきか」
デュランダールは、美男の部類に入る精悍な顔をしかめて溜息をつく。
「ルスラーナ殿下が率いた中央先陣部隊の生き残りをかき集めて再編成しました。
本来なら故郷へ帰って休養したいところですが……貴女の手綱を握れる者が他にいないと、ヴァレンティン殿下に請われましてな。
皇族の信任を得るのは帝国騎士の誉れ。
さりとて、私の胃に穴が開くのが先か、貴女が敵を全滅させるのが先か……」
「やけに饒舌ね。今すぐ胃に穴を開けてやろうかしら? 故郷の墓で休養出来るわよ」
「拙者の胃はルスラーナ殿下に鍛えられてきましたから、そう易々とは開きませぬぞ」
「あははは、楽しい所帯になりそうやね!」
二人のやり取りを見て、ランスローネは楽しげに笑う。
「うちらは傭兵契約みたいなもんですわ。
報酬さえ弾んでもらえれば、地獄の釜の底までお供しまっせ、新しい大将?」
ランスローネがニカっと笑い、エーリカがペコリと頭を下げる。
彼女たち工兵隊もまた、橋を維持した功績をヴァレンティンに買われ、ルスラーナの部隊に組み込まれたのだ。
「……ふん、まあいいわ」
ルスラーナの口元には微かな笑みが浮かんでいた。
死線を共に潜り抜けた彼らに対して、彼女なりに信頼を置いているのだ。
「話は決まりだな。明日、我らは帝都へ帰還する。
ルスラーナ、其方の部隊は私の本隊の後衛を務めろ」
「了解よ、兄上様!」
ルスラーナは甲冑の胸甲を叩いて鳴らす。
デュランダールたちが退出した後、
「あーあ、小難しい話をしてたらお腹空いちゃった」
ルスラーナが豪快にお腹を鳴らすと、ヴァレンティンは苦笑しながら卓上のベルを鳴らし、従兵に食事の用意を命じた。
ヴァレンティンの天幕にて、兄妹二人きりの夕食が始まる。
「……んぐっ、むぐっ。ねえ兄上。なんでゴーマメなんかに砦を任すの?
あんな奴、置いていくのも癪だけど、別に私たちが帰らなくても、このままここで本国からの補給を待てば良いんじゃない?」
甲冑を脱いで鎧下姿のルスラーナは、山盛りにされた骨付き肉をガツガツと豪快に平らげながら、口元を脂で汚して問いかける。
彼女のテーブルには、成人男性の五人前はあろうかという料理が並び、それが次々と彼女の胃袋へ消えていく。
ヴァレンティンは、優雅にワイングラスを傾けつつ、呆れたように溜息をついた。
「ルスラーナ……私が何故、あれほど大勢の輜重兵を連れてきたと思っている?」
「え? そりゃあ、軍の維持のためでしょ?」
「半分正解だが、半分間違いだ。
あの物資の半分は、お前の食料を運ぶ為だぞ」
「──ぶっ!?」
ルスラーナは驚きのあまり、噛み砕いた骨ごと肉を吹き出しそうになる。
「そ、そんなわけ……」
「あるのだよ。お前一人が万全に動くために、一小隊分の食料が消える。
その肝心の食料が、敵の奇襲で大半焼かれてしまったんだ。
残った食料では、帰りの分も含めると、お前の胃袋をとても賄いきれん」
ヴァレンティンは真顔で、しかし底冷えするような声で告げる。
「それとも何か?
私に、戦場で死んだ馬の肉を食わせるつもりか?
あるいは、お前が空腹で動けなくなって、敵に捕まるのを見たいと?」
「──うぐっ!?」
ルスラーナは額にびっしりと冷や汗を掻く。
兄に粗末な食事をさせるなど耐え難い不敬であり、また自分が空腹で役立たずになるのも恐ろしい。
ルスラーナの母親は、ゴーマン公爵曰く下賤の者──オーガという屈強な亜人種族の血を引く奴隷であった。
その血を引くルスラーナは生まれつき並外れた膂力と頑強な肉体を持つが、その対価として異常なほどのカロリーを消費する。
つまりは、極端に燃費が悪いのだ。
そのことを、彼女自身が一番よく理解していた。
「わ、わかったわよ……帰ればいいんでしょ、帰れば!
帝都に帰って、お腹いっぱい美味しいもの食べるわよ!」
「よろしい。
……まったく、他国の者たちは我らグレイヴェリアを『鉄蝗』と蔑むが、お前は見事に体現しているな。
妹という鉄の蝗に食い荒らされて負けるなど、笑い話にもならんぞ」
ヴァレンティンは苦笑しながら、空になった妹の皿に、自分の分の肉を取り分けてやるのだった。
食事が終わり、夜も更けた頃。
天幕の外では、直属の親衛隊たちが石像のように微動だにせず警備に当たっていた。
彼らは知っている。
この後、天幕の中で行われる『儀式』が、主君たちにとって神聖不可侵なものであることを。
ゆえに、たとえ天と地がひっくり返ろうとも、朝までは誰も近づけさせない。
天幕の中。
寝台は一つしかない。
本来は総大将であるヴァレンティンのものだ。
だが今、そこには二つの影が重なり合っていた。
「……ふあぁ。お腹いっぱいになったら、眠くなっちゃった」
鎧下を脱いで、薄手の寝間着──それすらも、すぐに脱ぎ捨てられる運命にある布切れを纏ったルスラーナは、当然のように兄の寝台に潜り込んでいた。
彼女は兄の胸に顔を埋め、その体温と匂いを肺いっぱいに吸い込む。
「これこれ、くっつくな。暑苦しい」
ヴァレンティンは紙の書物を読みながら邪険にするが、その手は既に妹の寝間着の紐に掛かっていた。
慣れた手つきで、銀の髪を、そして熱を帯びた肌を愛でる。
(ああ……これよ。この温もり、この痛み、この快楽があれば、私は何だってできる)
愛撫されて、ルスラーナは蕩けるような瞳で兄を見上げる。
彼女にとって、兄と二人きりで交わるこのひと時こそが、何よりの活力源であり、生きる意味そのものだった。
母は卑しい奴隷、父帝からは疎まれる汚点。
世界中が彼女を否定しても、この兄だけは彼女の全てを──その血も、肉も、欲望も──受け入れてくれる。
これは、神にも父帝にも言えない、二人だけの禁忌。
だが、ルスラーナにとって、これこそが最大の『恩賞』なのである。
「今日はよく働いた。
……たっぷりと可愛がってやるから、覚悟しろ」
ヴァレンティンが本を置き、冷徹な指揮官の顔から、一人の雄の顔へと変わる。
「ん……お手柔らかにね、兄上……」
最強の皇女は、兄の腕の中で、ただの恋する乙女の顔になって身を委ねた。
夜の帳が下り、天幕の中の吐息は、外の闇へと溶けていった。
その国土の多くは山岳地帯や荒野であり、冬は長く厳しい。
豊富な鉄鉱脈を持つが、農耕に適した土地は少なく、食料自給率は低い。
それ故に、南方の豊かな穀倉地帯──エルバニア王国などへの侵攻は、国家存亡をかけた「口減らし」と「食料調達」の側面を持つ。
元々は、大陸北方に住む狩猟騎馬民族で、弓と機動力を武器にする軽装集団であった。
転換期は、西方諸国との接触により『製鉄技術』と『板金鎧』の文化を取り入れてからだ。
強靭な馬と鉄の装甲、そして狩猟民族の闘争心が融合し、大陸最強の重騎兵団が誕生した。
その圧倒的な突進力で周辺諸国を蹂躙・併合し、版図を拡大して、巨大帝国へと成長した。
『グレイヴェリアの鉄騎』と称する、人と馬の全てを鉄の装甲で鎧った重騎兵は、帝国の象徴にして最強戦力だ。
その戦術は、小細工なしの正面突破。
密集陣形で突撃し、敵を物理的に粉砕する。
帝政を敷いているが、その社会構造は完全な実力主義・武力至上主義だ。
武力や武器など鉄を持つ、扱う者が強いという価値観があり、武人や鍛冶師の地位は高いが、農民や商人の地位は低い。
たとえ皇族であっても、武勲がなければ軽んじられる。
そんなグレイヴェリア帝国は、周辺国からは『鉄蝗』──鉄の蝗と呼ばれ恐れられている。
『鉄の塊が群れを成して押し寄せ、穀物も財宝も全て食い尽くして去っていく』という意味でだ。
また、帝国軍の維持費──『鉄』のコストと兵の食費が膨大であるため、勝った土地から徹底的に略奪する必要があるという台所事情も揶揄されている。
*
アルバの野の会戦、もしくはエルガ川の戦いとも呼ばれる今回の戦いは、エルバニア王国軍を撤退させ、戦場を確保したグレイヴェリア帝国軍の『戦術的勝利』で幕を閉じた。
敗れたエルバニア王国軍の総大将グラハム・レノックス伯爵は、戦場となったアルバの野から南に下った『イルバの野』まで退却していた。
イルバの野は複数の街道が合流する交通の要衝であり、軍の再編成に適している。グラハムはこの地で援軍を待つつもりだ。
エルバニア軍の損害は、総兵力二万に対して死傷者・行方不明が凡そ七千。
そのうちの五千は、ルスラーナ率いる重騎兵隊の突撃を受けた中央部隊一千と右翼部隊四千だ。
右翼部隊は指揮官のデュラム将軍およびその一族──彼の子らが全員戦死したことで指揮系統が崩壊し、壊滅した。
「……ムニエルは、戻って来なかったか」
グラハムは、息子の一人で、騎兵隊一千五百の指揮官ムニエル将軍が未帰還──つまりは戦死したと悟り、沈痛そうに目を伏せる。
グレイヴェリア軍の後背を襲ったムニエルたちは、ヴァレンティン皇子親衛隊三百と交戦し、一兵残らず全滅したのだ。
グラハム自身も退却時に殿(しんがり)を務め、多くの兵を失い、自らも右腕を負傷していた。
「チョルニボフの黒姫──ルスラーナ皇女よ、我が子、孫らの仇は必ずや取るぞ!」
グラハムは復讐の炎を瞳に宿しつつ、その禿げ上がった頭の中で冷徹な計算を巡らせる。
二十万の援軍が来るまで、最低でも三週間。
その間、ただ指をくわえて待っているつもりはない。
(刺客でも送り、ルスラーナ皇女、もしくはヴァレンティンを暗殺しようかのう?
冒険者組合に依頼して、暗殺が得意な冒険者を都合するかのう)
老将グラハムの口元が、歪に歪む。
戦場での武働きだけが、戦争ではない。
盤外からの毒牙もまた、戦術の一つである。
勝利に酔うグレイヴェリア軍に、見えざる影が忍び寄ろうとしていた。
一方、勝利したグレイヴェリア帝国軍だが、その内実は痛み分けに近い。
エルバニア軍騎兵の奇襲により後方野営地は壊滅し、補給物資の約六割が焼失してしまったのだ。
勝利の立役者となったルスラーナ皇女だが、後方野営地の惨状を見て素直には喜べなかった。
破壊された天幕、燃やされた食料、累々と横たわる死体。
戦闘の後では珍しくもない、見慣れた地獄絵図──のはずだった。
だが、ルスラーナはある一点を見つめ、泥と煤にまみれた地面に立ち尽くす。
そこに、小さな遺体があったからだ。
昨夜、ゴーマン公爵から保護し、故郷へ帰す手配をしていた村娘だ。
少女の胸は、エルバニア騎兵の槍で無造作に貫かれていた。
突然の奇襲による阿鼻叫喚の最中、逃げ場を見失い、恐怖に竦んで動けなかったのだろう。
ルスラーナは少女を貫いた槍を引き抜き、怒りに任せてへし折ると、羽織っていたマントで遺体を包み、そっと抱き上げる。
(ゴーマメなんかに、寒い戦地に連れてこられて、とても辛かったでしょうね。
故郷に帰ると聞いて、さぞ嬉しかったでしょうに……)
まだあどけない死に顔を見つめていると、背後から気配が近づいてきた。
振り返ると、いつの間にか兄ヴァレンティン皇子が立っていた。
「……兄上」
ルスラーナは、腕の中の亡骸に視線を落としたまま呟く。
「私は前線で、何千もの敵を屠ったわ。けど、たった一人の女の子すら守れなかった……。
せめて、丁重に葬ってあげたいの」
「そうしてやるがいい。少しでも、お前の感傷が癒されるならな」
ヴァレンティンは妹に近寄り、彼女の頬を素手で優しく撫でる。
ルスラーナは女性にしては長身だが、ヴァレンティンはそれより頭一つ背が高い。
見下ろす兄の瞳は穏やかだが、その奥は凍てつく湖のように静かだった。
「これが戦争だ、ルスラーナ。
我々が前へ出れば、後ろが空く。
奴らはそこを突いた。それだけのことだ」
「わかってるわ……わかってはいるんだけどね」
兄の手は温かい。
だが、その正論が、今は何よりも冷たく、そして痛く感じるルスラーナであった。
村娘の埋葬を済ませ、陽が沈みかけた頃。
グレイヴェリア軍の陣地は、工兵隊の手によって野戦砦に強化されていた。
後方野営地の、修復されたヴァレンティンの天幕に、ゴーマン公爵が招かれた。
「ガハハハハ! 見よ! 我が軍の大勝利である!」
上座に座るヴァレンティンと、その傍らに控えるルスラーナの前で、ゴーマン公爵はふんぞり返って笑い声を響かせる。
風邪はまだ治っていないのか鼻声だが、その態度は以前にも増して尊大になっていた。
「いやあ、実に痛快であったな!
エルバニアの弱卒どもが、儂の姿を見ただけで蜘蛛の子を散らすように逃げていきおったわ!」
(……どの口が言うのかしら、この腐れゴーマメが!)
ルスラーナはこめかみに青筋を浮かべ、立てて持った斧槍で殺害したくなる衝動を必死で堪える。
自分の命令違反で橋を詰まらせ、あわや全滅の危機を招いた自覚が、この男には欠片もないのだ。
「しかし、惜しむらくはルスラーナよ。
貴様がもっと早く敵将グラハムを追撃しておれば、完全勝利であったものを。
詰めが甘いぞ、詰めが!」
「なんですって……!?」
さすがに看過できず、ルスラーナが一歩踏み出そうとした時、
「──仰る通りです、叔父上」
ヴァレンティンが、春の日差しのような笑顔でゴーマンの言葉を肯定した。
「叔父上の果敢な全軍突撃命令がなければ、敵は恐れをなして退却しなかったでしょう。
この勝利の立役者は、間違いなくゴーマン公爵、貴方です」
「おお、そうであろう! さすが賢き甥っ子、話がわかる!」
ゴーマン公爵は膝を叩いて喜ぶ。
ルスラーナは唖然として兄を見るが、ヴァレンティンは構わず続けた。
「つきましては、最大の功労者である叔父上に、最重要任務をお任せしたい」
「ほう? 何だ、申してみよ」
「我々は輜重を焼かれたため、一度本国へ撤退し補給しなければなりません。
しかし、せっかく血を流して確保したこの地をみすみす手放すのはあまりに惜しい。
叔父上、貴方がここに残り、この地を死守してください」
ヴァレンティンは芝居がかった仕草で言葉を継ぐ。
「これは、軍神のごとき武勇を持つ貴方にしか頼めない、名誉ある任務です」
「うむ! うむうむ!」
ゴーマン公爵は、その『名誉』という言葉に酔いしれた。自分が総司令官として、この最前線を任される。
それは皇帝の弟である自分にこそ相応しい。
「よかろう! 儂に任せておけ!
貴様らは安心して物資を取りに帰るがよい!」
彼は気づいていなかった。
敵将グラハムがただ負けて逃げたわけではないことを。
そして、この地が遠からず地獄の釜の蓋の上になることを。
「感謝します、叔父上」
ヴァレンティンは深々と頭を下げる。
その顔は笑っていたが、目は一切笑っていなかった。
ゴーマン公爵への「死守命令」という名の手の込んだ追放劇を演じ終えた後、ヴァレンティン皇子は右翼歩兵部隊指揮官のヴォルグ伯爵と、左翼歩兵部隊指揮官のゼノ男爵を天幕に呼んだ。
「貴殿らの働きは見事であった。
我が軍の勝利は、貴殿らの働きがあったからだ。礼を言う」
「「ははっ! 勿体なきお言葉!」」
彼らは、ゴーマン公爵に唆されて犯した命令違反を咎められるどころか、むしろ褒められるべきだと思っていた。
ルスラーナは何も言わず冷ややかな眼差しを向け、彫像然として立っている。
「貴殿らも知る通り、我が軍の輜重が焼かれた。
それ故に、私とルスラーナ皇女は本国に戻り補給の手配をする。
その間、この地の守りをゴーマン公爵に委ねるのだが、貴殿らは両翼としてゴーマン公爵を支えてほしい」
爽やかに微笑むヴァレンティンに請われた岩のような巨躯の勇猛な老将ヴォルグ伯爵と、一兵卒叩き上げの隻眼剣士ゼノ男爵はお互いを横目で見合わせると、先ずはゼノ男爵から口を開いた。
「ヴァレンティン殿下とルスラーナ殿下が本国にお戻りにならずとも、勝利の余勢を駆って進軍しましょうぞ!
補給など、エルバニアから収奪すれば賄えましょうに」
攻撃的な性格をしたゼノ男爵は、ルスラーナを前にしても恐れ入った様子もなく勇ましい事を言う。
「不詳、この俺めを先鋒にお任せあれば、エルバニアの王都ゼルノグラードまで一気に突き進み、陥落させて見せましょうぞ!
グレイヴェリアの勇者は、ルスラーナ殿下だけでない事を世に知らしめてやりとうございます」
(まあ、確かに剣だけなら私と互角かもね……こいつ殺すなら、剣を白刃取りしてへし折ってから首を捩じ切れば、終いだけど)
剣一本で成り上がったゼノ男爵の実力を、ルスラーナは彼女なりに認めつつ、具体的な殺害方法まで思いついていた。
口には出さず、兜の下で凶悪な殺気だけを滲ませる。
「ご、ご命令とあらば承りますが、両殿下がお戻りになる前に、エルバニアの反攻が来たらどうされます?」
ルスラーナを畏れて冷や汗をかきつつ、戦慣れした老将ヴォルグ伯爵は当然の懸念を述べる。
「ははは、ヴォルグ伯爵は老いて臆病になられたか?
エルバニアごときが反攻してこようと、蹴散らせばよい!」
「何を抜かすか成り上がりめが!」
ヴォルグ伯爵が声を荒らげた時、ヴァレンティンは闊達に笑った。
「はははは! 勇ましい両雄ならば、エルバニアが反攻してこようと物の数ではなかろう。
改めて、貴殿らに命ずる。ゴーマン公爵の両翼となり、この地を守れ!」
「「ははっ」」
ヴォルグ伯爵とゼノ男爵は、甲冑の胸を音高く叩いて承諾し退出した。
次に呼び出されたのは、右翼軽騎兵隊の指揮官アイザック卿、左翼軽騎兵隊の指揮官ロザリア女伯爵である。
「単刀直入に言おう。
貴公らの命令違反を不問に付す代わりに、この地に残り、ゴーマン公爵を補佐せよ」
「我らは……赦されて残留、でありますか?」
爵位を持たぬが由緒正しい高潔な騎士であるアイザック卿は不安げに問う。
ゴーマン公爵らより賢しい彼は、ヴァレンティンの真意を疑ったのだ。
「うむ。実はな、ヴォルグとゼノを両翼に付けたとはいえ、叔父上ゴーマン公爵にこの地の守りを任す事に、私は一抹の不安を抱いているのだ」
ヴァレンティンは声を潜め、さも二人を信頼しているかのように語りかける。
「ゴーマン公爵は兎も角、ヴォルグとゼノも猪突猛進なきらいがある。
敵は老獪なグラハムだ。必ずや執拗な偵察や揺さぶりをかけてくるだろう。
それに対応できるのは、思慮深いアイザック卿、そして果敢さと冷静さを併せ持つロザリア女伯爵……貴公らの軽騎兵しかいないのだよ」
「な、なるほど……! 殿下は、あえて我らを見込んで……!」
アイザック卿の表情が、不安から名誉欲に満ちたものへと変わる。
自分は評価されている、選ばれたのだという甘美な勘違い。
「任せとくれやす、殿下!
あたしの赤髪を見れば、南の軟弱男どもなんて尻尾を巻いて逃げ出すさ!」
ロザリア女伯爵もまた、胸を張って請け負った。
彼女のような武断派にとって、皇子からの「頼み」は断れるものではない。
「感謝する。本国に戻り次第、真っ先に貴公らの能力の高さを皇帝陛下に奏上しよう」
「「ははっ!!」」
二人は感動に打ち震えながら敬礼し、意気揚々と死地へ向かうべく退出していった。
天幕の入り口が閉じた瞬間、ヴァレンティンの瞳から温度が消えた。
(ゴーマンという餌だけでは、グラハムに見抜かれる恐れがあるからな。
ヴォルグとゼノでは競い合って暴走するかも知れん。
かと言って、それらしい付け合わせも置いていかねば、グラハムの食いつきが悪かろう。
精々、私が後ろに控えているように見せかけて散ってくれ)
ヴァレンティンにとって、彼らは「戦場の空気に流される」質の指揮官だ。
いつか命令系統に致命的な穴を空ける。
ならば、最も役に立つ方法で消費するのが将帥としての慈悲というものだ。
「──兄上、随分と悪い顔をしてるわよ」
彫像然としていたルスラーナが漸く口を開いた。
「人聞きが悪いな。適材適所と言ってくれ。
……さて、ルスラーナ。次は其方の人事だ」
ヴァレンティンは椅子に座り直し、妹を見据える。
「本日をもって、其方を私の親衛隊長から解任する」
「──えっ?」
ルスラーナは目を見開いた。
彼女にとって、兄の背中を守る最強の盾であることは、己の存在証明そのものだ。
「な、なんで……私、何か失敗した?
あの村娘のこと?
それとも、暴れ回った挙げ句グラハムのハゲを取り逃したこと……?」
動揺し、子どものように狼狽えるルスラーナ。
ヴァレンティンはふっと口元を緩めた。
「逆だ。お前の力は、私の傍らに置いておくには大きくなりすぎた。
私の盾として収まる器ではない。
これよりお前は、私と帝国のために敵を食い尽くす『矛』となれ。
独立遊撃部隊将軍、ルスラーナ・オブ・グレイヴェリアとしてな」
「将軍……私が?」
「そうだ。お前の手足となる部下も選別しておいた。入れ」
ヴァレンティンの合図で、天幕に入ってきた者たちがいた。
一組は、エルフ耳の女騎士ランスローネと、魔法術士のエーリカ。
そしてもう一人は、騎士デュランダールだ。
「げっ、よりによってドゥラークかよ……」
ルスラーナが初陣以来の戦友でもある小煩い騎士を見て露骨に嫌そうな顔をする。
「ひどい言い草ですな、ルスラーナ殿下……いや、閣下とお呼びすべきか」
デュランダールは、美男の部類に入る精悍な顔をしかめて溜息をつく。
「ルスラーナ殿下が率いた中央先陣部隊の生き残りをかき集めて再編成しました。
本来なら故郷へ帰って休養したいところですが……貴女の手綱を握れる者が他にいないと、ヴァレンティン殿下に請われましてな。
皇族の信任を得るのは帝国騎士の誉れ。
さりとて、私の胃に穴が開くのが先か、貴女が敵を全滅させるのが先か……」
「やけに饒舌ね。今すぐ胃に穴を開けてやろうかしら? 故郷の墓で休養出来るわよ」
「拙者の胃はルスラーナ殿下に鍛えられてきましたから、そう易々とは開きませぬぞ」
「あははは、楽しい所帯になりそうやね!」
二人のやり取りを見て、ランスローネは楽しげに笑う。
「うちらは傭兵契約みたいなもんですわ。
報酬さえ弾んでもらえれば、地獄の釜の底までお供しまっせ、新しい大将?」
ランスローネがニカっと笑い、エーリカがペコリと頭を下げる。
彼女たち工兵隊もまた、橋を維持した功績をヴァレンティンに買われ、ルスラーナの部隊に組み込まれたのだ。
「……ふん、まあいいわ」
ルスラーナの口元には微かな笑みが浮かんでいた。
死線を共に潜り抜けた彼らに対して、彼女なりに信頼を置いているのだ。
「話は決まりだな。明日、我らは帝都へ帰還する。
ルスラーナ、其方の部隊は私の本隊の後衛を務めろ」
「了解よ、兄上様!」
ルスラーナは甲冑の胸甲を叩いて鳴らす。
デュランダールたちが退出した後、
「あーあ、小難しい話をしてたらお腹空いちゃった」
ルスラーナが豪快にお腹を鳴らすと、ヴァレンティンは苦笑しながら卓上のベルを鳴らし、従兵に食事の用意を命じた。
ヴァレンティンの天幕にて、兄妹二人きりの夕食が始まる。
「……んぐっ、むぐっ。ねえ兄上。なんでゴーマメなんかに砦を任すの?
あんな奴、置いていくのも癪だけど、別に私たちが帰らなくても、このままここで本国からの補給を待てば良いんじゃない?」
甲冑を脱いで鎧下姿のルスラーナは、山盛りにされた骨付き肉をガツガツと豪快に平らげながら、口元を脂で汚して問いかける。
彼女のテーブルには、成人男性の五人前はあろうかという料理が並び、それが次々と彼女の胃袋へ消えていく。
ヴァレンティンは、優雅にワイングラスを傾けつつ、呆れたように溜息をついた。
「ルスラーナ……私が何故、あれほど大勢の輜重兵を連れてきたと思っている?」
「え? そりゃあ、軍の維持のためでしょ?」
「半分正解だが、半分間違いだ。
あの物資の半分は、お前の食料を運ぶ為だぞ」
「──ぶっ!?」
ルスラーナは驚きのあまり、噛み砕いた骨ごと肉を吹き出しそうになる。
「そ、そんなわけ……」
「あるのだよ。お前一人が万全に動くために、一小隊分の食料が消える。
その肝心の食料が、敵の奇襲で大半焼かれてしまったんだ。
残った食料では、帰りの分も含めると、お前の胃袋をとても賄いきれん」
ヴァレンティンは真顔で、しかし底冷えするような声で告げる。
「それとも何か?
私に、戦場で死んだ馬の肉を食わせるつもりか?
あるいは、お前が空腹で動けなくなって、敵に捕まるのを見たいと?」
「──うぐっ!?」
ルスラーナは額にびっしりと冷や汗を掻く。
兄に粗末な食事をさせるなど耐え難い不敬であり、また自分が空腹で役立たずになるのも恐ろしい。
ルスラーナの母親は、ゴーマン公爵曰く下賤の者──オーガという屈強な亜人種族の血を引く奴隷であった。
その血を引くルスラーナは生まれつき並外れた膂力と頑強な肉体を持つが、その対価として異常なほどのカロリーを消費する。
つまりは、極端に燃費が悪いのだ。
そのことを、彼女自身が一番よく理解していた。
「わ、わかったわよ……帰ればいいんでしょ、帰れば!
帝都に帰って、お腹いっぱい美味しいもの食べるわよ!」
「よろしい。
……まったく、他国の者たちは我らグレイヴェリアを『鉄蝗』と蔑むが、お前は見事に体現しているな。
妹という鉄の蝗に食い荒らされて負けるなど、笑い話にもならんぞ」
ヴァレンティンは苦笑しながら、空になった妹の皿に、自分の分の肉を取り分けてやるのだった。
食事が終わり、夜も更けた頃。
天幕の外では、直属の親衛隊たちが石像のように微動だにせず警備に当たっていた。
彼らは知っている。
この後、天幕の中で行われる『儀式』が、主君たちにとって神聖不可侵なものであることを。
ゆえに、たとえ天と地がひっくり返ろうとも、朝までは誰も近づけさせない。
天幕の中。
寝台は一つしかない。
本来は総大将であるヴァレンティンのものだ。
だが今、そこには二つの影が重なり合っていた。
「……ふあぁ。お腹いっぱいになったら、眠くなっちゃった」
鎧下を脱いで、薄手の寝間着──それすらも、すぐに脱ぎ捨てられる運命にある布切れを纏ったルスラーナは、当然のように兄の寝台に潜り込んでいた。
彼女は兄の胸に顔を埋め、その体温と匂いを肺いっぱいに吸い込む。
「これこれ、くっつくな。暑苦しい」
ヴァレンティンは紙の書物を読みながら邪険にするが、その手は既に妹の寝間着の紐に掛かっていた。
慣れた手つきで、銀の髪を、そして熱を帯びた肌を愛でる。
(ああ……これよ。この温もり、この痛み、この快楽があれば、私は何だってできる)
愛撫されて、ルスラーナは蕩けるような瞳で兄を見上げる。
彼女にとって、兄と二人きりで交わるこのひと時こそが、何よりの活力源であり、生きる意味そのものだった。
母は卑しい奴隷、父帝からは疎まれる汚点。
世界中が彼女を否定しても、この兄だけは彼女の全てを──その血も、肉も、欲望も──受け入れてくれる。
これは、神にも父帝にも言えない、二人だけの禁忌。
だが、ルスラーナにとって、これこそが最大の『恩賞』なのである。
「今日はよく働いた。
……たっぷりと可愛がってやるから、覚悟しろ」
ヴァレンティンが本を置き、冷徹な指揮官の顔から、一人の雄の顔へと変わる。
「ん……お手柔らかにね、兄上……」
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