鉄騎の破城槌 死神の黒姫は戦場に紅華を咲かす

米ちゃん

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第七章 鉄の絆、錆びぬ誇り

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 此れは、アルバの野の会戦が行われるより前の話──。

​ 大陸北方の、雪深き強兵の国、グレイヴェリア帝国。

 その帝都シュタールグラードの郊外に、華やかとは程遠い、質実剛健を絵に描いたような古い屋敷がある。

​ その屋敷の主、ガルド・アイゼン千人長は、グレイヴェリア帝国の重騎兵として長年、戦場を駆け抜けてきた武人だ。

 雲をつくような大男で、顔には右目から左頬にかけて大きな剣傷、その他にも身体中には数え切れぬ古傷が刻まれている。

​ 隻眼で無骨、口下手で愛想笑い一つできないこの男は、「グレイヴェリアの鉄騎」と称される帝国重騎兵を象徴するような人物であり、部下たちからは親しみを込めて「鉄騎の親父殿」と慕われている。

 だが、女性からは「オーガみたいで怖い」「錆鉄の塊みたい」と敬遠され、齢四十を過ぎても未だ独り身であった。

​「父上、また傷を増やして……」

​ 休暇を取って久々に実家に帰ってきた養女──第三皇子ヴァレンティン皇子の幕僚を務める秀才、女騎士アリシア・アイゼンは、茶をすする父に向かって柳眉を逆立てていた。

 長身で見目麗しいが、重騎兵としても勇敢に戦う女傑。なれど、武勇より知性と実務能力を高く評価されている。

​「皇子殿下の覚えもめでたい私が、父上の老後の心配までせねばならんのですか?
 『アイゼンの鉄騎親子』などと陰口を叩かれるのは、私だけで十分です。
 亡き実父との約束だか何だか知りませんが、私を引き取ったせいで婚期を逃したなんて言われたら、私は死んでも死にきれません!」

​「……ミナの淹れてくれた茶は、美味いな」

「話を逸らさないでください!」

​「……俺は、お前が立派に育ってくれただけで十分だ。
 魔族との戦いで戦死した我が友ヴィクトルも、凍土の下で鼻高々だろうさ」

​「っ……! そういう欲のないところが、父上の欠点です!」

​ アリシアは思わず感極まり泣きそうになるのを必死に隠して怒る。

​「今度こそ良いお相手と身を固めてください!
 父上に相応しいと思う御方を、見繕ってきたのです。
 新興貴族ゼノ男爵の御息女、エレオノーラ様です」

​「剣一本で兵卒から千人長になり、爵位を得て貴族にまで成り上がった、あの男の娘か……さぞ上昇意識と気概が強いであろうな」

 ガルドは、自分と同じく隻眼ながら、不器用な──即ち要領の悪い自分より、遥かに器用な──つまりは要領の良い男について思い出す。

​「父親のゼノ男爵に似て少し気はお強いですが、父上の武名を慕ってくださっています。
 それに、持参金代わりに素晴らしい血統の若馬を連れてくるとか」

​「ほう、馬か……」

​ ガルドの隻眼が、僅かに動いた。

 彼はかつて、重種馬ながら駿足の愛馬『シュトルム』と共に戦場を駆け、多くの敵を踏み潰していた。

 だが、五年前の激戦で行方不明となり、それ以来、彼は自分の専用馬を持たず、軍からの支給馬だけで済ませていた。

​「ミナ! ミナはどこだ!」

「は、はいっ!」

​ アリシアが声を張り上げると、部屋の隅で縮こまっていた小柄な少女が、びくりと肩を震わせて現れた。

 下女のミナ。

 戦災孤児だった彼女を、ガルドが拾って育てた娘だ。

 十八になった彼女は、地味ながらも愛らしい顔立ちをしているが、自分に自信がなく、いつもおどおどしている。

 だが、ガルドを見る目だけは、いつも熱を帯びていた。

​「ミナ。父上が市場に出掛ける。仕度を!」

​          *

​「……ミナ、そんなに慌てるな。見合いは明日だろう」

「で、ですが、早く市場へ行って、新しい服を仕立ててこいと……アリシア様が……」

​ ガルドは溜息をつく。

 戦場より、娘と見合いの方がよほど疲れる。

 重い腰を上げ、ガルドはミナを連れて帝都の市場へと向かった。

 それが、運命の再会になるとも知らずに。

​ 市場の喧騒の中、ガルドの足がふと止まった。

 人だかりの向こう。

 食肉業者の男に引かれていく、一頭の老馬がいた。

​ 毛並みはボロボロで艶がなく、あばら骨が浮き出ている。

 右耳が半分欠けており、左の後ろ脚を少し引きずっている。

 誰が見ても、処分を待つだけの「廃棄物」だ。

​ だが、ガルドはその老馬の瞳を見た瞬間、雷に打たれたように動けなくなった。

 老馬もまた、濁った瞳でガルドをじっと見つめ返していた。

​(……まさか、お前……)

​「旦那様?」

​ ミナが不思議そうに声をかけるが、ガルドは聞こえていない。

 彼は無言のまま人混みを掻き分け、業者の男の前へと歩み出た。

​「おい。その馬、幾らだ」

「あぁ? こいつはもう肉にするしかねえ屑馬だ。硬くて不味いだろうが、まあ銀貨三枚ってとこか」

​ 業者の男はガルドに高値を吹っ掛ける。

​「金貨一枚出す。俺に売れ」

「はあ!?」

​ 様子を見ていた周囲がざわめく。

 みすぼらしい老馬に、金貨を出す物好きなど聞いたことがない。

​「旦那様、いけません! そんなお馬さん……いえ、その……」

​ ミナも止めようとするが、ガルドは懐から金貨を取り出し、業者の男に投げ渡した。

 そして、老馬の首筋──欠けた右耳のあたりを、ごつごつした手で優しく撫でる。

​ ブルルッ……。

​ 老馬は鼻を鳴らし、ガルドの胸に顔を擦り寄せた。

 その仕草は、長年連れ添った古女房のように自然で、そしてどこか誇らしげだった。

​「……帰るぞ。家にな」

​ ガルドは手綱を引き、老馬と共に歩き出した。

​          *

​ 屋敷に連れ帰った老馬を見て、アリシアは烈火のごとく怒った。

​「父上! 正気ですか!?
 明日はエレオノーラ様がいらっしゃるのですよ!
 あの方が連れてくる名馬を迎える厩舎に、こんな薄汚い駄馬を入れるなんて!」

​「……馬は馬だ。それに、こいつはまだ走れる」

​「足を引きずっているではありませんか!
 ああもう、頑固な父上には何を言っても無駄ですね。
 ミナ! この馬を裏の小屋に隠しておけ!
 決してエレオノーラ様の目に触れさせないようにな!」

​「は、はい……」

​ ミナは小さくなって頷き、老馬の手綱を引いて裏手へと回った。

 ガルドは何も言わず、ただその背中を見送った。

​ 翌日。

 ゼノ男爵の娘、エレオノーラ嬢が屋敷を訪れた。
 豪奢なドレスに身を包んだ彼女は、中々に美しかったが、その瞳には値踏みするような光があった。

​「お初にお目にかかりますわ、ガルド・アイゼン様。
 噂に違わぬ、歴戦の勇士たる風格……わたくし、感銘を受けましたわ」

​ 彼女が連れてきたのは、見事な白馬だった。

 毛並みは絹のように輝き、筋肉は躍動し、血統の良さが一目でわかる。

「父が金貨百枚を叩いて手に入れた名馬ですの。
 名は『ジルバー』。
 ジルバーとは、白銀を意味する古語ですの。
 ガルド様、今度の御前試合には、ぜひこのジルバーに乗って出場してくださいまし。
 そうすれば優勝は間違いありません。
 嗚呼、白く輝く毛並の名馬の晴れ姿、目に浮かびますわ!」

 エレオノーラ嬢は想像してうっとりとする。

​「……良い馬だ。だが、少し若すぎるな」

​ ガルドがジルバーの鼻面を撫でようとすると、白馬はフンッと鼻を鳴らして顔を背けた。

 気位が高く、人を、特に無骨な武人を見下している目だ。

​「あら、気難しい子ですこと。でも、そこがまた高貴でしょう?」

​ エレオノーラは扇子で口元を隠して笑う。

 ガルドは愛想笑いも浮かべず、ただ「そうだな」と短く答えた。

​ その夜。

 ガルドは一人、屋敷の裏にある粗末な小屋へ足を運んだ。

 月明かりの中、ミナが老馬の身体を丁寧にブラシで梳いているところだった。

 飼い葉桶には、ミナが自分の食事を減らして買ったであろう、上質な人参が入っている。

​「……旦那様」

​ ガルドに気づいたミナが、慌てて道を譲る。

 老馬は主人の姿を認めると、嬉しそうに低い声でいなないた。

​「ミナ、礼を言う。こいつは見違えるほど良くなった」

​「いえ、そんな……。
 この子、とってもお利口なんです。
 私がブラシをかけやすいように、自分から身体を寄せてくれて……まるで、言葉がわかっているみたいで」

​ ガルドは老馬の首を抱きしめ、その額に自分の額を合わせた。

​「ああ、わかるとも。
 こいつは、シュトルム。俺の……一番の戦友だったからな」

​「えっ……?」

​「五年前の、灰色の森での撤退戦だ。
 殿を務めた俺は、敵の矢を受けて落馬し、意識を失った。
 目覚めた時、こいつはいなかった。
 俺を逃がすために、囮になって敵中へ突っ込んだと聞いた」

​ ガルドの指が、老馬の欠けた右耳を撫でる。

​「死んだと思っていた。
 だが、生きていた。こんな姿になっても、生きて俺の元へ帰ってきたんだ」

​ シュトルム──『疾風』を意味する古語の名を持つ老馬は、肯定するようにガルドの頬を舐めた。

 ミナの瞳から、涙が溢れ出した。

​「……よかった。生きてて、よかった……っ」

​ ミナはシュトルムの首にすがりつき、泣いた。

 ガルドは不器用にミナの頭に手を置き、ポンポンと撫でた。

​          *

​ 数日後。

 帝都シュタールグラードの闘技場にて、皇帝ガイゼリックの名代であるヴァレンティン皇子主催の御前試合が開催された。

 観覧席には白皙の貴公子ヴァレンティン皇子。

 エレオノーラ嬢も、養女アリシアもいる。

 ヴァレンティン皇子傍らには、山盛りの骨付き肉を頬張りながら観戦する褐色肌の美女の姿があった。

 ヴァレンティン皇子の腹違いの妹ルスラーナ皇女だ。

 戦場では黒甲冑を着て骸骨面頬の兜を被り、身の丈を超える斧槍を片手に敵兵を蹂躙して死の恐怖を撒き散らし、「伝説の死神チョルニボフの再来」と称され、「チョルニボフの黒姫」の異名を他国にまで轟かせる姫騎士だ。
 
​「もぐもぐ、次はガルド千人長ね。
 『鉄騎の親父殿』も大変ねぇ、立派な賢女に育った娘に、あんな派手な嫁候補を押し付けられて……」

​ ルスラーナ皇女は骨付き肉を固い骨ごと噛み砕いて咀嚼しながら、眼下の闘技場を見下ろす。

 入場門が開き、ガルド・アイゼンが現れた。

 だが、観衆は一瞬の静寂の後、ざわめきに包まれた。

​ 彼が跨っていたのは、エレオノーラが用意した白馬ジルバーではなく、薄汚れた老馬だったからだ。

 鉄の馬鎧を着せられ、重そうに脚を引きずっている。

​「なっ……何ですの、あれは!?」

​ 貴賓席のエレオノーラが悲鳴を上げ、卒倒しそうになるのをアリシアが支える。

​「父上……何を考えて……」

​ 対戦相手は、若手筆頭のエリート騎士、デュランダール・ロランド五百人長。

 彼が乗るのは、足の速い黒馬だ。

​「ガルド殿! 拙者を愚弄なさるか!
 そのような駄馬で、拙者に勝てると思うてか!」

​ デュランダールが木の長槍を構え、突撃を開始する。

 速い。若さと馬の性能に任せた、鋭い刺突だ。

 対するガルドは、動かない。

 老馬もまた、棒立ちのように見える。

​「もらったぁ!」

​ デュランダールの長槍がガルドの胸板を捉えようとした、その刹那。

​ ──ヒュンッ。

​ 老馬が、最小限の動きで半歩、横へ動いた。

 たった半歩。

 だが、それは完璧な回避だった。

 デュランダールの長槍は空を切り、勢い余って体勢を崩す。

 すれ違いざま、ガルドは軽く木の長剣を振るい、デュランダールの背中を叩いた。

​ ドサッ!

​ デュランダールは無様に落馬し、勝負は決した。

​「……ほぅ」

​ 観覧席のヴァレンティンが目を細める。

​「やるじゃん! 親父殿!」

​ ルスラーナは膝を叩く。

 その後の試合も、一方的だった。

 老馬は決して走らない。

 だが、相手の馬の癖、騎手の呼吸、全てを読み切り、ガルドが手綱を引くよりも早く、最適な位置へと移動するのだ。

​ それは、数多の死線を潜り抜けた人馬にしか成し得ない、阿吽の呼吸。

 「速さ」ではなく「理」で制する、老練なる武だった。

 優勝したのは、当然ガルド・アイゼンであった。

​          *

​ 試合後、ガルドはヴァレンティン皇子の前に召し出された。

 隣ではルスラーナ皇女がニヤニヤしている。

​「見事であった、ガルド千人長。
 だが、一つ問う。何故、あの名馬『ジルバー』を使わず、その老馬を選んだ?」

​ ヴァレンティンの問いに、ガルドは老馬の首を撫でながら答えた。

​「殿下。戦場において我らが命を預けるのは、血統書でも、毛並みの良さでもありません。
 隣にいる戦友への、信頼であります」

​ ガルドは、慈しむような目で老馬を見る。

​「こいつは『シュトルム』。かつて私と共に戦場を駆けた、私の半身です。
 老いて足は遅くなり、耳も欠けましたが……その魂は、いささかも錆びついてはおりません。
 私が背中を預けられるのは、こいつだけです」

​ 会場が静まり返る。

 ヴァレンティンは満足げに頷き、立ち上がって拍手を送った。

​「天晴れだ。それこそが、グレイヴェリアの騎士の神髄である。
 ガルド・アイゼン、その老馬と共に、これからも皇帝陛下のために励め!」

​「ははっ!」

​ 万雷の拍手の中、ガルドはシュトルムと共に退場した。

​ 屋敷に戻ると、エレオノーラが待っていた。

 彼女は真っ赤な顔で、白馬の手綱を握りしめている。

​「ガルド様! わたくしに恥をかかせましたわね!
 あのような薄汚い馬を選ぶなど、わたくしへの侮辱ですわ!
 婚約の話は無かったことにさせていただきます!」

​ 彼女はそう叫ぶと、逃げるように屋敷を去っていった。

 アリシアは溜息をつき、やれやれと肩を竦める。

​「……まあ、父上らしいと言えば父上らしいですが。
 あーあ、せっかくの玉の輿が」

​「すまんな、アリシア」

​「いえ。……あの老馬の動きを見て、少し見直しましたから、今回は許してあげます」

​ アリシアは苦笑し、少しだけ父を誇らしげに見ると、自室へと戻っていった。

 残されたのは、ガルドとミナ。

 そしてシュトルムだ。

​「……行っちまったな、若くて美人の嫁さん」

​ ガルドが呟くと、ミナがおずおずと近づいてくる。

​「旦那様……後悔、されてませんか?」

「後悔? 何のだ」

「だ、だって、あんな綺麗な方と、立派なお馬さんで……私なんかと、この子じゃ……」

​ ミナが俯くと、シュトルムが慰めるように彼女の肩に顔を擦り付けた。

 ガルドは、不器用に笑った。

 鉄仮面のような無骨極まりない男が、初めて見せた柔らかな笑みだった。

​「俺には、こいつと……俺の帰りを待っていてくれる、お前の淹れた茶があれば十分だ」

​「えっ……?」

​ ミナが顔を上げると、ガルドは視線を逸らし、「少し耳が寒いな」と、赤くなった耳を隠すように毛皮の帽子を被る。

​「ミナ。シュトルムの世話、これからも頼めるか。
 ……こいつと、俺の、ずっと側で」

​ その言葉の意味を理解した瞬間、ミナの顔が熟したリンゴのように赤くなる。

 そして、瞳いっぱいに涙を溜めて、満面の笑みを咲かせた。

​「──はいっ! 喜んで!」

​ 夕陽が差し込む厩舎の前。

 歴戦の騎士と、心優しき少女、そして一頭の老馬。

 その影は長く伸び、寄り添い合って一つになっていた。

​ グレイヴェリアの鉄騎。

 その強さは、冷たい鉄の装甲の下にある、決して錆びることのない熱い魂にあるのかもしれない。
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