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第九章 灰色の森と亜人の宴
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グレイヴェリア帝国の東方に広がる、広大な原生林『灰色の森』。
一年中立ち込める濃霧と、灰緑色の樹皮を持つ巨木群に覆われたこの森は、大陸でも最大規模の亜人種族の生息地だ。
種族や部族単位で分かれ、時には共闘、時には相争いつつも、国家の支配に抗い、独自の価値観と文化を守り通してきた。
飽くなき貪欲さで「食料」を求めて戦線を拡大するグレイヴェリア帝国は、版図という胃袋に『灰色の森』を収めようとした。
これに対して『灰色の森』の亜人種族たちは団結して抵抗。
グレイヴェリア帝国の誇る重騎兵は、森という天然の要害に阻まれて突進力と破壊力を発揮できず、かつ、亜人種族たちの持ち前の能力と地形を活かした巧みな戦術に、帝国軍兵たちは翻弄されていた。
グレイヴェリア帝国は『灰色の森』の亜人種族たちを『魔族』と称して『人類種族の敵』と一方的に位置づけ、討伐という干渉を続けていた。
*
グレイヴェリア帝国側の、森の縁に築かれた前哨基地『枯れ木砦』。
その名の通り、枯れ木のような灰褐色の丸太を組んで造られたこの砦は、湿気対策として防腐用の樹脂が幾重にも塗り込められている。
だが、長年の風雨と『灰色の森』特有の濃霧に晒され続けた防壁は、黒く変色し、所々に不気味な色の苔がへばりついていた。
強度は保たれているものの、触れればじっとりと濡れそぼり、足元は常にぬかるんでいる。
その防壁の上で、グレイヴェリア帝国東部方面軍の千人長ミハイルは、まとわりつく霧を払うように手を振った。
「……クソッ。相変わらず忌々しい霧だぜ。敵が鼻先に来るまで気づけやしねぇ」
ミハイルは三十代半ばの叩き上げだ。
その顔には、右目を縦に走る深い傷跡があり、今は眼帯で覆われている。
「武力至上主義・鉄の国」を標榜するグレイヴェリアにおいて隻眼は名誉ある勲章、『死神から命を奪い返した証』とされる。
彼がただの左遷された無能ではなく、修羅場を潜り抜けてきた古強者であることは、その傷が雄弁に物語っていた。
「おい、火を絶やすなよ。湿気で弓の弦が伸びちまう。
ただでさえ古いんだ。
中央や西方と違って、俺たちの東方には碌な装備が回されないからな」
錆の浮いた胴鎧を布で拭いながら、部下の兵士たちに愚痴をこぼす。
「千人長お。薪も湿気てて、煙ばっかり出ますよぉ」
部下の兵士が情けない声を上げる。
彼らの顔には、覇気など微塵もない。あるのは慢性的な疲労と、見えない敵への恐怖だけだ。
かつて一千名いたミハイル隊も、今や度重なる戦闘と逃亡で、四百名を切っていた。
「ったく、やってられねぇな。
聞いたか? 南のエルバニアへの遠征軍は大勝利して凱旋パレードだったらしいぞ」
焚き火を囲む兵士の一人が、羨ましげに呟く。
「いいよなぁ、エルバニアはここよりは温かいし。
それに相手は殆ど人間だろ?
正々堂々と正面からぶつかってくれる『礼儀正しい』連中だからな。
それに比べてこっちの敵ときたら……」
兵士は森の奥、灰色の闇を忌々しげに睨む。
「姿は見せねぇ、罠は仕掛ける、
おまけにわけのわからん魔法を飛ばしてくる。
なぁ千人長、なんで俺たちの軍には魔法使いがいねぇんですか?
火球の一つも飛ばしてくれりゃあ、このジメジメした森も焼き払えるでしょうに」
兵士の素朴な疑問に、ミハイルは鼻を鳴らして答えた。
「あン? お前、ここをどこだと思ってる?
ここは帝国のゴミ捨て場だぞ。
貴重な魔法使い様なんざ、皇帝陛下が握る『中央軍』か、最大の激戦区である『西方軍』が独占してらぁ。
こんな吹き溜まりに回す余裕なんざねぇよ」
「えぇ……でも、エルバニアには魔法使いが沢山いるって聞きましたけど。
それじゃ、南征軍はどうやって勝ったんですか?」
「チョルニボフの黒姫だよ」
別の兵士が口を挟む。
「ルスラーナ皇女が、自慢の斧槍でエルバニア兵の首を狩りまくったから、恐れ慄いて逃げ出したらしい」
「ハッ! 笑わせるな!」
ミハイルが吐き捨てる様に言う。
「オーガの血を引いてるから鬼強いって噂だけど、所詮は噂だ。
西方のリュード軍相手に暴れてたらしいが、誇張され過ぎてるだろう。
そりゃ皇女様が甲冑着て前線に立てば、それだけで兵の士気は爆上がりさ。
実際は護衛の騎士が戦ってたんだろうさ。
『死神の黒姫』なんて、上の連中が流した宣伝だよ。
それに──」
ミハイルはニヤリと笑い、兵士たちは千人長の次の言葉を期待して待つ。
「エルバニアの魔法使い様たちは『温室育ち』なんだとよ。
北は寒くて指がかじかんで印が結べない、だの、乾燥しててお肌とマナに悪い、だの抜かして、出陣拒否したらしいぜ」
「マジっすか! 根性なしだなぁ!」
兵士たちがドッと笑う。
他国の軟弱さを笑うことで、自分たちの惨めさを紛らわせようとしているのだ。
「全くだ。おかげで南征軍は、魔法の脅威に晒されずに済んで勝ったんだ──だがな」
ミハイルは笑いを収め、隻眼を細めて表情を引き締める。
霧の向こうからの殺気を察知したのだ。
「こっちの『住人』たちは、寒さなんぞ屁とも思わねぇぞ。
──総員、構えッ!!」
ミハイルの怒号が響いた瞬間。
ヒュンッ!
風を切る音と共に、笑っていた兵士の喉に、深緑色の矢羽が生えた。
「敵襲ゥゥッ! 方角は──わからん、森全体だッ!」
ミハイルの叫びに呼応するかのように、霧の中から、次々と矢が飛来した。
通常の矢ではなく、魔法の矢だ。
空中で軌道を変え、木の幹を迂回して帝国兵の死角に突き刺さるのだ。
「見えない! どこだ、どこから撃ってきてる!?」
「うわぁぁぁ! 盾が、盾が貫通されたぁ!」
物理的な盾や鎧など、魔力の矢弾の前には紙同然だった。
「くそっ、今までこんな激しい攻撃はなかったぞ!
奴等、いよいよ本腰で攻めてきやがったか?」
ミハイルは舌打ちし、防壁の階段を駆け降りて砦の広場へと向かう。
だが、そこへ更なる絶望が襲いかかった。
防壁を軽々と飛び越え、巨大な影が砦内に降り立ったのだ。
身長二メートルを超える、全身毛むくじゃらの巨躯。狼の頭部を持つ亜人種族ウェアウルフだ。
「グルゥゥァァッ!!」
狼人は咆哮と共に、手近な兵士に襲いかかり、剛腕を振るう。
グシャッ、という生々しい音と共に、鎧ごと兵士の胸がひしゃげ、吹き飛んだ。
「ひぃッ……!」
「ば、化け物……!」
恐慌に陥る兵士たちを次々と餌食にし、血肉を撒き散らしながら、狼人は階段を降りてきたミハイルへと狙いを定めた。
「チッ、こっちに来やがったか……!」
ミハイルは剣を構えるが、狼人の速度は桁違いだ。
瞬きする間に懐へ潜り込まれ、死を運ぶ鋭利な爪がミハイルの首へと迫る──。
並の兵士なら首を飛ばされる絶望的な一撃。
──だが、横合いから現れた巨漢の盾戦士ベオウルフィンが、その巨躯を割り込ませて真正面から受け止めた。
「させんぞッ! オラァッ!」
ガガガガッ!
激しい衝撃音が響く。
ベオウルフィンは傷だらけの大盾をどっしりと構えて、地面を削って後退する。
狼人はもろともに弾き飛ばそうと突進するが、ベオウルフィンの鉄壁は崩れない。
「ベオ、どけッ!」
その隙に、横合いから女戦士ブリューネが飛び出した。
彼女が振るうのは、通常の剣ではなく、無骨で巨大な戦斧だ。
「らあぁぁっ!」
剛速の一撃が狼人の腕を捉えた。
「グゥッ!? なんだ、この武器は……!?」
狼人が驚愕する。
狼人の毛皮は鋼の硬度を誇るにもかかわらず、深々と肉を切り裂かれたのだ。
「へへっ、さっすがはヒティームに魔改造してもらった斧だぜ!」
ブリューネがニヤリと笑う。
その後方、砦の壁際で、巨大な槌を担いだ小柄な少女が「へっくしょん!」とくしゃみをした。
ピンク色の髪をツインテールにし、腕に刺青を入れた鍛冶師ヒュティームだ。
「あーあ、ブリューネの姉御、また刃こぼれさせて……。
修理代、高いっスよ~。銀貨一枚と蒸留酒一本っス!」
彼女こそが、ミハイル隊の古びた装備を維持し、なけなしの鉄屑を強力な武具へと叩き直している天才鍛冶師であった。
「また来るぞ、魔法だ!」
ミハイルが叫ぶ。
霧の向こう──樹上や木陰から、エルフ種族の弓戦士たちが、弓につがえた魔法の矢を放ち、そして魔弾が枯れ木砦に雨のように降り注ぐ。
だが──
「──アクア・ヴェール!」
青白い光と共に、砦の上空に水の幕が展開された。
魔法の矢は水膜に触れると、ジュッという音と共に霧散する。
「ふぅ……。この森は霧が多いから、私の『水迅剣』が使いやすくて助かるわ」
息を切らして、淡く水色に光る湾刀を下ろしたのは、ハーフエルフの女魔法剣士、ヴェルダンディーナだ。
水魔法と剣術を組み合わせた我流剣法『水迅剣』の技の一つ『アクア・ヴェール』で、魔弾を防いだのだ。
「助かったぞ、ディーナ!」
「どうも……でも、ジリ貧よ……このままじゃ、いずれ魔力切れで押し切られるわ」
「くっ……!」
ヴェルダンディーナの焦燥に、ミハイルは歯噛みする。
ベオウルフィン、ブリューネ、ヒティーム、そしてヴェルダンディーナ。
『ミハイル四天王』と呼ばれる彼ら四人がどれほど奮闘しても、個の力で支えるには、限界が近づいていた。
「引き上げるぞ──!」
砦の外、霧の向こうから、凛とした女の声が響き渡る。
狼人は目を眇めて舌打ちすると、跳躍して防壁を飛び越えた。
枯れ木砦に、静寂が訪れる。
「どういう事だ?」
ミハイルは訝しんでベルダンディーナを見る。
「わからない……でも、一息つけるのは確かね」
ベルダンディーナは緩やかに波打つ青緑色の髪を掻き上げて息をつく。
枯れ木砦の外──。
「おい、どういう事だ?
このまま攻め続けて、砦を陥落させるんじゃないのか?」
狼人は、白髪赤眼灰色肌をしたエルフの女戦士に詰め寄る。
「グレイヴェリアの冒険者組合からの情報だ。
シュタールグラードから『死神』が来るらしい。
それに備える為に、一旦退くのだ」
「グレイヴェリアの冒険者組合だと?
奴等は戦争に加担しないのではなかったのか?」
「表向きはな。実際は、グレイヴェリアの内情をエルバニアなどに売り渡して資金を得ている」
「ほう……それで、死神とは何者だ?」
「ルスラーナ・オブ・グレイヴェリア。
グレイヴェリア帝国第三皇女だ」
「そやつが、何故死神なのだ?」
「グレイヴェリアの西部戦線で、たった一人でリュードのオーガ兵を千人斬りしたとか、ドラゴンを殺して血肉を食らったとか、まことしやかな噂があるが、要するに戦闘力の高い皇女だ。
エルバニアとの戦いでも、たった一人でエルバニア軍を壊滅させたらしい」
「そんな眉唾な話を信じるのか?」
「真偽は、接敵しなければ分からん。
とにかく、退くぞ。森の深淵に誘い込み、確実に仕留める」
エルフの女戦士は、冷酷な瞳で霧の向こうを睨みつけた後、音もなく姿を消した。
狼人も鼻を鳴らし、獣の跳躍で森の闇へと溶けていく。
灰色の森は再び、不気味な沈黙に包まれた。
枯れ木砦の広場には、呻き声と血の匂いが充満していた。
「……被害状況は?」
ミハイルが沈痛な面持ちで問う。
「はっ。死者一八名、重傷三二名。
軽傷者は含んでおりません。
重傷者の多くは、魔法の矢で内臓をやられているか、狼人に手足を……恐らく、もう助かりません」
「……そうか。
たった数分の襲撃で、五十人が消えたか」
ミハイルは拳を握りしめる。
四百人を切っていた部隊は、これで実動三百五十人ほどになった。
補充はない。治療薬もない。
このままでは、遠からず部隊は消滅する。
「……千人長。報告よ」
ヴェルダンディーナが駆け寄ってきた。
「帝都からの遠征軍が、もうすぐ到着するそうよ。
南のエルバニアを制した、ヴァレンティン皇子と、ルスラーナ皇女の軍勢だそうよ」
その報告を聞いても、ミハイルの心は晴れなかった。
「……ふん。親の七光りでふんぞり返った皇族の坊っちゃん嬢ちゃんか。
南の平原で勝ったからって、この森で通用するもんか。
どうせすぐに泣きを見て、俺たちを盾にして逃げ帰るに決まってる……」
ミハイルが吐き捨てると、傍らにいたヒュティームがハンマーで地面を叩きながら鼻を鳴らした。
「全っスよ! どうせ温室育ちの皇女様なんて、泥がついただけで『汚らわしい!』とか言ってヒス起こすに決まってるっス!」
「まったくだ。
俺の盾になる前に逃げ出すのがオチだろうな」
大盾のへこみを撫でながら、ベオウルフィンも嘆息する。
血を拭っていたブリューネも、うんうんと頷いた。
「どうせ、ピカピカの鎧を着たお飾りなんでしょ?
私の斧みたいに、一回振ったら刃こぼれして泣き出すんじゃない?」
「……まあ、期待するだけ無駄ね」
ヴェルダンディーナは冷めた瞳で、遠く帝都の方角を見た。
彼女もまた、ハーフエルフとして差別されてきた経験から、中央の貴族には良い印象を持っていない。
「はぁ……憂鬱だ。
また俺たちを盾にする無能が増えるだけか……」
ミハイルは天を仰ぐ。
彼はまだ知らない。
やってくるのが、皇族の坊っちゃん嬢ちゃんどころか、帝都の物資を食い荒らし、亜人以上に凶暴な「飢えた死神」であることを。
そして、その死神の背後には、ヒティームが作った魔法剣を持つ「本物の工兵」が控えていることを。
灰色の森は静かに沈黙し、新たな生贄の到着を待ち構えていた。
一年中立ち込める濃霧と、灰緑色の樹皮を持つ巨木群に覆われたこの森は、大陸でも最大規模の亜人種族の生息地だ。
種族や部族単位で分かれ、時には共闘、時には相争いつつも、国家の支配に抗い、独自の価値観と文化を守り通してきた。
飽くなき貪欲さで「食料」を求めて戦線を拡大するグレイヴェリア帝国は、版図という胃袋に『灰色の森』を収めようとした。
これに対して『灰色の森』の亜人種族たちは団結して抵抗。
グレイヴェリア帝国の誇る重騎兵は、森という天然の要害に阻まれて突進力と破壊力を発揮できず、かつ、亜人種族たちの持ち前の能力と地形を活かした巧みな戦術に、帝国軍兵たちは翻弄されていた。
グレイヴェリア帝国は『灰色の森』の亜人種族たちを『魔族』と称して『人類種族の敵』と一方的に位置づけ、討伐という干渉を続けていた。
*
グレイヴェリア帝国側の、森の縁に築かれた前哨基地『枯れ木砦』。
その名の通り、枯れ木のような灰褐色の丸太を組んで造られたこの砦は、湿気対策として防腐用の樹脂が幾重にも塗り込められている。
だが、長年の風雨と『灰色の森』特有の濃霧に晒され続けた防壁は、黒く変色し、所々に不気味な色の苔がへばりついていた。
強度は保たれているものの、触れればじっとりと濡れそぼり、足元は常にぬかるんでいる。
その防壁の上で、グレイヴェリア帝国東部方面軍の千人長ミハイルは、まとわりつく霧を払うように手を振った。
「……クソッ。相変わらず忌々しい霧だぜ。敵が鼻先に来るまで気づけやしねぇ」
ミハイルは三十代半ばの叩き上げだ。
その顔には、右目を縦に走る深い傷跡があり、今は眼帯で覆われている。
「武力至上主義・鉄の国」を標榜するグレイヴェリアにおいて隻眼は名誉ある勲章、『死神から命を奪い返した証』とされる。
彼がただの左遷された無能ではなく、修羅場を潜り抜けてきた古強者であることは、その傷が雄弁に物語っていた。
「おい、火を絶やすなよ。湿気で弓の弦が伸びちまう。
ただでさえ古いんだ。
中央や西方と違って、俺たちの東方には碌な装備が回されないからな」
錆の浮いた胴鎧を布で拭いながら、部下の兵士たちに愚痴をこぼす。
「千人長お。薪も湿気てて、煙ばっかり出ますよぉ」
部下の兵士が情けない声を上げる。
彼らの顔には、覇気など微塵もない。あるのは慢性的な疲労と、見えない敵への恐怖だけだ。
かつて一千名いたミハイル隊も、今や度重なる戦闘と逃亡で、四百名を切っていた。
「ったく、やってられねぇな。
聞いたか? 南のエルバニアへの遠征軍は大勝利して凱旋パレードだったらしいぞ」
焚き火を囲む兵士の一人が、羨ましげに呟く。
「いいよなぁ、エルバニアはここよりは温かいし。
それに相手は殆ど人間だろ?
正々堂々と正面からぶつかってくれる『礼儀正しい』連中だからな。
それに比べてこっちの敵ときたら……」
兵士は森の奥、灰色の闇を忌々しげに睨む。
「姿は見せねぇ、罠は仕掛ける、
おまけにわけのわからん魔法を飛ばしてくる。
なぁ千人長、なんで俺たちの軍には魔法使いがいねぇんですか?
火球の一つも飛ばしてくれりゃあ、このジメジメした森も焼き払えるでしょうに」
兵士の素朴な疑問に、ミハイルは鼻を鳴らして答えた。
「あン? お前、ここをどこだと思ってる?
ここは帝国のゴミ捨て場だぞ。
貴重な魔法使い様なんざ、皇帝陛下が握る『中央軍』か、最大の激戦区である『西方軍』が独占してらぁ。
こんな吹き溜まりに回す余裕なんざねぇよ」
「えぇ……でも、エルバニアには魔法使いが沢山いるって聞きましたけど。
それじゃ、南征軍はどうやって勝ったんですか?」
「チョルニボフの黒姫だよ」
別の兵士が口を挟む。
「ルスラーナ皇女が、自慢の斧槍でエルバニア兵の首を狩りまくったから、恐れ慄いて逃げ出したらしい」
「ハッ! 笑わせるな!」
ミハイルが吐き捨てる様に言う。
「オーガの血を引いてるから鬼強いって噂だけど、所詮は噂だ。
西方のリュード軍相手に暴れてたらしいが、誇張され過ぎてるだろう。
そりゃ皇女様が甲冑着て前線に立てば、それだけで兵の士気は爆上がりさ。
実際は護衛の騎士が戦ってたんだろうさ。
『死神の黒姫』なんて、上の連中が流した宣伝だよ。
それに──」
ミハイルはニヤリと笑い、兵士たちは千人長の次の言葉を期待して待つ。
「エルバニアの魔法使い様たちは『温室育ち』なんだとよ。
北は寒くて指がかじかんで印が結べない、だの、乾燥しててお肌とマナに悪い、だの抜かして、出陣拒否したらしいぜ」
「マジっすか! 根性なしだなぁ!」
兵士たちがドッと笑う。
他国の軟弱さを笑うことで、自分たちの惨めさを紛らわせようとしているのだ。
「全くだ。おかげで南征軍は、魔法の脅威に晒されずに済んで勝ったんだ──だがな」
ミハイルは笑いを収め、隻眼を細めて表情を引き締める。
霧の向こうからの殺気を察知したのだ。
「こっちの『住人』たちは、寒さなんぞ屁とも思わねぇぞ。
──総員、構えッ!!」
ミハイルの怒号が響いた瞬間。
ヒュンッ!
風を切る音と共に、笑っていた兵士の喉に、深緑色の矢羽が生えた。
「敵襲ゥゥッ! 方角は──わからん、森全体だッ!」
ミハイルの叫びに呼応するかのように、霧の中から、次々と矢が飛来した。
通常の矢ではなく、魔法の矢だ。
空中で軌道を変え、木の幹を迂回して帝国兵の死角に突き刺さるのだ。
「見えない! どこだ、どこから撃ってきてる!?」
「うわぁぁぁ! 盾が、盾が貫通されたぁ!」
物理的な盾や鎧など、魔力の矢弾の前には紙同然だった。
「くそっ、今までこんな激しい攻撃はなかったぞ!
奴等、いよいよ本腰で攻めてきやがったか?」
ミハイルは舌打ちし、防壁の階段を駆け降りて砦の広場へと向かう。
だが、そこへ更なる絶望が襲いかかった。
防壁を軽々と飛び越え、巨大な影が砦内に降り立ったのだ。
身長二メートルを超える、全身毛むくじゃらの巨躯。狼の頭部を持つ亜人種族ウェアウルフだ。
「グルゥゥァァッ!!」
狼人は咆哮と共に、手近な兵士に襲いかかり、剛腕を振るう。
グシャッ、という生々しい音と共に、鎧ごと兵士の胸がひしゃげ、吹き飛んだ。
「ひぃッ……!」
「ば、化け物……!」
恐慌に陥る兵士たちを次々と餌食にし、血肉を撒き散らしながら、狼人は階段を降りてきたミハイルへと狙いを定めた。
「チッ、こっちに来やがったか……!」
ミハイルは剣を構えるが、狼人の速度は桁違いだ。
瞬きする間に懐へ潜り込まれ、死を運ぶ鋭利な爪がミハイルの首へと迫る──。
並の兵士なら首を飛ばされる絶望的な一撃。
──だが、横合いから現れた巨漢の盾戦士ベオウルフィンが、その巨躯を割り込ませて真正面から受け止めた。
「させんぞッ! オラァッ!」
ガガガガッ!
激しい衝撃音が響く。
ベオウルフィンは傷だらけの大盾をどっしりと構えて、地面を削って後退する。
狼人はもろともに弾き飛ばそうと突進するが、ベオウルフィンの鉄壁は崩れない。
「ベオ、どけッ!」
その隙に、横合いから女戦士ブリューネが飛び出した。
彼女が振るうのは、通常の剣ではなく、無骨で巨大な戦斧だ。
「らあぁぁっ!」
剛速の一撃が狼人の腕を捉えた。
「グゥッ!? なんだ、この武器は……!?」
狼人が驚愕する。
狼人の毛皮は鋼の硬度を誇るにもかかわらず、深々と肉を切り裂かれたのだ。
「へへっ、さっすがはヒティームに魔改造してもらった斧だぜ!」
ブリューネがニヤリと笑う。
その後方、砦の壁際で、巨大な槌を担いだ小柄な少女が「へっくしょん!」とくしゃみをした。
ピンク色の髪をツインテールにし、腕に刺青を入れた鍛冶師ヒュティームだ。
「あーあ、ブリューネの姉御、また刃こぼれさせて……。
修理代、高いっスよ~。銀貨一枚と蒸留酒一本っス!」
彼女こそが、ミハイル隊の古びた装備を維持し、なけなしの鉄屑を強力な武具へと叩き直している天才鍛冶師であった。
「また来るぞ、魔法だ!」
ミハイルが叫ぶ。
霧の向こう──樹上や木陰から、エルフ種族の弓戦士たちが、弓につがえた魔法の矢を放ち、そして魔弾が枯れ木砦に雨のように降り注ぐ。
だが──
「──アクア・ヴェール!」
青白い光と共に、砦の上空に水の幕が展開された。
魔法の矢は水膜に触れると、ジュッという音と共に霧散する。
「ふぅ……。この森は霧が多いから、私の『水迅剣』が使いやすくて助かるわ」
息を切らして、淡く水色に光る湾刀を下ろしたのは、ハーフエルフの女魔法剣士、ヴェルダンディーナだ。
水魔法と剣術を組み合わせた我流剣法『水迅剣』の技の一つ『アクア・ヴェール』で、魔弾を防いだのだ。
「助かったぞ、ディーナ!」
「どうも……でも、ジリ貧よ……このままじゃ、いずれ魔力切れで押し切られるわ」
「くっ……!」
ヴェルダンディーナの焦燥に、ミハイルは歯噛みする。
ベオウルフィン、ブリューネ、ヒティーム、そしてヴェルダンディーナ。
『ミハイル四天王』と呼ばれる彼ら四人がどれほど奮闘しても、個の力で支えるには、限界が近づいていた。
「引き上げるぞ──!」
砦の外、霧の向こうから、凛とした女の声が響き渡る。
狼人は目を眇めて舌打ちすると、跳躍して防壁を飛び越えた。
枯れ木砦に、静寂が訪れる。
「どういう事だ?」
ミハイルは訝しんでベルダンディーナを見る。
「わからない……でも、一息つけるのは確かね」
ベルダンディーナは緩やかに波打つ青緑色の髪を掻き上げて息をつく。
枯れ木砦の外──。
「おい、どういう事だ?
このまま攻め続けて、砦を陥落させるんじゃないのか?」
狼人は、白髪赤眼灰色肌をしたエルフの女戦士に詰め寄る。
「グレイヴェリアの冒険者組合からの情報だ。
シュタールグラードから『死神』が来るらしい。
それに備える為に、一旦退くのだ」
「グレイヴェリアの冒険者組合だと?
奴等は戦争に加担しないのではなかったのか?」
「表向きはな。実際は、グレイヴェリアの内情をエルバニアなどに売り渡して資金を得ている」
「ほう……それで、死神とは何者だ?」
「ルスラーナ・オブ・グレイヴェリア。
グレイヴェリア帝国第三皇女だ」
「そやつが、何故死神なのだ?」
「グレイヴェリアの西部戦線で、たった一人でリュードのオーガ兵を千人斬りしたとか、ドラゴンを殺して血肉を食らったとか、まことしやかな噂があるが、要するに戦闘力の高い皇女だ。
エルバニアとの戦いでも、たった一人でエルバニア軍を壊滅させたらしい」
「そんな眉唾な話を信じるのか?」
「真偽は、接敵しなければ分からん。
とにかく、退くぞ。森の深淵に誘い込み、確実に仕留める」
エルフの女戦士は、冷酷な瞳で霧の向こうを睨みつけた後、音もなく姿を消した。
狼人も鼻を鳴らし、獣の跳躍で森の闇へと溶けていく。
灰色の森は再び、不気味な沈黙に包まれた。
枯れ木砦の広場には、呻き声と血の匂いが充満していた。
「……被害状況は?」
ミハイルが沈痛な面持ちで問う。
「はっ。死者一八名、重傷三二名。
軽傷者は含んでおりません。
重傷者の多くは、魔法の矢で内臓をやられているか、狼人に手足を……恐らく、もう助かりません」
「……そうか。
たった数分の襲撃で、五十人が消えたか」
ミハイルは拳を握りしめる。
四百人を切っていた部隊は、これで実動三百五十人ほどになった。
補充はない。治療薬もない。
このままでは、遠からず部隊は消滅する。
「……千人長。報告よ」
ヴェルダンディーナが駆け寄ってきた。
「帝都からの遠征軍が、もうすぐ到着するそうよ。
南のエルバニアを制した、ヴァレンティン皇子と、ルスラーナ皇女の軍勢だそうよ」
その報告を聞いても、ミハイルの心は晴れなかった。
「……ふん。親の七光りでふんぞり返った皇族の坊っちゃん嬢ちゃんか。
南の平原で勝ったからって、この森で通用するもんか。
どうせすぐに泣きを見て、俺たちを盾にして逃げ帰るに決まってる……」
ミハイルが吐き捨てると、傍らにいたヒュティームがハンマーで地面を叩きながら鼻を鳴らした。
「全っスよ! どうせ温室育ちの皇女様なんて、泥がついただけで『汚らわしい!』とか言ってヒス起こすに決まってるっス!」
「まったくだ。
俺の盾になる前に逃げ出すのがオチだろうな」
大盾のへこみを撫でながら、ベオウルフィンも嘆息する。
血を拭っていたブリューネも、うんうんと頷いた。
「どうせ、ピカピカの鎧を着たお飾りなんでしょ?
私の斧みたいに、一回振ったら刃こぼれして泣き出すんじゃない?」
「……まあ、期待するだけ無駄ね」
ヴェルダンディーナは冷めた瞳で、遠く帝都の方角を見た。
彼女もまた、ハーフエルフとして差別されてきた経験から、中央の貴族には良い印象を持っていない。
「はぁ……憂鬱だ。
また俺たちを盾にする無能が増えるだけか……」
ミハイルは天を仰ぐ。
彼はまだ知らない。
やってくるのが、皇族の坊っちゃん嬢ちゃんどころか、帝都の物資を食い荒らし、亜人以上に凶暴な「飢えた死神」であることを。
そして、その死神の背後には、ヒティームが作った魔法剣を持つ「本物の工兵」が控えていることを。
灰色の森は静かに沈黙し、新たな生贄の到着を待ち構えていた。
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