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第十二章 崩れる南の壁、嗤う北の狼
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制圧された亜人の要塞集落。
広場には、武装解除された数百名の亜人捕虜たちが、縄で縛られて座り込んでいた。
オーク、ゴブリン、コボルト、そして指揮官クラスのサイクロプスやダークエルフたち。
彼らを取り囲むのは、弓と槍を向けるグレイヴェリア兵たちだ。
広場の中央には、即席の玉座──鹵獲した物資箱を積み上げたもの──が設けられ、ヴァレンティンが脚を組んで座っていた。
その傍らには、返り血を拭おうともせず、奪ったばかりの干し肉を齧るルスラーナが、処刑人のように斧槍を立てて立っている。
「さて、森の住人諸君」
ヴァレンティンは、怯える捕虜たちを見回し、穏やかな口調で切り出した。
「単刀直入に言おう。
貴様らの命は、今この瞬間、私の掌の上にある。
通常の手順であれば、見せしめに全員処刑し、その首を街道に並べるところだが……私は慈悲深いのでな。選択肢を与えよう」
彼は指を一本立てる。
「一。このまま『帝国の敵』として、ここで土に還るか」
そして、二本目の指を立てる。
「二。私の『剣』となり、共に戦うかだ」
その提案に、広場がざわめいた。
捕虜の中にいた、先ほどランスローネを罵った者──その灰色の肌と赤い瞳を怒りに燃やすダークエルフの族長が、血を吐くように叫んだ
「ふざけるなッ!
誰が貴様ら人間如きの手先になどなるか!
我らは誇り高き森の民! 鉄の蝗の奴隷になるくらいなら、死を選ぶ!」
「……だ、そうだぞ。ランスローネ」
ヴァレンティンは視線を横に流す。
そこには、工兵隊長のランスローネが、複雑な表情で立っていた。
「お前の同胞は、随分と頑固らしい。説得は無理か?」
「……やってみますわ」
ランスローネは歩み出ると、族長の前に立った。
かつて自分を「穢れた血」と罵った相手を見下ろす。
「久しぶりやな、族長はん。
あんたがうちらを『穢れた血』と呼んで村から追い出した時の顔、今でもよう覚えとるで」
「ふん! 薄汚いハーフエルフが!
人間の威を借る狐め! 貴様の顔など見たくもない、殺せ!」
族長は唾を吐きかける。
ランスローネはそれを頬で受け止めると、静かに拭い、悲しげに微笑んだ。
「……せやな。あんたはそういう人や。
純血こそ正義。混血は悪。
その古臭い誇りのせいで、今、あんたの仲間たちが死にかけてるんやで?」
「誇りを捨てて生き延びるくらいなら、死んだほうがマシだ!」
「そうか……残念やわ」
ランスローネが下がろうとした、その時だった。
「──申し上げますッ!!」
森の静寂を切り裂くように、一人の伝令兵が広場へと駆け込んできた。
泥だらけの軍服。憔悴しきった表情。
その背中には、皇帝直属の伝令であることを示す旗指物が刺さっている。
「て、帝都より急報! ヴァレンティン殿下!
一大事でございます!」
伝令兵は馬から転がり落ちるように下りると、ヴァレンティンの前で跪いた。
「報告せよ」
「は、はいッ!
南の戦線、崩壊いたしました!
エルバニア軍総大将グラハム・レノックス率いる二十万の大軍が、怒濤の如く逆侵攻を開始!
砦を守っていたゴーマン公爵軍は……ぜ、全滅ですッ!」
その報告に、ミハイルたち帝国兵のみならず、捕虜の亜人たちまでもが息を呑んだ。
二十万。
それは、この小競り合いのような森の戦いとは次元の違う、国家存亡の危機を意味する数字だ。
「ゴーマン公爵は、乱戦の中で討ち死に!
敵軍は勢いに乗り、既に国境を越え、帝都へ向けて進軍中とのこと!
皇帝陛下よりの勅命です!
ヴァレンティン殿下は直ちに軍を返し、迎撃に向かわれたし!
帝国の危機です、至急救援をッ!」
伝令兵は悲痛な叫びを上げ、額を地面に擦り付ける。
誰もが、ヴァレンティンが顔色を変え、「全軍撤退、帝都へ戻るぞ!」と号令すると思った。
だが──。
「……ふむ。それで?」
ヴァレンティンから返ってきたのは、あまりにも素っ気ない、欠伸交じりの一言だった。
「は……? で、殿下?」
「ゴーマン公爵が死んだ? それは残念だ。
だが、それがどうしたと言うのだ?」
「ど、どうしたとは……!
帝都が! 皇帝陛下が危ないのですぞ!
直ちにお戻りください!」
「断る」
ヴァレンティンは冷たく言い放った。
「私は陛下より『灰色の森の魔族を殲滅せよ』という厳命を受けている。
その勅命を果たさずして、おめおめと帰れるわけがなかろう?
軍規に厳しい陛下のことだ。任務を放棄して戻れば、それこそ処刑されかねん」
「そ、そんな馬鹿な!
今は非常事態です! 陛下も許可なさいます!」
「知らんよ。私は私の任務を遂行する。
二十万の敵? 帝都にはマクシミリアン兄上の六万や、中央軍がいるだろう。
彼らに任せておけばいい」
ヴァレンティンは煩わしそうに手を振る。
「帰れ。そして陛下に伝えろ。
『ヴァレンティンは忠義の士ゆえ、死んでも森の任務を全うします』とな」
「なッ……正気ですか!? 国を見捨てるおつもりかッ!?」
「見捨てる? とんでもない。
私は帝国の未来のために、ここで新たな力を手に入れようとしているのだからな」
ヴァレンティンは伝令兵を一瞥もしない。
その冷徹な態度は、雄弁に語っていた。
『ゴーマン公爵など、最初から死ぬ予定だった』と。
そして、『今の帝国など、守る価値もない』と。
「ひ、ひぃぃ……! あ、悪魔だ……!」
伝令兵は恐怖に顔を引きつらせ、逃げるように去っていった。
広場に、重苦しい沈黙が落ちる。
だが、その空気を破ったのは、ルスラーナの笑い声だった。
「あはははは! 傑作ね!
あの腐れゴーマメ、やっとくたばったの?
グラハムのハゲもやるじゃない!
あーあ、お祝いに骨付き肉もう一本食べちゃおっと!」
彼女にとって、叔父の死など今日の晩飯のメニューよりもどうでもいいことなのだ。
その常軌を逸した兄妹の姿を見て、捕虜の亜人たちは戦慄した。
こいつらは、自分たちが知っている「人間」の枠を超えている。
国すらも見捨て、身内すらも切り捨てる、冷酷で強大な捕食者だ。
「……さて、話を戻そうか」
ヴァレンティンは、凍りついた亜人たちに向き直る。
「聞いた通りだ。帝国は今、南からの侵攻で手一杯だ。
つまり、この森に援軍は来ないし、逆に言えば、私がここをどう支配しようと、帝都から文句を言う奴もいないということだ」
彼は立ち上がり、両手を広げる。
「お前たちが信じていた『誇り』や『伝統』とやらを守って、ここで朽ち果てるのもいいだろう。
だが、私に従えば、未来がある。
私は純血主義者ではない。能力ある者は、種族を問わず重用する」
彼はランスローネを指差す。
「見ろ。かつてお前たちが追放した『穢れた血』は、今や私の軍の幹部だ。
彼女は実力でその地位を勝ち取った。
……族長、お前はどうだ?
あくまで誇りに殉じて、部下全員を道連れにするか?
それとも、新しい『強き王』の下で、種族の繁栄を選ぶか?」
族長は、ギリリと歯を噛み締めた。
恐怖はある。ヴァレンティンの器の大きさも感じる。
だが──。
「……断るッ!!」
族長は血を吐くように叫んだ。
「我らは森の民! 風と土と共に生きる自由な魂だ!
いかに貴様が強かろうと、人間の『家畜』になるくらいなら死を選ぶ!
支配などされてたまるかッ!」
「我らは屈しないぞ!」
「殺せ! 誇りと共に死んでやる!」
他の亜人たちも呼応して叫ぶ。
彼らの反骨精神は、死の恐怖さえも凌駕していた。
これまでの帝国による迫害の歴史が、彼らに「人間=侵略者・支配者」という図式を骨の髄まで植え付けているのだ。
「……そうか。残念だ」
ヴァレンティンの瞳から、一切の温度が消えた。
「使えぬ道具に用はない。
ルスラーナ。全員、処分しろ」
「へいへい。勿体ないけど、ミンチにして肥料にするしかないわね……」
ルスラーナが斧槍を振り上げ、族長の首を刎ねようとした、その時。
「……あー、ちょっと待った」
ルスラーナの手がピタリと止まる。
「なんだ、ルスラーナ。まだ何か?」
「いや、こいつらの言い分聞いてて思ったんだけどさ。
『家畜』とか『支配』とか言ってるけど、勘違いしてない?」
ルスラーナは斧槍の石突を地面にドンと突き立て、呆れたように族長を見下ろした。
「おい、エルフの爺さん。
あんた、人間の下につくのは嫌なんだろ? 奴隷みたいで」
「と、当然だ! 誰が貴様らの靴を舐めるものか!」
「じゃあさ、舐めなきゃいいじゃない」
「……は?」
ルスラーナは、ポリポリと頬をかきながら、至極真っ当な提案を口にした。
「『傭兵』として契約すればいいでしょ」
「よ、傭兵……だと?」
「そうよ。
あそこのランスローネたちを見なさいよ。
あいつら、兄上のことを『大将』って呼んでるけど、別に奴隷じゃないわよ。
金と待遇で契約してる、対等のビジネスパートナーよ」
ルスラーナは、ぽかんとするヴァレンティンやランスローネを指差す。
「私だってそうよ。
私は皇女だけど、兄上のために戦うのは、兄上が美味しいお肉と、楽しい戦場を用意してくれるからよ。
言ってみれば、報酬のために働いてるだけ。
これって、あんたらの言う『支配』とは違うんじゃない?」
本当は、兄ヴァレンティンへの無償の愛だが、照れ臭くて口が裂けても言えない。
族長は言葉を失った。
支配か、死か。その二択しか頭になかった彼らに、第三の道が示されたのだ。
「契約内容はシンプルよ。
あんたたちは、その魔法や腕力を兄上に貸す。
その代わり、兄上はあんたたちに『森の自治権』と『帝国の物資・食料』を報酬として支払う。
これなら、対等でしょ?
誇りも守れるし、腹も膨れる。最高じゃない」
「……!」
族長の目が揺れる。
隷属ではない。契約。
それならば──我らは「誇り高き戦士」として、雇い主のために剣を振るうことになる。
それは恥ではない。むしろ、部族を豊かにするための「仕事」だ。
「……ヴァレンティン殿下。
妹君の仰ることは、真実か?」
族長が、縋るような目でヴァレンティンを見る。
ヴァレンティンは一瞬、虚を突かれた顔をしたが、すぐに口元に笑みを浮かべた。
(……ははっ。やってくれるな、ルスラーナ。
『支配』という言葉にアレルギーがある連中に、『契約』という餌をぶら下げるとは。
野生の勘か?
それとも、お前自身が私の『最強の傭兵』だからか?)
彼は鷹揚に頷いた。
「ああ、誓おう。
私は有能な者には敬意を払う。
貴様らが私の『戦力』として契約するならば、私は雇い主として、相応の報酬と敬意を払おう。
森はお前たちのものだ。誰も踏み荒らせはしない」
その言葉が、決定打となった。
「……良かろう!」
族長は立ち上がり、ヴァレンティンの前に進み出ると、対等の証として右手を差し出した。
「我ら森の民、本日よりヴァレンティン殿下と『傭兵契約』を結ぶ!
我らの力、報酬分はきっちりと働いて見せよう!」
「交渉成立だ」
ヴァレンティンはその手を力強く握り返す。
広場の亜人たちが、安堵と、新たな役割への高揚感に沸き立った。
「一件落着めでたしめでたし」
ルスラーナは兜を脱いで髪を掻き上げて息をつく。
「ふざけるなーッ!」
それは、一人のエルフ男の叫びだった。
「何が契約だあ! 俺は認めないぞ!」
そのエルフは隠し持っていた短剣を、提案者のルスラーナに向けて投げつけた。
空気を裂いて飛ぶ刃。
誰もが虚を突かれ、そして息を呑む。
しかし──
ガチッと音が響く。
ルスラーナはなんと、凶刃を歯で噛んで受け止めたのだ。
バキンッと音がして、短剣が噛み折られる。
「不味くてとても食えないわよ」
ルスラーナはべっと短剣の刃を吐き捨てて睨みつける。
エルフは唖然として、その場にへたり込んで項垂れた。
完全に抵抗する気力を失ったのだ。
「ル、ルスラーナ殿下、お手柄ですわ」
ランスローネは苦笑しながらルスラーナに近づく。
「ふん、当然でしょ。
タダ働きなんて、私でも嫌だもの」
ルスラーナは鼻を鳴らし、残っていたクッキーを口に放り込む。
こうして、南の防壁が崩れ去り、帝国が混乱の渦に飲み込まれようとしている中、北の果てで新たな「魔王軍」とも呼べる勢力が──鉄の結束ではなく、黄金と肉の契約によって──産声を上げたのだった。
「ねえ兄上。こいつらと契約したってことは、南のエルバニアに行くのよね?」
「ああ、そうだ。
南には二十万の『エルバニア肉』が、向こうから歩いて来ているそうだぞ」
「! ……そっか! 楽しみね!」
死神の黒姫は、舌なめずりをして南の方角の空を見上げるのだった。
広場には、武装解除された数百名の亜人捕虜たちが、縄で縛られて座り込んでいた。
オーク、ゴブリン、コボルト、そして指揮官クラスのサイクロプスやダークエルフたち。
彼らを取り囲むのは、弓と槍を向けるグレイヴェリア兵たちだ。
広場の中央には、即席の玉座──鹵獲した物資箱を積み上げたもの──が設けられ、ヴァレンティンが脚を組んで座っていた。
その傍らには、返り血を拭おうともせず、奪ったばかりの干し肉を齧るルスラーナが、処刑人のように斧槍を立てて立っている。
「さて、森の住人諸君」
ヴァレンティンは、怯える捕虜たちを見回し、穏やかな口調で切り出した。
「単刀直入に言おう。
貴様らの命は、今この瞬間、私の掌の上にある。
通常の手順であれば、見せしめに全員処刑し、その首を街道に並べるところだが……私は慈悲深いのでな。選択肢を与えよう」
彼は指を一本立てる。
「一。このまま『帝国の敵』として、ここで土に還るか」
そして、二本目の指を立てる。
「二。私の『剣』となり、共に戦うかだ」
その提案に、広場がざわめいた。
捕虜の中にいた、先ほどランスローネを罵った者──その灰色の肌と赤い瞳を怒りに燃やすダークエルフの族長が、血を吐くように叫んだ
「ふざけるなッ!
誰が貴様ら人間如きの手先になどなるか!
我らは誇り高き森の民! 鉄の蝗の奴隷になるくらいなら、死を選ぶ!」
「……だ、そうだぞ。ランスローネ」
ヴァレンティンは視線を横に流す。
そこには、工兵隊長のランスローネが、複雑な表情で立っていた。
「お前の同胞は、随分と頑固らしい。説得は無理か?」
「……やってみますわ」
ランスローネは歩み出ると、族長の前に立った。
かつて自分を「穢れた血」と罵った相手を見下ろす。
「久しぶりやな、族長はん。
あんたがうちらを『穢れた血』と呼んで村から追い出した時の顔、今でもよう覚えとるで」
「ふん! 薄汚いハーフエルフが!
人間の威を借る狐め! 貴様の顔など見たくもない、殺せ!」
族長は唾を吐きかける。
ランスローネはそれを頬で受け止めると、静かに拭い、悲しげに微笑んだ。
「……せやな。あんたはそういう人や。
純血こそ正義。混血は悪。
その古臭い誇りのせいで、今、あんたの仲間たちが死にかけてるんやで?」
「誇りを捨てて生き延びるくらいなら、死んだほうがマシだ!」
「そうか……残念やわ」
ランスローネが下がろうとした、その時だった。
「──申し上げますッ!!」
森の静寂を切り裂くように、一人の伝令兵が広場へと駆け込んできた。
泥だらけの軍服。憔悴しきった表情。
その背中には、皇帝直属の伝令であることを示す旗指物が刺さっている。
「て、帝都より急報! ヴァレンティン殿下!
一大事でございます!」
伝令兵は馬から転がり落ちるように下りると、ヴァレンティンの前で跪いた。
「報告せよ」
「は、はいッ!
南の戦線、崩壊いたしました!
エルバニア軍総大将グラハム・レノックス率いる二十万の大軍が、怒濤の如く逆侵攻を開始!
砦を守っていたゴーマン公爵軍は……ぜ、全滅ですッ!」
その報告に、ミハイルたち帝国兵のみならず、捕虜の亜人たちまでもが息を呑んだ。
二十万。
それは、この小競り合いのような森の戦いとは次元の違う、国家存亡の危機を意味する数字だ。
「ゴーマン公爵は、乱戦の中で討ち死に!
敵軍は勢いに乗り、既に国境を越え、帝都へ向けて進軍中とのこと!
皇帝陛下よりの勅命です!
ヴァレンティン殿下は直ちに軍を返し、迎撃に向かわれたし!
帝国の危機です、至急救援をッ!」
伝令兵は悲痛な叫びを上げ、額を地面に擦り付ける。
誰もが、ヴァレンティンが顔色を変え、「全軍撤退、帝都へ戻るぞ!」と号令すると思った。
だが──。
「……ふむ。それで?」
ヴァレンティンから返ってきたのは、あまりにも素っ気ない、欠伸交じりの一言だった。
「は……? で、殿下?」
「ゴーマン公爵が死んだ? それは残念だ。
だが、それがどうしたと言うのだ?」
「ど、どうしたとは……!
帝都が! 皇帝陛下が危ないのですぞ!
直ちにお戻りください!」
「断る」
ヴァレンティンは冷たく言い放った。
「私は陛下より『灰色の森の魔族を殲滅せよ』という厳命を受けている。
その勅命を果たさずして、おめおめと帰れるわけがなかろう?
軍規に厳しい陛下のことだ。任務を放棄して戻れば、それこそ処刑されかねん」
「そ、そんな馬鹿な!
今は非常事態です! 陛下も許可なさいます!」
「知らんよ。私は私の任務を遂行する。
二十万の敵? 帝都にはマクシミリアン兄上の六万や、中央軍がいるだろう。
彼らに任せておけばいい」
ヴァレンティンは煩わしそうに手を振る。
「帰れ。そして陛下に伝えろ。
『ヴァレンティンは忠義の士ゆえ、死んでも森の任務を全うします』とな」
「なッ……正気ですか!? 国を見捨てるおつもりかッ!?」
「見捨てる? とんでもない。
私は帝国の未来のために、ここで新たな力を手に入れようとしているのだからな」
ヴァレンティンは伝令兵を一瞥もしない。
その冷徹な態度は、雄弁に語っていた。
『ゴーマン公爵など、最初から死ぬ予定だった』と。
そして、『今の帝国など、守る価値もない』と。
「ひ、ひぃぃ……! あ、悪魔だ……!」
伝令兵は恐怖に顔を引きつらせ、逃げるように去っていった。
広場に、重苦しい沈黙が落ちる。
だが、その空気を破ったのは、ルスラーナの笑い声だった。
「あはははは! 傑作ね!
あの腐れゴーマメ、やっとくたばったの?
グラハムのハゲもやるじゃない!
あーあ、お祝いに骨付き肉もう一本食べちゃおっと!」
彼女にとって、叔父の死など今日の晩飯のメニューよりもどうでもいいことなのだ。
その常軌を逸した兄妹の姿を見て、捕虜の亜人たちは戦慄した。
こいつらは、自分たちが知っている「人間」の枠を超えている。
国すらも見捨て、身内すらも切り捨てる、冷酷で強大な捕食者だ。
「……さて、話を戻そうか」
ヴァレンティンは、凍りついた亜人たちに向き直る。
「聞いた通りだ。帝国は今、南からの侵攻で手一杯だ。
つまり、この森に援軍は来ないし、逆に言えば、私がここをどう支配しようと、帝都から文句を言う奴もいないということだ」
彼は立ち上がり、両手を広げる。
「お前たちが信じていた『誇り』や『伝統』とやらを守って、ここで朽ち果てるのもいいだろう。
だが、私に従えば、未来がある。
私は純血主義者ではない。能力ある者は、種族を問わず重用する」
彼はランスローネを指差す。
「見ろ。かつてお前たちが追放した『穢れた血』は、今や私の軍の幹部だ。
彼女は実力でその地位を勝ち取った。
……族長、お前はどうだ?
あくまで誇りに殉じて、部下全員を道連れにするか?
それとも、新しい『強き王』の下で、種族の繁栄を選ぶか?」
族長は、ギリリと歯を噛み締めた。
恐怖はある。ヴァレンティンの器の大きさも感じる。
だが──。
「……断るッ!!」
族長は血を吐くように叫んだ。
「我らは森の民! 風と土と共に生きる自由な魂だ!
いかに貴様が強かろうと、人間の『家畜』になるくらいなら死を選ぶ!
支配などされてたまるかッ!」
「我らは屈しないぞ!」
「殺せ! 誇りと共に死んでやる!」
他の亜人たちも呼応して叫ぶ。
彼らの反骨精神は、死の恐怖さえも凌駕していた。
これまでの帝国による迫害の歴史が、彼らに「人間=侵略者・支配者」という図式を骨の髄まで植え付けているのだ。
「……そうか。残念だ」
ヴァレンティンの瞳から、一切の温度が消えた。
「使えぬ道具に用はない。
ルスラーナ。全員、処分しろ」
「へいへい。勿体ないけど、ミンチにして肥料にするしかないわね……」
ルスラーナが斧槍を振り上げ、族長の首を刎ねようとした、その時。
「……あー、ちょっと待った」
ルスラーナの手がピタリと止まる。
「なんだ、ルスラーナ。まだ何か?」
「いや、こいつらの言い分聞いてて思ったんだけどさ。
『家畜』とか『支配』とか言ってるけど、勘違いしてない?」
ルスラーナは斧槍の石突を地面にドンと突き立て、呆れたように族長を見下ろした。
「おい、エルフの爺さん。
あんた、人間の下につくのは嫌なんだろ? 奴隷みたいで」
「と、当然だ! 誰が貴様らの靴を舐めるものか!」
「じゃあさ、舐めなきゃいいじゃない」
「……は?」
ルスラーナは、ポリポリと頬をかきながら、至極真っ当な提案を口にした。
「『傭兵』として契約すればいいでしょ」
「よ、傭兵……だと?」
「そうよ。
あそこのランスローネたちを見なさいよ。
あいつら、兄上のことを『大将』って呼んでるけど、別に奴隷じゃないわよ。
金と待遇で契約してる、対等のビジネスパートナーよ」
ルスラーナは、ぽかんとするヴァレンティンやランスローネを指差す。
「私だってそうよ。
私は皇女だけど、兄上のために戦うのは、兄上が美味しいお肉と、楽しい戦場を用意してくれるからよ。
言ってみれば、報酬のために働いてるだけ。
これって、あんたらの言う『支配』とは違うんじゃない?」
本当は、兄ヴァレンティンへの無償の愛だが、照れ臭くて口が裂けても言えない。
族長は言葉を失った。
支配か、死か。その二択しか頭になかった彼らに、第三の道が示されたのだ。
「契約内容はシンプルよ。
あんたたちは、その魔法や腕力を兄上に貸す。
その代わり、兄上はあんたたちに『森の自治権』と『帝国の物資・食料』を報酬として支払う。
これなら、対等でしょ?
誇りも守れるし、腹も膨れる。最高じゃない」
「……!」
族長の目が揺れる。
隷属ではない。契約。
それならば──我らは「誇り高き戦士」として、雇い主のために剣を振るうことになる。
それは恥ではない。むしろ、部族を豊かにするための「仕事」だ。
「……ヴァレンティン殿下。
妹君の仰ることは、真実か?」
族長が、縋るような目でヴァレンティンを見る。
ヴァレンティンは一瞬、虚を突かれた顔をしたが、すぐに口元に笑みを浮かべた。
(……ははっ。やってくれるな、ルスラーナ。
『支配』という言葉にアレルギーがある連中に、『契約』という餌をぶら下げるとは。
野生の勘か?
それとも、お前自身が私の『最強の傭兵』だからか?)
彼は鷹揚に頷いた。
「ああ、誓おう。
私は有能な者には敬意を払う。
貴様らが私の『戦力』として契約するならば、私は雇い主として、相応の報酬と敬意を払おう。
森はお前たちのものだ。誰も踏み荒らせはしない」
その言葉が、決定打となった。
「……良かろう!」
族長は立ち上がり、ヴァレンティンの前に進み出ると、対等の証として右手を差し出した。
「我ら森の民、本日よりヴァレンティン殿下と『傭兵契約』を結ぶ!
我らの力、報酬分はきっちりと働いて見せよう!」
「交渉成立だ」
ヴァレンティンはその手を力強く握り返す。
広場の亜人たちが、安堵と、新たな役割への高揚感に沸き立った。
「一件落着めでたしめでたし」
ルスラーナは兜を脱いで髪を掻き上げて息をつく。
「ふざけるなーッ!」
それは、一人のエルフ男の叫びだった。
「何が契約だあ! 俺は認めないぞ!」
そのエルフは隠し持っていた短剣を、提案者のルスラーナに向けて投げつけた。
空気を裂いて飛ぶ刃。
誰もが虚を突かれ、そして息を呑む。
しかし──
ガチッと音が響く。
ルスラーナはなんと、凶刃を歯で噛んで受け止めたのだ。
バキンッと音がして、短剣が噛み折られる。
「不味くてとても食えないわよ」
ルスラーナはべっと短剣の刃を吐き捨てて睨みつける。
エルフは唖然として、その場にへたり込んで項垂れた。
完全に抵抗する気力を失ったのだ。
「ル、ルスラーナ殿下、お手柄ですわ」
ランスローネは苦笑しながらルスラーナに近づく。
「ふん、当然でしょ。
タダ働きなんて、私でも嫌だもの」
ルスラーナは鼻を鳴らし、残っていたクッキーを口に放り込む。
こうして、南の防壁が崩れ去り、帝国が混乱の渦に飲み込まれようとしている中、北の果てで新たな「魔王軍」とも呼べる勢力が──鉄の結束ではなく、黄金と肉の契約によって──産声を上げたのだった。
「ねえ兄上。こいつらと契約したってことは、南のエルバニアに行くのよね?」
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「土属性だから追放だ!」理不尽な理由で追放されるも「はいはい。おっけー」主人公は特にパーティーに恨みも、未練もなく、世界が危機的な状況、というわけでもなかったので、ササッと王都を去り、辺境の地にたどり着く。
「助けなきゃ!」そんな感じで、世界樹の少女を襲っていた四天王の一人を瞬殺。 少女にほれられて、即座に結婚する。「ここを開拓してスローライフでもしてみようか」 主人公は土属性パワーで一瞬で辺境を開拓。ついでに魔王を超える存在を土属性で作ったゴーレムの物量で圧殺。
主人公は、世界樹の少女が生成したタネを、育てたり、のんびりしながら辺境で平和にすごす。そんな主人公のもとに、ドワーフ、魚人、雪女、魔王四天王、魔王、といった亜人のなかでも一際キワモノの種族が次から次へと集まり、彼らがもたらす特産品によってドンドン村は発展し豊かに、にぎやかになっていく。
【完結】追放された生活錬金術師は好きなようにブランド運営します!
加藤伊織
ファンタジー
(全151話予定)世界からは魔法が消えていっており、錬金術師も賢者の石や金を作ることは不可能になっている。そんな中で、生活に必要な細々とした物を作る生活錬金術は「小さな錬金術」と呼ばれていた。
カモミールは師であるロクサーヌから勧められて「小さな錬金術」の道を歩み、ロクサーヌと共に化粧品のブランドを立ち上げて成功していた。しかし、ロクサーヌの突然の死により、その息子で兄弟子であるガストンから住み込んで働いていた家を追い出される。
落ち込みはしたが幼馴染みのヴァージルや友人のタマラに励まされ、独立して工房を持つことにしたカモミールだったが、師と共に運営してきたブランドは名義がガストンに引き継がれており、全て一から出直しという状況に。
そんな中、格安で見つけた恐ろしく古い工房を買い取ることができ、カモミールはその工房で新たなスタートを切ることにした。
器具付き・格安・ただし狭くてボロい……そんな訳あり物件だったが、更におまけが付いていた。据えられた錬金釜が1000年の時を経て精霊となり、人の姿を取ってカモミールの前に現れたのだ。
失われた栄光の過去を懐かしみ、賢者の石やホムンクルスの作成に挑ませようとする錬金釜の精霊・テオ。それに対して全く興味が無い日常指向のカモミール。
過保護な幼馴染みも隣に引っ越してきて、予想外に騒がしい日常が彼女を待っていた。
これは、ポーションも作れないし冒険もしない、ささやかな錬金術師の物語である。
彼女は化粧品や石けんを作り、「ささやかな小市民」でいたつもりなのだが、品質の良い化粧品を作る彼女を周囲が放っておく訳はなく――。
毎日15:10に1話ずつ更新です。
この作品は小説家になろう様・カクヨム様・ノベルアッププラス様にも掲載しています。
転生騎士団長の歩き方
Akila
ファンタジー
【第2章 完 約13万字】&【第1章 完 約12万字】
たまたま運よく掴んだ功績で第7騎士団の団長になってしまった女性騎士のラモン。そんなラモンの中身は地球から転生した『鈴木ゆり』だった。女神様に転生するに当たってギフトを授かったのだが、これがとっても役立った。ありがとう女神さま! と言う訳で、小娘団長が汗臭い騎士団をどうにか立て直す為、ドーン副団長や団員達とキレイにしたり、旨〜いしたり、キュンキュンしたりするほのぼの物語です。
【第1章 ようこそ第7騎士団へ】 騎士団の中で窓際? 島流し先? と囁かれる第7騎士団を立て直すべく、前世の知識で働き方改革を強行するモラン。 第7は改善されるのか? 副団長のドーンと共にあれこれと毎日大忙しです。
【第2章 王城と私】 第7騎士団での功績が認められて、次は第3騎士団へ行く事になったラモン。勤務地である王城では毎日誰かと何かやらかしてます。第3騎士団には馴染めるかな? って、またまた異動? 果たしてラモンの行き着く先はどこに?
※誤字脱字マジですみません。懲りずに読んで下さい。
転生調理令嬢は諦めることを知らない!
eggy
ファンタジー
リュシドール子爵の長女オリアーヌは七歳のとき事故で両親を失い、自分は片足が不自由になった。
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子爵家跡継ぎのランベールが成人するまで、親戚から暫定爵位継承の夫婦を領地領主邸に迎えることになった。
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八歳でオリアーヌは、『調理』の加護を得る。食材に限り刃物なしで切断ができる。細かい調味料などを離れたところに瞬間移動させられる。その他、調理の腕が向上する能力だ。
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