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第十三章 豚の晩餐、復讐の津波、老騎士の予見
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アルバの野。
エルガ川の畔に築かれた橋頭堡の砦。
かつてルスラーナたちが死闘を繰り広げたこの地は今、腐敗した欲望の掃き溜めと化していた。
夜の帳が下りた砦の大広間では、戦場には不似合いな嬌声と、下品な笑い声が響き渡っている。
「ガハハハハ!
エルバニアの貴族の館が、まるで焚き火のように燃え上がりおったわ!」
ゼノ男爵が、略奪品の葡萄酒の瓶を直飲みしながら、武勇伝ならぬ略奪伝を語る。
「ゴーマン公爵閣下ぁ、抵抗する村人どもは皆殺しにし、家財道具から食料まで根こそぎ奪って参りましたぞ!
お陰で我が軍の腹は満たされ、兵たちの懐も温まりましたぞお!」
ゼノ男爵は懐から、血に濡れた宝石の首飾りを取り出し、灯りにかざしてニヤつく。
「見事な紅玉でしょう?
館の主人の指ごと切り落として奪った指輪もあります。
これは帝都にいる我が娘、エレオノーラへの良い土産になりましょう」
「おお、でかしたぞゼノ男爵!
やはり現地調達こそ戦争の醍醐味よな!」
上座でふんぞり返るゴーマン公爵が、称賛の声を上げる。
その座り方は異様だった。
彼は椅子ではなく、四つん這いにさせた全裸の村娘の背中に腰を下ろしていたのだ。
傍らでは、夫を殺されたばかりの農夫の妻が、涙を流しながら震える手で酒を注いでいる。
「して、ゴーマン公爵閣下。
とっておきの土産もございますぞ」
ゼノ男爵が手を叩くと、兵士たちに引きずられて一人の少女が連れてこられた。
上質なドレスは破かれ、恐怖に顔を歪めているが、その気品ある美貌は隠せない。
「こやつは、この辺りを治めていた領主の娘です。
閣下のお気に召すかと思いましてな」
「ほほう! これは上玉だ!」
ゴーマン公爵は目を輝かせ、それまで嬲っていた「おもちゃ」を蹴り飛ばした。
そのおもちゃ──見目麗しい女性の背中には、ナイフで『ルスラーナ』という文字が刻まれ、無数の鞭の跡が走っていた。
憎き姪に見立てて、鬱憤を晴らしていたのだ。
「用済みだ、捨てておけ!
今夜はこの新しい娘で楽しむとしよう!」
ゴーマン公爵は領主の娘の腕を掴み、卑猥な笑みを浮かべて寝室へと引きずっていく。
その腐りきった光景を、他の指揮官たちは複雑な思いで見ていた。
「……嘆かわしい。騎士道とは無縁の所業だ」
アイザック卿が、嫌悪と侮蔑を隠さずに吐き捨てる。
「まあまあ、アイザック。我慢しなよ」
ロザリア女伯爵が、酒杯に注がれた葡萄酒を回しながら宥める。
「いずれヴァレンティン殿下が戻って来られるさ。
それまでの辛抱だ。殿下が戻れば、こんな腐った豚小屋も掃除されるだろうさ」
「……しかし、ヴォルグ伯爵。貴殿は何も言わぬのか」
アイザックは、沈黙を守る古参の老将ヴォルグ伯爵に水を向ける。
「……言えぬよ」
ヴォルグ伯爵は苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
「帝都からの補給は途絶え、兵糧は尽きかけている。
ゼノ男爵の略奪品がなければ、兵たちは餓死するか、暴動を起こしていただろう。
綺麗事だけでは、軍は維持できんのだ……」
ヴォルグ伯爵もまた、略奪を黙認することでしか砦を維持できない現実に、自らの騎士としての誇りを摩耗させていた。
狂乱の宴は夜更けまで続き、砦の警戒は緩みきっていた。
誰も気づいていなかった。
川の向こう、闇の奥から、大地を揺るがす「死の足音」が近づいていることに。
*
翌朝。
二日酔いの頭を抱えながら、ゴーマン公爵は砦の城壁に出た。
「ふあぁ……昨夜の娘は中々であったな。
さて、今日も良い天気だ。ゼノにまた村を襲わせるか……ん?」
ゴーマン公爵は目を擦り、エルガ川の対岸を凝視した。
地平線が、黒く染まっていた。
雲ではない。
生き物だ。
「な、なんだ……あれは……?」
対岸の平原を埋め尽くす、人、人、人。
騎兵の群れ、槍の林、無数の軍旗。
大地を覆い隠すほどの、圧倒的な軍勢がそこにいた。
「て、敵襲ゥゥゥッ!!」
見張りの兵士が、裏返った声で絶叫する。
エルバニア王国軍総大将グラハム・レノックス。
彼は帰ってきた。
一万や二万ではない。
国中から掻き集めた、総勢二十万の大軍を率いて。
「……見よ、息子たちよ。孫たちよ」
本陣の丘に立つグラハムは、白髪を風になびかせ、鬼気迫る形相で砦を睨み据えた。
かつての好々爺としての穏やかさは消え失せ、そこにあるのは復讐に燃える修羅の顔だ。
「あの砦の中に、お前たちを殺した憎き鉄の豚どもがいる。
一兵たりとも生かすな。
この二十万の兵の波で、砦ごと押し潰し、すり潰し、塵に変えてくれるわ!」
グラハムが大弓を掲げる。
「全軍、突撃ッ!
弔い合戦じゃあぁぁぁッ!!」
「「「うおおおおおおッ!!」」」
二十万の咆哮が空を裂き、怒濤の如く川を渡り始めた。
それは戦いというより、災害だった。
「ひ、ひぃぃぃッ!?」
ゴーマン公爵は腰を抜かし、失禁した。
彼が守る砦の兵力は、わずか数千。
二十万の津波の前では、砂の城も同然だった。
*
数日後、帝都シュタールグラード。
皇城『黒鉄宮』の会議室は、パニックに陥っていた。
「アルバの野の砦、陥落!
ゴーマン公爵、およびヴォルグ伯爵、ゼノ男爵……戦死!
生存者、ほぼ皆無とのことです!」
「え、エルバニア軍二十万、既に国境を越え、帝都へ向けて北上中!」
次々と飛び込む凶報に、貴族たちは顔面蒼白で右往左往している。
「二十万だと!? どうやって止めるのだ!」
「我が帝国の総兵力は十二万!
だが、その半分の六万は、西方で大リュード王国のオーガ軍団と睨み合っていて動かせん!」
「東部方面軍は!?」
「一万五千にヴァレンティン殿下の五千を加えて二万ですが……『灰色の森』の奥地へ入っており、連絡がつきません!」
「帝都に残っているのは、近衛兵と予備兵を合わせても三万しかおらんぞ!
二十万相手にどう戦えと言うのだ!」
ガイゼリック皇帝も、脂汗を流して玉座で震えている。
数による暴力。
それは普段、帝国が他国に対して行ってきたことだが、いざ自分たちが受ける側になると、これほど恐ろしいものはない。
「……ヴァレンティンだ」
第一皇子マクシミリアンが、苦渋の表情で口を開いた。
「ヴァレンティンに早馬を出せ!
奴に全軍を率いて南下させ、エルバニア軍の側面を突かせるのだ!
それしか、帝都を守る術はない!」
彼らは知らなかった。
そのヴァレンティンが、とっくに急報を受け取り、鼻で笑って握りつぶしたことを。
*
帝都の混乱を余所に、郊外には静寂に包まれた屋敷があった。
ガルド・アイゼンの邸宅だ。
「……旦那様。大変なことになりました」
新妻のミナが、青ざめた顔でガルドに寄り添う。
外からは、避難しようとする市民の馬車の音や、怒号が聞こえてくる。
「エルバニア軍が、帝都まで攻めてくるなんて……。
私たち、どうなってしまうのでしょうか」
「慌てるな、ミナ」
ガルドは愛用の安楽椅子に深く座り、湯気の立つ茶をゆっくりと啜った。
「茶が冷めるぞ。
……南の土民どもが、勢いに乗って攻めてくるのは想定内だ」
「そ、想定内って……二十万ですよ!?
帝都の兵隊さんより、ずっと多いのに!」
「数など、この北の大地では無意味だ」
ガルドは窓の外、鉛色の空を見上げる。
「奴らは南の温暖な気候で育った兵だ。
今はまだいい。だが、グレイヴェリアの本当の敵は、人ではない。
……『冬将軍』だ」
グレイヴェリアの冬は、他国の人間が想像を絶する厳しさだ。
鉄すらも凍てつく極寒。
兵站が伸びきった二十万の大軍にとって、それは死刑宣告に等しい。
「グラハムが本当に名将ならば、復讐を果たし、アルバの野を取り返した時点兵を引いただろう。
だが、老いて欲に眩んだか、復讐心に目を曇らせたか……。
奴は一線を超えた。深入りしすぎたのだ」
「じゃあ、エルバニア軍は勝手に自滅するんですか?」
「いや、それだけでは足りん。
奴らを確実に殺すための『罠』が必要だ」
ガルドは懐から、一通の封蝋された書簡を取り出した。
それは、出立の夜、ヴァレンティン皇子から密かに手渡されていたものだ。
「……ヴァレンティン殿下は、こうなることを予見しておられた。
そして、私にこの策を授けていかれたのだ」
ガルドが書簡を開き、ミナに見せる。
そこには、ヴァレンティンの流麗な筆跡で、恐るべき作戦が記されていた。
『敵が国境を越え、帝都へ向かったならば、好機である。
奴らを帝都の目前まで引きずり込め。
そして、伸びきった補給線を、冬の寒波と共に断ち切れ。
国境を封鎖し、退路を断てば、二十万の兵はただの氷像となる。
帝都を餌に、袋の鼠となった敵を、一兵残らず皆殺しにせよ』
「……っ!」
ミナは息を呑んだ。
帝都すらも囮にする。
その冷徹さと、規模の大きさに、彼女は戦慄した。
「殿下は、全てお見通しだ。
エルバニアの侵攻も、帝都の混乱も、そして……その後の『大掃除』もな」
ガルドは書簡を丁寧に畳むと、ニヤリと不器用な笑みを浮かべた。
「さて、ミナ。
俺たちも『留守番』の仕事を始めるとするか。
殿下が戻られるまでに、掃除の準備をしておかねばな」
引退した武人の隻眼に、かつて戦場で見せた鋭い光が宿った。
帝都の運命は、まだ終わってはいなかった。
遠く東の森で牙を研ぐ狼が、喉笛を食いちぎる瞬間を待っているのだ。
エルガ川の畔に築かれた橋頭堡の砦。
かつてルスラーナたちが死闘を繰り広げたこの地は今、腐敗した欲望の掃き溜めと化していた。
夜の帳が下りた砦の大広間では、戦場には不似合いな嬌声と、下品な笑い声が響き渡っている。
「ガハハハハ!
エルバニアの貴族の館が、まるで焚き火のように燃え上がりおったわ!」
ゼノ男爵が、略奪品の葡萄酒の瓶を直飲みしながら、武勇伝ならぬ略奪伝を語る。
「ゴーマン公爵閣下ぁ、抵抗する村人どもは皆殺しにし、家財道具から食料まで根こそぎ奪って参りましたぞ!
お陰で我が軍の腹は満たされ、兵たちの懐も温まりましたぞお!」
ゼノ男爵は懐から、血に濡れた宝石の首飾りを取り出し、灯りにかざしてニヤつく。
「見事な紅玉でしょう?
館の主人の指ごと切り落として奪った指輪もあります。
これは帝都にいる我が娘、エレオノーラへの良い土産になりましょう」
「おお、でかしたぞゼノ男爵!
やはり現地調達こそ戦争の醍醐味よな!」
上座でふんぞり返るゴーマン公爵が、称賛の声を上げる。
その座り方は異様だった。
彼は椅子ではなく、四つん這いにさせた全裸の村娘の背中に腰を下ろしていたのだ。
傍らでは、夫を殺されたばかりの農夫の妻が、涙を流しながら震える手で酒を注いでいる。
「して、ゴーマン公爵閣下。
とっておきの土産もございますぞ」
ゼノ男爵が手を叩くと、兵士たちに引きずられて一人の少女が連れてこられた。
上質なドレスは破かれ、恐怖に顔を歪めているが、その気品ある美貌は隠せない。
「こやつは、この辺りを治めていた領主の娘です。
閣下のお気に召すかと思いましてな」
「ほほう! これは上玉だ!」
ゴーマン公爵は目を輝かせ、それまで嬲っていた「おもちゃ」を蹴り飛ばした。
そのおもちゃ──見目麗しい女性の背中には、ナイフで『ルスラーナ』という文字が刻まれ、無数の鞭の跡が走っていた。
憎き姪に見立てて、鬱憤を晴らしていたのだ。
「用済みだ、捨てておけ!
今夜はこの新しい娘で楽しむとしよう!」
ゴーマン公爵は領主の娘の腕を掴み、卑猥な笑みを浮かべて寝室へと引きずっていく。
その腐りきった光景を、他の指揮官たちは複雑な思いで見ていた。
「……嘆かわしい。騎士道とは無縁の所業だ」
アイザック卿が、嫌悪と侮蔑を隠さずに吐き捨てる。
「まあまあ、アイザック。我慢しなよ」
ロザリア女伯爵が、酒杯に注がれた葡萄酒を回しながら宥める。
「いずれヴァレンティン殿下が戻って来られるさ。
それまでの辛抱だ。殿下が戻れば、こんな腐った豚小屋も掃除されるだろうさ」
「……しかし、ヴォルグ伯爵。貴殿は何も言わぬのか」
アイザックは、沈黙を守る古参の老将ヴォルグ伯爵に水を向ける。
「……言えぬよ」
ヴォルグ伯爵は苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
「帝都からの補給は途絶え、兵糧は尽きかけている。
ゼノ男爵の略奪品がなければ、兵たちは餓死するか、暴動を起こしていただろう。
綺麗事だけでは、軍は維持できんのだ……」
ヴォルグ伯爵もまた、略奪を黙認することでしか砦を維持できない現実に、自らの騎士としての誇りを摩耗させていた。
狂乱の宴は夜更けまで続き、砦の警戒は緩みきっていた。
誰も気づいていなかった。
川の向こう、闇の奥から、大地を揺るがす「死の足音」が近づいていることに。
*
翌朝。
二日酔いの頭を抱えながら、ゴーマン公爵は砦の城壁に出た。
「ふあぁ……昨夜の娘は中々であったな。
さて、今日も良い天気だ。ゼノにまた村を襲わせるか……ん?」
ゴーマン公爵は目を擦り、エルガ川の対岸を凝視した。
地平線が、黒く染まっていた。
雲ではない。
生き物だ。
「な、なんだ……あれは……?」
対岸の平原を埋め尽くす、人、人、人。
騎兵の群れ、槍の林、無数の軍旗。
大地を覆い隠すほどの、圧倒的な軍勢がそこにいた。
「て、敵襲ゥゥゥッ!!」
見張りの兵士が、裏返った声で絶叫する。
エルバニア王国軍総大将グラハム・レノックス。
彼は帰ってきた。
一万や二万ではない。
国中から掻き集めた、総勢二十万の大軍を率いて。
「……見よ、息子たちよ。孫たちよ」
本陣の丘に立つグラハムは、白髪を風になびかせ、鬼気迫る形相で砦を睨み据えた。
かつての好々爺としての穏やかさは消え失せ、そこにあるのは復讐に燃える修羅の顔だ。
「あの砦の中に、お前たちを殺した憎き鉄の豚どもがいる。
一兵たりとも生かすな。
この二十万の兵の波で、砦ごと押し潰し、すり潰し、塵に変えてくれるわ!」
グラハムが大弓を掲げる。
「全軍、突撃ッ!
弔い合戦じゃあぁぁぁッ!!」
「「「うおおおおおおッ!!」」」
二十万の咆哮が空を裂き、怒濤の如く川を渡り始めた。
それは戦いというより、災害だった。
「ひ、ひぃぃぃッ!?」
ゴーマン公爵は腰を抜かし、失禁した。
彼が守る砦の兵力は、わずか数千。
二十万の津波の前では、砂の城も同然だった。
*
数日後、帝都シュタールグラード。
皇城『黒鉄宮』の会議室は、パニックに陥っていた。
「アルバの野の砦、陥落!
ゴーマン公爵、およびヴォルグ伯爵、ゼノ男爵……戦死!
生存者、ほぼ皆無とのことです!」
「え、エルバニア軍二十万、既に国境を越え、帝都へ向けて北上中!」
次々と飛び込む凶報に、貴族たちは顔面蒼白で右往左往している。
「二十万だと!? どうやって止めるのだ!」
「我が帝国の総兵力は十二万!
だが、その半分の六万は、西方で大リュード王国のオーガ軍団と睨み合っていて動かせん!」
「東部方面軍は!?」
「一万五千にヴァレンティン殿下の五千を加えて二万ですが……『灰色の森』の奥地へ入っており、連絡がつきません!」
「帝都に残っているのは、近衛兵と予備兵を合わせても三万しかおらんぞ!
二十万相手にどう戦えと言うのだ!」
ガイゼリック皇帝も、脂汗を流して玉座で震えている。
数による暴力。
それは普段、帝国が他国に対して行ってきたことだが、いざ自分たちが受ける側になると、これほど恐ろしいものはない。
「……ヴァレンティンだ」
第一皇子マクシミリアンが、苦渋の表情で口を開いた。
「ヴァレンティンに早馬を出せ!
奴に全軍を率いて南下させ、エルバニア軍の側面を突かせるのだ!
それしか、帝都を守る術はない!」
彼らは知らなかった。
そのヴァレンティンが、とっくに急報を受け取り、鼻で笑って握りつぶしたことを。
*
帝都の混乱を余所に、郊外には静寂に包まれた屋敷があった。
ガルド・アイゼンの邸宅だ。
「……旦那様。大変なことになりました」
新妻のミナが、青ざめた顔でガルドに寄り添う。
外からは、避難しようとする市民の馬車の音や、怒号が聞こえてくる。
「エルバニア軍が、帝都まで攻めてくるなんて……。
私たち、どうなってしまうのでしょうか」
「慌てるな、ミナ」
ガルドは愛用の安楽椅子に深く座り、湯気の立つ茶をゆっくりと啜った。
「茶が冷めるぞ。
……南の土民どもが、勢いに乗って攻めてくるのは想定内だ」
「そ、想定内って……二十万ですよ!?
帝都の兵隊さんより、ずっと多いのに!」
「数など、この北の大地では無意味だ」
ガルドは窓の外、鉛色の空を見上げる。
「奴らは南の温暖な気候で育った兵だ。
今はまだいい。だが、グレイヴェリアの本当の敵は、人ではない。
……『冬将軍』だ」
グレイヴェリアの冬は、他国の人間が想像を絶する厳しさだ。
鉄すらも凍てつく極寒。
兵站が伸びきった二十万の大軍にとって、それは死刑宣告に等しい。
「グラハムが本当に名将ならば、復讐を果たし、アルバの野を取り返した時点兵を引いただろう。
だが、老いて欲に眩んだか、復讐心に目を曇らせたか……。
奴は一線を超えた。深入りしすぎたのだ」
「じゃあ、エルバニア軍は勝手に自滅するんですか?」
「いや、それだけでは足りん。
奴らを確実に殺すための『罠』が必要だ」
ガルドは懐から、一通の封蝋された書簡を取り出した。
それは、出立の夜、ヴァレンティン皇子から密かに手渡されていたものだ。
「……ヴァレンティン殿下は、こうなることを予見しておられた。
そして、私にこの策を授けていかれたのだ」
ガルドが書簡を開き、ミナに見せる。
そこには、ヴァレンティンの流麗な筆跡で、恐るべき作戦が記されていた。
『敵が国境を越え、帝都へ向かったならば、好機である。
奴らを帝都の目前まで引きずり込め。
そして、伸びきった補給線を、冬の寒波と共に断ち切れ。
国境を封鎖し、退路を断てば、二十万の兵はただの氷像となる。
帝都を餌に、袋の鼠となった敵を、一兵残らず皆殺しにせよ』
「……っ!」
ミナは息を呑んだ。
帝都すらも囮にする。
その冷徹さと、規模の大きさに、彼女は戦慄した。
「殿下は、全てお見通しだ。
エルバニアの侵攻も、帝都の混乱も、そして……その後の『大掃除』もな」
ガルドは書簡を丁寧に畳むと、ニヤリと不器用な笑みを浮かべた。
「さて、ミナ。
俺たちも『留守番』の仕事を始めるとするか。
殿下が戻られるまでに、掃除の準備をしておかねばな」
引退した武人の隻眼に、かつて戦場で見せた鋭い光が宿った。
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