鉄騎の破城槌 死神の黒姫は戦場に紅華を咲かす

米ちゃん

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​第十五章 黄金の解放者、湯煙の深謀と暗殺者の帰還

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 グレイヴェリア帝国の南部国境を越え、帝都シュタールグラードへと続く街道。

 そこを埋め尽くすのは、エルバニア王国の誇る二十万の大軍勢だ。

​ だが、その光景は、帝国の人々が恐れていた「鉄蝗の略奪」とは真逆のものだった。

​「民よ、恐れることはない!
 我らは侵略者ではない! 飢えと圧政に苦しむ其方らを救いに来た『解放軍』である!」

​ 先頭を行く将軍たちが声を張り上げ、兵士たちが荷馬車から食料を配給していく。

 豊穣の国エルバニアが誇る、黄金色の小麦パン、新鮮な野菜、そして干し肉。

 飢餓に喘いでいた帝国の農民たちは、当初こそ恐れおののいていたが、配られた食料を口にした瞬間、その態度は一変した。

​「こ、これは……柔らかいパンだ!」

「あっちの兵隊さんは、何も奪わないぞ!」

「エルバニア万歳! 解放者万歳!」

​ 民衆は涙を流して感謝し、エルバニア軍を歓迎した。

 彼らにとって、自分たちを「鉄の家畜」として搾取する皇帝よりも、腹を満たしてくれる敵国の将軍の方が、よほど名君に見えたのだ。

​「……御しやすいものじゃな」

​ 本陣でその様子を見ていたグラハムは、口元だけで笑った。

 略奪を禁じ、施しを与える。

 それは慈悲ではない。

 敵地での「人心掌握」と「補給の円滑化」を狙った、高度な軍事行動だ。

 民を味方につければ、ゲリラ戦を防げるし、帝都への情報を遮断することも容易になる。

​「進めー! 北の鉄蝗どもを討ち滅ぼし、この地に黄金の春をもたらすのだー!」

​ 正義の旗印を掲げ、黄金の軍勢は北上を続けた。

​          *

​ 数日後。

 エルバニア軍は、シュタールグラードまでの中間地点にある保養地、湯治場『ユノハナ』に到達した。

 守備兵は既に逃亡しており、無血開城であった。

​ グラハムは、この地を冬季の拠点と定め、全軍に停止を命じた。

​ かつてヴァレンティンとルスラーナが逗留した老舗旅館『白鷺の館』。

 その離れにある広大な露天風呂『赤湯』に、今はグラハムと、その息子や孫たちが浸かっていた。

​「ふぅ……。戦の垢を落とすには、最高の湯じゃわい」

​ グラハムは湯船の縁に腕を預け、禿げ上がった頭から湯気を立ち上らせる。

 鉄分を含んだ赤褐色の湯は、老いた体に染み渡るようだ。

​「しかし、親父よ。
 ここで足を止めていいのか?」

​ 背中を流していた長男のグルテンが、逸る気持ちを抑えきれずに問う。

​「我らの勢いは破竹です。シュタールグラードの守りは手薄と聞きます。
 このまま一気に進軍すれば、雪が深くなる前に攻め落とせるのでは?」

​「そうだぞ、じいちゃん!
 俺たちならやれるさ!」

​ 孫たちも鼻息荒く同意する。

 連戦連勝の昂揚感が、彼らを強気にさせていた。

​「やれやれ、まだまだ若いのう……」

​ グラハムはグルテンたちを窘めるように首を振った。

​「よいか。我らが相手にしているのは、帝国の兵だけではない。
 もっと恐ろしい敵──『冬将軍』じゃ」

​ グラハムは空を指差す。

 鉛色の雲が、重く垂れ込めている。
​「グレイヴェリアの冬を甘く見るな。
 これから本格的な寒波が来る。
 下手に奥深くへ進めば、補給線は雪に埋もれ、兵は凍え、戦う前に全滅するぞ。
 かつての大国が、それで幾度も敗れ去った歴史がある」

​「うっ……し、しかし……」

 グルテンは尚も言い募ろうとする。

​「それに、このユノハナは『豊穣の特異点』だ。
 地熱を利用した温室があり、食料生産も可能。
 ここを拠点に冬を越し、兵を養い、民心を固める。
 そして春の訪れと共に、雪解け水のごとくシュタールグラードへ雪崩れ込む。
 これぞ、王者の戦いぞ」

​ グラハムは自信たっぷりに説く。

 それは、軍事的には極めて正しく、常識的で、賢明な判断だった。

 相手が「常識の通じる敵」であれば、だが。

​ ポタリ、ポタリ。

​ その時、天井の岩場から、何かが湯船に滴り落ちた。

 無色透明の液体。

 それが赤い湯に混ざり、拡散していく。

​「……ん? 親父、なんだか急に眠気が……」

​「俺もだ……体が、動かなく……」

​ グルテンたちが、虚ろな目をしてふらつき始める。

 そして次々と、糸が切れたように湯の中に崩れ落ちていった。

​「ぬっ!? グルテン! お前たち、どうしたのじゃ!?」

​ グラハムが驚いて立ち上がろうとするが、彼自身も軽い目眩を覚える。

 だが、歴戦の老将の精神力が、強引に意識を繋ぎ止めた。

​「……誰だッ!」

​ グラハムが一喝すると、湯煙の奥から、くつくつという忍び笑いが響いた。

​「ククク……さすがは名将グラハム・レノックス。
 若造どもとは鍛え方が違うか」

​ 湯気の中から姿を現したのは、全身黒ずくめの男──暗殺者ムギトだった。

 彼は湯船の縁に腰掛け、気絶して湯に浮かぶグラハムの息子たちを嘲笑うように見下ろしている。
​「ムギトか……!
 貴様、何の真似だ。味方に牙を剥くか」

​「味方? 勘違いするなよ、将軍。
 俺は金で雇われた冒険者だ。
 今日はただの『警告』と『再交渉』に来ただけさ」

​ ムギトは懐から紫色の小瓶──かつてルスラーナに使った『たわむれの紫水晶』──を弄びながら言う。

​「見ろよ、このザマを。
 二十万の大軍を率いる総大将が、裸で無防備に湯に浸かっている。
 もし俺が敵の刺客だったら、今頃アンタの首は胴体とサヨナラしてたぜ?」

​ ムギトはグラハムの喉元に指を突きつける。

​「いかに大軍を持とうと、大将の首一つ取られれば終わりだ。
 アンタらは、隙だらけなんだよ」

​「……ふん」

​ 喉元に指を突きつけられても、グラハムは眉一つ動かさなかった。

 逆に、冷ややかな視線でムギトを射抜く。

​「偉そうな口を利くではないか。
 ……その『とっておきの薬』とやらで、あのルスラーナ皇女一人を仕留め損なった分際でな」

​「ッ……!」

​ ムギトの顔から余裕が消え、こめかみに青筋が浮かぶ。

 意識を失う直前、術師としての生存本能が、魂を強制的に『予備の器』へと転写させていた。

 肉体機能が完全に停止する寸前での、文字通りの九死に一生。

 そうして復活を遂げたものの、ルスラーナに完敗し、這々の体で逃げ帰った屈辱は、彼にとって最大のトラウマとなっていた。

​「……言うじゃねえか、ジジイ。
 だがな、あいつは『規格外』だ。
 あんな、薬も毒も効かない、物理攻撃も通じない化け物を基準にするな」

​ ムギトは開き直ったように肩をすくめる。

​「まあいい。
 失敗は認めるが、だからこそ次は失敗しない。
 俺の『影の技』は、アンタら表の軍隊にはない切り札になるはずだ。
 ……だが、前の報酬じゃ割に合わねえな。
 あの化け物を相手にするリスクと、今回の情報料。
 色をつけてもらわないと困る」

​ ムギトは指を擦り合わせ、賃上げを要求する。

 グラハムは、しばらくムギトを睨みつけていたが、やがてフッと口元を緩めた。

​「……よかろう。
 確かに、二十万の兵といえど、あの死神の首を取れる保証はない。
 貴様の汚い手が必要になる場面もあるだろう」

​ グラハムは湯船から立ち上がり、仁王立ちで周囲の施設──『白鷺の館』と、豊かな湯煙を指し示した。

​「勝利の暁には、この『ユノハナ』を貴様にくれてやる」

​「……ほう?」

​ ムギトが目を丸くする。
​「ここは帝国でも有数の金を生む土地だ。
 貴様のような裏稼業の人間が、表の領主として一生遊んで暮らせるだけの価値がある。
 どうだ、悪くない話だろう?」

​「……へっ、太っ腹だな大将」

​ ムギトはニヤリと笑った。
 それは、想像以上の破格の報酬だった。
 が、彼は気づいていない。

 国王でもないグラハムに、報酬に『ユノハナ』を与える権限など無いことを。

 だが、それを信じさせるのが、グラハムという老将の凄さであった。 
 
「交渉成立だ。
 アンタが帝都の玉座に座るまで、俺のナイフはアンタのために磨いておいてやるよ」

​「うむ。期待しておるぞ」

​ 湯煙の中、老将と暗殺者は視線を交わし、不敵に笑い合った。

​ 彼らは信じて疑わなかった。

 冬が明ければ勝利を掴めると。

 そして、この心地よい湯が、自分たちを茹で上げるための「釜」であることになど、気づく由もなかった。

​ 北の空からは、チラチラと雪が舞い始めていた。

 それは、全てを凍てつかせる「冬将軍」の先触れであった。
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