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第十六章 粛正の嵐、蒼き穀倉の夢
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『灰色の森』での「狩り」と「契約」を終えたヴァレンティン軍は、来た時とは別人のような威圧感を纏って、城塞都市アイゼン・トーアへと帰還した。
先頭を行くのは、変わらずヴァレンティンとルスラーナ。
だが、その後ろに続く軍列には、異様な集団が加わっていた。
灰色の肌を持つダークエルフ、剛毛に覆われた狼人、一つ目の巨人……。
かつて帝国の敵であった「魔族」たちが、整然と隊列を組み、帝国兵と肩を並べて行軍しているのだ。
「ひ、ひぃぃッ! 魔族だ! 魔族が攻めてきたぞ!」
城壁の上の見張り兵が、恐怖に駆られて半鐘を鳴らす。
都市内は大混乱に陥った。
「開門せよ! ヴァレンティン・オブ・グレイヴェリアの凱旋である!」
ヴァレンティンのよく通る声が響き渡ると、混乱は一瞬で静まり返った。
攻めてきたのではなく、皇子が従えて帰ってきたのだと理解した瞬間、恐怖は畏怖へと変わった。
重厚な城門が、軋みながら開かれる。
それが、アイゼン・トーアの運命が変わる瞬間だった。
*
総督府の大広間。
総督ボリス・ボロゾフ伯爵は、豪華な食事を前に、酒杯を片手に震えていた。
「ば、馬鹿な……。あの森から、無傷で帰ってきただと?
しかも魔族を手懐けて……?」
彼は、ヴァレンティンたちが森で全滅するか、少なくともボロボロになって逃げ帰ってくることを期待していたのだ。
「ボロゾフ閣下! ヴァレンティン殿下が、こちらへ向かっております!」
「と、通せ! いや、私が迎えに出る!」
ボロゾフが立ち上がろうとした瞬間、大広間の扉が蹴破られた。
ドォォォンッ!!
木片が飛び散る中、悠然と入ってきたのは、黒甲冑の死神──ルスラーナだ。
その後ろから、泥一つついていない純白の軍服を着たヴァレンティンが続く。
「やあ、ボロゾフ伯爵。
相変わらず豪勢な食事だな。
最前線の兵士たちは、塩スープ一杯で飢えているというのに」
ヴァレンティンは、テーブルに並べられた子羊のローストや新鮮な果物を冷ややかに見下ろす。
「こ、これは誤解です、殿下!
これは殿下の凱旋を祝うための準備で……!」
ボロゾフは必死に言い訳を並べるが、ヴァレンティンは聞く耳を持たない。
「森での任務は完了した。
次は、この街の『害虫駆除』だ」
ヴァレンティンが指を鳴らす。
すると、ミハイル千人長が進み出て、一束の書類を叩きつけた。
「ボロゾフ伯爵!
貴様が横領した軍費、闇商人への横流しの証拠、そして兵士への給与未払いの記録……全て調べ上げさせてもらったぞ!」
「なッ、貴様、ミハイル!? 一介の千人長風情が!」
「お黙り、腐れスヴィーが!」
ルスラーナが瞬時に間合いを詰め、斧槍の柄でボロゾフの太鼓腹を殴りつけた。
「グボォッ!?」
ボロゾフは蛙のように潰れた声を上げ、床に転がる。
「ねえ兄上。こいつ、やっぱりミンチにしていい?」
ルスラーナは、かつてないほど冷たい殺気を放っている。
彼女は食いしん坊だが、それ以上に「兵士を飢えさておきながら、自分だけ飯を食う輩」が許せないのだ。
「……許可する。
ただし、汚い血で床を汚すなよ。これからここを私の執務室にするのだからな」
「了解!」
ルスラーナはボロゾフの襟首を掴み、軽々と持ち上げた。
「ひ、ひぃぃ! 助けてくれ! 金ならある! 何でもやるから!」
「あいにくね。兄上の許可が出たわ。
お前はもう、人間じゃない。ただの『廃棄肉』よ」
ルスラーナはボロゾフを引きずり、バルコニーへと向かう。
そして、眼下の広場に集まっていた飢えた兵士や市民たちの前へ、ボロゾフを放り投げた。
「みんなー! 元凶はこいつよ!
こいつが私腹を肥やしてたせいで、あんたたちは飢えてたの!
好きにしていいわよ!」
その言葉が合図だった。
長年の圧政に耐えてきた人々の怒りが爆発し、ボロゾフへと殺到する。
「返せ! 俺たちの食い扶持を!」
「この豚め!」
断末魔の悲鳴は、瞬く間に怒号にかき消され、やがて聞こえなくなった。
まさに文字通りの「ミンチ」となったのだ。
*
害虫駆除を終えたヴァレンティンは、総督府の最上階から、アイゼン・トーアの周辺に広がる荒野を見下ろしていた。
そこは、痩せた土地と荒れ地が広がるだけの、一見すると不毛の大地だ。
「……ねえ兄上。
あんな豚を始末したのはスッキリしたけど、こんな寂れた街を拠点にするの?
やっぱり帝都の方が、ご飯も美味しいんじゃない?」
ルスラーナが、ボロゾフの食卓から失敬した果物をかじりながら問う。
「ルスラーナ。お前には、あの荒野がどう見える?」
「え? どうって……草も生えない、ただの荒れ地でしょ?
狩りをするにも獲物が少なそうだし」
「凡百の者にはそう見えるだろうな。
だが、私には見えるよ。
あの一面が、黄金色の麦畑に変わり、見渡す限りの牧草地で牛や羊が育つ光景がな」
「はあ? 兄上、疲れてるの?
ここは東の最果てよ? 帝都周辺の穀倉地帯とは土の質が違うわ」
「いいや、土は良いのだ」
ヴァレンティンは自信たっぷりに断言した。
「帝国の学者たちは、『灰色の森』を不吉な場所として忌避し、調査すらしなかった。
だが、あの森から流れてくる水、そして火山灰を含んだ土壌は、実は極めて肥沃だ。
単に、森の魔物の脅威と、開拓する技術と人手がなかっただけに過ぎん」
彼は振り返り、控えていたランスローネと、亜人の代表者たちを見た。
「おい、ザルヴァゴス。
お前たちの土魔法と、ドワーフの治水技術があれば、あの荒れ地に水路を引き、土壌を改良することは可能か?」
ザルヴァゴスは窓の外を一瞥し、鼻を鳴らした。
「……造作もないことだ。
人間どもは鍬で耕すことしか知らぬようだが、我らならば精霊の力を借りて、数ヶ月で沃土に変えてみせよう」
「ガルオウ。お前たちの群れの力があれば、開墾の重労働もこなせるな?」
「グルルッ……岩をどかすくらい、朝飯前だ!」
ヴァレンティンは満足げに頷き、ルスラーナに向き直った。
「聞いたか、ルスラーナ。
これまでは『不毛』と捨て置かれていたこの広大な土地が、彼らの力で『帝国最大の穀倉地帯』に化けるのだ。
帝都周辺の古臭い農地など目ではない。
ここには、お前の胃袋を一生満たしても余りあるほどの、無限の肉とパンが産まれるのだよ」
「……無限の、肉!」
ルスラーナの瞳が、宝石のように輝いた。
彼女にとって、それはどんな宝石やドレスよりも魅力的な未来図だった。
「すっごい! さすが兄上!
ここが私たちの新しい国──『肉の都』になるのね!」
「……ネーミングは再考の余地があるが、まあいい」
ヴァレンティンは苦笑し、再び眼下の街を見下ろす。
「この『アイゼン・トーア』を、我々の暫定首都とする。
西の帝都が腐り落ち、エルバニアの波に飲まれる間に、我々はここで力を蓄える。
そして時が来れば──」
彼は拳を握りしめた。
「最強の軍事力と、最大の経済基盤を持った我々こそが、真の覇者として大陸に君臨するのだ」
「……あの、ヴァレンティン殿下。一つ、よろしいでしょうか」
恐る恐る手を挙げたのは、大盾の戦士ベオウルフィンだった。
彼は落ち着かない様子で躊躇いながら、隣の女戦士ブリューネと顔を見合わせる。
「実は……俺たち、もう戦うのはうんざりだったんです。
毎日泥水をすすって、いつ死ぬか分からない日々……。
でも、ここが畑になるってんなら、俺のこの馬鹿力、人殺しじゃなくて、畑を耕すのに使いてぇんです!」
「アタシもだよ!」
ブリューネも、背負った巨大な戦斧をドンと置く。
「戦うのは得意だったさ。
でも、木を切るのはもっと得意さ。
敵の首を刎ねるなんかより、開墾のために森を切り開く方が、飯が美味くなりそうだ。
ヴァレンティン殿下、アタシたちを農耕部隊に回してくれないかい!
自分で育てた野菜と肉で、腹いっぱい食いてぇんだよ!」
その言葉に、ルスラーナが目を輝かせて食いついた。
「あんたたち、分かってるじゃない!
そうよ、自分で育てた肉と野菜は格別よ!
いいわね兄上、採用よ!
こいつらは今日から『農業長』よ!」
「はははは、勝手に決めるな。
だがよかろう。
戦うより農耕に価値を見出す──輝かしい志じゃないか
ベオウルフィン、盾を鍬に持ち替え土を掘り起こし、大地を芽吹かせろ。
ブリューネ、斧で木を切り、新しい国を切り開け」
ヴァレンティンが許可すると、ベオウルフィンとブリューネは「やったぁ!」と手を取り合って喜び、そこにルスラーナも混じって「肉よ、肉くぅ」と燥ぐ。
「あー、それならウチは、都市計画の図面を引かせてもらうっス!」
鍛冶師のヒュティームが、ピンクのツインテールを揺らして進み出る。
「この街の設備はボロボロっスからね。
鍛冶仕事が天職なドワーフ族の旦那たちと協力して、水路から製鉄所まで、全部最新鋭にリフォームしてやるっス!
ウチの魔改造技術があれば、帝都なんて目じゃない『超最先端要塞都市』が作れるっスよ!」
「頼もしいな。資材は好きに使え」
「うっす! 燃えてきたっスよー!」
ヒュティームは早速、懐から羊皮紙を取り出し、ブツブツと独り言を言いながら猛烈な勢いで設計図を書き始めた。
部下たちが次々と新たな役割を見出し、目を輝かせる中。
ミハイル千人長だけが、一人浮かない顔をして立ち尽くしていた。
(……みんな、凄いな。
ベオやブリューネは力がある。
ヒュティームには技術がある。
亜人たちには魔法がある。
だが、俺には何がある?
俺はただの叩き上げの軍人だ。戦うことと、部隊を指揮することしか能がない。
平和になったこの街で、俺の居場所なんて……)
急速に変化していく状況の中で、自分だけが取り残されたような疎外感。
ミハイルが俯きかけた、その時。
そっと、彼の手を握る温かい感触があった。
「……ミハイル」
隣にいたのはヴェルダンディーナだ。
彼女は、いつもの涼やかな瞳を潤ませ、真っ直ぐにミハイルを見つめていた。
「貴方は、何もできないなんて考えているんでしょ?
……馬鹿ね。貴方がいたから、私たちはここまで生き残れたのよ」
「ディーナ……」
「貴方は、私のようなハーフエルフも、はぐれ者の部下たちも、差別せずに守ってくれた。
貴方が私たちのかなめだったのよ。
……これからも、私の傍にいて。
貴方がいない平和なんて、私には意味がないわ」
ヴェルダンディーナは、ミハイルの肩に頭を預ける。
それは、戦場という極限状態の中で育まれた信頼が、明確な愛へと変わった瞬間だった。
「……ああ。俺もだ、ディーナ。離しはしない」
ミハイルは彼女の細い肩を抱き寄せた。
隻眼の古強者の目から、一筋の涙が伝う。
「あーあ、見せつけちゃって。熱いわねぇ」
ルスラーナがニヤニヤしながら冷やかすが、ヴァレンティンは静かにミハイルに歩み寄った。
「ミハイル千人長。
自分には役割がないなどと、腐っていたわけではあるまいな?」
「ッ! ……い、いえ! 滅相もございません!」
ミハイルは慌ててヴェルダンディーナから離れ、直立不動になる。
ヴァレンティンは微笑み、彼の方に手を置いた。
「人間と亜人。軍人と市民。
異なる種族、異なる職能を持つ者たちが混在するこの街には、それらを束ねる公平で人望のある『調停者』が必要だ」
ヴァレンティンは、広場にいる全員に聞こえるように宣言した。
「ミハイル。貴殿を、この新都アイゼン・トーアの『軍政総督』に任命する。
貴殿のその公平さと、部下を思う心で、この街の礎となれ!」
「……総督、私が……!?」
ミハイルは震えた。
左遷された窓際族の千人長が、一国の主に等しい地位を与えられたのだ。
それは、彼の「人間性」への最大の評価だった。
「謹んで……お受けいたしますッ!!
この命に代えても、殿下の覇道を支え、この街を守り抜きますッ!」
ミハイルは男泣きしながら叫んだ。
隣でヴェルダンディーナも、嬉し涙を拭っている。
「ま、頑張りなさいよ、総督。
ご飯が不味かったら、すぐに解雇するからね」
ルスラーナの冗談めかした脅しに、全員がドッと笑った。
こうして、腐敗した城塞都市は、若き覇王の野心と、死神の食欲、そして亜人たちの異能によって、急速に変貌を遂げた。
新たな指導者たちを得て、生まれ変わろうとしている。
剣は鍬に、殺意は愛と情熱に。
北の荒野に、希望の種が蒔かれたのだ。
新たな時代の礎が築かれ始めたのである。
先頭を行くのは、変わらずヴァレンティンとルスラーナ。
だが、その後ろに続く軍列には、異様な集団が加わっていた。
灰色の肌を持つダークエルフ、剛毛に覆われた狼人、一つ目の巨人……。
かつて帝国の敵であった「魔族」たちが、整然と隊列を組み、帝国兵と肩を並べて行軍しているのだ。
「ひ、ひぃぃッ! 魔族だ! 魔族が攻めてきたぞ!」
城壁の上の見張り兵が、恐怖に駆られて半鐘を鳴らす。
都市内は大混乱に陥った。
「開門せよ! ヴァレンティン・オブ・グレイヴェリアの凱旋である!」
ヴァレンティンのよく通る声が響き渡ると、混乱は一瞬で静まり返った。
攻めてきたのではなく、皇子が従えて帰ってきたのだと理解した瞬間、恐怖は畏怖へと変わった。
重厚な城門が、軋みながら開かれる。
それが、アイゼン・トーアの運命が変わる瞬間だった。
*
総督府の大広間。
総督ボリス・ボロゾフ伯爵は、豪華な食事を前に、酒杯を片手に震えていた。
「ば、馬鹿な……。あの森から、無傷で帰ってきただと?
しかも魔族を手懐けて……?」
彼は、ヴァレンティンたちが森で全滅するか、少なくともボロボロになって逃げ帰ってくることを期待していたのだ。
「ボロゾフ閣下! ヴァレンティン殿下が、こちらへ向かっております!」
「と、通せ! いや、私が迎えに出る!」
ボロゾフが立ち上がろうとした瞬間、大広間の扉が蹴破られた。
ドォォォンッ!!
木片が飛び散る中、悠然と入ってきたのは、黒甲冑の死神──ルスラーナだ。
その後ろから、泥一つついていない純白の軍服を着たヴァレンティンが続く。
「やあ、ボロゾフ伯爵。
相変わらず豪勢な食事だな。
最前線の兵士たちは、塩スープ一杯で飢えているというのに」
ヴァレンティンは、テーブルに並べられた子羊のローストや新鮮な果物を冷ややかに見下ろす。
「こ、これは誤解です、殿下!
これは殿下の凱旋を祝うための準備で……!」
ボロゾフは必死に言い訳を並べるが、ヴァレンティンは聞く耳を持たない。
「森での任務は完了した。
次は、この街の『害虫駆除』だ」
ヴァレンティンが指を鳴らす。
すると、ミハイル千人長が進み出て、一束の書類を叩きつけた。
「ボロゾフ伯爵!
貴様が横領した軍費、闇商人への横流しの証拠、そして兵士への給与未払いの記録……全て調べ上げさせてもらったぞ!」
「なッ、貴様、ミハイル!? 一介の千人長風情が!」
「お黙り、腐れスヴィーが!」
ルスラーナが瞬時に間合いを詰め、斧槍の柄でボロゾフの太鼓腹を殴りつけた。
「グボォッ!?」
ボロゾフは蛙のように潰れた声を上げ、床に転がる。
「ねえ兄上。こいつ、やっぱりミンチにしていい?」
ルスラーナは、かつてないほど冷たい殺気を放っている。
彼女は食いしん坊だが、それ以上に「兵士を飢えさておきながら、自分だけ飯を食う輩」が許せないのだ。
「……許可する。
ただし、汚い血で床を汚すなよ。これからここを私の執務室にするのだからな」
「了解!」
ルスラーナはボロゾフの襟首を掴み、軽々と持ち上げた。
「ひ、ひぃぃ! 助けてくれ! 金ならある! 何でもやるから!」
「あいにくね。兄上の許可が出たわ。
お前はもう、人間じゃない。ただの『廃棄肉』よ」
ルスラーナはボロゾフを引きずり、バルコニーへと向かう。
そして、眼下の広場に集まっていた飢えた兵士や市民たちの前へ、ボロゾフを放り投げた。
「みんなー! 元凶はこいつよ!
こいつが私腹を肥やしてたせいで、あんたたちは飢えてたの!
好きにしていいわよ!」
その言葉が合図だった。
長年の圧政に耐えてきた人々の怒りが爆発し、ボロゾフへと殺到する。
「返せ! 俺たちの食い扶持を!」
「この豚め!」
断末魔の悲鳴は、瞬く間に怒号にかき消され、やがて聞こえなくなった。
まさに文字通りの「ミンチ」となったのだ。
*
害虫駆除を終えたヴァレンティンは、総督府の最上階から、アイゼン・トーアの周辺に広がる荒野を見下ろしていた。
そこは、痩せた土地と荒れ地が広がるだけの、一見すると不毛の大地だ。
「……ねえ兄上。
あんな豚を始末したのはスッキリしたけど、こんな寂れた街を拠点にするの?
やっぱり帝都の方が、ご飯も美味しいんじゃない?」
ルスラーナが、ボロゾフの食卓から失敬した果物をかじりながら問う。
「ルスラーナ。お前には、あの荒野がどう見える?」
「え? どうって……草も生えない、ただの荒れ地でしょ?
狩りをするにも獲物が少なそうだし」
「凡百の者にはそう見えるだろうな。
だが、私には見えるよ。
あの一面が、黄金色の麦畑に変わり、見渡す限りの牧草地で牛や羊が育つ光景がな」
「はあ? 兄上、疲れてるの?
ここは東の最果てよ? 帝都周辺の穀倉地帯とは土の質が違うわ」
「いいや、土は良いのだ」
ヴァレンティンは自信たっぷりに断言した。
「帝国の学者たちは、『灰色の森』を不吉な場所として忌避し、調査すらしなかった。
だが、あの森から流れてくる水、そして火山灰を含んだ土壌は、実は極めて肥沃だ。
単に、森の魔物の脅威と、開拓する技術と人手がなかっただけに過ぎん」
彼は振り返り、控えていたランスローネと、亜人の代表者たちを見た。
「おい、ザルヴァゴス。
お前たちの土魔法と、ドワーフの治水技術があれば、あの荒れ地に水路を引き、土壌を改良することは可能か?」
ザルヴァゴスは窓の外を一瞥し、鼻を鳴らした。
「……造作もないことだ。
人間どもは鍬で耕すことしか知らぬようだが、我らならば精霊の力を借りて、数ヶ月で沃土に変えてみせよう」
「ガルオウ。お前たちの群れの力があれば、開墾の重労働もこなせるな?」
「グルルッ……岩をどかすくらい、朝飯前だ!」
ヴァレンティンは満足げに頷き、ルスラーナに向き直った。
「聞いたか、ルスラーナ。
これまでは『不毛』と捨て置かれていたこの広大な土地が、彼らの力で『帝国最大の穀倉地帯』に化けるのだ。
帝都周辺の古臭い農地など目ではない。
ここには、お前の胃袋を一生満たしても余りあるほどの、無限の肉とパンが産まれるのだよ」
「……無限の、肉!」
ルスラーナの瞳が、宝石のように輝いた。
彼女にとって、それはどんな宝石やドレスよりも魅力的な未来図だった。
「すっごい! さすが兄上!
ここが私たちの新しい国──『肉の都』になるのね!」
「……ネーミングは再考の余地があるが、まあいい」
ヴァレンティンは苦笑し、再び眼下の街を見下ろす。
「この『アイゼン・トーア』を、我々の暫定首都とする。
西の帝都が腐り落ち、エルバニアの波に飲まれる間に、我々はここで力を蓄える。
そして時が来れば──」
彼は拳を握りしめた。
「最強の軍事力と、最大の経済基盤を持った我々こそが、真の覇者として大陸に君臨するのだ」
「……あの、ヴァレンティン殿下。一つ、よろしいでしょうか」
恐る恐る手を挙げたのは、大盾の戦士ベオウルフィンだった。
彼は落ち着かない様子で躊躇いながら、隣の女戦士ブリューネと顔を見合わせる。
「実は……俺たち、もう戦うのはうんざりだったんです。
毎日泥水をすすって、いつ死ぬか分からない日々……。
でも、ここが畑になるってんなら、俺のこの馬鹿力、人殺しじゃなくて、畑を耕すのに使いてぇんです!」
「アタシもだよ!」
ブリューネも、背負った巨大な戦斧をドンと置く。
「戦うのは得意だったさ。
でも、木を切るのはもっと得意さ。
敵の首を刎ねるなんかより、開墾のために森を切り開く方が、飯が美味くなりそうだ。
ヴァレンティン殿下、アタシたちを農耕部隊に回してくれないかい!
自分で育てた野菜と肉で、腹いっぱい食いてぇんだよ!」
その言葉に、ルスラーナが目を輝かせて食いついた。
「あんたたち、分かってるじゃない!
そうよ、自分で育てた肉と野菜は格別よ!
いいわね兄上、採用よ!
こいつらは今日から『農業長』よ!」
「はははは、勝手に決めるな。
だがよかろう。
戦うより農耕に価値を見出す──輝かしい志じゃないか
ベオウルフィン、盾を鍬に持ち替え土を掘り起こし、大地を芽吹かせろ。
ブリューネ、斧で木を切り、新しい国を切り開け」
ヴァレンティンが許可すると、ベオウルフィンとブリューネは「やったぁ!」と手を取り合って喜び、そこにルスラーナも混じって「肉よ、肉くぅ」と燥ぐ。
「あー、それならウチは、都市計画の図面を引かせてもらうっス!」
鍛冶師のヒュティームが、ピンクのツインテールを揺らして進み出る。
「この街の設備はボロボロっスからね。
鍛冶仕事が天職なドワーフ族の旦那たちと協力して、水路から製鉄所まで、全部最新鋭にリフォームしてやるっス!
ウチの魔改造技術があれば、帝都なんて目じゃない『超最先端要塞都市』が作れるっスよ!」
「頼もしいな。資材は好きに使え」
「うっす! 燃えてきたっスよー!」
ヒュティームは早速、懐から羊皮紙を取り出し、ブツブツと独り言を言いながら猛烈な勢いで設計図を書き始めた。
部下たちが次々と新たな役割を見出し、目を輝かせる中。
ミハイル千人長だけが、一人浮かない顔をして立ち尽くしていた。
(……みんな、凄いな。
ベオやブリューネは力がある。
ヒュティームには技術がある。
亜人たちには魔法がある。
だが、俺には何がある?
俺はただの叩き上げの軍人だ。戦うことと、部隊を指揮することしか能がない。
平和になったこの街で、俺の居場所なんて……)
急速に変化していく状況の中で、自分だけが取り残されたような疎外感。
ミハイルが俯きかけた、その時。
そっと、彼の手を握る温かい感触があった。
「……ミハイル」
隣にいたのはヴェルダンディーナだ。
彼女は、いつもの涼やかな瞳を潤ませ、真っ直ぐにミハイルを見つめていた。
「貴方は、何もできないなんて考えているんでしょ?
……馬鹿ね。貴方がいたから、私たちはここまで生き残れたのよ」
「ディーナ……」
「貴方は、私のようなハーフエルフも、はぐれ者の部下たちも、差別せずに守ってくれた。
貴方が私たちのかなめだったのよ。
……これからも、私の傍にいて。
貴方がいない平和なんて、私には意味がないわ」
ヴェルダンディーナは、ミハイルの肩に頭を預ける。
それは、戦場という極限状態の中で育まれた信頼が、明確な愛へと変わった瞬間だった。
「……ああ。俺もだ、ディーナ。離しはしない」
ミハイルは彼女の細い肩を抱き寄せた。
隻眼の古強者の目から、一筋の涙が伝う。
「あーあ、見せつけちゃって。熱いわねぇ」
ルスラーナがニヤニヤしながら冷やかすが、ヴァレンティンは静かにミハイルに歩み寄った。
「ミハイル千人長。
自分には役割がないなどと、腐っていたわけではあるまいな?」
「ッ! ……い、いえ! 滅相もございません!」
ミハイルは慌ててヴェルダンディーナから離れ、直立不動になる。
ヴァレンティンは微笑み、彼の方に手を置いた。
「人間と亜人。軍人と市民。
異なる種族、異なる職能を持つ者たちが混在するこの街には、それらを束ねる公平で人望のある『調停者』が必要だ」
ヴァレンティンは、広場にいる全員に聞こえるように宣言した。
「ミハイル。貴殿を、この新都アイゼン・トーアの『軍政総督』に任命する。
貴殿のその公平さと、部下を思う心で、この街の礎となれ!」
「……総督、私が……!?」
ミハイルは震えた。
左遷された窓際族の千人長が、一国の主に等しい地位を与えられたのだ。
それは、彼の「人間性」への最大の評価だった。
「謹んで……お受けいたしますッ!!
この命に代えても、殿下の覇道を支え、この街を守り抜きますッ!」
ミハイルは男泣きしながら叫んだ。
隣でヴェルダンディーナも、嬉し涙を拭っている。
「ま、頑張りなさいよ、総督。
ご飯が不味かったら、すぐに解雇するからね」
ルスラーナの冗談めかした脅しに、全員がドッと笑った。
こうして、腐敗した城塞都市は、若き覇王の野心と、死神の食欲、そして亜人たちの異能によって、急速に変貌を遂げた。
新たな指導者たちを得て、生まれ変わろうとしている。
剣は鍬に、殺意は愛と情熱に。
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【完結】追放された生活錬金術師は好きなようにブランド運営します!
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(全151話予定)世界からは魔法が消えていっており、錬金術師も賢者の石や金を作ることは不可能になっている。そんな中で、生活に必要な細々とした物を作る生活錬金術は「小さな錬金術」と呼ばれていた。
カモミールは師であるロクサーヌから勧められて「小さな錬金術」の道を歩み、ロクサーヌと共に化粧品のブランドを立ち上げて成功していた。しかし、ロクサーヌの突然の死により、その息子で兄弟子であるガストンから住み込んで働いていた家を追い出される。
落ち込みはしたが幼馴染みのヴァージルや友人のタマラに励まされ、独立して工房を持つことにしたカモミールだったが、師と共に運営してきたブランドは名義がガストンに引き継がれており、全て一から出直しという状況に。
そんな中、格安で見つけた恐ろしく古い工房を買い取ることができ、カモミールはその工房で新たなスタートを切ることにした。
器具付き・格安・ただし狭くてボロい……そんな訳あり物件だったが、更におまけが付いていた。据えられた錬金釜が1000年の時を経て精霊となり、人の姿を取ってカモミールの前に現れたのだ。
失われた栄光の過去を懐かしみ、賢者の石やホムンクルスの作成に挑ませようとする錬金釜の精霊・テオ。それに対して全く興味が無い日常指向のカモミール。
過保護な幼馴染みも隣に引っ越してきて、予想外に騒がしい日常が彼女を待っていた。
これは、ポーションも作れないし冒険もしない、ささやかな錬金術師の物語である。
彼女は化粧品や石けんを作り、「ささやかな小市民」でいたつもりなのだが、品質の良い化粧品を作る彼女を周囲が放っておく訳はなく――。
毎日15:10に1話ずつ更新です。
この作品は小説家になろう様・カクヨム様・ノベルアッププラス様にも掲載しています。
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