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02.ピンクの像
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――さむい……
俺の体には毛布が何枚もの重ね掛けされている。
その毛布を突き抜けて、寒さが刺さっていた。
よく見ると、部屋の壁が白くなっている。
ずっと顔に冷気が当たっていたからか、頭痛がします。部屋の中は零度を下回っている。そう思えるほどに寒かった。
どうしよう寒すぎる……、あんまり手間のかかる子供だと思われたくないんだけど……。
意を決して、母であるウンマーさんを呼んだ。
「かあしゃ! かあしゃー!」
まだ舌が回わらない、変なしゃべり方になる。
しかし、何を言っても親には伝わるはずで、大声を出すと隣の部屋からウンマーさんが出てきた。
「なぁに? ハイヤーン、どうしたの?」
こんなに寒いのに、ずいぶんのんびりしてるな。
いや、ウンマーさんはチュバのような厚手のコートを着ている。あれがよほど暖かいのか。
ウンマーさんはこちらを見た瞬間、顔色を変えてすっ飛んでくる。
ベッドに手をかけ、こちらを見つめる。
私の顔は可愛いでしょう。
真っ白でしょう。助けてください。
彼女は私の目を見つめながら「じっとしててね」と言い、小さな声で、何かブツブツ呟き始めた。
「……――とめ――――け、ほ――あり――せ……」
何を言っているのか聞き取れない。
早く毛布を持ってきてください。暖炉に火をつけてください。
痛む頭を堪えながらそんなことを思っていると、急に体が温かくなった。
――ふぉおおおおお! あったけぇ……!
ウンマーさんはにっこりと笑い。
「ほーら、もう大丈夫よー」
そう言って私を毛布から取り出し、抱き上げる。
肌着一枚の姿になっているのに、寒くない。
ここまで急に温かくなる暖房って何だ!?
――今の何!?
「なぁぁい!?」
「魔法よ、ま・ほ・う。魔法で体を温めたのよー」
体がユサユサ揺さぶられる。
母の胸に掴まりながら、興奮で体が熱くなるのを感じる。
この急激な温度の変化は、機械で実現できるものではないだろう。
部屋の壁はまだ白いのに、自分の体だけ温かくなっている。
魔法って夢を実現させるような、あの魔法だろうか。チンカラホイとは聞こえなかったけど。
――実はからかってる? んー、でも体温を上げる方法は知りたい。
――教えて!
「おぇぇて!」
気が付くと、母の言葉に重ねるように質問していた。
精神年齢が幼くなっている気がする。体が幼いと、心まで幼くなるのか。
ウンマーさんは俺をベッドに戻し「そうねー」と顎に手を添え考え事を始める。
考え事をしている仕草が様になっている。まぁ、なんだろう、美人だなーとしか思えないけど。
困った顔をして、目を合わせてくる。
「魔法、使えるようになりたい?」
試すような眼だ。
なんだろう、魔法を使えるようになると何か問題があるのか。
いやいや、この機会を逃すわけはない。
この寒さは明日以降も続くはず。明日の朝、ウンマーさんを呼べなかったら俺は死ぬんだ。
――今すぐにでも教えてほしい、です!
俺は強く頷いて、意思を伝えた。
「でも、魔法は危ないのよ、もうちょっと大きくなってから練習しましょう、ね」
ダメでした……さすがに1歳児に魔法を教えてはくれない。
だけど、シュンとした我が子を見て心が痛んだのか、
「でも、魔法の勉強はしましょう。いつかきっと、役に立つでしょうし」
困り顔をしながら、勉強の許可をくれました。
====
その日の夜ウンマーは、夫であるサーディクが帰ってくるのを家で待ちながら、自分の杖を見つめていた。
20cmほどの小さな杖。
杖の持ち手には小さな模様が刻まれている。
左上と右下の出隅が点になった正方形の中央に、十字の模様が入っていた。
ウンマーの家に伝わる印である。
ウンマーはその模様を見つめていた。
魔法は万能である。自身の魔力を消費するだけで、なんだって実現できる。
多くの呪文を知っている人は、多くのことが実現できる。
そのため、積極的に呪文は教えるべきだった。
しかし、息子の前で使った魔法は、自分の一族の秘術と呼ばれる魔法だった。
――教えてほしい魔法は、あの魔法でしょうね……
今朝ハイヤーンを見たときは、心臓が止まりそうになった。
掛けていた毛布が凍っていたのだ。
ウンマー達が住んでいるヒスト村は、ラーカウン王国の南西部、バガン山脈にある。
この村はかなり標高の高いところにある。夏と冬の境が明確で、寒暖の差が激しいところだった。
――自分に魔法をかけていたから、気付かなかったわ……
ウンマーの秘術は、温度を一定に保つ魔法である。
常に自分や周囲を、望んだ温度で保たせることができるため、非常に役に立つ魔法であった。
これを使って、息子を助けた。
本来なら、すぐにでも教育をし、息子自身がこの魔法を使えるようにするべきだろう。
だが、それをしたくない理由があった。
呪文には適性がある。
適性のない人物が呪文を唱えると、呪文が返ってくることがある。
よくある例では、目の前の薪を燃やそうと火をつける呪文を唱えたら、隣にいた人に火が付いてしまった、という話だ。
他にも、自分の体を強化しようとしたら肉体が膨張して、そのまま死んでしまった人の話もある。
ウンマーの一族の魔法は、対象と使用者の体温が入れ替わるなど、温度と対象がアベコベになることがあった。
万人に適性のある呪文はあるが、今朝の呪文は適性のある者が少なく、これまで何人もの使用者が亡くなっている呪文である。
ウンマーの一族でも、過去に死者が出ている。
――初めての息子に、教えてもいいのか……
――使ったら、死んでしまうのではないか……
1人で悩んでいると、雪を被ったサーディクが帰ってきた。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
扉を開けて帰ってきたサーディクのローブを脱がそうと近づくと、お酒の匂いがする。
今日は飲んで帰ってきたらしい。
「食べてきたの?」
「ああ、聞いてくれ! 今日はミスリルが取れたんだ!」
サーディクは興奮しながら話し始めた。
ミスリルはバガン山脈で採れる、かなり貴重な鉱石である。
「鉱脈があるかもしれない! 明日から調査が行われることになったんだ! セグメクの野郎が、今日は石の声が聞こえる。なんて言い出した時は、とうとう頭がおかしくなったかと思ったが――」
――ずいぶんと酔っているみたい。
水を差しだし、しばらく話を聞いていた。
ミスリルの鉱石を採ることは、鉱夫としてとても名誉なことだ。
ミスリルを採ったものには、村から追加で報酬も支払われる。
気分よく話していたサーディクだったが、ウンマーの曇った表情に気が付いた。
「どうした、何かあったのか?」
ウンマーは今日あったことを話した。
「別に魔法を教えるくらいいいじゃないか。それに、将来戦士になれるかもしれない」
「あの子は私の呪文を知りたそうなの、あの呪文が失敗したときの話は、したことがあるでしょう?」
サーディクは、ウンマーが背中を押してもらいたがっていることに気が付いた。
ウンマーは教えるべきだと思っているのだろう。
だが、万が一失敗したとき、1人で乗り越えられないと分かっているのだ。
サーディクはウンマーの手を取り、ゆっくり話しかける。
「ウンマー、俺もハイヤーンを大事にしたい。でもな、坑道に入るから金やミスリルが手に入るんだ。せっかく自分のためになる機会を、捨てさせる訳にはいかないだろ?」
鉱山での作業は命懸けだ。
急に天井が崩れてくるかもしれないし、毒ガスだって噴き出してくる。
まれに地中を進むモンスターと遭遇することもある。
予期しない、しかも不可避の危険に満ちた場所に入るのは、それに見合ったリターンがあるからである。
1回でも両手いっぱいのミスリルの鉱石を持ち帰ることができれば、その年は食いっぱぐれの心配がない。
リスクに見合ったリターンがあるのだ。
サーディクも、ハイヤーンを大事にしたい。
だが本人がせっかくやる気になっているのだ、
それの危険性を知らないからとしても、踏み込める内は踏み込ませるべきだと、そうサーディクは考えていた。
「大丈夫、ハイヤーンなら大丈夫だ。だからいいな、ハイヤーンに魔法を教えるんだ。いいな?」
「あなた……」
ウンマーは泣きながらサーディクに抱き着いた。
サーディクはリビングで眠るハイヤーンの顔を見ながら「大丈夫」と呟いた。
====
人が起きる気配がした。
目を覚ますと、はだけた寝間着の中から、大きな胸が動いているのが見える。
頭を撫でられ、ウンマーさんがベッドから出て行った。
凍死しかけた次の日から、ずっとウンマーさんと同じベッドで寝ている。
寒さは全く感じない。
非常に幸せな気分である。
母親のぬくもりを感じたというか、なんだろう。大事にされているとはっきり感じる。幸せな気分だ。
幸せホルモンが脳内でドバドバ出ているはずだ、心がすっごく満たされている。
(あの人には迷惑をかけないようにしよう……)
幸せな気分のまま、再び寝入った。
====
あれからこの世界の常識と、魔法についての勉強が始まりました。
嘘みたいだけど、この世界には魔法が存在する。理屈は分からない。
柴郎がいたら大喜びしそうだな―と思いながら、母の授業を受けました。
魔法は魔力を消費して使用します。
使用するには必ず呪文が必要で、魔力を込めながら呪文を口にしたり、魔法文字として書かれた呪文に魔力を流すことで、魔法が発動します。
この呪文や魔法文字は世界共通で、これさえ読み書きできれば、識者間での意思疎通に困ることはないそうです。
ただ、呪文で会話をすることは禁止されました。なんでも、下手に喋ると神様が怒るそうです。
なんかボカされてるけど、親がこう言うからには何か理由があるはずです。従いましょう。
ウンマーさんからは呪文の文字の意味・読み・書きを叩き込まれ、簡単な魔法を実際に使わせてもらいました。
土を生成する魔法です。呪文は長いので割愛します。
この"土生成"を使うと、何もないところから土が湧きます。構成成分は分かりません。
源内が喜んで、柴郎が卒倒しそうな話です。地球の科学は通じません。考えるのはやめました。あるがままを受け入れろ。
5歳のある日、ついに凍死を避ける魔法を教えてもらえることになりました。
なんでも、あの魔法はウンマーさん一族の秘伝なので、他人のいない所で教える必要があるそうです。
なぜ秘伝なのかは教えてくれませんでした。
ウンマーさんに連れられて、初めてヒスト村の外に出る。
ヒスト村は、崖に張り付くような村だった。
崖を削り、家と階段が作られている。
村の階段をすべて降りた先は、地の果てまで続く大草原。その奥に鋸の刃のような山脈が並んでいる。
村を振り返ると、村からは川が流れ出て草原へと続いている。
川の周囲には小麦畑があり、並ぶ草原では羊や馬が放牧されていた。
牧歌的という表現がぴったり合う、素敵な場所。
ウンマーさんが馬に向かって「シェーーイ!!」と叫ぶと、一頭の馬がこちらに駆けてきた。
やってきた馬は、真っ黒な毛並みの綺麗な馬。
ウンマーさんに顔を近づけ、ブルッ ブルっと大きな鼻を鳴らしている。
「シェイ、今日はご機嫌ねー」
ウンマーさんは手に持っていた木の実を与える。
黒い馬はそれを嬉しそうに、シャクリシャクリと音を鳴らして食べている。
食べながら涎がだらだら流れている。よほど美味しいみたいだ。
「ちょうだい」
「ハイヤーン、この子はシェイよ」
無視されました。
気が付いたらウンマーさんに持ち上げられていて、シェイの顔が目の前にある。
シェイはこちらの匂いを嗅いだ後、膝を折ってしゃがみ込む。
「ふふっ、シェイありがとう」
ウンマーさんはシェイの首を撫でた後、シェイに跨り手綱を握る。
するとシェイは立ち上がり、ウンマーさんにポンとお腹を蹴られて走り出した。
====
しばらくシェイに揺られた後、小さな丘の上に到着した。
丘の頂上付近は岩場になっている。
村からは大分離れた。
周囲を見渡すと、遠くでなにか動いている影が見える。
目を細めてよーく見ると、ピンク色の像が歩いている。
ただ、俺の目がおかしくなければ、あの象はいま立っている丘よりも大きい。
「お母さん、ピンクの象が見えます」
「んー? あれは紫象ね。ピンクじゃなくて紫よ。モンスターだけど、こっちには来ないから大丈夫」
「ピンクじゃないの?」
「ええ。よーく見て、紫色でしょう」
幻覚じゃないのか。いや、幻覚の方がましだ。
アフリカのキリンでも、背丈はせいぜい5m。
なのに、ここでは背丈20mはありそうな巨大な像が歩いている。しかもモンスターと呼ばれている。
(ゲームの世界じゃん!!)
まって、俺の前世の行いってそんなに悪かった?
崖から飛び降りたり、グラウンド吹っ飛ばしたくらいだよ? その程度でこうなるの!?
とんでもない世界に産み落とされた……
ウンマーさんと目が合う。
思わず、「ごめんなさい」と謝った。
ウンマーさんの頭にクエスチョンマークが浮かんでいます。あぁ、呆けた顔も美しい。
シェイから降りた後、ウンマーさんが真面目な顔をしてこちらを見つめる。
「いい? これから秘伝の呪文を教えます。これは絶対に他の人に聞かれたらダメな呪文よ、たとえお父さんにも、絶対に聞かせないこと、いいわね?」
ウンマーさんは目を合わせ、一言一言はっきりと語るように話す。
真剣さが伝わってきた。
落ち込んだ気持ちを切り替えます。ネガティブは学業の敵です。
うん、あれがいるから魔法があるんだ! 生きるために頑張らねば!
イントリンシック・モチベーション!
「はい、絶対に、誰にも聞かれないようにします」
ウンマーさんは「うん」と頷き、こぶし大の石を拾い上げた。
「これから教える呪文は、温度を変える魔法です。この石の温度をお湯みたいにしたら、どうなると思う?」
石の温度を急激に上げたらどうなるか? ということだろうか。
それは試したことがある。四人でレンガ窯を作った時に、色々なものを燃やしたことがある。
高温の窯の中に投げ込んだら、石は割れた覚えがある。石の種類にもよると思うけど。
「割れます!」
「……この石は、爆発します」
(爆発!? それ絶対何か混じってるよ!)
匂いを嗅ごうとしたけれど、その石は丘の下に投げられた。
石はコロコロ転がって、10mほど離れたところで止まる。
(……まぁいい、石は足元にたくさんある)
石を拾おうとしたら、ウンマーさんに後ろから抱きしめられた。
「あの石を指でさし続けなさい、目を離しちゃだめよ。あの石だけに集中しなさい」
「……はい」
気を取り直して石を指さす。石の模様がハッキリと見えた。
「じゃあ、これから私が言うことを復唱して、あの石を熱くさせなさい」
「はい」
「我らを止める縛りを解け――
「我らを止める縛りを解け――
――火先のように場を揺らせ」
――火先のように場を揺らせ」
唱えている最中、いつもの"土生成"より、多くの魔力を消費する感覚がした。
熱を上がっていく。徐々に石の温度が上がっていくのが分かる。
全身から汗が噴き出している。頭がクラクラしてきた。
でもそれは石も同じみたいで、石は濛々と煙を上げ始めた。もう少しだ。
ウンマーさんは、俺の額を手で押さえながら言う。
「……もういいわ、魔力を止めて」
言われたとおりに魔力の供給を止める。
"ボゴンッ!!" という大きな音とともに、石が砕け散った。
「ふーっ!!」
大きく息を吐き出した。
魔力をほとんど使い切ったからか、足に力が入らない。
すると、突然息が苦しくなった。
後ろから強く、ウンマーさんに抱きしめられている。
「おかあさん……?」
顔は見えないが、ウンマーさんは泣いているように感じる。
なんでだろう、親の感情がダイレクトに伝わってくる。
嬉しいような、ホッとしているような……。
「よかったぁ、よかったぁ……」
よく分からないけれど、どうやら成功したみたいだ。
====
シェイに乗っての帰り道。
「この呪文は、人前で口に出してはダメよ、どうしても口にするときは、口を閉じて唱えること」
「はい」
「ほかの人がこの呪文を唱えたら、死んじゃうんだからね」
「はい」
――ん? ちょっと待って、死ぬ?
振り返ってウンマーさんの顔を見る。
「死ぬんですか?」
「うん。私の従兄は、あの呪文が返ってきて死んじゃったのよ」
(初耳だよ! 呪文が返ってくる? あの石みたく俺が熱を持つかもしれなかった、ってこと?)
「呪文が返ってくるって、なに?」
「呪文には適性があるのよ、ほとんどの呪文は皆使っても大丈夫だけど。今日みたいな呪文は、普通の人が使うと魔法が暴走しちゃうの」
魔法は暴走しなかったはず、てことは適性があったってことか。なかったら暴走していたらしく……。俺はラッキーだったのか。
「適性ってなに? 使っていいの?」
「適性は……適正よ、使えるか使えないかってこと! ハイヤーンに適性があることは分かったし、これからも使って大丈夫よ」
ウンマーさんはニヒッと笑い、私の頭を撫でまわします。
「あ、でも、家で使うのはダメよ、しばらくは今日みたいに人のいないところで練習しなさい。家で使ったら火事になったりするからね。火事は怖いのよ――」
今日のウンマーさんはご機嫌だ。
息子に危ない運試しをさせたんだから、相当来るものがあったんだろう。
知らずに運試しされた身としては…… まぁ、うん、結果オーライだ。うん。
その日は、母のうんちくを聞きながら、家に帰った。
俺の体には毛布が何枚もの重ね掛けされている。
その毛布を突き抜けて、寒さが刺さっていた。
よく見ると、部屋の壁が白くなっている。
ずっと顔に冷気が当たっていたからか、頭痛がします。部屋の中は零度を下回っている。そう思えるほどに寒かった。
どうしよう寒すぎる……、あんまり手間のかかる子供だと思われたくないんだけど……。
意を決して、母であるウンマーさんを呼んだ。
「かあしゃ! かあしゃー!」
まだ舌が回わらない、変なしゃべり方になる。
しかし、何を言っても親には伝わるはずで、大声を出すと隣の部屋からウンマーさんが出てきた。
「なぁに? ハイヤーン、どうしたの?」
こんなに寒いのに、ずいぶんのんびりしてるな。
いや、ウンマーさんはチュバのような厚手のコートを着ている。あれがよほど暖かいのか。
ウンマーさんはこちらを見た瞬間、顔色を変えてすっ飛んでくる。
ベッドに手をかけ、こちらを見つめる。
私の顔は可愛いでしょう。
真っ白でしょう。助けてください。
彼女は私の目を見つめながら「じっとしててね」と言い、小さな声で、何かブツブツ呟き始めた。
「……――とめ――――け、ほ――あり――せ……」
何を言っているのか聞き取れない。
早く毛布を持ってきてください。暖炉に火をつけてください。
痛む頭を堪えながらそんなことを思っていると、急に体が温かくなった。
――ふぉおおおおお! あったけぇ……!
ウンマーさんはにっこりと笑い。
「ほーら、もう大丈夫よー」
そう言って私を毛布から取り出し、抱き上げる。
肌着一枚の姿になっているのに、寒くない。
ここまで急に温かくなる暖房って何だ!?
――今の何!?
「なぁぁい!?」
「魔法よ、ま・ほ・う。魔法で体を温めたのよー」
体がユサユサ揺さぶられる。
母の胸に掴まりながら、興奮で体が熱くなるのを感じる。
この急激な温度の変化は、機械で実現できるものではないだろう。
部屋の壁はまだ白いのに、自分の体だけ温かくなっている。
魔法って夢を実現させるような、あの魔法だろうか。チンカラホイとは聞こえなかったけど。
――実はからかってる? んー、でも体温を上げる方法は知りたい。
――教えて!
「おぇぇて!」
気が付くと、母の言葉に重ねるように質問していた。
精神年齢が幼くなっている気がする。体が幼いと、心まで幼くなるのか。
ウンマーさんは俺をベッドに戻し「そうねー」と顎に手を添え考え事を始める。
考え事をしている仕草が様になっている。まぁ、なんだろう、美人だなーとしか思えないけど。
困った顔をして、目を合わせてくる。
「魔法、使えるようになりたい?」
試すような眼だ。
なんだろう、魔法を使えるようになると何か問題があるのか。
いやいや、この機会を逃すわけはない。
この寒さは明日以降も続くはず。明日の朝、ウンマーさんを呼べなかったら俺は死ぬんだ。
――今すぐにでも教えてほしい、です!
俺は強く頷いて、意思を伝えた。
「でも、魔法は危ないのよ、もうちょっと大きくなってから練習しましょう、ね」
ダメでした……さすがに1歳児に魔法を教えてはくれない。
だけど、シュンとした我が子を見て心が痛んだのか、
「でも、魔法の勉強はしましょう。いつかきっと、役に立つでしょうし」
困り顔をしながら、勉強の許可をくれました。
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その日の夜ウンマーは、夫であるサーディクが帰ってくるのを家で待ちながら、自分の杖を見つめていた。
20cmほどの小さな杖。
杖の持ち手には小さな模様が刻まれている。
左上と右下の出隅が点になった正方形の中央に、十字の模様が入っていた。
ウンマーの家に伝わる印である。
ウンマーはその模様を見つめていた。
魔法は万能である。自身の魔力を消費するだけで、なんだって実現できる。
多くの呪文を知っている人は、多くのことが実現できる。
そのため、積極的に呪文は教えるべきだった。
しかし、息子の前で使った魔法は、自分の一族の秘術と呼ばれる魔法だった。
――教えてほしい魔法は、あの魔法でしょうね……
今朝ハイヤーンを見たときは、心臓が止まりそうになった。
掛けていた毛布が凍っていたのだ。
ウンマー達が住んでいるヒスト村は、ラーカウン王国の南西部、バガン山脈にある。
この村はかなり標高の高いところにある。夏と冬の境が明確で、寒暖の差が激しいところだった。
――自分に魔法をかけていたから、気付かなかったわ……
ウンマーの秘術は、温度を一定に保つ魔法である。
常に自分や周囲を、望んだ温度で保たせることができるため、非常に役に立つ魔法であった。
これを使って、息子を助けた。
本来なら、すぐにでも教育をし、息子自身がこの魔法を使えるようにするべきだろう。
だが、それをしたくない理由があった。
呪文には適性がある。
適性のない人物が呪文を唱えると、呪文が返ってくることがある。
よくある例では、目の前の薪を燃やそうと火をつける呪文を唱えたら、隣にいた人に火が付いてしまった、という話だ。
他にも、自分の体を強化しようとしたら肉体が膨張して、そのまま死んでしまった人の話もある。
ウンマーの一族の魔法は、対象と使用者の体温が入れ替わるなど、温度と対象がアベコベになることがあった。
万人に適性のある呪文はあるが、今朝の呪文は適性のある者が少なく、これまで何人もの使用者が亡くなっている呪文である。
ウンマーの一族でも、過去に死者が出ている。
――初めての息子に、教えてもいいのか……
――使ったら、死んでしまうのではないか……
1人で悩んでいると、雪を被ったサーディクが帰ってきた。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
扉を開けて帰ってきたサーディクのローブを脱がそうと近づくと、お酒の匂いがする。
今日は飲んで帰ってきたらしい。
「食べてきたの?」
「ああ、聞いてくれ! 今日はミスリルが取れたんだ!」
サーディクは興奮しながら話し始めた。
ミスリルはバガン山脈で採れる、かなり貴重な鉱石である。
「鉱脈があるかもしれない! 明日から調査が行われることになったんだ! セグメクの野郎が、今日は石の声が聞こえる。なんて言い出した時は、とうとう頭がおかしくなったかと思ったが――」
――ずいぶんと酔っているみたい。
水を差しだし、しばらく話を聞いていた。
ミスリルの鉱石を採ることは、鉱夫としてとても名誉なことだ。
ミスリルを採ったものには、村から追加で報酬も支払われる。
気分よく話していたサーディクだったが、ウンマーの曇った表情に気が付いた。
「どうした、何かあったのか?」
ウンマーは今日あったことを話した。
「別に魔法を教えるくらいいいじゃないか。それに、将来戦士になれるかもしれない」
「あの子は私の呪文を知りたそうなの、あの呪文が失敗したときの話は、したことがあるでしょう?」
サーディクは、ウンマーが背中を押してもらいたがっていることに気が付いた。
ウンマーは教えるべきだと思っているのだろう。
だが、万が一失敗したとき、1人で乗り越えられないと分かっているのだ。
サーディクはウンマーの手を取り、ゆっくり話しかける。
「ウンマー、俺もハイヤーンを大事にしたい。でもな、坑道に入るから金やミスリルが手に入るんだ。せっかく自分のためになる機会を、捨てさせる訳にはいかないだろ?」
鉱山での作業は命懸けだ。
急に天井が崩れてくるかもしれないし、毒ガスだって噴き出してくる。
まれに地中を進むモンスターと遭遇することもある。
予期しない、しかも不可避の危険に満ちた場所に入るのは、それに見合ったリターンがあるからである。
1回でも両手いっぱいのミスリルの鉱石を持ち帰ることができれば、その年は食いっぱぐれの心配がない。
リスクに見合ったリターンがあるのだ。
サーディクも、ハイヤーンを大事にしたい。
だが本人がせっかくやる気になっているのだ、
それの危険性を知らないからとしても、踏み込める内は踏み込ませるべきだと、そうサーディクは考えていた。
「大丈夫、ハイヤーンなら大丈夫だ。だからいいな、ハイヤーンに魔法を教えるんだ。いいな?」
「あなた……」
ウンマーは泣きながらサーディクに抱き着いた。
サーディクはリビングで眠るハイヤーンの顔を見ながら「大丈夫」と呟いた。
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人が起きる気配がした。
目を覚ますと、はだけた寝間着の中から、大きな胸が動いているのが見える。
頭を撫でられ、ウンマーさんがベッドから出て行った。
凍死しかけた次の日から、ずっとウンマーさんと同じベッドで寝ている。
寒さは全く感じない。
非常に幸せな気分である。
母親のぬくもりを感じたというか、なんだろう。大事にされているとはっきり感じる。幸せな気分だ。
幸せホルモンが脳内でドバドバ出ているはずだ、心がすっごく満たされている。
(あの人には迷惑をかけないようにしよう……)
幸せな気分のまま、再び寝入った。
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あれからこの世界の常識と、魔法についての勉強が始まりました。
嘘みたいだけど、この世界には魔法が存在する。理屈は分からない。
柴郎がいたら大喜びしそうだな―と思いながら、母の授業を受けました。
魔法は魔力を消費して使用します。
使用するには必ず呪文が必要で、魔力を込めながら呪文を口にしたり、魔法文字として書かれた呪文に魔力を流すことで、魔法が発動します。
この呪文や魔法文字は世界共通で、これさえ読み書きできれば、識者間での意思疎通に困ることはないそうです。
ただ、呪文で会話をすることは禁止されました。なんでも、下手に喋ると神様が怒るそうです。
なんかボカされてるけど、親がこう言うからには何か理由があるはずです。従いましょう。
ウンマーさんからは呪文の文字の意味・読み・書きを叩き込まれ、簡単な魔法を実際に使わせてもらいました。
土を生成する魔法です。呪文は長いので割愛します。
この"土生成"を使うと、何もないところから土が湧きます。構成成分は分かりません。
源内が喜んで、柴郎が卒倒しそうな話です。地球の科学は通じません。考えるのはやめました。あるがままを受け入れろ。
5歳のある日、ついに凍死を避ける魔法を教えてもらえることになりました。
なんでも、あの魔法はウンマーさん一族の秘伝なので、他人のいない所で教える必要があるそうです。
なぜ秘伝なのかは教えてくれませんでした。
ウンマーさんに連れられて、初めてヒスト村の外に出る。
ヒスト村は、崖に張り付くような村だった。
崖を削り、家と階段が作られている。
村の階段をすべて降りた先は、地の果てまで続く大草原。その奥に鋸の刃のような山脈が並んでいる。
村を振り返ると、村からは川が流れ出て草原へと続いている。
川の周囲には小麦畑があり、並ぶ草原では羊や馬が放牧されていた。
牧歌的という表現がぴったり合う、素敵な場所。
ウンマーさんが馬に向かって「シェーーイ!!」と叫ぶと、一頭の馬がこちらに駆けてきた。
やってきた馬は、真っ黒な毛並みの綺麗な馬。
ウンマーさんに顔を近づけ、ブルッ ブルっと大きな鼻を鳴らしている。
「シェイ、今日はご機嫌ねー」
ウンマーさんは手に持っていた木の実を与える。
黒い馬はそれを嬉しそうに、シャクリシャクリと音を鳴らして食べている。
食べながら涎がだらだら流れている。よほど美味しいみたいだ。
「ちょうだい」
「ハイヤーン、この子はシェイよ」
無視されました。
気が付いたらウンマーさんに持ち上げられていて、シェイの顔が目の前にある。
シェイはこちらの匂いを嗅いだ後、膝を折ってしゃがみ込む。
「ふふっ、シェイありがとう」
ウンマーさんはシェイの首を撫でた後、シェイに跨り手綱を握る。
するとシェイは立ち上がり、ウンマーさんにポンとお腹を蹴られて走り出した。
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しばらくシェイに揺られた後、小さな丘の上に到着した。
丘の頂上付近は岩場になっている。
村からは大分離れた。
周囲を見渡すと、遠くでなにか動いている影が見える。
目を細めてよーく見ると、ピンク色の像が歩いている。
ただ、俺の目がおかしくなければ、あの象はいま立っている丘よりも大きい。
「お母さん、ピンクの象が見えます」
「んー? あれは紫象ね。ピンクじゃなくて紫よ。モンスターだけど、こっちには来ないから大丈夫」
「ピンクじゃないの?」
「ええ。よーく見て、紫色でしょう」
幻覚じゃないのか。いや、幻覚の方がましだ。
アフリカのキリンでも、背丈はせいぜい5m。
なのに、ここでは背丈20mはありそうな巨大な像が歩いている。しかもモンスターと呼ばれている。
(ゲームの世界じゃん!!)
まって、俺の前世の行いってそんなに悪かった?
崖から飛び降りたり、グラウンド吹っ飛ばしたくらいだよ? その程度でこうなるの!?
とんでもない世界に産み落とされた……
ウンマーさんと目が合う。
思わず、「ごめんなさい」と謝った。
ウンマーさんの頭にクエスチョンマークが浮かんでいます。あぁ、呆けた顔も美しい。
シェイから降りた後、ウンマーさんが真面目な顔をしてこちらを見つめる。
「いい? これから秘伝の呪文を教えます。これは絶対に他の人に聞かれたらダメな呪文よ、たとえお父さんにも、絶対に聞かせないこと、いいわね?」
ウンマーさんは目を合わせ、一言一言はっきりと語るように話す。
真剣さが伝わってきた。
落ち込んだ気持ちを切り替えます。ネガティブは学業の敵です。
うん、あれがいるから魔法があるんだ! 生きるために頑張らねば!
イントリンシック・モチベーション!
「はい、絶対に、誰にも聞かれないようにします」
ウンマーさんは「うん」と頷き、こぶし大の石を拾い上げた。
「これから教える呪文は、温度を変える魔法です。この石の温度をお湯みたいにしたら、どうなると思う?」
石の温度を急激に上げたらどうなるか? ということだろうか。
それは試したことがある。四人でレンガ窯を作った時に、色々なものを燃やしたことがある。
高温の窯の中に投げ込んだら、石は割れた覚えがある。石の種類にもよると思うけど。
「割れます!」
「……この石は、爆発します」
(爆発!? それ絶対何か混じってるよ!)
匂いを嗅ごうとしたけれど、その石は丘の下に投げられた。
石はコロコロ転がって、10mほど離れたところで止まる。
(……まぁいい、石は足元にたくさんある)
石を拾おうとしたら、ウンマーさんに後ろから抱きしめられた。
「あの石を指でさし続けなさい、目を離しちゃだめよ。あの石だけに集中しなさい」
「……はい」
気を取り直して石を指さす。石の模様がハッキリと見えた。
「じゃあ、これから私が言うことを復唱して、あの石を熱くさせなさい」
「はい」
「我らを止める縛りを解け――
「我らを止める縛りを解け――
――火先のように場を揺らせ」
――火先のように場を揺らせ」
唱えている最中、いつもの"土生成"より、多くの魔力を消費する感覚がした。
熱を上がっていく。徐々に石の温度が上がっていくのが分かる。
全身から汗が噴き出している。頭がクラクラしてきた。
でもそれは石も同じみたいで、石は濛々と煙を上げ始めた。もう少しだ。
ウンマーさんは、俺の額を手で押さえながら言う。
「……もういいわ、魔力を止めて」
言われたとおりに魔力の供給を止める。
"ボゴンッ!!" という大きな音とともに、石が砕け散った。
「ふーっ!!」
大きく息を吐き出した。
魔力をほとんど使い切ったからか、足に力が入らない。
すると、突然息が苦しくなった。
後ろから強く、ウンマーさんに抱きしめられている。
「おかあさん……?」
顔は見えないが、ウンマーさんは泣いているように感じる。
なんでだろう、親の感情がダイレクトに伝わってくる。
嬉しいような、ホッとしているような……。
「よかったぁ、よかったぁ……」
よく分からないけれど、どうやら成功したみたいだ。
====
シェイに乗っての帰り道。
「この呪文は、人前で口に出してはダメよ、どうしても口にするときは、口を閉じて唱えること」
「はい」
「ほかの人がこの呪文を唱えたら、死んじゃうんだからね」
「はい」
――ん? ちょっと待って、死ぬ?
振り返ってウンマーさんの顔を見る。
「死ぬんですか?」
「うん。私の従兄は、あの呪文が返ってきて死んじゃったのよ」
(初耳だよ! 呪文が返ってくる? あの石みたく俺が熱を持つかもしれなかった、ってこと?)
「呪文が返ってくるって、なに?」
「呪文には適性があるのよ、ほとんどの呪文は皆使っても大丈夫だけど。今日みたいな呪文は、普通の人が使うと魔法が暴走しちゃうの」
魔法は暴走しなかったはず、てことは適性があったってことか。なかったら暴走していたらしく……。俺はラッキーだったのか。
「適性ってなに? 使っていいの?」
「適性は……適正よ、使えるか使えないかってこと! ハイヤーンに適性があることは分かったし、これからも使って大丈夫よ」
ウンマーさんはニヒッと笑い、私の頭を撫でまわします。
「あ、でも、家で使うのはダメよ、しばらくは今日みたいに人のいないところで練習しなさい。家で使ったら火事になったりするからね。火事は怖いのよ――」
今日のウンマーさんはご機嫌だ。
息子に危ない運試しをさせたんだから、相当来るものがあったんだろう。
知らずに運試しされた身としては…… まぁ、うん、結果オーライだ。うん。
その日は、母のうんちくを聞きながら、家に帰った。
応援ありがとうございます!
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