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夜の森

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 夜の森が暗闇に包まれて行く。

 よく分からない生き物の鳴き声とか、どこか遠くで木の葉がざわざわと揺れる音とか、何もかもが心を不安にさせて行く。

 ここがどこなのかも分からないし、自分が何者なのかもよく分からない。
 あの怪物がなんなのかも知らない。

 それでもためらいもなく……ここに残ってしまった。

(もしかしたら……ルシアならなんとかなるんじゃないかって思ったのかも知れない)

 自分を知らないことが、ちょっとだけ、今夜を乗り越えられる希望を見出してくれているみたいに。

 魔物を撃退出来る魔法が使えたし、治癒魔法も使える。
 様々な魔法を繰り出すことが出来るルシアなら、自分と……そしてこの人を、朝まで守ってくれるんじゃないかって。

(うう……人はそれを希望的観測と呼ぶのだろうけど……)

 さすがに楽観的過ぎるって思う。もちろん悲観的よりはきっといいんだろうけど……やっぱりまだ、この状況に現実感を持ててないからなのかもしれないなぁ。

 ここは怪物の出てくる、役人のような人が「魔の地に近い」と言っていた森の中。
 まるでホラー映画の中に入り込んでしまったようにしか思えない場所だ。

「と、とりあえず……?」

 声を出す。前向きな姿勢は、まず形から!

「暗闇は怖いので、光を出しましょう!」

 手を空にかざすと、ぽうっと掌が輝き出した。とたんに自分の周りが少しだけ明るくなる。眠っている彼の顔も良く見えて、なんだかほっとしてしまう。まだ青白い顔をしているけど、良く眠っているみたい。

 自分以外の人の気配、落ち着きます。
 それがイケメンだと、さらに最高です。今ここです。

「……寒いよね」

 彼を見ると具合が悪そうに少し表情を歪めている。
 地面に寝そべっているなんて、どんどん体が冷えて行くばかりだろう。

「火、起こせないのかな……」

 火打石……?木の葉をこすって……?と原始的な方法を思い浮かべるけど、やったことあるわけないし、きっと出来ない。

「ルシアさんの魔法、火は起こせないのかな……?」

 治癒魔法が使えてる(ぽい)ルシアさんは、そんな攻撃的な魔法の系統の持ち主な気はしないけれど、でも穴掘れたしなぁ。

 試しに何もない地面の上に枯葉を積み上げてから、言ってみた。

「火、つけー!」

 とたんに目の前の枯葉が燃え出した。赤い揺らぎ、それはまさしく普通の火!

「……!?!?」

 ルシアさんどんだけ!?
 思わず口をあんぐりと開ける。

 え……火の魔法が使えるってこと……?

 木の葉が燃える音がパチパチとする。温かさを感じながら、これがまぼろしではないことを感じて行く。

「……受け入れよう」

 ルシアさんは治癒魔法と、浄化魔法と、洗浄魔法と、怪物退治の魔法と、火の魔法が使える、という設定。多いなー……まだまだ増えるんだろうなー……。

 一応心配なので、自分で点けた火を消せるのかも試してみたら「消えろー」と言っただけで消えた。……どうなってるんだろう?火を……操ってる?

 再度火を点け、炎で明るくなった周囲を見回すと、さっきまでよりずっとシン……としていた。動物が動き回る音なども聞こえなくなった。

 もしかしたら、まわりの動物も火を警戒しているのかもしれない。やった!これで襲われない……?なんてラッキーなことにならない……?なりたいよ?また希望的観測で物事を考え出す。

(それにしても魔法使ってても疲れないし、魔力の限界もまだないみたいだけど……)

 ルシアさんの魔力量どうなってるんだろう。どうしよう莫大な魔力量持ってたら……どうもこうもなくて、こんな状況だとただラッキーなのか……ああ、恵まれすぎている自分が怖い。

「ふう……」

 とりあえず一息ついた私は、彼の元へ近づく。

 逞しいその体に刻まれていた傷口は、もう塞がっている。
 流れていた血も、洗浄魔法で消してしまった。

 けれどやつれた顔に影が落ちている。
 元々彫りの深い顔立ちをしているけれど、その形の良い鼻筋と閉じた瞼の間には、大きなクマが出来ている。命の灯が消えてしまうのではないかと心配になる寝顔に、治癒魔法だけで体を治せる訳じゃないんだって知る。

 休養も栄養も、こんなところに居たのでは十分に取れない。

(この夜を越えて……この森を出られたら……いいのに)

 明日の朝まで動けないって言っていたけど……明日になれば少しは動けるようになれるのかな。

 周囲を見回したけれど、怪物がやって来そうな気配はなかった。

 吹き抜ける風の寒さに、体がブルリと震える。ローブを脱いで寝ている彼の体にふわりと掛けた。

(……)

 私はじっと寝ている彼の姿を見つめる。

(どんな人生を歩んできた人なんだろうな……)

 初めて見たときは、貴族の子供のお付きの騎士かなにかと思ってたけど……。
 近くでみると体中細かな傷だらけで、体を張って生きてきている人のように思える。
 目つきは鋭かったし、口は悪いし、女性に優しくするでもなく……貴族の方々の中で働いている印象でもない気がする。それにしてもこう言葉にしてみると、私本当にこの人のこと好きだって思ったんだっけ?って思ってしまう。思ったけど!間違いないけど!

(冒険者とか……傭兵とか……そのへんのほうがしっくりくるかも)

 この世界にそういう人たちがいるのかも分からないけど。

(一体どうしたら……)

 迷惑だなんて叫びながら、相手を思いやれる人になれるんだろうな。

 そんなことを考えるだけで、心が温かくなる。

 うなされているのか少しだけ刻まれている眉間のシワすら、なんだか愛おしい。この人の苦しみは温かさの裏返しみたいに思えてしまうのだ。

(触れてみたいな……)

 その眉間のシワも、引き締まった頬も、鍛えられた体も。

 寝てる異性にちょっかい出すなんて自分は極めてヤバい人だって自覚を持ちながら、こんな機会なんて二度とないかもと思い直す。

 ちょっとだけ、ちょっとだけだから……と、自分の体を地面に横たえ、ローブをめくって彼の隣に寝っ転がった。

 そしてすっぽり同じ一枚の布の下に包まれる。ほら、暖を取らないと、いけないし!?

(ああ……体温が……!あたたか……くないっ!?あれ……??体温ひっくい!!)

 思ったより温かさを感じず、彼の症状の悪さを全身で感じて顔を青くさせる。

(ふ、ふざけてる場合じゃなかった。こういうの映画であったよね、意識を失っている人の体をもう一人が抱きしめて温めるって……)

 少し躊躇ってから、彼の胸に手を伸ばした。断じて言うが下心はなかった。

 そろ……っと触れてみると、盛り上がった筋肉の弾力とか、過去の傷痕の生々しさとか、汗ばんだ皮膚の湿り気とか、土ぼこりと混ざった嗅いだことがないような男性の体臭とか、いろんなものを一斉に感じ取ってしまって、初心な私は思ったよりも狼狽えた。男くさい!

(……うひひっふぅ)

 もはや何を表現したいのか分からない言葉しか頭に思い浮かばない。

(これは人助け……!温めないと、いけないの……!!)

 絶対抱き付いてみたいって本能も心の核にはあるのを知りながら、表面的にはそんなことを思いつつ彼の胸に抱き付いた。

 ……ほんのりと、温かい。
 心臓の音が聞こえた。どくり、どくりと、生きている音がする。

 それは私の気持ちをどうしようもなく跳ねさせた。

 私の心臓は、彼の心臓の音よりずっと早い。

 良かった、彼が目を覚ますことがなくてって思う。
 ドキドキして高鳴っている鼓動に気付かれたら、名前も知る前から恋に落ちたかも知れないことがバレてしまって、きっと彼をドン引きさせることだろう。

(……栞には、好きになった人なんていなかった)

 お父さんのこともあって、男の子は少し苦手だったし、恋に落ちるような出来事もなかったんだ。自分は男の子を好きになれないのかも……そんなことを考えたことすらあった。

(でも違った)

 ちょっと大げさだけど、私はまだ彼に出会ったことがなかっただけだったんだな、なんて思ってしまう。

(そりゃあ、まだこの気持ちが勘違いの可能性だってあるし、ルシアのこともよく分からないまま恋に浮かれてはいられないけれども)

 ルシアにもし好きな人がいたら……ルシアが戻って来たときに困ってしまうから、私はどうするつもりもないんだ。

 でも……。

 ちらり、と視線を上げれば、目の前には、長い睫毛が伏せられていた。

 彫りの深い異国の顔立ち。鍛えられた肉体とは裏腹に、輪郭は細身で一つ一つのパーツは繊細だった。起きているときも寝てるときも気難しそうに眉を顰めてばかりだ。
 緩やかなウェーブを描いた黒髪は肩よりも長くて後ろに束ねられているけれど、少しだけ零れ落ちた髪が汗で張り付くように体の線にくっついている。

(最初は、言っていた台詞を聞いて、この人好きだなって思ったけど……でも……)

 でも……!!

(どうしよう……彼の外見も死ぬほど好きだ。めちゃくちゃすきだ。運命としか思えないほど好みの外見だ……)

 この日に焼けた肌とか、鍛えた体とか、男くさいのに繊細な顔立ちで気難しそうなところも、なのに優しさが隠せない人柄も……全部好き……。

 ああ、ルシアさんが戻ってくるまで、私の理性が持ってくれるかしら。

 正直あの王子様風のやつにこんな風に出会ったとしても好きになったとは思えない。

(この人だから……好きだって思えたって、心からそう思う……)

 きっとこの人は、今目を覚ましたら、こんな風に言うんだ。
 「触るな」「迷惑だ」「放っておいてくれ」「早く行け」「俺に構うな」

 そんな風にしか言わない人だと思うから……。

「……だがそれがいい!と私は思う!」

 無骨でまっすぐな心を持っているから、偽りのない言葉しか紡ぐことのない人。そんな風に思わせてくれるから。
 だから……。

「憧れるの……」

 どうしてだか心がほっとして安心出来る。ずっと側に居てこの温かさを感じていたいと思う……。

「だから……元気になってね」

 彼が明日は、少しは元気になっていますように。
 また悪態をついてくれますように。出来たら名前を教えてくれますように。

 この気持ちが勘違いなのか、思い込みなのか、本物なのか。
 それが分かる明日が来ますように……。

 そう心から願いながら、筋肉盛り盛りな胸に抱き付いていた私は――

 段々と温かさにウトウトしてきてしまい、最後には寝てしまった。











「……おい」

 なにやら良い声が聞こえて、目を覚ますと、目の前に素敵なお顔。
 真横から、外国映画の俳優さんみたいな人が訝し気な視線を私にぶつけている。

「……何をしている?」

 とうとう睨まれ凄まれそう言われる。

「……はひ!?」

 どうやら筋肉美そのもののお体に抱き付いてよだれを垂らして寝ていた状況、把握しました!

 がばりと起き上がると、もう太陽が昇り掛けている。
 少し明るくなった森の中に、私たちの側の焚火がまだ燃えている。

(ね、寝た!?うそん、この危険そうな森の中で!?)

 顔を青くさせて、自分の失態を理解する。
 生きてて良かった、火が消えてなくて良かった!

「あ……おはようございます」
「……」

 同じく半身を起こした男の人に、朝の挨拶をした。返事がないようだ。

「あ……起きて大丈夫ですか?まだ休んでても」
「一晩眠ればもう大丈夫だ。すぐここを出る」
「え……すぐ……!?」
「……」

 そう言うとその人はすくりと立ち上がり自分の体を確認した。異常がないことが分かると、側に落ちていた剣を拾い腰に差す。そうして少し遠くに転がっていた布の袋をいくつか拾っていた。

「お前……」

 しゃがみこんだままの私に、頭上からジロジロとした遠慮のない視線が注がれた。え、イケメンさんにガン見されるくらい私の容姿おかしいの!?

(まだ鏡もみたことないもんな……)

 そんなことを思いながらドキドキしていると、彼は視線をはずし、不快そうに眉を顰めてから少し考えるようにする。

「……」

 え、この時間なんだろう!?

 見守っていると、彼は布の袋を地面に置き、中から何かを探し出した。

「……それを着ろ」

 なにか茶色っぽい色の布を投げられ、頭の上にばさりとかぶる。

「……はい?」

 頭の上から引きずり下ろすと、洋服みたい。サイズ的に女物……?

「ええと?」
「目の毒だ。仲間の服だ。早く着ろ」

 なんのこっちゃと自分の体を見下ろすと……。
 着ていたドレスのスカートの裾は何か所も破け、足が太ももまで見えている場所もある。
 肩口も穴に落ちたときに破いたのか、片側がずり落ちそうに垂れ下がっていた。

「ひ、ひやぁぁぁ!?」
「……早くしろ」

 彼はそう言うと、後ろを向き、破れてボロボロになった自分の服を脱ぎ出した。盛り上がる背中の筋肉までみることが出来た私は、写真に残したくてたまらなくなる。

「……すぐに出るぞ」

 はっ!!とっとと着替えろと催促された気がする。

「ちょ、ちょっと待ってください」

 慌てて脱ごうとするのだけど、手の届く範囲にボタンもチャックもなかった。やっぱり背中……?と思いながら必死に背中に手を回したのだけど、そこにあったのはボタンでもチャックでもなく、結ばれているたくさんの紐だった。

 え、こんなのどうやって一人で解けと……!?

「あ……あのぉ……」
「……なんだ?」
「ドレスが……脱げません……」
「……」
「脱ぎ方が分かりません……」

 彼はゆっくりと私を振り返ると、涙目になっている私を一瞥した。
 呆れるような一拍を置いてから、私の背中側に回る。

「すいません……ありがとうございます……」

 お礼を言う私の背中に、彼の骨太な手が回される。
 うう、なんだこの状況。恥ずかしいし、みっともないし、なんだかやらしいし……。

 紐が解かれると、少しずつ体を締め付ける拘束が弱まって心もとなくなっていく。
 するすると解かれていく結び目を感じながら、ドレスがずり落ちないように必死に押さえていた。

「……誘っているのかと思ったが……」

 そんな低い声が響いて来て、ぎょっとする。

「さ、さそっ!?ち、違います」
「……」

 慌てて頭だけで彼を振り返ったけれど、彼はじっと私の背中を見つめていた。
 その視線は刺さるように鋭くて、女体を見つめるものとは思えなかった。

 ゆっくりとした動きで太い指が私の背中に触れた。

「ぴゃっ」

 思わず変な声が出た。

 荒れた彼の指の腹が、私の背中の感触を確かめるようにするすると下に降りて行く。

「ひ、ひやぃぃぃぃぃ!!」

 感じたこともない衝撃が体を駆け抜けて行く。

「なんだこれは……」

 私の絶叫とは裏腹に、彼の声は低く響く。

「何故お前の体にこんなものがある……」





 そんな台詞を耳では聞いていたけれど。

 ……何があるんだろうとか、考える余裕もありませんでした。乙女の初めての衝撃、計り知れない。

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