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鏡の中の二人
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恋人(仮)が隣を歩いている……。
(うふふふふっふぅ)
ああ、笑い方が自分でもちょっと気持ちが悪い。
でも、だって!
世界で一番好みの異性が……たとえ、まだ暫定的に、仮なのだとしても……。
『恋人』って言ったんだよ!
今私は恋人と歩いているんだって……脳内妄想するだけで、体が幸福物質で満たされてしまう。
分かってるよ、現実じゃないって。
だけど、ちらりと隣の背の高い男の人を見上げれば……。
鍛えられた肉体の、筋張った首筋が目に飛び込んで来て、男らしいのどぼとけとか、細い顎とか、鋭く見える切れ長の瞳とか……目に映る全部が全部、本当に好きだって思う。
めちゃくちゃカッコいい。
まるで肉体派の映画スターのよう。
写真に撮ってポスターサイズに印刷にして部屋に飾りたい……。
それなのに……さらに恐ろしいことには、私が好きなのはこの最高にカッコイイ外見じゃなくって、この人の中身なんだ。
この人の性格に……憧れる。
きっと恋が叶わなくても……それでも、この人のようになりたいと……思う。
まぁそもそも、ルシアの体で私の恋を叶えるわけにはいかないんだけど……。
それでもこれは私の……栞の初めての恋。
乙女心は夢心地、足元がふわふわするような気持ちになってしまう……。
――『俺の女だ』
俺の女だ、俺の女だ、俺の女だ……。
録音機なんてないのに、いくらだって心の中で再生することが出来る彼の言葉。
可能ならば、このまま一晩中だって再生し続けたい……。
俺の女に……本当は、なりたいな、なんて、考えるだけで、心の中できゃっと叫んでしまう。
そうして一人身悶えている私に向けて、低い声が降って来た。
「俺たちがこれから向かうのは、リンメルとの国境近くにある……セルズ国の小さな村だ。食堂を営んでいる夫婦が、旅人が来た間だけ宿屋として部屋を貸し出してくれている」
はっ!!
慌てて横を振り向くと、ジェイラスが私に冷ややかな眼差しを向けていた。
彼の横を歩いている私がぼんやりしていることに気が付いていたのだろう。
「お前は……」
「は、はい」
ジェイラスは私たちの前を歩くリオンくんとグレタさんを見つめてから、小さな声で言った。
「一刻も早く、この場所から離れた方が良い」
え?と思いながら彼を見上げていると、彼は私の表情を窺うようにしてから、また私に顔を近づけて来た。彼の髪が揺れるのを見つめていると、ふわりと、男くさい匂いが私の鼻腔を刺激する。うっ……っ!!
「もし……俺がさっき言ったことが真実だとしたのなら」
「……?」
「お前の生死を確認にやってくる者がいるかもしれない。麓の村に居てはすぐに見つかる」
私の生死の確認……。
その言葉に、心臓がどくりと跳ねる。頭を真っ白にして真ん前の彼の瞳を見つめる。
「……帽子を被れ、隠すものはなんでもいい、村でその目立つ髪色を人に見せるな」
「……」
「明日の朝にはエニィス領に向かう」
リオンくんに招かれようと提案して来たジェイラスの意図をやっと理解する。
「……あなたはそれでいいの?」
そっと小さな声で聞いた。だって、それじゃ私のためだけの理由だ。彼が居なかったら私は麓の村の人たちに助けを求めて、そうしてそのままそこに居続けたと思う。けれどそうしたら、私は私が死ぬことを望んでいる人たちにまた出会ってしまう……。
「だって私そう望まれるくらいのことをしたのかもしれない……」
私には何も分からない。
森の中で一人死にたくないと願ったけれど、一体自分が何をしてあそこに連れて来られたのかも分からない。
「……お前がここに残りたいなら止めない」
彼はその鋭い眼差しを私に向けたまま言う。
「だが、その証を背負っている限り、お前の身は俺が守る」
強く、はっきりとした口調でそう言う彼を驚いて見つめた。
(な、なんで、彼が私を守ってくれるの……?)
じっと彼の瞳を見つめても、射るような瞳が私を見ているだけ。
「……一晩、考えろ。もうすぐ村だ」
そう言うと彼は私の頭に何かをかぶせた。
触ると、頭に載っているのは布で……帽子?
私は慌てて髪をくるくるとまとめると、帽子の中に収めて、そうして頭全体を隠すように帽子を下に引っ張る。
木立を抜けると、木の柵で覆われた村の入り口が見えて来た。
遠くに色とりどりの民家の屋根の色も見える。
そこは、恐らくルシアを追放した国とは違う、隣の国――セルズ国の国境近くの村。
さてここで設定の復習です。
ルシアはたぶんリンメルと言う国の出身。
学生っぽい。ドレスを着ていたし、王子様っぽい人に罪を着せられた。
……あれが本当に王子様だとしたら、リンメル国の王子様……?
あれ、待って、その婚約者だったのだとしたら、ルシアってもしかして凄く身分が高い……?
お姫様ってやつじゃ……。
傷一つない体だってジェイラスも言ってたし……。
傷、傷……ああ、恥ずかしい!なんだかそう言われて嬉しいのも不思議!
……落ち着こう。
そんでもって、ジェイラス・リーフさんはとてもとてもカッコイイ傭兵さん。
お隣のセルズ国に住んでいるらしい。
いずれお家に遊びに行かせてもらう予定。
どんな人なのか……まだ良く分からないのに、優しい人だって感じてる。
彼の背中にあったはずの何かの痕が私に移ってしまい、きっとそれに責任を感じてる。
私の身を守ってくれるんだって。彼には何の責任もないし、そんなことをする必要なんてないのに。
ルシアは、治癒魔法も、聖火?を出す魔法も、怪物を倒す魔法も使えた。
彼の傷を治そうとしただけなのに、なぜか私の体にも異変を起こしてしまった……みたい。
もともとの体がどうだったのかも分からないから、本当は最初からだって可能性もあるとは思うんだけど……ジェイラスはそう思ってないみたい。
そして新しく出会ったお二人は、セルズ国エニィス領主の息子リオンくんと、お付きの騎士というグレタ・シートンさん。
リオンくんは……歳は13歳にくらいかな。子供を抜けかけているけれど、まだ柔らかそうなふっくらとした顔立ちをした、品の良さそうな子だ。
グレタさんはすらっとしててカッコイイ。隙のない空気がピリピリとしていて、強そうな感じがする。
リオンくんは私たちを領地に招いてくれるのだと言う。
私はそのことも気が引けてしまうのだけど、ジェイラスはそれが一番なのだと私に伝えてた。
そうしてこれからは、ルーシーと名乗れと言っていた。
栞は、ルシアにもなり切ることが出来る前に、ルーシーとして生きることになる。
……。
(なんで私ってやつはこんなときに……)
ジェイ&ルーシーとか、ゴロがいいんじゃない!?とか、結婚したらルーシー・リーフって名乗っていいの!?とか……。
幸せな妄想を、果てしなく考えだすことが出来ちゃうんだよぉぉぉぉ。
村の中の食堂兼宿屋に着くと、人の好さそうな若い夫婦が出迎えてくれた。
食堂は数人の人達が食事をしていて、その脇を通り抜けると、宿のスペースに出た。
廊下の先に部屋の扉がいくつかある。
そうして夫婦はジェイラスのことをとても心配しているようだった。彼を見つけると、食事を作る手さえ止めて私たちの元にやってきた。
「本当に心配しましたよ。あんなところで一晩……無事で、本当に良かった!」
「……心配ない。何もなかった」
あの口の悪いジェイラスが、気遣うように夫婦に答えている。
「本当に無事で良かった……それにそちらのお嬢さんも!今お湯を沸かしていますから、ゆっくり体を洗ってくださいね。お食事も用意しますから」
その夫婦は私のことも大層気遣ってくれた。
――言葉が、分かる。そう思った。
もともとの国の言葉も何も考えなくても分かったけれど、このセルズの言葉も同じように理解することが出来た。少しだけ発音が違うような気はするけれど……。
「部屋に湯を持って来てくれるそうだ……行くぞ」
行くぞ?とは?
「早くしろ」
「は、はい」
廊下を歩きだしたジェイラスの背中に付いて行くと、後ろからリオンくんが声を掛けてくれた。
「また夕食のときに!」
「ああ」
「は、はい」
一番奥の扉を開けると彼は部屋の中に入って行く。後を付いて入ると、部屋の奥にキラリと光る何かがあって、それが鏡なのだと分かった。
あ、鏡……!!
もしかして、やっと、ルシアさんの姿を確認できるときがやってきたのでは……!?
扉を閉めてから喜んで駆けだそうとした私の前に、上着を脱ぎ出したジェイラスがいた。
(ぶっ…………!!)
突然筋肉質な上半身を見せつけられ、鼻血を出しそうになる。
上着を脱ぎ終えると、彼の癖のある髪が揺れながら落ちて来る。
日に焼けた艶やかな肌は、鍛えられた筋肉でいっぱいだ。
「……」
目が離せず、思わずじっくりと見つめてしまう。
(……え、これってどういうこと)
二人きりになった瞬間、男が脱ぎ出すそれが意味するのは――
まさか大人の裸のお付き合い……!?
(……)
ジェイラスは顔を真っ赤にさせている私を振り返ることもなく、鏡の前に歩き進むと自身の背中を鏡に映した。
そうして真剣な表情で鏡を見つめ続けていた。
「……本当に、無くなっているな」
その言葉で、彼の背中にあった何かの痕のことなのだと分かった。
私は彼の隣に歩いて行く。そうして帽子を取ると、一緒に鏡の中に姿を映した。
(――わぁお!?)
その鏡はずいぶんと曇っていたけれど、それでも姿形を映し出してくれていた。
綺麗な女の子が映っていた。
光を反射させキラキラと輝く、銀糸のような髪。まっすぐに腰まで伸びている。
自身を輝かせる長い髪に覆われているのは、見たこともないように肌の色の白い……本当に傷一つない体だった。
長い睫毛に覆われた青い瞳は、澄んだ空の色のように美しく、形の良い鼻筋も小さな赤い唇も、まるで美を集結させたお人形さんのようだった。
「……これが、私……?」
思わずそう呟いてしまうと、ジェイラスが私をじっと見下ろした。
「見たこともなかったのか」
「え……うん」
そんな暇なかったな。
なんていうか……異次元の産物というか……。自分だとは一ミリも思えない生物がここにいる。
黒髪黒目の佐々木栞は、可愛げはちょっとはあったかもしれないけど平均的な容姿だった。
今目の前に居るのは、なんというか栞の感性で言うと絶世の美少女だ。これ誰?というのが一番の感想だ。
「……ルシアは一体どんな人だったんでしょうね……」
思わず他人事のように呟いてしまうと、ジェイラスが無言で私を見つめる。
そ、そうよね、返事に困るよね……。
「……背中を、見ろ」
「え?」
彼はそう言うと腕を伸ばして、私の首元の紐を緩めた。ぎょっとしていると、ワンピースを落そうとする。
「うぎゃあぁ!?」
「静かにしろ」
いや、静かにしろと言われながら服を脱がされる私の気持ちは一体どうしたら!?大人のお付き合いの時には事前に言って欲しいの!
「……これだ」
肩まで落とされたワンピースを必死に押さえていると、ジェイラスは私の背中を鏡に向けた。
背中側だけ服をはだけさせて、腰辺りまで見えるようにしてくれている。
(いや、やりたいことは分かるのよ、いやらしいこと一切なしなんだろうっていうのは、彼の性格的に伝わってはいるのよ!?)
でもこれ現代でやったらセクハラ行為だからね!?
なにより淫らなことしか考えていない私にこの行為は刺激が強すぎるんだよぅ……!!ううう。涙
「……見ろ」
……はぁ、とため息を吐いてから、私は顔を上げて鏡を見つめる。
そこに映っているのは、白い肌をした、女性らしい丸みを帯びた体をくびらせる細い腰……。うう、恥ずかしいよう。
「これが、悪魔の証だ」
ジェイラスはそう言うと、背中に二つ並んだ、肩甲骨から腰のあたりに掛けて黒く線を引くように少しだけ盛り上がっている黒色の傷痕のようなものを指でなぞった。
「ひやぁうぅ!?」
「……」
彼は顔を顰めながら、こいつ煩いなぁ、みたいな顔をして見下ろしている。なんだか理不尽だな!?
「……あうあう……えっと、この傷痕みたいなものが、あなたにあったものなの?」
「そうだ。これは悪魔の羽が生えてくると言われている……悪魔に憑かれたものの証だ。人の体にあるのが見つかれば、ただでは済まない」
「……」
「今はまだ何も分からなくても良い。けれど、これを決して人に見せてはいけないということと、悪魔の証だということだけは覚えておけ」
悪魔の証という大層な言葉を私はまだ受け止めきれていない。
「……あなたの体にはいつからあったの?」
「物心ついた時にはすでにあった」
そんなに昔からだったんだ。
悪魔の証……言葉だけでも禍々しいそんなものが彼の体に幼い時からあったんだね。
なのに、優しい人に育てた。
それならば……これは禍々しいものなんかじゃないのかもしれない。
「あなたの体にあったものなら……怖くないわ」
背中に訳有りのものを背負いながらも、こんなに好感度の高い人柄に育ったのなら、むしろ良いものなのかもしれないとさえ思えてしまう。
「ねぇ……ジェイラス」
恋人(仮)だもんね。
と遠慮せずに、呼び捨てで呼ばせてもらう。
ただ呼びたかっただけかも……しれないけど。
とは言え、近いうちに愛称に進んで行きたい……!(願望)
私はのそのそとワンピースを持ち上げると、首元の紐をきゅっと締めた。
そうして鏡の中に映る男女を見つめた。
上半身裸の、傷だらけの色男ジェイラス。逞しい筋肉に包まれた体は私の一回りは大きく見える。そうして彼の前に佇む、華奢な細身の美少女……。
絵画の中でしかみたことがないような、美しい男女の姿がそこには映っていた。
何も知らずに見たならば、愛し合う一対の恋人たちの姿のようにも思えた。黒のジェイラスと、白のルシア、あまりに絵になる組み合わせだ。
「私、たぶん、この世界の常識的なこともよく分からないんです……」
「ああ」
「私……ルシアは、人にどんな風に見られる外見をしていますか?」
私の質問に、意外なことにジェイラスは瞳を揺らした。
少し考えるように視線を伏せてから私を凝視する。
ん?なんだこの反応?
「この容姿だと学生に見えるんでしょう?」
栞の価値観でも学生に見えるけれど、平均寿命がどれほどの世界なのかも分からないし。
「あなたが……私にはとてもカッコイイ男の人に見えるっていうのは分かるの。でも自分のことは分からないの……」
人をカッコイイって思うのは、主観だしね。ジェイラスの主観でもいいんだ。
「私どんな風に見えますか?平凡な女の子に見えますか?」
「……」
こんなことを聞いてしまったのは、やっぱり気になっているのかもしれない。
ルシアがどんな人間なんだろうなって。
この世界で何を思って生きて来て、人にどう思われて生きて来たんだろうなって。
――ルシア。
あなたは何者なの?
そして今私は、目の前のこの男の人のことを世界で一番知りたいと思っている。
自分について知って行けるなら、この男の人の目を通した世界から知って行きたいなって思う。
この人が生きているこの世界の中で、私はどんなふうに生きているのか……知って行きたい。
ふとジェイラスを見上げると、私を見つめたまま固まっている。……え、この反応なんだろう?
見守っていると、彼は何かを話そうと唇を動かして……そうして閉じた。
まさか……これは言いにくいことを思ってる?気を遣って言葉にすることも出来ずにためらっていらっしゃる……!?
価値観も分からない世界だし、私の外見平凡じゃないのかも。そもそも、私のことどう思う?とか普通聞かないよね。
「ご、ごめんなさい?気を遣わせたなら答えなくても……大丈夫です」
「……」
黙り込んだジェイラスの前から移動して、私はベッドの方に避ける。
(ん?ベッド?)
急に生々しいことを思いつく。あれ、今夜ここに寝るんだっけ?
彼がこの部屋に私を連れてきたのは、恋人設定だからなんだろうけど……それってつまり。
(今夜同じお部屋で過ごさせてもらえる……!!)
ここまで来ると、期待に胸を膨らませても何にも起こらないだろうことを学習してきているのだけど、ついつい楽しいことを考えてしまう。
でもほら、ハプニングってあるじゃない?
らっきーすけべ?
漫画でもあるじゃん。
うっかり転んじゃったり!扉を開けたら……ぶつかったりとか!転んだ拍子に体の一部が接触したり……とか……何があるか分からない……じゃん?
そうしてわくわくとジェイラスを振り返ると、彼は片手で口を覆うようにしながら、何かを考えているようだった。
「……ジェイラス?」
いつもと違う様子に私は思わず声を掛けた。
すると彼はぱっと私を見つめた。その頬が少しだけ赤く染まっているような気がした。
「……どうしたの?」
もしかして具合が悪いことを隠していたんだろうか、と心配する。
けれどジェイラスは黙ったまま視線を逸らしてしまった。
(……?)
不思議に思っている間に扉が叩かれ、体を拭く為のお湯とタオルを持って来てもらえた。
そっか、お風呂はないんだ。沸かしたお湯で体を拭く世界なんだね。
あれ、そう言えば魔法が使われている様子もないけど……魔法文明とかもないのかしら。
そんなことを考えていると、ジェイラスが上着を着て扉から出ていこうとした。
「……俺は少し出る。お前はゆっくりしてろ」
「は、はい」
きっと気を遣って出て行ってくれたんだろうな、と思いながらも、パタリと扉が閉まってからも私はしばらく彼を見送ったまま考えていた。
なんか様子がおかしかった……ね?
ついつい洗浄魔法のことを忘れてて、お湯でさっぱりしてから魔法のことを思い出した。三歩歩けば忘れる鳥のような栞の記憶力、健在だった!
(うふふふふっふぅ)
ああ、笑い方が自分でもちょっと気持ちが悪い。
でも、だって!
世界で一番好みの異性が……たとえ、まだ暫定的に、仮なのだとしても……。
『恋人』って言ったんだよ!
今私は恋人と歩いているんだって……脳内妄想するだけで、体が幸福物質で満たされてしまう。
分かってるよ、現実じゃないって。
だけど、ちらりと隣の背の高い男の人を見上げれば……。
鍛えられた肉体の、筋張った首筋が目に飛び込んで来て、男らしいのどぼとけとか、細い顎とか、鋭く見える切れ長の瞳とか……目に映る全部が全部、本当に好きだって思う。
めちゃくちゃカッコいい。
まるで肉体派の映画スターのよう。
写真に撮ってポスターサイズに印刷にして部屋に飾りたい……。
それなのに……さらに恐ろしいことには、私が好きなのはこの最高にカッコイイ外見じゃなくって、この人の中身なんだ。
この人の性格に……憧れる。
きっと恋が叶わなくても……それでも、この人のようになりたいと……思う。
まぁそもそも、ルシアの体で私の恋を叶えるわけにはいかないんだけど……。
それでもこれは私の……栞の初めての恋。
乙女心は夢心地、足元がふわふわするような気持ちになってしまう……。
――『俺の女だ』
俺の女だ、俺の女だ、俺の女だ……。
録音機なんてないのに、いくらだって心の中で再生することが出来る彼の言葉。
可能ならば、このまま一晩中だって再生し続けたい……。
俺の女に……本当は、なりたいな、なんて、考えるだけで、心の中できゃっと叫んでしまう。
そうして一人身悶えている私に向けて、低い声が降って来た。
「俺たちがこれから向かうのは、リンメルとの国境近くにある……セルズ国の小さな村だ。食堂を営んでいる夫婦が、旅人が来た間だけ宿屋として部屋を貸し出してくれている」
はっ!!
慌てて横を振り向くと、ジェイラスが私に冷ややかな眼差しを向けていた。
彼の横を歩いている私がぼんやりしていることに気が付いていたのだろう。
「お前は……」
「は、はい」
ジェイラスは私たちの前を歩くリオンくんとグレタさんを見つめてから、小さな声で言った。
「一刻も早く、この場所から離れた方が良い」
え?と思いながら彼を見上げていると、彼は私の表情を窺うようにしてから、また私に顔を近づけて来た。彼の髪が揺れるのを見つめていると、ふわりと、男くさい匂いが私の鼻腔を刺激する。うっ……っ!!
「もし……俺がさっき言ったことが真実だとしたのなら」
「……?」
「お前の生死を確認にやってくる者がいるかもしれない。麓の村に居てはすぐに見つかる」
私の生死の確認……。
その言葉に、心臓がどくりと跳ねる。頭を真っ白にして真ん前の彼の瞳を見つめる。
「……帽子を被れ、隠すものはなんでもいい、村でその目立つ髪色を人に見せるな」
「……」
「明日の朝にはエニィス領に向かう」
リオンくんに招かれようと提案して来たジェイラスの意図をやっと理解する。
「……あなたはそれでいいの?」
そっと小さな声で聞いた。だって、それじゃ私のためだけの理由だ。彼が居なかったら私は麓の村の人たちに助けを求めて、そうしてそのままそこに居続けたと思う。けれどそうしたら、私は私が死ぬことを望んでいる人たちにまた出会ってしまう……。
「だって私そう望まれるくらいのことをしたのかもしれない……」
私には何も分からない。
森の中で一人死にたくないと願ったけれど、一体自分が何をしてあそこに連れて来られたのかも分からない。
「……お前がここに残りたいなら止めない」
彼はその鋭い眼差しを私に向けたまま言う。
「だが、その証を背負っている限り、お前の身は俺が守る」
強く、はっきりとした口調でそう言う彼を驚いて見つめた。
(な、なんで、彼が私を守ってくれるの……?)
じっと彼の瞳を見つめても、射るような瞳が私を見ているだけ。
「……一晩、考えろ。もうすぐ村だ」
そう言うと彼は私の頭に何かをかぶせた。
触ると、頭に載っているのは布で……帽子?
私は慌てて髪をくるくるとまとめると、帽子の中に収めて、そうして頭全体を隠すように帽子を下に引っ張る。
木立を抜けると、木の柵で覆われた村の入り口が見えて来た。
遠くに色とりどりの民家の屋根の色も見える。
そこは、恐らくルシアを追放した国とは違う、隣の国――セルズ国の国境近くの村。
さてここで設定の復習です。
ルシアはたぶんリンメルと言う国の出身。
学生っぽい。ドレスを着ていたし、王子様っぽい人に罪を着せられた。
……あれが本当に王子様だとしたら、リンメル国の王子様……?
あれ、待って、その婚約者だったのだとしたら、ルシアってもしかして凄く身分が高い……?
お姫様ってやつじゃ……。
傷一つない体だってジェイラスも言ってたし……。
傷、傷……ああ、恥ずかしい!なんだかそう言われて嬉しいのも不思議!
……落ち着こう。
そんでもって、ジェイラス・リーフさんはとてもとてもカッコイイ傭兵さん。
お隣のセルズ国に住んでいるらしい。
いずれお家に遊びに行かせてもらう予定。
どんな人なのか……まだ良く分からないのに、優しい人だって感じてる。
彼の背中にあったはずの何かの痕が私に移ってしまい、きっとそれに責任を感じてる。
私の身を守ってくれるんだって。彼には何の責任もないし、そんなことをする必要なんてないのに。
ルシアは、治癒魔法も、聖火?を出す魔法も、怪物を倒す魔法も使えた。
彼の傷を治そうとしただけなのに、なぜか私の体にも異変を起こしてしまった……みたい。
もともとの体がどうだったのかも分からないから、本当は最初からだって可能性もあるとは思うんだけど……ジェイラスはそう思ってないみたい。
そして新しく出会ったお二人は、セルズ国エニィス領主の息子リオンくんと、お付きの騎士というグレタ・シートンさん。
リオンくんは……歳は13歳にくらいかな。子供を抜けかけているけれど、まだ柔らかそうなふっくらとした顔立ちをした、品の良さそうな子だ。
グレタさんはすらっとしててカッコイイ。隙のない空気がピリピリとしていて、強そうな感じがする。
リオンくんは私たちを領地に招いてくれるのだと言う。
私はそのことも気が引けてしまうのだけど、ジェイラスはそれが一番なのだと私に伝えてた。
そうしてこれからは、ルーシーと名乗れと言っていた。
栞は、ルシアにもなり切ることが出来る前に、ルーシーとして生きることになる。
……。
(なんで私ってやつはこんなときに……)
ジェイ&ルーシーとか、ゴロがいいんじゃない!?とか、結婚したらルーシー・リーフって名乗っていいの!?とか……。
幸せな妄想を、果てしなく考えだすことが出来ちゃうんだよぉぉぉぉ。
村の中の食堂兼宿屋に着くと、人の好さそうな若い夫婦が出迎えてくれた。
食堂は数人の人達が食事をしていて、その脇を通り抜けると、宿のスペースに出た。
廊下の先に部屋の扉がいくつかある。
そうして夫婦はジェイラスのことをとても心配しているようだった。彼を見つけると、食事を作る手さえ止めて私たちの元にやってきた。
「本当に心配しましたよ。あんなところで一晩……無事で、本当に良かった!」
「……心配ない。何もなかった」
あの口の悪いジェイラスが、気遣うように夫婦に答えている。
「本当に無事で良かった……それにそちらのお嬢さんも!今お湯を沸かしていますから、ゆっくり体を洗ってくださいね。お食事も用意しますから」
その夫婦は私のことも大層気遣ってくれた。
――言葉が、分かる。そう思った。
もともとの国の言葉も何も考えなくても分かったけれど、このセルズの言葉も同じように理解することが出来た。少しだけ発音が違うような気はするけれど……。
「部屋に湯を持って来てくれるそうだ……行くぞ」
行くぞ?とは?
「早くしろ」
「は、はい」
廊下を歩きだしたジェイラスの背中に付いて行くと、後ろからリオンくんが声を掛けてくれた。
「また夕食のときに!」
「ああ」
「は、はい」
一番奥の扉を開けると彼は部屋の中に入って行く。後を付いて入ると、部屋の奥にキラリと光る何かがあって、それが鏡なのだと分かった。
あ、鏡……!!
もしかして、やっと、ルシアさんの姿を確認できるときがやってきたのでは……!?
扉を閉めてから喜んで駆けだそうとした私の前に、上着を脱ぎ出したジェイラスがいた。
(ぶっ…………!!)
突然筋肉質な上半身を見せつけられ、鼻血を出しそうになる。
上着を脱ぎ終えると、彼の癖のある髪が揺れながら落ちて来る。
日に焼けた艶やかな肌は、鍛えられた筋肉でいっぱいだ。
「……」
目が離せず、思わずじっくりと見つめてしまう。
(……え、これってどういうこと)
二人きりになった瞬間、男が脱ぎ出すそれが意味するのは――
まさか大人の裸のお付き合い……!?
(……)
ジェイラスは顔を真っ赤にさせている私を振り返ることもなく、鏡の前に歩き進むと自身の背中を鏡に映した。
そうして真剣な表情で鏡を見つめ続けていた。
「……本当に、無くなっているな」
その言葉で、彼の背中にあった何かの痕のことなのだと分かった。
私は彼の隣に歩いて行く。そうして帽子を取ると、一緒に鏡の中に姿を映した。
(――わぁお!?)
その鏡はずいぶんと曇っていたけれど、それでも姿形を映し出してくれていた。
綺麗な女の子が映っていた。
光を反射させキラキラと輝く、銀糸のような髪。まっすぐに腰まで伸びている。
自身を輝かせる長い髪に覆われているのは、見たこともないように肌の色の白い……本当に傷一つない体だった。
長い睫毛に覆われた青い瞳は、澄んだ空の色のように美しく、形の良い鼻筋も小さな赤い唇も、まるで美を集結させたお人形さんのようだった。
「……これが、私……?」
思わずそう呟いてしまうと、ジェイラスが私をじっと見下ろした。
「見たこともなかったのか」
「え……うん」
そんな暇なかったな。
なんていうか……異次元の産物というか……。自分だとは一ミリも思えない生物がここにいる。
黒髪黒目の佐々木栞は、可愛げはちょっとはあったかもしれないけど平均的な容姿だった。
今目の前に居るのは、なんというか栞の感性で言うと絶世の美少女だ。これ誰?というのが一番の感想だ。
「……ルシアは一体どんな人だったんでしょうね……」
思わず他人事のように呟いてしまうと、ジェイラスが無言で私を見つめる。
そ、そうよね、返事に困るよね……。
「……背中を、見ろ」
「え?」
彼はそう言うと腕を伸ばして、私の首元の紐を緩めた。ぎょっとしていると、ワンピースを落そうとする。
「うぎゃあぁ!?」
「静かにしろ」
いや、静かにしろと言われながら服を脱がされる私の気持ちは一体どうしたら!?大人のお付き合いの時には事前に言って欲しいの!
「……これだ」
肩まで落とされたワンピースを必死に押さえていると、ジェイラスは私の背中を鏡に向けた。
背中側だけ服をはだけさせて、腰辺りまで見えるようにしてくれている。
(いや、やりたいことは分かるのよ、いやらしいこと一切なしなんだろうっていうのは、彼の性格的に伝わってはいるのよ!?)
でもこれ現代でやったらセクハラ行為だからね!?
なにより淫らなことしか考えていない私にこの行為は刺激が強すぎるんだよぅ……!!ううう。涙
「……見ろ」
……はぁ、とため息を吐いてから、私は顔を上げて鏡を見つめる。
そこに映っているのは、白い肌をした、女性らしい丸みを帯びた体をくびらせる細い腰……。うう、恥ずかしいよう。
「これが、悪魔の証だ」
ジェイラスはそう言うと、背中に二つ並んだ、肩甲骨から腰のあたりに掛けて黒く線を引くように少しだけ盛り上がっている黒色の傷痕のようなものを指でなぞった。
「ひやぁうぅ!?」
「……」
彼は顔を顰めながら、こいつ煩いなぁ、みたいな顔をして見下ろしている。なんだか理不尽だな!?
「……あうあう……えっと、この傷痕みたいなものが、あなたにあったものなの?」
「そうだ。これは悪魔の羽が生えてくると言われている……悪魔に憑かれたものの証だ。人の体にあるのが見つかれば、ただでは済まない」
「……」
「今はまだ何も分からなくても良い。けれど、これを決して人に見せてはいけないということと、悪魔の証だということだけは覚えておけ」
悪魔の証という大層な言葉を私はまだ受け止めきれていない。
「……あなたの体にはいつからあったの?」
「物心ついた時にはすでにあった」
そんなに昔からだったんだ。
悪魔の証……言葉だけでも禍々しいそんなものが彼の体に幼い時からあったんだね。
なのに、優しい人に育てた。
それならば……これは禍々しいものなんかじゃないのかもしれない。
「あなたの体にあったものなら……怖くないわ」
背中に訳有りのものを背負いながらも、こんなに好感度の高い人柄に育ったのなら、むしろ良いものなのかもしれないとさえ思えてしまう。
「ねぇ……ジェイラス」
恋人(仮)だもんね。
と遠慮せずに、呼び捨てで呼ばせてもらう。
ただ呼びたかっただけかも……しれないけど。
とは言え、近いうちに愛称に進んで行きたい……!(願望)
私はのそのそとワンピースを持ち上げると、首元の紐をきゅっと締めた。
そうして鏡の中に映る男女を見つめた。
上半身裸の、傷だらけの色男ジェイラス。逞しい筋肉に包まれた体は私の一回りは大きく見える。そうして彼の前に佇む、華奢な細身の美少女……。
絵画の中でしかみたことがないような、美しい男女の姿がそこには映っていた。
何も知らずに見たならば、愛し合う一対の恋人たちの姿のようにも思えた。黒のジェイラスと、白のルシア、あまりに絵になる組み合わせだ。
「私、たぶん、この世界の常識的なこともよく分からないんです……」
「ああ」
「私……ルシアは、人にどんな風に見られる外見をしていますか?」
私の質問に、意外なことにジェイラスは瞳を揺らした。
少し考えるように視線を伏せてから私を凝視する。
ん?なんだこの反応?
「この容姿だと学生に見えるんでしょう?」
栞の価値観でも学生に見えるけれど、平均寿命がどれほどの世界なのかも分からないし。
「あなたが……私にはとてもカッコイイ男の人に見えるっていうのは分かるの。でも自分のことは分からないの……」
人をカッコイイって思うのは、主観だしね。ジェイラスの主観でもいいんだ。
「私どんな風に見えますか?平凡な女の子に見えますか?」
「……」
こんなことを聞いてしまったのは、やっぱり気になっているのかもしれない。
ルシアがどんな人間なんだろうなって。
この世界で何を思って生きて来て、人にどう思われて生きて来たんだろうなって。
――ルシア。
あなたは何者なの?
そして今私は、目の前のこの男の人のことを世界で一番知りたいと思っている。
自分について知って行けるなら、この男の人の目を通した世界から知って行きたいなって思う。
この人が生きているこの世界の中で、私はどんなふうに生きているのか……知って行きたい。
ふとジェイラスを見上げると、私を見つめたまま固まっている。……え、この反応なんだろう?
見守っていると、彼は何かを話そうと唇を動かして……そうして閉じた。
まさか……これは言いにくいことを思ってる?気を遣って言葉にすることも出来ずにためらっていらっしゃる……!?
価値観も分からない世界だし、私の外見平凡じゃないのかも。そもそも、私のことどう思う?とか普通聞かないよね。
「ご、ごめんなさい?気を遣わせたなら答えなくても……大丈夫です」
「……」
黙り込んだジェイラスの前から移動して、私はベッドの方に避ける。
(ん?ベッド?)
急に生々しいことを思いつく。あれ、今夜ここに寝るんだっけ?
彼がこの部屋に私を連れてきたのは、恋人設定だからなんだろうけど……それってつまり。
(今夜同じお部屋で過ごさせてもらえる……!!)
ここまで来ると、期待に胸を膨らませても何にも起こらないだろうことを学習してきているのだけど、ついつい楽しいことを考えてしまう。
でもほら、ハプニングってあるじゃない?
らっきーすけべ?
漫画でもあるじゃん。
うっかり転んじゃったり!扉を開けたら……ぶつかったりとか!転んだ拍子に体の一部が接触したり……とか……何があるか分からない……じゃん?
そうしてわくわくとジェイラスを振り返ると、彼は片手で口を覆うようにしながら、何かを考えているようだった。
「……ジェイラス?」
いつもと違う様子に私は思わず声を掛けた。
すると彼はぱっと私を見つめた。その頬が少しだけ赤く染まっているような気がした。
「……どうしたの?」
もしかして具合が悪いことを隠していたんだろうか、と心配する。
けれどジェイラスは黙ったまま視線を逸らしてしまった。
(……?)
不思議に思っている間に扉が叩かれ、体を拭く為のお湯とタオルを持って来てもらえた。
そっか、お風呂はないんだ。沸かしたお湯で体を拭く世界なんだね。
あれ、そう言えば魔法が使われている様子もないけど……魔法文明とかもないのかしら。
そんなことを考えていると、ジェイラスが上着を着て扉から出ていこうとした。
「……俺は少し出る。お前はゆっくりしてろ」
「は、はい」
きっと気を遣って出て行ってくれたんだろうな、と思いながらも、パタリと扉が閉まってからも私はしばらく彼を見送ったまま考えていた。
なんか様子がおかしかった……ね?
ついつい洗浄魔法のことを忘れてて、お湯でさっぱりしてから魔法のことを思い出した。三歩歩けば忘れる鳥のような栞の記憶力、健在だった!
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