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誰かのために出来ること
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『もう、いいのよ……』
まるで泣いているみたいなルシアの声。
か細いけれどどこか優しい。少しだけ嬉しそうに聞こえるのも不思議だ。
「ルシア……どうしたの?」
ジェイラスに抱きしめられたまま、そっと話しかけた。
彼もルシアの返事を待っている。
『あなたたち、私のことを忘れてたでしょう。すっかり頭にないのね』
「……え?」
ルシアに言われて考えてみると……たしかにルシアが見ているはずなのに、私とジェイラスは、今まさにこの密着度だ。
(あれ……こんなときにあれだけど……)
ジェイラスとのあんなこともこんなことも全部見られてたんだ!
「は、はず、恥ずかしい……っ」
本当に今更ながら我に返る。
濃厚なアレとかソレとかを思い浮かべて。
『そうじゃないわ……』
ジェイラスが少しだけ笑った気がした。私の視線を受けて気まずそうに見つめてくるから、余計に居た堪れなくなる。
『ずっと見てたわ。シオリを、ジェイラスを』
やっぱり見られてたよね……。
『それでね、やっと分かったのよ。800年もかけてずっと分からなかったことがね』
「800年……?」
急にどうしたんだろう。
だけど、ずっと話しかけて来なかったルシアが泣きそうな声で話しかけてきたのだから、きっと大事な話なんだと思う。
「なあに?聞かせてルシア」
「ルシア、お前の話なら、なんでも聞くと以前言ったはずだ。お前のことも俺が背負うと」
『……ふふっ』
ルシアは笑い声を響かせてから、少し考えるように黙り込む。
『私はどうして悪魔に堕ちたのか。分かっていたようで、納得出来てはいなかったの。だけどジェイラスを見ていて分かったわ。環境と、自身と、全部ね。私はそうなる流れにいたの。あなたのように』
「流れか……?」
ジェイラスが言う。
『人は多少弱くても、足りなくても、悪魔になったりしないわ。それでもなったのなら、止められない流れの中にいて、それに抗うには力が足りなかっただけ……きっとね』
ジェイラスの表情を窺うと彼はただルシアの台詞に耳を傾けている。
『あなたの人生に、悪魔に堕ちなければならないほどのことは何も見つけられなかったって話よ』
ジェイラスは一瞬息を呑む。
「……そんなことはない」
私はジェイラスの手をぎゅっと握る。
私も、彼が悪魔にならなければならないほどのことは、なにもないと思ってる。
そんな思いに気づいたのか、ジェイラスが私の手に彼の手を重ねてくれる。
『まあ、いいわ。それが一つ目ね。もう一つはシオリを見ていて分かったのよ』
「私?」
今度は私の話なんだ。
『ええ、あなたよ。恋に落ちて、日々を楽しんで、いつしか愛されて、満たされて……普通の子なのに、だからこそ、自分のことより相手のことを想うことのできる子』
ルシアの台詞に戸惑ってジェイラスを見つめる。
すると彼は肯定するように微笑んだ。
真っ直ぐに私を見つめる瞳には信頼の色が浮かんでいる。それにたっぷりの愛情も。
『……あなたを見ていて、初めてあの子のことが分かった気がしたわ』
「あの子……?」
『そう、私のいとこの王子様ね。明るくて優しくて、いつも笑顔だった。ひとりぼっちの私のことだっていつも気に掛けてくれていたの。他意もなく、本当に自然に。みんなに好かれていたわ』
その人のことを、ルシアはいつも幸せそうに語る。
『だから彼が、どうして泣いていたのか分からなかったのよ』
「泣く……?」
『わたしが悪魔の姿になったとき、傷付いた顔をして、泣き出したのよ。人の心を惑わした、数百年は歴史に残っていた魔女だったのに、そんな私に、ほんの少しも、怒りや憎しみの感情を向けずにね』
おかしいでしょう?とルシアは笑う。
『そんな風に対峙していい存在じゃなかったのよ。私が心を操った人はね、みんな死ぬまで苦しんだの。心の深いところまで思う通りに変えてしまったから、完全に解け切れなかったのね。元の生活に戻るのも苦労して、私と出会う前の自分自身には生涯戻れなかった』
「……」
ジェイラスの手をギュッと握り締める。
彼がずっと言っていたのはこう言うことだったんだって理解する。
『だけどきっとね、彼はシオリと同じように、私の願いを叶えてくれたのよ……それがやっと分かったの』
「私と同じ……?」
『そうよ。自分のことより相手のことを考えられる、あなたと同じ。あの子はただ、私の願いを叶えてくれたの……』
ジェイラスは視線を伏せたまま、優しく手を握り返してくれた。
『私は死んでからも彼らを見守って……従兄弟の壊れた心を感じたのが始まりね。元に戻れた人は誰もいなかった。私の周りの人は皆もう普通には生きられなかった。ああこれが私のしたことなんだと、彼らの生涯を見守って、やっと腑に落ちたの』
だけど、流れなのだと言っていた。
ルシアだって、ただの人だったのなら、悪魔に堕ちるほどのことはなかったはずだ。
そう思っているとルシアは心を読んだように言った。
『そうね。私だけの問題じゃない。だけど私の意思は確かにあったのよ』
ルシアの声は穏やかに響く。
『ルシア・フォスターとして生きて……お父様とお母様に愛される幸運に恵まれた。当たり前の、普通の、家族のつながりを知ったわ。私が壊した彼らにも大事な人たちが居たことを理解した。私は新しい人生を少しの間歩ませて貰えて……初めて後悔したわ。自分を許せなくて、気が狂いそうなほどに、時を戻したいと願ったわ。だけどそれは叶わない』
叶わないまま、消えたくないの……そうルシアは小さく呟いた。
『後悔してるの。あんなことを望んでいたんじゃない。私は取り返しのつかない罪を背負ってる。だから、お願い、私の願いを叶えて、シオリ』
願い、とルシアが言った。
「え……なあに?」
いくら私でも時間を戻せるとは思えない。だけどきっと、叶えられることを、ルシアは求めてるんだ。
『彼の抱える全ての魔の力を私に渡して。私が抱えて……一緒に消えるわ』
ルシアが魔の力と一緒に消える……?
理解が出来なくてジェイラスを見つめると、彼は叫んだ。
「馬鹿な!シオリがどうなると思っているんだ!俺と同じ姿になる……それだけで済むかも分からないんだぞ!?」
ルシアに渡すということは、私の体に抱えるってことだ。
「ルシアに渡すとどうなるの……?」
『そうね、きっと、私はその時、やっと消えられるわ』
消える、とルシアが言う。もうすぐ、ではなく、やっと、と。
「消えるの?」
『ええ』
「どうして?」
『きっと満足出来るから』
魔の力を抱えることでなにが満足出来るのだろう。
『シオリ』
「うん」
『私はあなたのことがとても好きよ』
「私もだよ」
『ふふっ……』
ルシアが笑う。今日はよく笑うな、と思う。
『ジェイラスのことも、好きよ』
「……ああ」
『言い忘れてたけど、あなた変わったわよ』
「……」
『人間に女神を求めてるんだもの、誰でもいいのかと思ってたのよ』
「……なに?」
『愛を与えてくれる人なら、誰でもいいのかもと』
「……」
ジェイラスがじっと私を見つめた。どうやら私のことを言っているようだ。
『でも変わったから教えてあげる』
「なんだ?」
『シオリの理想はパパじゃないのよ』
え?理想!?
「なんだ?」
『それは秘密』
「……」
『悩みなさい』
クスクスと、ルシアが笑う。
私の理想……具現化するならジェイラスしかありえないのだけど、ルシアは答えを言わないらしい。
真面目な顔で私を見下ろすジェイラスはちょっと可愛い。
暫くしてから、ルシアの声が聞こえた。
『……お願い……』
震えながら響く。
『たくさんの人を傷付けたの。人間は、人間を壊せるのね。後悔してるの。だけど、もう取り返しなんて付かない。私は楽になることなんてないの。だからせめて……何か一つでも、誰かの役に立ちたい。誰かのために生きて死にたい。それが私の、唯一の望み。……お願い……私に出来ることを与えてください。お願い……シオリ……』
澄んだ瞳でルシアの台詞を聞いていたジェイラスが、突然驚くように顔を上げた。
「……なんだ!?」
彼の体から、黒いもやのようなものが浮き上がったのだ。
「……え?」
「なにが……」
私は何も願ってない。
ジェイラスも驚いて自分自身を見つめている。慌てるように自分の両肩を抱きしめて目を瞑る。
「なんだ……制御が出来ないだと!?」
彼は今、魔の力の支配者だ。魔王のような力を持つはずの彼が、自分の持つ力に翻弄されているのだ。
『ああ……あなたね』
黒いもやは揺れるように動いて立ち昇っていく。
そうして私の方に向かって来ると……少しずつ体に吸い込まれていく。
「シオリ……!?」
ジェイラスが心配そうに私の両腕を掴む。
『そうね。同じね。同じことを願うなら、一緒に行きましょう。溶けて混ざって、消えて、空気になって、私たちは私たちでなくなりましょう』
もやが吸い込まれていく私の体をジェイラスは強く抱きしめながら、確認するように私を見つめている。
だけど私の体は何も変化してない。
翼も生えてこないし、肌の色も変わらない。
『あなただけじゃないのね。たくさんの人が……同じ想いでいたのね』
ルシアは誰に話しかけているんだろう。私やジェイラスではない誰かに語りかけている。
『最後の最後まで消えられなかった。でもやっと……私は……』
黒いもやが浮き上がるたびに、ジェイラスの体が変化していく。
角が消え、肌の色が薄くなる。
少しずつ、彼の肉体が変わる。
長い爪が消えて、翼がなくなると、人間の姿そのものの、大好きなジェイラスが戻ってきた。
「ジェイラス……姿が」
「ああ」
だけどジェイラスは自分自身より私の体の線をなぞるように確認している。心配そうに少し苦しそうな表情で私の姿だけを瞳に映している。
「なんともないのか?シオリ」
「うん……ジェイラスは?」
「俺はなにもない。ならば……ルシアが引き受けているのか……?」
ジェイラスが空を見上げる。
最後にすうっと音を立てるように黒いもやが私の中に消えていくと、まるで割れて弾けるように、私の中から輝くような光が生まれた。
目を開けていられないような眩しい光。ジェイラスが目を細める。その光は森の中へと広がっていった。黒いキャンバスを白で塗り替えるように、魔の森が光で照らされていく。闇に侵された植物が、動物が、光で塗り替えられていく。
強い風が吹き抜けて行くように、魔の森は、緑豊かな森へと変わっていく。
だけど私はその幻想的な光景よりもずっと、心にぽっかりと穴が空いたような感覚が気掛かりだった。
生まれた時から一緒に過ごした半身。
私と共に生きてきた、誰よりも親しく、大好きな人。
彼女が、居ない。
今、私の中から、消えている。
「ルシア……?」
話しかけても、あの優しくて楽しそうな声は返ってこない。
「ルシア……!」
切なさに張り裂けそうな心で私は叫んだ。
狂ったように泣き叫ぶ私を、ジェイラスが抱き締める。ルシアが、ルシアが、と言葉にならない声を出しながら泣いている私の背中をジェイラスはずっと撫で続けてくれた。
この日、リンメルとセルズの国境にある魔の森は、その姿を消した。
--------------------
作者です。
地の底に落ちたジェイラスだから受け止められた魔の力(創始の神の残留思念含む)は、ルシアに共鳴して彼女の元に集まりました。ルシアの行いもまた、二人の生き様を見ていなければ、することが出来なかったものでした。
まるで泣いているみたいなルシアの声。
か細いけれどどこか優しい。少しだけ嬉しそうに聞こえるのも不思議だ。
「ルシア……どうしたの?」
ジェイラスに抱きしめられたまま、そっと話しかけた。
彼もルシアの返事を待っている。
『あなたたち、私のことを忘れてたでしょう。すっかり頭にないのね』
「……え?」
ルシアに言われて考えてみると……たしかにルシアが見ているはずなのに、私とジェイラスは、今まさにこの密着度だ。
(あれ……こんなときにあれだけど……)
ジェイラスとのあんなこともこんなことも全部見られてたんだ!
「は、はず、恥ずかしい……っ」
本当に今更ながら我に返る。
濃厚なアレとかソレとかを思い浮かべて。
『そうじゃないわ……』
ジェイラスが少しだけ笑った気がした。私の視線を受けて気まずそうに見つめてくるから、余計に居た堪れなくなる。
『ずっと見てたわ。シオリを、ジェイラスを』
やっぱり見られてたよね……。
『それでね、やっと分かったのよ。800年もかけてずっと分からなかったことがね』
「800年……?」
急にどうしたんだろう。
だけど、ずっと話しかけて来なかったルシアが泣きそうな声で話しかけてきたのだから、きっと大事な話なんだと思う。
「なあに?聞かせてルシア」
「ルシア、お前の話なら、なんでも聞くと以前言ったはずだ。お前のことも俺が背負うと」
『……ふふっ』
ルシアは笑い声を響かせてから、少し考えるように黙り込む。
『私はどうして悪魔に堕ちたのか。分かっていたようで、納得出来てはいなかったの。だけどジェイラスを見ていて分かったわ。環境と、自身と、全部ね。私はそうなる流れにいたの。あなたのように』
「流れか……?」
ジェイラスが言う。
『人は多少弱くても、足りなくても、悪魔になったりしないわ。それでもなったのなら、止められない流れの中にいて、それに抗うには力が足りなかっただけ……きっとね』
ジェイラスの表情を窺うと彼はただルシアの台詞に耳を傾けている。
『あなたの人生に、悪魔に堕ちなければならないほどのことは何も見つけられなかったって話よ』
ジェイラスは一瞬息を呑む。
「……そんなことはない」
私はジェイラスの手をぎゅっと握る。
私も、彼が悪魔にならなければならないほどのことは、なにもないと思ってる。
そんな思いに気づいたのか、ジェイラスが私の手に彼の手を重ねてくれる。
『まあ、いいわ。それが一つ目ね。もう一つはシオリを見ていて分かったのよ』
「私?」
今度は私の話なんだ。
『ええ、あなたよ。恋に落ちて、日々を楽しんで、いつしか愛されて、満たされて……普通の子なのに、だからこそ、自分のことより相手のことを想うことのできる子』
ルシアの台詞に戸惑ってジェイラスを見つめる。
すると彼は肯定するように微笑んだ。
真っ直ぐに私を見つめる瞳には信頼の色が浮かんでいる。それにたっぷりの愛情も。
『……あなたを見ていて、初めてあの子のことが分かった気がしたわ』
「あの子……?」
『そう、私のいとこの王子様ね。明るくて優しくて、いつも笑顔だった。ひとりぼっちの私のことだっていつも気に掛けてくれていたの。他意もなく、本当に自然に。みんなに好かれていたわ』
その人のことを、ルシアはいつも幸せそうに語る。
『だから彼が、どうして泣いていたのか分からなかったのよ』
「泣く……?」
『わたしが悪魔の姿になったとき、傷付いた顔をして、泣き出したのよ。人の心を惑わした、数百年は歴史に残っていた魔女だったのに、そんな私に、ほんの少しも、怒りや憎しみの感情を向けずにね』
おかしいでしょう?とルシアは笑う。
『そんな風に対峙していい存在じゃなかったのよ。私が心を操った人はね、みんな死ぬまで苦しんだの。心の深いところまで思う通りに変えてしまったから、完全に解け切れなかったのね。元の生活に戻るのも苦労して、私と出会う前の自分自身には生涯戻れなかった』
「……」
ジェイラスの手をギュッと握り締める。
彼がずっと言っていたのはこう言うことだったんだって理解する。
『だけどきっとね、彼はシオリと同じように、私の願いを叶えてくれたのよ……それがやっと分かったの』
「私と同じ……?」
『そうよ。自分のことより相手のことを考えられる、あなたと同じ。あの子はただ、私の願いを叶えてくれたの……』
ジェイラスは視線を伏せたまま、優しく手を握り返してくれた。
『私は死んでからも彼らを見守って……従兄弟の壊れた心を感じたのが始まりね。元に戻れた人は誰もいなかった。私の周りの人は皆もう普通には生きられなかった。ああこれが私のしたことなんだと、彼らの生涯を見守って、やっと腑に落ちたの』
だけど、流れなのだと言っていた。
ルシアだって、ただの人だったのなら、悪魔に堕ちるほどのことはなかったはずだ。
そう思っているとルシアは心を読んだように言った。
『そうね。私だけの問題じゃない。だけど私の意思は確かにあったのよ』
ルシアの声は穏やかに響く。
『ルシア・フォスターとして生きて……お父様とお母様に愛される幸運に恵まれた。当たり前の、普通の、家族のつながりを知ったわ。私が壊した彼らにも大事な人たちが居たことを理解した。私は新しい人生を少しの間歩ませて貰えて……初めて後悔したわ。自分を許せなくて、気が狂いそうなほどに、時を戻したいと願ったわ。だけどそれは叶わない』
叶わないまま、消えたくないの……そうルシアは小さく呟いた。
『後悔してるの。あんなことを望んでいたんじゃない。私は取り返しのつかない罪を背負ってる。だから、お願い、私の願いを叶えて、シオリ』
願い、とルシアが言った。
「え……なあに?」
いくら私でも時間を戻せるとは思えない。だけどきっと、叶えられることを、ルシアは求めてるんだ。
『彼の抱える全ての魔の力を私に渡して。私が抱えて……一緒に消えるわ』
ルシアが魔の力と一緒に消える……?
理解が出来なくてジェイラスを見つめると、彼は叫んだ。
「馬鹿な!シオリがどうなると思っているんだ!俺と同じ姿になる……それだけで済むかも分からないんだぞ!?」
ルシアに渡すということは、私の体に抱えるってことだ。
「ルシアに渡すとどうなるの……?」
『そうね、きっと、私はその時、やっと消えられるわ』
消える、とルシアが言う。もうすぐ、ではなく、やっと、と。
「消えるの?」
『ええ』
「どうして?」
『きっと満足出来るから』
魔の力を抱えることでなにが満足出来るのだろう。
『シオリ』
「うん」
『私はあなたのことがとても好きよ』
「私もだよ」
『ふふっ……』
ルシアが笑う。今日はよく笑うな、と思う。
『ジェイラスのことも、好きよ』
「……ああ」
『言い忘れてたけど、あなた変わったわよ』
「……」
『人間に女神を求めてるんだもの、誰でもいいのかと思ってたのよ』
「……なに?」
『愛を与えてくれる人なら、誰でもいいのかもと』
「……」
ジェイラスがじっと私を見つめた。どうやら私のことを言っているようだ。
『でも変わったから教えてあげる』
「なんだ?」
『シオリの理想はパパじゃないのよ』
え?理想!?
「なんだ?」
『それは秘密』
「……」
『悩みなさい』
クスクスと、ルシアが笑う。
私の理想……具現化するならジェイラスしかありえないのだけど、ルシアは答えを言わないらしい。
真面目な顔で私を見下ろすジェイラスはちょっと可愛い。
暫くしてから、ルシアの声が聞こえた。
『……お願い……』
震えながら響く。
『たくさんの人を傷付けたの。人間は、人間を壊せるのね。後悔してるの。だけど、もう取り返しなんて付かない。私は楽になることなんてないの。だからせめて……何か一つでも、誰かの役に立ちたい。誰かのために生きて死にたい。それが私の、唯一の望み。……お願い……私に出来ることを与えてください。お願い……シオリ……』
澄んだ瞳でルシアの台詞を聞いていたジェイラスが、突然驚くように顔を上げた。
「……なんだ!?」
彼の体から、黒いもやのようなものが浮き上がったのだ。
「……え?」
「なにが……」
私は何も願ってない。
ジェイラスも驚いて自分自身を見つめている。慌てるように自分の両肩を抱きしめて目を瞑る。
「なんだ……制御が出来ないだと!?」
彼は今、魔の力の支配者だ。魔王のような力を持つはずの彼が、自分の持つ力に翻弄されているのだ。
『ああ……あなたね』
黒いもやは揺れるように動いて立ち昇っていく。
そうして私の方に向かって来ると……少しずつ体に吸い込まれていく。
「シオリ……!?」
ジェイラスが心配そうに私の両腕を掴む。
『そうね。同じね。同じことを願うなら、一緒に行きましょう。溶けて混ざって、消えて、空気になって、私たちは私たちでなくなりましょう』
もやが吸い込まれていく私の体をジェイラスは強く抱きしめながら、確認するように私を見つめている。
だけど私の体は何も変化してない。
翼も生えてこないし、肌の色も変わらない。
『あなただけじゃないのね。たくさんの人が……同じ想いでいたのね』
ルシアは誰に話しかけているんだろう。私やジェイラスではない誰かに語りかけている。
『最後の最後まで消えられなかった。でもやっと……私は……』
黒いもやが浮き上がるたびに、ジェイラスの体が変化していく。
角が消え、肌の色が薄くなる。
少しずつ、彼の肉体が変わる。
長い爪が消えて、翼がなくなると、人間の姿そのものの、大好きなジェイラスが戻ってきた。
「ジェイラス……姿が」
「ああ」
だけどジェイラスは自分自身より私の体の線をなぞるように確認している。心配そうに少し苦しそうな表情で私の姿だけを瞳に映している。
「なんともないのか?シオリ」
「うん……ジェイラスは?」
「俺はなにもない。ならば……ルシアが引き受けているのか……?」
ジェイラスが空を見上げる。
最後にすうっと音を立てるように黒いもやが私の中に消えていくと、まるで割れて弾けるように、私の中から輝くような光が生まれた。
目を開けていられないような眩しい光。ジェイラスが目を細める。その光は森の中へと広がっていった。黒いキャンバスを白で塗り替えるように、魔の森が光で照らされていく。闇に侵された植物が、動物が、光で塗り替えられていく。
強い風が吹き抜けて行くように、魔の森は、緑豊かな森へと変わっていく。
だけど私はその幻想的な光景よりもずっと、心にぽっかりと穴が空いたような感覚が気掛かりだった。
生まれた時から一緒に過ごした半身。
私と共に生きてきた、誰よりも親しく、大好きな人。
彼女が、居ない。
今、私の中から、消えている。
「ルシア……?」
話しかけても、あの優しくて楽しそうな声は返ってこない。
「ルシア……!」
切なさに張り裂けそうな心で私は叫んだ。
狂ったように泣き叫ぶ私を、ジェイラスが抱き締める。ルシアが、ルシアが、と言葉にならない声を出しながら泣いている私の背中をジェイラスはずっと撫で続けてくれた。
この日、リンメルとセルズの国境にある魔の森は、その姿を消した。
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作者です。
地の底に落ちたジェイラスだから受け止められた魔の力(創始の神の残留思念含む)は、ルシアに共鳴して彼女の元に集まりました。ルシアの行いもまた、二人の生き様を見ていなければ、することが出来なかったものでした。
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第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編
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