32 / 36
犀河原慧十郎の初恋(14)
しおりを挟む若君様は生徒たちを見下ろし言った。
「この中に……不安の芽を植え付けられ、感情の制御が出来なくなったことを、今も自覚出来ていない者はいるか?」
体育館はシン……と静まりかえる。
「悪夢を見せられる中、自力で目覚められた者は居たか?」
威圧的な、若君様の声が響く。
彼は人を支配することに慣れている。
生まれながらに、先祖返りのような莫大なサイキの力をその身に抱え持っていた、現当主の息子。誰もが彼を崇拝し、またそれに応えて来た人。
若君様の言葉に誰も答えられない。
体育館を一瞥すると、若君様は再び、私の前にうやうやしく跪いた。
「あなたは誰よりも早くに目覚め、我らを救ってくださった。我らにない尊き力を持ち、我らに幸福を与えてくださる方。それを知らぬ者は、もうここにはおりません」
(はて……困った)
どうにもこうにも芝居がかっている。
学園の中で生徒たちの神様のような彼が、誰にも反論を許さない状況でここまで言っている。
体育館を見回すと、生徒たちは先ほどまでと違い、なんだかキラキラとした瞳で壇上を見上げている。
「我ら犀河原の者は、貴方に生涯変わらぬ忠誠を誓う」
若君様が頭を下げると、生徒たちも一斉に首を垂れた。
(本当に、困った……)
振り出しに戻ったような、戻ってないような。
たぶん、若君様の私を崇めたてまつろう作戦が成功してしまったんだ。
もう二度と私を傷付けないために、私のことを一族が敬うように仕向けた。きっと。
沙羅姫が現れた時は驚いているように見えた。けれど彼はみんなを守りながら、私に自発的に妖鬼を退治させた。どの瞬間からそんな結末に持っていこうと思ったんだろう。
ここまでおおげさな小芝居をする必要はあったのかな。これではまるで彼が私のしもべのように見えてしまう。
……しもべ?
あれ、今までとは一転してしまったこの状況、上手く使えない……?
どうしよう。望んだわけじゃないけど、こうなってしまったら腹をくくって考えよう。どうするのが一番良い?
色んなことを思い出す。
『お前にしか、きっと決められないことがある』
剣くんが言っていた。確かにそうだ。私は何を望んでいて、どうしたかった?
ちょっとだけ考える。
やつれた顔をしていた若君様のお姿。独りで耐えるように生きているように見えて、手を貸したかった。側にいて優しくしたかった。眠れないと言っていた若君様に、ほっと息を吸ってもらって、安らかに眠って貰いたかった。
(……笑ってほしかった)
私に向けてでなくてもいい、最低限健康で、幸せそうに笑っていて貰いたかった。
子供の頃の慧くんのように。
あの頃、天使のような寝顔をしていた。感情の薄い瞳だったけれど、それでも子供の頃は穏やかに笑っていた。孤独を煮詰めたような瞳などしていなかった。
彼はこのままだと、一族を弟に任せて、私たちから離れ、海外を1人回るのだろう。きっと、眠れぬ夜をこれまでと同じように過ごして、張り詰めた空気を纏ったまま、一族のために、先祖返りの自分の力を絞り切るまで使い続けるのだろう。
鬼そのもののような自分がこの世界から消えるのを待っているように。たった独りで。
――『助けてあげて……』
つい先ほど、どこかから聞こえてきた不思議な声。
(でも誰も……彼を助けてくれない)
助けなど求めてないのかもしれない。それでも彼は自分のことなんて少しもかえりみないで一族に尽くして生きている。
(私しか居ない)
私の恋は叶わない。彼は誰も好きにはならないのだから。それでも感じてる。彼を、一番に気に掛けて、一番に幸せになって貰いたいと思ってるのは私だ。幼い日々を家族のように過ごした私だけは、彼を犀河原もサイキも関係なく、鬼でも人でもなく愛したのだ。
「……頭を上げてください。慧十郎様」
声が震える。演技などしたことない。芝居がかった台詞を言うのは初めてだ。
若君様の漆黒の瞳と、視線が交わる。彼の瞳が揺れている。
(……好きだな。この人が好き。うん。私は、彼のためなら何でもできる)
すうっと息を吸い、私は言った。
「高校に入学したある日、私は、裏庭で恋に落ちました。貴方にです」
ざわっと、静かだった体育館に生徒たちの声が広がる。
全校生徒を前にしての告白になってしまったな、と思う。恥ずかしいなんてものじゃない。だけど、たぶん機会は今しかない。
若君様は表情を固めている。
「お姿をお見かけし、初めて声を交わしたあの日に、私は貴方に心を奪われました」
「……」
しかもこれ本当のことだしね。すらすら語れるよ。
「毎日貴方のお姿を探し、一眼でもお目にかかれる日は幸福でした。お人柄を知るほどに惹かれ、心から尊敬致しました。少しでも役に立ちたくて、私は初めて一族と能力について学びました。学べば学ぶほど、貴方が私たちのためにどれほど尽くしてくれたかを知りました。もしも私の力がお役に立てるのものになれたなら、それは、貴方のおかげです。私は、貴方と貴方の大事な一族のためならば、いくらでも力になりましょう」
出来るだけ大仰に言おうとすると舌を噛みそう。
けれど言ってる内容はだいたい本心だ。
「私にとってこれは、生涯を捧げたいと思うほどの恋なのです」
若君様。今はあなたのサイキには包まれていないから伝わってはいないだろうけど、だけどもう、私が心からあなたを好きなことを感じてくれていたはずだ。
「愛しています。慧十郎様。どうか私を貴方のお側においてください」
私は卑怯だ。
彼を跪かせているこの状況で、彼が私を愛していないことを知っていて、決断をさせようとしている。
それでも私の気持ちは本心だ。
この人の隣で、優しさを与えたい。
決して近寄らせてくれないこの人の、一番の近くに居たい。
一族の希望として生まれた私に忠誠を誓うという彼に、みんなの前で断りにくい願いを請う。
だけど……それでも彼は本意でなければ断れるのだ。その時には私はやっと、初恋も愛も、幼い時の想いも全てを終わらせることが出来る。
それでもいいんだ。小さな頃に家族になろうと誓った人の幸せを、ただ遠くから願えるのだから。
若君様はゆっくりと腕を動かすと、そっと私の片手を取った。私はぼんやりとそれを見つめていた。
彼はじっと私の手を見つめてから、今度は強い眼差しを持って私を見つめた。
「美月さん」
「はい」
「先祖返りの血を持ったものの命は、二十歳を越えるのは難しいと言われていた」
「……」
――二十歳を越えるのは難しいと言われていた――
頭の中で何十回も言葉をリフレインさせて、やっと意味を理解する。
短命であるということ……?
驚いて若君様の手をぎゅっと握ると、彼は少しだけ微笑んだ。
「それほど生まれる訳ではないその存在については、文献に残されている程度のことしか分からない。けれど私は、年々失われる命の力を感じていた。残り数年のこの身を、一族に捧げて生きるつもりだった」
けれど……と、低い声で彼はつぶやく。
「私は、この学園で貴方に出逢った」
1
あなたにおすすめの小説
氷のメイドが辞職を伝えたらご主人様が何度も一緒にお出かけするようになりました
まさかの
恋愛
「結婚しようかと思います」
あまり表情に出ない氷のメイドとして噂されるサラサの一言が家族団欒としていた空気をぶち壊した。
ただそれは田舎に戻って結婚相手を探すというだけのことだった。
それに安心した伯爵の奥様が伯爵家の一人息子のオックスが成人するまでの一年間は残ってほしいという頼みを受け、いつものようにオックスのお世話をするサラサ。
するとどうしてかオックスは真面目に勉強を始め、社会勉強と評してサラサと一緒に何度もお出かけをするようになった。
好みの宝石を聞かれたり、ドレスを着せられたり、さらには何度も自分の好きな料理を食べさせてもらったりしながらも、あくまでも社会勉強と言い続けるオックス。
二人の甘酸っぱい日々と夫婦になるまでの物語。
転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。
ラム猫
恋愛
異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。
『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。
しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。
彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。
※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
ブラック企業に勤めていた私、深夜帰宅途中にトラックにはねられ異世界転生、転生先がホワイト貴族すぎて困惑しております
さら
恋愛
ブラック企業で心身をすり減らしていた私。
深夜残業の帰り道、トラックにはねられて目覚めた先は――まさかの異世界。
しかも転生先は「ホワイト貴族の領地」!?
毎日が定時退社、三食昼寝つき、村人たちは優しく、領主様はとんでもなくイケメンで……。
「働きすぎて倒れる世界」しか知らなかった私には、甘すぎる環境にただただ困惑するばかり。
けれど、領主レオンハルトはまっすぐに告げる。
「あなたを守りたい。隣に立ってほしい」
血筋も財産もない庶民の私が、彼に選ばれるなんてあり得ない――そう思っていたのに。
やがて王都の舞踏会、王や王妃との対面、数々の試練を経て、私たちは互いの覚悟を誓う。
社畜人生から一転、異世界で見つけたのは「愛されて生きる喜び」。
――これは、ブラックからホワイトへ、過労死寸前OLが掴む異世界恋愛譚。
不憫な侯爵令嬢は、王子様に溺愛される。
猫宮乾
恋愛
再婚した父の元、継母に幽閉じみた生活を強いられていたマリーローズ(私)は、父が没した事を契機に、結婚して出ていくように迫られる。皆よりも遅く夜会デビューし、結婚相手を探していると、第一王子のフェンネル殿下が政略結婚の話を持ちかけてくる。他に行く場所もない上、自分の未来を切り開くべく、同意したマリーローズは、その後後宮入りし、正妃になるまでは婚約者として過ごす事に。その内に、フェンネルの優しさに触れ、溺愛され、幸せを見つけていく。※pixivにも掲載しております(あちらで完結済み)。
異世界で王城生活~陛下の隣で~
遥
恋愛
女子大生の友梨香はキャンピングカーで一人旅の途中にトラックと衝突して、谷底へ転落し死亡した。けれど、気が付けば異世界に車ごと飛ばされ王城に落ちていた。神様の計らいでキャンピングカーの内部は電気も食料も永久に賄えるられる事になった。
グランティア王国の人達は異世界人の友梨香を客人として迎え入れてくれて。なぜか保護者となった国陛下シリウスはやたらと構ってくる。一度死んだ命だもん、これからは楽しく生きさせて頂きます!
※キャンピングカー、魔石効果などなどご都合主義です。
※のんびり更新。他サイトにも投稿しております。
行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される
めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」
ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!
テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。
『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。
新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。
アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。
【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました
ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。
名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。
ええ。私は今非常に困惑しております。
私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。
...あの腹黒が現れるまでは。
『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。
個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。
【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!
桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。
「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。
異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。
初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる