花の下にて、春

蒲公英

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 コハルと名付けた娘が三歳になったころ、マツリは死の床にあった。気がついたときにはもう手の施しようがないほど、マツリの身体は蝕まれていた。抗ガン剤治療のひどい副作用に耐えてもガンの勢いは止まず、マツリの希望で緩和ケア病棟に場所を移した。
 調子が悪いと言いはじめたときに、無理やりにでも病院に連れていけば良かったと何度も悔やみ、何故マツリなのかと慟哭し、それでもコハルを育てなくてはならず、毎日が走り続けだった。
 実家の両親に助けを求めたし、会社の理解のもとにコハルを連れて毎日面会に通った。痛みを緩和してもらったマツリは少し元気を取り戻し、もしかしたら回復するのではないかと馬鹿な望みを抱く。

 おりしも春、桜が満開だった。外出の許可をもらって、マツリの車椅子を押した。コーヒーの好きなマツリのために、ポットに暖かいコーヒーを持っていった。
「おいしい。お天気が良くて桜が美しくて、しあわせ」
 呟いたマツリの腕は、筋肉が落ちてしまっている。車椅子のマツリの膝に、コハルが満足そうに乗っていた。

 病院を出るたびにママも一緒に帰ると泣くコハルを宥め、眠る小さな顔を撫でながら、僕も泣いた。一緒にコハルの成長を見届け、それが過ぎたらまたカフェ巡りをしようと約束したのだ。そのころには生活に余裕があるだろうから、今度は全国を散歩して歩こうと。
 冗談交じりの小さな口約束だった。それが永遠に守られない約束になることなど、どうして想像できたろう。

 緩和ケアでも痛みが除ききれなくなり、マツリはどんどん憔悴していった。
「せめてコハルが、私を覚えていてくれる大きさになるまで」
 懸命に生きていようとするマツリを、僕は抱きしめるしかできなかった。

 ある日、マツリはとても気分が良いのだと言った。
「夢を見たのよ」
 微笑んだ頬にはもう笑窪は出なかったが、とても綺麗だった。
「私がヒロトに一番会いたかった日に、会いに行ったの」
「いつのこと?」
「ナイショ」
 いたずらっぽく笑うマツリは、まだ少女のようだった。

 マツリの痛みは激しくなり、彼女が望んだことは受け入れてやるしかないことだった。

 セデーション。意識レベルを下げて、痛みを鎮静化させる。施薬すれば深い眠りに入り、もう二度と目覚めない。そして数日後に訪れる死を、眠ったまま受け入れる。

「私は眠ってしまうけれど、毎日コハルと会いに来てね。きっと指先から、愛してるってコハルとあなたに伝えるから」
 そう言ってマツリは、点滴を受け入れた。
「おやすみなさい。桜の下でまた会いましょう」
 それが最期に聞いた、マツリの声だった。


 怒涛のように過ぎた子育ての日々、コハルは中学生になる。
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