トクソウ最前線

蒲公英

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 水木先生から電話がかかってきたのは、土曜日の昼だった。ベッドでゴロゴロ漫画を読んでいたら、スマートフォンが鳴った。仕事以外で電話連絡なんて、ほとんどゼロだ。同年代との連絡はSNSがメインだし、家族は現在同じ家の中にいる。液晶に表示される『水木先生』の文字が信じられなくて、画面を二度見した。
「……あの、もしもし?」
 おそるおそる電話に出た和香に、水木先生の声は明るかった。
「榎本さんですか。こんにちは、水木です。わかりますか」
 水木先生の後ろから聞こえる音はザラザラしていて、室外だろうと想像できる。
「先日申し上げた展示会、来ていただけませんか。無料ですし、結構盛沢山になっていると思うんですよ。それとも何か予定がありますか」
「いえ! 常にヒマです!」
 反射的に答えてしまい、我ながらダボハゼみたいだと思う。けれど、と和香の中で声がする。仕事以外で新しい知り合いを作るって、外に出ない自分にはほぼ不可能だ。そして現在の希薄な交友関係は、数年後には消えてしまうかも知れない。だって結婚とか出産とか、仕事に責任が出るとか、二十代三十代って結構激動の時期だもの。今のままだと、親と一緒に老いてゆくだけの未来しか見えない。
 だから、これは淡いながらもチャンスだ。鳥だろうが蛸だろうが、自分にとって面白いものならば、次の展示会が楽しみになるかも。それに万が一億が一、水木先生が和香を女の子として誘ってくれているのならば、逃したら一生後悔する。
「南文化センターでしたね。後ほど伺います」
 ドキドキしながら電話を切って、誰も見ていないのに赤くなった顔を押さえた。

 がんばっちゃった風の服装じゃいけないし、ビジネススタイルなんてもっての外。作業服ってわけにもいかず、毎日通勤している服装はデニムパンツにカットソーだ。細々と交流を続けている友達と会うときだって、似たようなものになる。
 クローゼットの前で絶望しながら、何かないかと考える。二十歳のOLだったときのオフィスカジュアルはあるのだが、張り切って買い揃えていたものは、今見ると少しイタい。捨てずに置いておいたのだから、ここから何か考えなくては。ベッドの上に着られそうなものを投げ出し、上と下を合わせてみる。どうにかなりそうだと試着して、玄関の物入れに貼ってある姿見まで三往復した。
「何をバタバタしてるの」
 母親が居間から顔を出し、服装チェックしている和香を見て驚いた。
「何があるの?」
 出かけるのに服装チェックして、何がおかしい。といっても、和香が休みの日に出るのは、本屋かコンビニくらいのものだったが。
「鳥の研究会ってやつに行ってくる。区内だから、すぐ帰ってくるよ」
「珍しいことがあるものね。赤い雪が降るのかしら」
 母親って、どうしてこう娘の行動を挫くのか。
「仕事先で誘われたの!」
「変な宗教に勧誘されないようにね」
 そこまで言うな。

 直通のバスがなくて、交通は少し不便だ。自転車だと抵抗がある程度の距離で、バスを待っているうちに面倒になる。どうせね、イベントが閑散としてるから賑やかしに来いって言ってるのよ。誘われたときの熱が冷めてきて、頭のなかが冷静になってくる。
 普段使わない路線なので、バスの座席に座って車窓から外を眺めれば、見慣れない住宅地だ。建売の並んだ家、もともとの地主だろう大きな家、住宅地の真ん中にいきなりある農地、自転車の人、ベビーカーを押す夫婦、大きな買い物袋を持って歩く老婆、スポーツ帰りの子どもの群れ。
 こんなにたくさんの人がいるけれど、自分とすれ違ったことのある人は、どれくらいいるんだろう。誰とも話せないとトイレで泣いたことのある人は、いるんだろうか。いるのかも知れない。いないのかも知れない。訊いたことはないのだから、わからない。
 袖すり合うも他生の縁っていう。水木先生とだって他生の縁くらいあるんじゃないかと、気を取り直して行こう。
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