トクソウ最前線

蒲公英

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ふざけんな

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 マンションの日常清掃担当が休みだと、ひとりで現場に出された。ゴミ出しは常駐の管理人がするからと、作業着を着ただけで現場に到着する。
「遅いね。ゴミの回収、終わっちゃったよ」
 老年の管理人さんの、第一声がこれだった。
「おはようございます。会社からは、廊下とエントランスの清掃と聞いてるんですが」
「会社はなーんにも知らないから。ここはね、掃除の人がゴミも出すことになってるの。ゴミステーション、ちゃんと洗っといて」
 なんだかとっても上からの言い方で、腹が立つ。見ればゴミステーションは生ゴミの汁がこぼれていて、ゴミバケツが転がっている。つまり、バケツも洗えってことか。管理人室に自分のバッグを置こうとすると、清掃用具のロッカーに入れろと言われて、財布だけ腰袋に移動した。渡されていた指示を確認して、このマンション担当の管理さんに確認の電話をする。

「トクソウの榎本です。今日はサポートに来てるんですが、管理人さんからゴミステーションとか言われてるんですけど」
「今日の当番、誰? うん、あの人ねえ、我儘で。生ゴミはイヤだっつって、いつも清掃の人にやらせてるんだよね。放っておくと生ゴミの臭いでクレームが来ちゃうからねえ」
「……それで許されるんですか」
「言ってるんだけど、聞いてくれないから」
 暖簾に腕押し、柳に風。リュックから長靴を出して、口の中でフザケンナと呟く。生ゴミなんて触りたくないのは、誰でも一緒だ。仕事でゴネ得があるなんて、そんなバカなことがあってたまるものか。

 ザバザバとゴミバケツを洗い、ステーションの中に洗剤を撒く。臭いが染みつくのは壁だから、壁にまでデッキブラシを使った。日常的に綺麗にしていれば大した作業じゃないが、しばらく放置されていたらしい。溜息を吐きながら、次は廊下だとモップバケツとモップを持って、エレベーターを待った。エレベーターの扉の汚れが気になって、拭く。とてもじゃないが、日常清掃さんの契約時間では終わらない。テラスの手すりも汚れてるじゃないの。管理さん、どこをチェックしてるのよ!
 ヘトヘトになって一階のロビーにモップ掛けをしていると、管理室の扉が開いた。
「お疲れさま。そんなに一生懸命綺麗にしたって、給料変わらないから。帰る前に管理室に掃除機かけてってね」
 何故自分で使っている部屋に、自分で掃除機をかけないのか。
「日常清掃の区分は、共有スペースだけですよね」
「いつもの掃除の人は、やってくれてるよ。このマンションはそういうことになってるの。女の子なんだから、部屋の掃除くらいできるでしょ」
 いくらなんでも、これはひどい。
「プロですから、仕事としての掃除ならします。管理室は管理人さんのテリトリィですから、私の仕事じゃありません」
「可愛くないねえ。年上の男に文句言うなんて、どういう教育を受けたんだ」
 あんたに可愛いなんて思われたくない。ってか、何様だ。もう掃除道具はしまった、靴も履き替えた。言い逃げできる。
「ふざけんな老害! 働けもしないのに給料もらうな!」

 管理人(絶対敬称なんてつけない)がどんな顔をしてるのかなんて見もしないで、マンションから出た。耳まで熱を持つほど腹が立ち、頭のなかはあー言えば良かったこー言えば良かったって言葉が渦巻いている。性別と年齢に胡坐をかいて、他人に仕事を押し付けて平気な人と、それを教育するよりも言いくるめ易そうな人間に負担させたほうが楽だと考える人と。
 しかも、しかもである。和香は本社の人間で、相手の管理人は臨時採用のパートタイマーだ。本来なら和香が指導教育する立場なのに、相手はそう思っていない。何故ならば。

 何故ならば『誰にでもできるお仕事』で『ご家庭でしている仕事の延長』だからだ。金銭が発生しているのだから、仕事内容は換算できるものでなくてはならないのに、働いている人自体がそう思っていない。
 悔しくて悔しくて、口をへの字にしたまま会社に戻ると、目の前に副社長がいた。
「和香ちゃん、今日サポートに行ったところから連絡があったんだけど、『ジジイ死ね』とか言ったの?」
 言いつけの電話が入ったらしい。
「そこまでは言ってないです。老害とは言いましたが」
 頭に血が上ったままなので勢いで答えたが、少しだけ声が小さくなった。会議室で事情を話し、和香と入れ違いに呼ばれた竹田さんが出てきたあとに言った。
「今日榎本の行ったマンション、明後日管理さん立会いで、片岡さんと清掃指導に行く。スケジュールボードに書いといて」
 そして和香の顔を見て、にやっと笑った。
「老害に後悔させてやるわ」

 午後のスケジュールをこなすために、菊池さんと車に乗る。午前中の内容を説明しながら、相槌を打ってくれる人がいる安心感を知った。
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