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よにんめ
第2回
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翌日。
俺は書類を目の前にペンをもてあそびつつ、ちらちらと左小指の指輪を気にしていた。
今のところ同僚も上司もこの指輪には気づいていないようだったが、気づかれたときに何と言われるか考えただけで億劫だった。
普段こういった浮ついた代物を身に付ける習慣のない俺にとって、この指輪はある種の恥でしかない。
理由は判然としている。
全く以て、男らしくないからだ。
多少古臭い考え方かもしれないが、男が意味もなく指輪を嵌めるなど、俺には到底考えられない。
そこらの不良どもならいざ知らず、真面目に生きてきた俺にとって、こんなものは無用の長物でしかなかった。
せっかくミキちゃんの紹介で訪ねた魔法堂で貰ったものだが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
……そうだな、せめて仕事中ははずしておこう。仕事が終わってから、もう一度嵌めればいいじゃないか。そうすれば、いつ誰に見られるかなんて、考えずに済む。
そう思いながら俺は一度ペンを置き、指輪をつまんだところで――何故かそれ以上、指が動かなかった。
親指と人差し指で指輪をつまんだまま、じっとその指輪を見つめてしまう。
どうしてだろうと思う反面、あの女店主の笑顔が頭に浮かび上がった。
――これは、ミキちゃんとあの女店主の善意だ。
魔法なんてものが本当にあるのかどうかは知らないが、確かにこれには、あの二人の俺への善意が含まれている。
果たしてそれを勝手にはずしてしまっていいんだろうか?
他人の善意を無碍にするなど、果たして男のすることか?
俺は散々逡巡し、結局、指輪をはずすのをやめた。
小さく溜息を吐き、「まぁ、いいか」と呟く。
誰もこんなところに眼なんて向けたりしないだろう。
「――珍しいですね。指輪ですか?」
不意に後ろから声を掛けられて、俺は思わず「うわっ」と声を漏らした。
右手で指輪を覆い隠すようにしながら振り向くと、そこにはお盆に湯飲みをのせた山田さんの姿があった。
俺より頭二つ分は背が低い、多少肉付きの良い事務の女の子だ。
「あぁ、いや、これは――」
しどろもどろになる俺に、山田さんはくすりと笑みをこぼしながら、
「大丈夫ですよ、そんなに慌てなくても」
と俺の机の上に湯飲みを置く。
「でも、綾信さんが指輪だなんて、意外です」
周りを気にしながら小声で言ってくれている辺り、多少は配慮してくれているんだろうか。
「いや、これは、あれだ、えっと……」
「何か願い事でも?」
……なんだって?
俺は思わず首を傾げる。
「だって、左小指に指輪って、確か願い事ですよね?」
「……そうなのか?」
俺の言葉に山田さんはぽかんとしつつ、
「え、知らずに嵌めてたんですか?」
だって、あの女店主が左の小指に嵌めろって言うから……
それに何より、男である俺がそこまで指輪に関して知識があるはずがないだろ?
思いながら、俺は事の次第を話して聞かせる。
山田さんは「なるほど」と口にして、
「確かに綾信さん、今まで女っ気が全くありませんでしたからね」
とおかしそうにくすくす笑った。
「俺としては、別に放っといてくれて構わないんだけどなぁ」
「そうですか?」
と山田さんはそこで俺の耳元に突然顔を近づけ、
「――例えば私とか、駄目ですか?」
囁くように言われて、俺は思わず目を見張った。
すっと顔を戻して元のように佇む山田さんを、じっと見つめる。
山田さんは決して美人というわけではないが、さりとて顔が悪いというほどでもない。
性格も素直で仕事に対しても真面目、浮ついた噂もほとんどなかった。
そんな彼女が、まさか耳元で囁いてくるだなんて……
――もしかして、これが指輪の力なのか?
僅かに頬を赤く染める彼女の様子に、けれど俺はどう答えたらいいのかわからなかった。
恋愛をしてみたいという感情は、確かにある。
しかしながら、相手は誰でもいい、とまでは考えていなかった。
そもそも恋愛というものは、互いに互いを好き合って成り立つものではないのだろうか。
だとして、俺はこの山田という女の子の事を、果たして好いているのだろうか――?
いや、そんなこと、考えるまでもない。
俺は小さく息を吐き、なるべく口元に笑みを浮かべながら、
「――お気持ちはありがたいんだがな、そもそもうちの会社は社内恋愛禁止だ。よそをあたってくれ」
社長自ら手書きした古臭い社則の張り紙を示しながら、俺はそう口にした。
山田さんは肩を落とし、これ見よがしに大きな溜息を吐くと、
「……やっぱりつまらない人ですね、綾信さんって」
言って俺に背を向ける。
ほっとけ、と思いながら、俺は去っていく山田さんの背中を見送った。
翌日。
俺は書類を目の前にペンをもてあそびつつ、ちらちらと左小指の指輪を気にしていた。
今のところ同僚も上司もこの指輪には気づいていないようだったが、気づかれたときに何と言われるか考えただけで億劫だった。
普段こういった浮ついた代物を身に付ける習慣のない俺にとって、この指輪はある種の恥でしかない。
理由は判然としている。
全く以て、男らしくないからだ。
多少古臭い考え方かもしれないが、男が意味もなく指輪を嵌めるなど、俺には到底考えられない。
そこらの不良どもならいざ知らず、真面目に生きてきた俺にとって、こんなものは無用の長物でしかなかった。
せっかくミキちゃんの紹介で訪ねた魔法堂で貰ったものだが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
……そうだな、せめて仕事中ははずしておこう。仕事が終わってから、もう一度嵌めればいいじゃないか。そうすれば、いつ誰に見られるかなんて、考えずに済む。
そう思いながら俺は一度ペンを置き、指輪をつまんだところで――何故かそれ以上、指が動かなかった。
親指と人差し指で指輪をつまんだまま、じっとその指輪を見つめてしまう。
どうしてだろうと思う反面、あの女店主の笑顔が頭に浮かび上がった。
――これは、ミキちゃんとあの女店主の善意だ。
魔法なんてものが本当にあるのかどうかは知らないが、確かにこれには、あの二人の俺への善意が含まれている。
果たしてそれを勝手にはずしてしまっていいんだろうか?
他人の善意を無碍にするなど、果たして男のすることか?
俺は散々逡巡し、結局、指輪をはずすのをやめた。
小さく溜息を吐き、「まぁ、いいか」と呟く。
誰もこんなところに眼なんて向けたりしないだろう。
「――珍しいですね。指輪ですか?」
不意に後ろから声を掛けられて、俺は思わず「うわっ」と声を漏らした。
右手で指輪を覆い隠すようにしながら振り向くと、そこにはお盆に湯飲みをのせた山田さんの姿があった。
俺より頭二つ分は背が低い、多少肉付きの良い事務の女の子だ。
「あぁ、いや、これは――」
しどろもどろになる俺に、山田さんはくすりと笑みをこぼしながら、
「大丈夫ですよ、そんなに慌てなくても」
と俺の机の上に湯飲みを置く。
「でも、綾信さんが指輪だなんて、意外です」
周りを気にしながら小声で言ってくれている辺り、多少は配慮してくれているんだろうか。
「いや、これは、あれだ、えっと……」
「何か願い事でも?」
……なんだって?
俺は思わず首を傾げる。
「だって、左小指に指輪って、確か願い事ですよね?」
「……そうなのか?」
俺の言葉に山田さんはぽかんとしつつ、
「え、知らずに嵌めてたんですか?」
だって、あの女店主が左の小指に嵌めろって言うから……
それに何より、男である俺がそこまで指輪に関して知識があるはずがないだろ?
思いながら、俺は事の次第を話して聞かせる。
山田さんは「なるほど」と口にして、
「確かに綾信さん、今まで女っ気が全くありませんでしたからね」
とおかしそうにくすくす笑った。
「俺としては、別に放っといてくれて構わないんだけどなぁ」
「そうですか?」
と山田さんはそこで俺の耳元に突然顔を近づけ、
「――例えば私とか、駄目ですか?」
囁くように言われて、俺は思わず目を見張った。
すっと顔を戻して元のように佇む山田さんを、じっと見つめる。
山田さんは決して美人というわけではないが、さりとて顔が悪いというほどでもない。
性格も素直で仕事に対しても真面目、浮ついた噂もほとんどなかった。
そんな彼女が、まさか耳元で囁いてくるだなんて……
――もしかして、これが指輪の力なのか?
僅かに頬を赤く染める彼女の様子に、けれど俺はどう答えたらいいのかわからなかった。
恋愛をしてみたいという感情は、確かにある。
しかしながら、相手は誰でもいい、とまでは考えていなかった。
そもそも恋愛というものは、互いに互いを好き合って成り立つものではないのだろうか。
だとして、俺はこの山田という女の子の事を、果たして好いているのだろうか――?
いや、そんなこと、考えるまでもない。
俺は小さく息を吐き、なるべく口元に笑みを浮かべながら、
「――お気持ちはありがたいんだがな、そもそもうちの会社は社内恋愛禁止だ。よそをあたってくれ」
社長自ら手書きした古臭い社則の張り紙を示しながら、俺はそう口にした。
山田さんは肩を落とし、これ見よがしに大きな溜息を吐くと、
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ほっとけ、と思いながら、俺は去っていく山田さんの背中を見送った。
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