芥川繭子という理由

新開 水留

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66「繭子、最後のインタビュー 4」

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2017年、3月某日。



2月の下旬、神波大成、伊澄翔太郎、池脇竜二の順番でラストインタビューの収録を行った。丸1日のスケジュールを独占し、この1年の総括としてバンドの事からプライベートを含む様々なお話を聞かせて頂く事が出来た。その中で、神波大成の一言を切っ掛けに事態は急転し、バンドに対するアプローチ及び個人的な原動力が芥川繭子に起因しているという、まるで予想駄にしなかった話へと発展した。
そして間を開けて3月、伊藤織江の帰省へ同行するというイレギュラーな空白期間を経て、芥川繭子へのラストインタビューとなる本日を迎えた。
もちろん今日だけではないが、この日を迎えにる当たってこの1年の膨大な資料映像と手記を何度も確認し直した。やはりいまだに、ドーンハンマーというバンドとメンバー個人の持つ人間性の奥行や魅力の天井が見えないと思い知らされる。当初長いと思われた1年という密着取材の期間は、今にして思えば全く短すぎて到底十分な時間とは言えなかった。
傍から見ればそれは単なる私の取材能力の低さであり、焦点がぶれているが故の情けない結果だとご指摘を受けるだろう。否定は出来ない。
この場で敢えて白状するならば、私の中にあった大枠としての物語のスタートはこうだ。
芥川繭子が不屈の精神で生きた10代の終わりにドーンハンマーと出会い、人生の目的と終着点を決めた事が全ての始まりであったと。
だが、事実は全く違っていた。
ここから先の話は、物語の聞き手として生きて来た雑誌編集者の私ですら、耳を塞ぎたくなるような心痛に幾度も見舞われたと断っておく。公にすべきではない話なのだとも、正直思う。
しかし最終的な決断をバンド側、バイラル4側へ一任しようと考えた時、私は彼らの言葉を思い出した。


「恥ずかしい事なんて一つもない」
「俺達はこうやって生きて来たんだ」
「これからも、そうやって生きていくよ」
「何も怖いもんなんてない」




『神波大成との対話、ラストインタビューの続き』
-- 10年前に考えていた事とは言っても、別に繭子の事ばかり考えていたわけではありませんよね?
「当たり前だろ(笑)」
-- バンドについてのお話ですか? それはどういった?
「もちろん今はそれだけじゃない言っていいと思うけど、今俺がこのバンドでベースを続けてるのは繭子と出会ったからだよ」
-- え?
「ん?」
-- それは大成さんご自身の、言うなれば個人的な思いというお話ですか?
「どうだろうね(笑)。言葉で確認し合ったりしないから断言は出来ないけど、きっと他人には気持ち悪がられるくらい根底にある部分の話って俺達は食い違った事がないから、きっと似たような事はあいつらも考えてると思うよ。俺はね」
-- それは信条とか、あえて角張った言い方ですが、思想においての話ですよね。バンドに対しての根源的な理由として繭子の名が挙がるというのは、この1年取材してきた私から見れば納得が出来ませんし、そもそも他のメンバーとそこまで共有出来るものなんですか?
「全く同じとは言わないけどね(笑)」
-- それでも。…ではお聞きしますが、繭子がいなければ、バンドを続けてはいかないと言う事ですか?
「いなければって、何、今?」
-- はい。
「やめるかやめないかって話ならやめないよ、音楽は好きだし、生活あるしね。でもアメリカには行かないかな。それこそ好きな事やって食ってくだけなら日本でいいし」
-- ええええ!
「そんなに驚く話か?」
-- 驚きますよ!え、どうなってるんですか?…ええ?
「混乱し過ぎだよ。10年前の話してんのに、何で今それを聞くんだよ(笑)。っはは、ちょっとじゃあ、ゆっくり話をしようか」
-- すみません、お願いします。
「どの程度まで繭子があんたに打ち明けてるか分からないから、自分の事だけを話そうとすると順を追って話さないといけないんだけど」
-- お時間の許す限り、お願いします。
「…ノイが死んだ時、14年前」
-- …はい。
「別に例えでもなんでもないけど、大切な人間を失う事の辛さの、そういうリアルな感触っていうのを初めて味わった気がするんだ」
-- リアルな感触。
「俺は父ちゃんが早くに死んでるから意外かもしれないけど、子供だった分、実感として、まだまだ理解しきるには幼かったのかなって思うんだよ。状況もちょっと複雑だったし。もちろん母ちゃんとか、その世代の人達のあの悲しみようははっきりと覚えてるから今はちゃんと理解してるけどね。だけど俺にとってはノイが、その最初だったんだよね」
-- なるほど。子供時代とは違って、誰かを大切に思う気持ちにも実態が伴ってきますものね。
「そういう感じだと思うね。それに織江の妹だからってだけじゃなくてさ。ずっと、なんだかんだで、一緒に生きられると信じてたから」
-- はい。
「底抜けにいい子だったんだよ。だからこそ、ちょっとそれまで想像してた感情や肉体的な痛みを超越した不幸だと思ったね。大袈裟かもしれないけど、こんなに悲しい事あんの?って」
-- (頷く)
「(沈黙)」
-- (待つ)
「あのー…ほんとごめんね、最後の最後でこんなね、あはは」
-- いえいえ、全く。謝ったりしないでください。
「バンドの密着取材だってっつって来てもらってんのに、最後には身内が死んで悲しかった話なんかしてさ。順を追って話をするにも、ちょっと遡り過ぎたかな(笑)。ホントごめんね」
-- いえ。
「だけど。…それでもどこかで分かって欲しいと思ってんだよね、アンタにはね」
-- はい。
「織江の横に、竜二の横に、俺達の側に、伊藤乃依っていう物凄く頑張って生きた子がいたんだって事を、ちゃんと分かっててほしい。覚えてて欲しいし、出来れば今回の取材であいつが一瞬でも蘇るなら嬉しいなっていうのも、ちょっとあって」
-- はい。
「あいつとバンドは全然関係ないけどさ、でも、俺達自身とは全然無関係ではないから」
-- なるほど、はい。僅かながら、出来得る限りの尽力は致します。
「ありがとう。…侍みたいな事言うね(笑)」
-- すみません(笑)。
「振り返ればきっともうそこらへんから、繋がってる気はするんだよ。自分という人間の弱さを考える時にさ、俺はいつもノイの事思い出すんだ。当時はまだ繭子と出会ってないんだけど、だけど無関係ではないよ、やっぱりね」
-- …はい。



『伊澄翔太郎との対話、ラストインタビューの続き』
-- 怖い言い方しないでくださいよ。
「あいつは、どんな風に話した?」
-- 大成さんですか? ええっと、今ここで私が口にして良いものかどうか。
「ああ、そういうもんかな。じゃ内容は良いよ。例えば、項目だけくれたら俺も同じように話すから」
-- 項目ですか。…ノイさんの事とかですかね。
「ノイか! ノイなぁ」
-- そこからかよ、とは仰らないんですね。
「…難しいなあ、言い方がな」
-- 以前翔太さん、仰ってましたよね。
「ん?」
-- 例えばあの日に戻って何か出来るとしたら全部やる。なんでもする、と。
「ああ。…いつ言ったんだっけ?」
-- 『END』の制作時です。
「あー、うん」
-- 全く、癒えない傷として今もあなたの胸にあるんだと痛感しました。
「そうだな。…傷っていう言い方はしっくりこないけど」
-- もしくは、穴。
「そう、そうな。穴だよなあ」
-- はい。
「だから、残される方が嫌だったんだよ。俺はそう思う」
-- はい。
「今もそうだしな。ノイが…可愛すぎた(笑)。人として、家族として、良い子過ぎたんだよ。出会った頃はまだ皆ガキだったし、一緒に育ってきたつもりでいたから」
-- はい。
「その『END』の時かな。竜二がさあ、どうやったって会えないから死なないだけで、会えるんなら死ぬって言う話をしたって聞いて」
-- はい、辛いお話でした。
「あはは。そう、それ聞いた時も危うく俺、織江の前で頷きそうになってさ。だから気持ちはすっごい分かるよ、竜二の」
-- …。
「本当に、もう会えないのは分かってるから死にはしないけど、会えるんならそりゃ死ぬよ」
-- 翔太郎さんはそれを仰ったらダメですって!
「あははは!いやいや、うん、分かってるよ。でもそういう出会いとかさ、家族とか、失った側の考え方の正しさとか。精神論的な事は何も分からないけど、でも俺達の心の本当はそこにあるんだよ。繭子はそういうの敏感だから気づいてたっぽいけど」
-- ええ、そうでしたね。
「けどそういうネガティブさを受け入れてしまった俺らと違って、織江がね。その倍、もう、その3倍、10倍、たくさん背伸びして、前を向いて、顔を真っすぐ上げて、全力で俺達を率いるわけだ。前に進むぞ、行くぞ、ついて来い!って」
-- …。
「そういうの見てたらやっぱ震えるよな。だからこいつを100倍幸せにしてやんなきゃノイも悲しむなって。まあ、それは神波先生が男を見せてくれたおかげで少しは実現出来たけど。まだまだやれる事があるはずだ、あいつの掴むべき幸せはこんなもんじゃないって。だからノイを失った悲しみはそれとして、今更ここへ来てまた織江泣かすような事すんじゃねえよ、バーン!のパンチ」
-- …え?
「会議室で竜二ひっくり返したのは、本当言うとそれが大きいな」
-- そうだったんですか!? 私、URGAさんの事を思ってとか、裏切られたと感じてとか、何かそのような事なのかと勘違いしていました。
「あー。あの人(URGA)には確かに誤解を与えたと思うからちゃんと説明はしといたよ。本人から色々聞かれたのもあるし」
-- そうでしたか。
「うん。だから、今更言葉や声にして出すと織江が悲しむから言うなよ馬鹿って思うし、織江の前で『分かるわー』なんて口が裂けても言えなかったけど、でももうあいつも気付いてるとは思うけどね。…やっぱりそうは言いながらもさ、竜二の気持ちは仕方ないって。…もうこればっかりは仕方ない。俺だって今誠が死んだら同じ事考えるだろうからな』
-- だから!
「(笑)」
仰け反って手を叩き笑ってはいるが、彼が本心からそう思っている事はもはや疑いようがなく、その時感じた私の恐怖は凄まじいものがあった。



『池脇竜二との対話、ラストインタビューの続き』
-- (カメラの撮影を)止めました。
「(深呼吸)」
-- …。
「(深呼吸)。…っしゃ!いいぞ、再開!」
-- え! 回すんですか?
「一応プロだからな。見せ方には拘らねえとな。プルプル震えてちゃ格好悪いしよ」
-- 全然震えてるようには見せませんが、分かりました。…さすが、NGのない男!
「泣いてんじゃねえか(笑)」
-- 泣いてません!
「あはは。でもある意味この話は、俺の中じゃあテメエのガキの頃の話なんかよりよっぽど重たいと思ってる所はあるな」
-- そうなんですね。

(再開)

「昔誠がよ、自分は死神なんじゃないかって言った事があって」
-- 誠さんですか? …死神?
「まあ、察してやってくれよ、そこは。今そこを詳しく話したいわけでもねえしよ」
-- はい。
「実際面と向かってあいつにそんな事言われたって、もちろん俺達は取り合わねえよ。そんな与太話には付き合わねえし、慰めるつもりもなかった。でもそれは『馬鹿言ってんじゃねえよ』って突き放すような感覚っていうよりかは、どちらかと言えば苦笑いに近いと言うかね」
-- …身に覚えがあると?
「いいねえ、話が早くて助かるよ」
-- すみません。
「謝んなよ。まあ、全然不思議系な話じゃなくてよ。ガキの頃から人の生き死には割と近くにあったから、そういう引っ張るような、引っ張られるような感覚が理解出来ちまうのは俺にも何となくあって」
-- はい。
「でもよく母ちゃんに叱られたのは、『お前みたいなもんにそんな大層な力なんてないから安心しな!』って」
-- 素敵なセリフですね。とても安心出来ます。
「あはは!だから誠にも同じセリフを一度言ってそれで終わり(笑)。ただ、自分が誰かの死を呼び寄せるとかそういうオカルトな力は信じてねえけど、確かにあるなって思ってるのはさ。ノイもカオリも、アキラも。いなくなる時大なり小なり、俺達の中にある何かを一緒に持って行ったなって思ってんだ」
-- なるほど。『END』。
「いやいや、あの詩の話じゃなくてさ。実際問題、喪失感ってよく言うけど、確実に俺の中の一部を持ってったなって思って」
-- 一部。
「それは間違いねえと思ってんだ。言うなれば寿命とか、あるいは未来とか可能性とかそういう類の物だと思うんだ。目には見えねえけど、ちゃんとある物っていうかさ。きっとあいつらが死んでなけりゃあ、俺達はもっと楽しかったはずだし、もっと色々やれたはずなんだ。ヨボヨボんなるまで長生きして、嫌われ老人になってもデスボイス出してえとか、それをあいつらに笑って欲しいとか。…4人でな。けどその可能性はもうないわけだ。この先永遠にない」
-- ああ…。
「そういう後ろ向きな、真っ暗い気持ちっていうかさ。持って行かれたまんま一生埋まらない部分にそういうねじくれた思いを、グシャっと突っ込んだ感覚があってな。それは俺らが子供の頃に味わった絶望とか諦めに似ていて、だけどそれがあったから色々と保っていられたっていうのもあるんだよ」
-- …。
「ああーあ、ああーあって、溜息ばっかりついて、どうせ俺達なんてなって諦める事で、もう永遠に来ない、死んでいった奴らとの未来から目を背けたんだ。でも、それでもさ、『俺達』って言える分、思えた分、俺は幸せだったんだと、気づいたんだよ。俺達はちゃんとノイと一緒に生きた。カオリに出会ってアキラは全力で生きた。そこに俺はいたんだなって」
-- はい。
「でもそれをさ、気付かせてくれたのが繭子だったんだよ」



『神波大成との対話、ラストインタビューの続き』
-- 意外だなと思うのは、やはり大成さんの場合誰を差し置いてでも織江さんの名前が最初に来るはずだと思っていました。
「バンドに対する原動力みたいなものの筆頭に?」
-- そうです。
「言いたい事は分かるけど、織江はもっともっと特別だよ。そんなのバンドやるやらないは全然関係ない」
-- あ。
「うん。一緒に生きる事がもう大前提だし、そういう約束を交わした人なんだからバンドは関係ないよ。関係ないって言っちゃうと、じゃあ今までの彼女の頑張りは何だってなるから言いすぎるのもよくないけどね(笑)」
-- いえいえ、私の聞き方がまずかったです。確かに、大成さんの仰る通りですね。
「問題はさ、繭子がいなければ、俺達はアキラが死んだ段階でバンドを辞めてたって話なんだ。一度は完全に音楽に対する興味を失ってたからね」
-- そうだったんですか。やはりアキラさんの死と深く関わっていたんですね。
「だからノイが死んで、カオリも死んで、続けざまにアキラを失うって分かった時に、もう俺全然我慢が出来なくてさ。自制が効かないというか、泣くわ喚くわ、暴れるわで毎日大変だったんだよ。格好悪い姿を一杯見せたし、アキラも見てて辛かったと思うよ。泣きたいのは俺の方だって絶対思ってたはずだし」
-- …。
「頼むから。頼むから行かないでくれ。お前だけは行かないでくれって。そんな不謹慎な事まで言ってたんじゃないかな、俺」
-- そうだったんですね。
「痛いんだって、膵臓癌って。モルヒネばんばん打って痛み散らして、それでも効かなくて麻酔薬で朦朧としてるあいつに取りついて、それでも楽にしてやりたいとはどうしても思えなかった。痛い事や苦しい事なんてガキの頃散々味わって来ただろ。今更ここで負けんなよ、行くんじゃないって。無茶な事ばっか言って銀一さんに首根っこ掴まれて。翔太郎がそれ見て食ってかかって大喧嘩して。…そういう毎日がずっと、寂しくて辛かったよ」
-- はい。
「俺の事忘れないでくれって言ったアキラが見る影もなくなって、ついに俺達の輪が壊れた日に、俺はもうベースを担ぐことはないなって直感したんだよ。格好付けた言い方してるけどさ、単純に嫌だったんだよな。今まで4人でやってたものを3人でやるとか、別の誰かをそこに加えるって事がさ」
-- はい。
「ガキの頃から知ってるマーとナベですら嫌だったからね、その時は。クロウバーをもう一度やる気にはなれなかったし、3人で今以上の音を出せるとも思わなかった。ああ、これでバンドは終わりだなって考えたら、俺がもうベースを弾く理由はないって」
-- (何度も頷く)
「でも何年か経って、ナベが俺に言ってくれた事があって。アキラが死んだ直後に、5人でバンドやろうよって言おうとしたんだって。でも俺らの顔見たら全然言える空気じゃなかったって。『僕ら2人がどれだけ煽ってもきっと乗っては来ないんだろうなっていう空気が、悔しいという嫉妬よりも、子供の頃から一緒に生きて来た今、それでも何も力になってやれないんだなって事がひたすら申し訳なかった』って、そこまで言われた。…情けないよなあ。そういうあいつらの優しさにも気づけないで、嫌だ嫌だと駄々こねるだけのちっぽけな奴だったんだから」
-- (何度も首を横に振る)



『伊澄翔太郎との対話、ラストインタビューの続き』
「ノイが死んでからほんの数年後なんだよ。闘病生活自体が物凄く長かったからどこかで俺らも覚悟はしてたけど、カオリが死んだ時の辛さって、悲しさとか怒りとか通り越して、そういうのひっくるめてグラっと世界が傾いたのを感じた」
-- どういう存在だったのでしょう、皆さんにとって。
「…きっと、不安定だった俺達の世界を、あの人が一人で支えてくれてたんだと思う」
-- …ごめんなさい。
「泣くよなあ(笑)。いやー、さすがに俺もちょっとやばいな。…大袈裟な言い方してるけどさ、でも本当それぐらいの存在だったんだよ。こっちへ引っ越して来て全然普通の生活に馴染めなくて、落ち着かなくて。高校行ってた頃からの付き会いなんだけど、言ってみれば自分達にとっては埒外の、完全に外の世界の人間って言うかな」
-- こちらへ来てから出会った、初めてのまともな大人の人だったんですね。
「おお、ありがとう。今自分で何言ってるか分かんなかったから助かった(笑)」
-- いえいえ、決してそんな事はありません。
「年は3つしか違わないし、カオリはカオリで全然まともではなかったけどな。でも織江とノイ以外で本当に初めてなんだよ、俺達が心開いたの。今にして思えばカオリが、所謂世間一般ってものにどれだけ馴染めてたかは分からないけど、少なくとも俺達よりはずっと上手く世の中を泳いでるように見えたんだ」
-- はい。
「確実にあったに違いない個人的な苦労や悩みなんかを全部真正面から受け止めて、両腕を広げて空を飛ぶようにさ、色んな感情を剥き出して生きてたよ。それを俺達は見てたんだ」
-- はい。
「すげえ泣くし、すげえ笑うし、すげえ怒ってた。あんだけ不機嫌な、世の中を斜に見るような冷たい目つきなくせに、それでもめちゃくちゃ魅力的だったんだ。あんな人は、他にはいない。格好良かったよ。すごく綺麗だった」
-- はい。
「そういう人だったから、頑固で不器用だった俺達の日常をなんとかしてやろうと、ずっと側にいて支えてくれてる存在だったんだよ。きっとカオリがいなければ、俺達全員まともな人間ではいられなかったと思う。今で言えば、繭子や誠にとっての織江だろうな」
-- …。
「カオリがいなくなるちょっと前、言ってたんだ。お前らちゃんと自分の為に生きるんだぞって」
-- …。
「格好いいだろ。そういうのをさ、決め台詞を言うなんて意識もなくサラッと本音で言ってのける人で、全く不自然さも嫌味もなかった。俺達に向かってさ、疲れ切った笑顔で言うわけだよ。『アタシがこの先どうなっちまおうと、頼むから何も背負わないでくれよ。お前らはただ、行きたいところへ行けるうちに、全力でそこへ行ってくれ』って。…俺一人で喋ってるけど?」
-- いやー、もう無理ですよー。
「あはは!悪い悪い、そういうつもりで言ってるわけじゃないんだけど、今なんか俺も溢れた(笑)。…ただ思うわけだよ。つくづく。…そう、つくづくさ、俺達は支えてもらいながら生きてんだよなって。ノイの頑張る姿にせよ、俺達代表善明アキラの最後まで強がった死に様とか、カオリが残してくれた一つ一つの言葉とか。それが今も全部自分達の支えになってるって」
-- はい。
「そういう毎日の中でさ、時たま、昔の繭子を思い出して奮い立つんだよ。俺は絶対に最後までこいつを見捨てないぞ。こいつを一人にはしないぞ。そうやって何か誓いのような物を自分に突き立てた瞬間を思い出して、エンジンを掛けるみたいに、キーを捻るみたいにして、ブルルンってやってるわけだよ」
-- 何故、そこで繭子が出て来るんでしょうか。
「繭子はなあ。うん。繭子はー…」
-- 繭子は。
「振り返れば自分がこれまでさ。たった一人で何かを成し遂げた事があったかって。自分一人だけで乗り切れたことが何か一つでもあったかよって。そう考えた時に、俺の目に映る繭子の、ドラムを叩いてる時の楽しそうな横顔は衝撃だったんだ。自分がほんとちっぽけに思えたな。なあ、時枝さん」
-- はい。
「あいつはあんたが思ってるよりもずっと凄いんだぞ。ほんっとに凄い。俺らは多分あいつと出会ってなかったら、もう音楽辞めちゃってたと思うもんな」



『池脇竜二との対話、ラストインタビューの続き』
「アキラが死んで一度は全部終わったんだ。…俺達はもうあの日の4人じゃなくなった。俺と大成が、当時はまだ何者でもなかった翔太郎を呼び出してよ、アキラが働いてたカオリん家の整備工場でがん首揃えた日。忘れもしねえ、世界に行くぞって宣言したあん時の4人はもういないんだって。それがどれだけ俺達にとって辛かったと思う」
-- …。
「4人じゃなくなっちまった今、バンドをやる意味も音楽を続ける意味もなくなったんだよ。アキラには申し訳ねえけど、お前のいない俺達はやっぱり駄目なんだよって何度弱音を吐いたか分からねえ」
-- …。
「周りを見渡せば確かに色んな約束があった。立って前に進まなくちゃいけねえ理由だってあったさ。だけど人は理屈じゃねんだよな。やるか、やらないかの選択にはよ、そこには気持ち一つしかねえもんよ。だから俺達は3人ともが、一度はやらない方を選んじまった。そこに芥川繭子という理由がなけりゃあ俺達は、きっとここにはいなかったんじゃねえかって。…そう思う」
-- あなた達3人にとって、芥川繭子という人間はどのような存在だったのでしょうか。
「…言葉には出来ねえな」
-- そうですか。以前あなたは、繭子を宝石であり宝物であると仰いました。
「それは今の話だろ」
-- なるほど。
「思いつかねえんだ。言葉で表現しようがないな」
-- …それは。
「まだアキラが死んじまう前。繭子が壮絶ないじめを受けていた頃のピークは、一人では立って歩く事もままならねえような状態だった事は、話したと思う」
-- はい。
「以前俺達が使ってたスタジオで、あの日俺達全員が見ちまったんだ。ドラムの側でうつ伏せに倒れ込んで、全身が痙攣するほどの痛みと麻痺の中立ち上がる事も出来ねえで、あいつは一人這いつくばったまま泣いてたんだ」
-- …そんな…。
「凄かったぜ。だけど、めそめそと涙を流して泣いてんじゃねえんだ。悔しかったんだろうよ。今までに聞いた事がねえような腹から搾り出した声でよ、長い長い絶叫だった。俺達は何も言えなかったけど、考えてる事は同じだったろうな。どうしてあいつがあんな目に合わなきゃなんねえんだ? ただドラムが好きでスタジオ通ってる、そこいらの女の子と何が違う? ただ周りの誰かと同じように、普通に学校通いたいだけじゃねえのかよって。煙草の灰や、汗や、唾やら泥やら色んなもので汚れたスタジオの地べたに倒れ込んで、テメエ一人じゃあどうにもなんねえ状態にまで追い詰められて、だけどそれでもあいつは負けなかったんだ。負けるもんかっつー、そういう叫び声を俺達は聞いたんだ」
-- …。
「そこにはもちろんアキラもいて、俺達4人は何があってもこいつの味方でいようと決めた。それは情や正義感よりも、尊敬だったように思う。こんなにスゲー奴をこのままにしとくわけにいくかよって。…何がスゲーってさ、それからアキラが死んで、完全にバランスの崩れた俺達3人のいないスタジオで、それでも繭子はたった一人でドラムを叩いてたって。アキラが叩いてた『FIRST』の曲をあいつなりにマスターして、涙を飛ばしながら笑顔で叩いてたそうだ」
-- …。
「その姿を見た織江から電話があってよ、何でもいいから今すぐスタジオに来いって怒鳴りつけられた。アキラが死んでから初めて俺達3人は前のスタジオを訪れて、あん時と同じように丸窓から中を覗き込んだんだ。そしたらあいつはすぐに俺達に気づいて駆け寄って来た。繭子どうしたと思う?」
-- …。
「俺達の前まで来て深々と頭を下げるんだ。そいで顔上げるなりボロボロ泣いて、バンドに入れて下さいって、そう言いやがったんだ」
-- …その。
「…おう、頑張れ(小声)」
-- その、当時皆さんとしては繭子の態度を見ていて予兆のような物は感じておられましたか?
「何も。少なくとも俺は何も感じちゃいなかった。というよりも、周りの反応や誰が何をどう思ってるかなんて事は考える余裕がなかった気がするよ」
-- はい。
「まだ、あいつが高校を卒業した直後だったと思う。それでなくとも俺達にとっちゃまだまだ子供だったし、そんな、そこまであいつが思い詰めて、今まさにテメエの人生を大きく方向転換しようとしてるなんて普通は想像もつかねえよ」
-- 例え冗談でも、バンドに入りたいとかドーンハンマーでドラム叩きたいなんて言葉を言ってこなかったわけですね。
「あいつがそれを冗談で言えるような人間かい?」
-- ありえませんね。言った瞬間自分で分かりました。
「だから、その瞬間は俺も大成達も呆然として」
-- はい。
「俺達にしてみりゃそもそも話をしに来たわけじゃねえからよ。織江に呼び出されて、繭子の様子を見に来ただけだから何のリアクションも出来ねえで、『え?』って」
-- その場で繭子の言葉を聞いて、それが冗談だと思えなかったとしても、そもそも彼女のそこまでの気持ちが理解出来なかったと。
「まだ色々と繋がらなかったね、こいついきなり何でそんな事言うんだ?って。だけどアキラが死んで、そういうタイミングで冗談言うような奴じゃねえし、ウソはないんだろうなってのは分かったんだよ。ボロボロ泣いてるしな。だけど翔太郎見ても大成見ても、織江だってそう。皆が皆、『何で?』って」
-- 怒ったりは、されなかったんですか?
「馬鹿にすんじゃねえよって? ああ、少し、大成はそれに近い物があったように感じたな。そもそもそれどころじゃねえよってのもあるし、うん」
-- 想像するだけで胸が苦しくなってきます。打ち明ける方も、打ち明けられる方も、きっとお辛かっただろうなと。
「あいつなりに、…必死に考えた言葉だったんだろうなってのは伝わったけどよ。じゃあ、明日からお前次のメンバーなって。そんな事思えるわけねえし、言えるわけがねえよな」
-- そうですね。…そう思います。
「あはは、まーた泣いた(笑)。とりあえずは今答えを出すわけにはいかねえし、そんな大事な事は今決めちまわねえでちゃんと親とも腹割って話して来いって」
-- あああ、実に竜二さんぽいな!
「バカにしてんのか(笑)」
-- 大好きです竜二さんのそういう所!
「してんじゃねえか」
-- 大好きですってば(笑)。
「だけど…、これは、…なんつーかなー」



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