硝子の魚(glass catfish syndrome)

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4. スイッチ

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 安達の話は次のようなものだった。
 自分は物心ついたときから話すのが苦手だった。一言一句喋る内容を頭の中で組み立ててからでなければ、満足に人と会話することができない。表情で取り繕うことも苦手だ。学生のうちは思慮深く寡黙な人間のふりでやりすごせるが、社会に出れば通用しないことはわかりきっている。それで努力した。今では仕事となれば自動的にスイッチが入る。スイッチが入れば、普段の自分が嘘のように流暢に話すことができる。いくらでも愛想笑いができる。ジョークの一つも口にできる。けれど中身は依然として口下手で社交性が欠如したままである。仕事スイッチをプライベート時も入れようと思えば入れられないこともないが、それではとても神経がもたない。だから友達も恋人もいないままだ。確かに社会人になってからは何人かと交際したことはあるが、結局相手は仕事モードの自分に惚れたのであって、そう考えると素の自分を見せることができず、深い仲になる前にこちらが疲れて一方的に振ってしまう。寝てはいないので捨てたと責められることはないが、しかし互いに気分のよいものではないので、最近では言い寄られても丁重に断るようにしている。けれど時折無性に淋しくなる。今夜は特に気分が落ち込んで、仕事帰りに一人で飲みに行った。そして飲みすぎた。
 これだけのことを話すのに、安達は丸四時間を費やした。時折睡魔に襲われつつ、自分は脱落することなくその長い長い話にひたすら肯いた。
 話が終わると、安達は不安そうな目でこちらを見た。
「すみません」
 不安そうなわりに、何処か満足げでもあった。
「こんなに長いこと一人で話したのは初めてです」
 それはそうだろう。自分もこんなに長いこと一方的に話を聞かされたのは初めてだ。
「少しはすっきりしたか?」
 肯くのは早かった。素直な反応に、思わず手が伸びた。伸ばしてからまずいと思ったが、ここまできて抑えるのも馬鹿馬鹿しくなったので、そのまま彼の髪に触れた。柔らかな感触だった。
「もう無茶な飲み方はするなよ」
 そう言って頭を撫でてやると、安達は一時停止ボタンでも押されたかのように固まったが、やがてふっと笑った。繊細さと煌びやかさとを兼ね備えた、完璧なスワロフスキー的微笑だった。そんな笑顔を見ていると、仕事のときの自分と普段の自分は違うという話も、本人の思い込みにすぎないような気がしてきた。彼自身の心情がどうであれ、この微笑は安達という人間に属しているもので間違いないのだ。
 しかしその思いを安達に伝えることはできなかった。こちらが口を開く前に、彼はローテーブルに突っ伏すと、雄弁さによって消費された四時間を取り戻すように、眠りという名の沈黙に落ちてしまった。
 カーテンをめくると、空は既に白っぽくなっていた。朝の気配に洗われて、街を埋める建築物の単調で病的な灰色が、今はいくらか澄んで見えた。完全に爽やかな土曜日の朝だった。
 クローゼットから毛布を取り出しながら、自分もそろそろ眠ろうと思った。
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