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23. 最後通牒
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「へえ、それで合鍵を持つ仲になったわけか。しかしひどいな樋川。俺には鍵なんて寄越さない癖に」
「お前に合鍵を渡したら冷蔵庫が空になる」
「なんだ、まだあのときのことを根に持ってるのか。いい加減、時効にしろよ。俺とお前の仲だろ?」
安達に話をさせると長くなるので、自分が事情を簡単に説明すると、橋本はにやにやしながら向かいに座る安達を見た。安達はといえば、橋本に押しつけられた発泡酒を手にしたまま、背骨をセメントで固められたみたいに正座している。
「でも安達君、こんな図体ばっかりでかくて愛想のない男と話してもつまらないだろ?」
安達は、いいえ、と彼にしては珍しく即答してみせた。しかし眼差しは宙を漂っている。
「…………反対に、俺の方が樋川さんを退屈させているんじゃないかと」
「それはない」
きっぱりと否定する。安達は受け止めるように瞬きしてから、微かに笑みを浮かべた。
「……樋川さんは、優しいから」
優しいという形容詞ほど、自分に相応しくない単語はない。言葉を失っていると、突然横から脇腹の辺りを小突かれた。隣に視線を流すが、橋本は何食わぬ顔で、そうかそうか、と肯いた。
「しかしそんなにしょっちゅうここに来てたら、彼女に怒られるんじゃないの?」
安達は首を横に振った。彼女はいません、という言葉が辛うじて聞こえた。たちまち橋本の顔に例の小悪党じみた笑みが広がる。
「意外だな! イケメンだからモテるだろうに。それともあれか、もしかして女の子には興味がないとか? むしろ男の方が――」
「おい、いい加減にしろ」
話の流れがどんどん不穏になっていくのに耐えきれず口を挟むと、橋本は白々しいほど朗らかに笑って、別にいいじゃないかと言った。
「なあ、安達君は男同士に偏見はあるかい。例えば俺や樋川がゲイだったらどう? 口もききたくないと思う?」
安達はぽかんとした。それから自分と橋本にそれぞれ視線を注ぎ、次いで何処か一点を見つめて考え込むような表情をして、最終的に真っ青になった。
そのあとはほとんど地獄のような一対一の質疑応答が続き、安達は首の動きで答えられる個人情報についてはほぼ全て橋本に明け渡してしまった。酒と問いが底をつく頃には午前一時になっていたが、それでも橋本は帰ろうとせず、遂には泊めてくれと言い出した。
「もう電車もないわけだし」
「タクシーを拾え」
「いいじゃないか。最近ご無沙汰だっただろ」
これ以上会話をするのも面倒になり、自分はぞんざいに肯いた。
「勝手にしろ。――安達さん」
安達は玄関へ向かおうとしていた。声をかけると、彼はぴたりと足を止めた。その後ろ姿に近寄りかけて、辛うじて思いとどまる。
「安達さん。今夜は付き合わせて悪かった」
振り返った彼の顔は、薄い硝子板でできているように見える。元々壊れ物のような男だったが、こんなにも危うかっただろうか。
安達はこちらを見ると、いいえ、と静かに首を振った。そして唇を僅かに震わせた。どうやら微笑を作ろうとしているらしかった。しかし、上手くいかなかった。やがて彼は諦めたように目を閉じて息をついた。
「…………楽しかったです」
嘘はつかなくていい、と言いかけたが、しかし嘘をつく方が楽なこともある。特に、いつも言葉を探して彷徨い続けている彼にとっては。
「悪い男じゃないんだ」
安達はいったん口を開き、すぐに閉じた。視線を足許に落としてから、独り言のように呟く。
「俺は……樋川さんとは、違います」
それは自分にとって、最後通牒のように響いた。
安達が帰ると、橋本は急に酔いが醒めたような白けた顔をして、テレビをつけた。
「恐ろしく不安定な男だな」
「お前のせいだ」
「ああいう男が好みなのか」
安達が合鍵でドアを開けた時点で観念していたので、否定はしなかった。
「意外だな。お前、はっきり喋らない女は嫌いだったろ」
言いながら橋本はつまらなそうにザッピングする。
「喋り方はどうでもいい。要は中身だ」
「そうか。まあ、そうだな」
不意にテレビの画面が暗くなった。電源を切ったらしい。リモコンを放り出すと、橋本は立ち上がった。
「じゃあ、帰る」
「泊まるんじゃなかったのか」
橋本は質問には答えなかった。代わりに何処となく冷たい目でこちらを見据える。
「問題は向こうじゃなくてお前にあるな」
肯定するほかなかった。
「わかってる」
わざわざ指摘されるまでもないことだった。しかし、橋本は片目を細めた。
「……本当にわかってるのか?」
いつも陽気な男にしては、いやに低い声だった。
「お前に合鍵を渡したら冷蔵庫が空になる」
「なんだ、まだあのときのことを根に持ってるのか。いい加減、時効にしろよ。俺とお前の仲だろ?」
安達に話をさせると長くなるので、自分が事情を簡単に説明すると、橋本はにやにやしながら向かいに座る安達を見た。安達はといえば、橋本に押しつけられた発泡酒を手にしたまま、背骨をセメントで固められたみたいに正座している。
「でも安達君、こんな図体ばっかりでかくて愛想のない男と話してもつまらないだろ?」
安達は、いいえ、と彼にしては珍しく即答してみせた。しかし眼差しは宙を漂っている。
「…………反対に、俺の方が樋川さんを退屈させているんじゃないかと」
「それはない」
きっぱりと否定する。安達は受け止めるように瞬きしてから、微かに笑みを浮かべた。
「……樋川さんは、優しいから」
優しいという形容詞ほど、自分に相応しくない単語はない。言葉を失っていると、突然横から脇腹の辺りを小突かれた。隣に視線を流すが、橋本は何食わぬ顔で、そうかそうか、と肯いた。
「しかしそんなにしょっちゅうここに来てたら、彼女に怒られるんじゃないの?」
安達は首を横に振った。彼女はいません、という言葉が辛うじて聞こえた。たちまち橋本の顔に例の小悪党じみた笑みが広がる。
「意外だな! イケメンだからモテるだろうに。それともあれか、もしかして女の子には興味がないとか? むしろ男の方が――」
「おい、いい加減にしろ」
話の流れがどんどん不穏になっていくのに耐えきれず口を挟むと、橋本は白々しいほど朗らかに笑って、別にいいじゃないかと言った。
「なあ、安達君は男同士に偏見はあるかい。例えば俺や樋川がゲイだったらどう? 口もききたくないと思う?」
安達はぽかんとした。それから自分と橋本にそれぞれ視線を注ぎ、次いで何処か一点を見つめて考え込むような表情をして、最終的に真っ青になった。
そのあとはほとんど地獄のような一対一の質疑応答が続き、安達は首の動きで答えられる個人情報についてはほぼ全て橋本に明け渡してしまった。酒と問いが底をつく頃には午前一時になっていたが、それでも橋本は帰ろうとせず、遂には泊めてくれと言い出した。
「もう電車もないわけだし」
「タクシーを拾え」
「いいじゃないか。最近ご無沙汰だっただろ」
これ以上会話をするのも面倒になり、自分はぞんざいに肯いた。
「勝手にしろ。――安達さん」
安達は玄関へ向かおうとしていた。声をかけると、彼はぴたりと足を止めた。その後ろ姿に近寄りかけて、辛うじて思いとどまる。
「安達さん。今夜は付き合わせて悪かった」
振り返った彼の顔は、薄い硝子板でできているように見える。元々壊れ物のような男だったが、こんなにも危うかっただろうか。
安達はこちらを見ると、いいえ、と静かに首を振った。そして唇を僅かに震わせた。どうやら微笑を作ろうとしているらしかった。しかし、上手くいかなかった。やがて彼は諦めたように目を閉じて息をついた。
「…………楽しかったです」
嘘はつかなくていい、と言いかけたが、しかし嘘をつく方が楽なこともある。特に、いつも言葉を探して彷徨い続けている彼にとっては。
「悪い男じゃないんだ」
安達はいったん口を開き、すぐに閉じた。視線を足許に落としてから、独り言のように呟く。
「俺は……樋川さんとは、違います」
それは自分にとって、最後通牒のように響いた。
安達が帰ると、橋本は急に酔いが醒めたような白けた顔をして、テレビをつけた。
「恐ろしく不安定な男だな」
「お前のせいだ」
「ああいう男が好みなのか」
安達が合鍵でドアを開けた時点で観念していたので、否定はしなかった。
「意外だな。お前、はっきり喋らない女は嫌いだったろ」
言いながら橋本はつまらなそうにザッピングする。
「喋り方はどうでもいい。要は中身だ」
「そうか。まあ、そうだな」
不意にテレビの画面が暗くなった。電源を切ったらしい。リモコンを放り出すと、橋本は立ち上がった。
「じゃあ、帰る」
「泊まるんじゃなかったのか」
橋本は質問には答えなかった。代わりに何処となく冷たい目でこちらを見据える。
「問題は向こうじゃなくてお前にあるな」
肯定するほかなかった。
「わかってる」
わざわざ指摘されるまでもないことだった。しかし、橋本は片目を細めた。
「……本当にわかってるのか?」
いつも陽気な男にしては、いやに低い声だった。
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