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続10. 同僚(2)
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年度末の忙しさに追われていた或る夜、終電で帰宅し玄関のドアを開けると、部屋に灯りがついていた。リビングには深刻そうな顔をしてテーブルの前に座るスーツ姿の男がいて、こちらを見るなり口を開いた。
「お帰りなさい。少しお話ししたいことがあるので、遅くなると知っていたのですが来てしまいました。三十秒で話し終わりますから、聞いていただけないでしょうか」
ほぼ一息でそれだけ言うと、安達は口を噤んだ。どうやら言葉は既に組み上がっていて、あとはそれを舌先で外へ押し出すばかりらしい。三十秒だろうが三十分だろうがこちらは構わない。だからネクタイを緩めながら、彼の正面に腰を下ろした。
「実は色々ありまして、今度の日曜に、会社の先輩をケーキ屋に連れていくことになりました」
安達がそこで言葉を切ったので、相槌の代わりに一つ肯いた。そして話の続きを待った。だが、いつまでたっても新たなセンテンスは現れなかった。三十秒が経過したところで漸く、話が既に終わっていることに気づいた。
「そうか。気をつけて」
人付き合いは大切だ。同僚と親しくするのはよいことだろう。幸いなことに、自分はその程度のことで嫉妬するような人間ではない。それで快く送り出してやることに決めた。だが、安達は納得していないのか、瞬きしながら視線を彷徨わせた。恐らく不安なのだろう。だから手を伸ばし、彼の髪に触れた。
「安心しろ。妙な勘繰りはしない。ただの先輩なんだろう。行ってくればいい」
すると安達は瞬きをやめてこちらを見た。何を言っているんだこの男は、と言いたげな目をしている。これには自分も戸惑った。やがて安達は再び口を開いた。
「つまり、俺は日曜日に出かけるので、土曜日の夜は『できない』ということです」
「……そういうことか」
嫉妬されるのではないかと気にしていたわけではなく、ただ単に週末の夜に本番ができないことが残念だったらしい。信用されていると喜ぶべきか、ほかにもっと考えることはないのかと呆れるべきか、にわかには判断がつきかねたが、とにかく自分は首を縦に振った。
「今週だな。わかった、覚えておく」
「……お願いします」
安達は口の中で返事をした。この世の終わりのような表情をしている。そんな彼を見ているうちに、相手の言うとおりにしようという気は綺麗になくなってしまった。けれど自分が今、途轍もなく悪い顔をしている自覚はあったので、彼が視線をテーブルに落としている間に立ち上がり、手を洗いに行った。
土曜日は仕事だった。午前六時のアラームで目を覚ますと、一人分のパンを焼き、一人分のコーヒーを淹れ、一人で食事をとる。コーヒーを飲み干したタイミングで、隣の部屋のドアが閉まる音がした。安達だ。
互いに帰りの遅い日が続いているせいか、彼は今週の初めからずっと、自身の部屋で寝起きしていた。朝食だけでも食べに来るよう誘っても、なかなかうんと言わない。どうやら遠慮しているようだ。セックスに関しては一切遠慮をしないわりに、それ以外のところではまだこちらの様子を窺っているような節がある男。相手には非常に不幸な話だが、そんな彼のアンバランスさに落とし甲斐しか感じなかった。
今夜は仕事のあと、うちに来る約束になっている。できないと言っていたが、きっと手で抜き合うくらいはするつもりなのだろう。
自分は携帯電話を手に取ると、恐らく駅に向かっている最中であろう可哀想な恋人に、短いメールを送った。
「お帰りなさい」
水槽を覗き込んでいた男が、振り向いて笑みを浮かべる。自分は目を細めてその微笑を受け止め、ただいまと返した。
「……いいものって、それですか」
手にした袋をテーブルに置くと、安達は興味深そうな目をした。入浴を済ませてからやってきたようで、近づくとよそ行きのフレグランスの代わりに、シャンプーとソープのプライベートな匂いがした。今日は白っぽい薄手のパーカーの下に、黒のスウェットを着ている。そのせいか、いつもより幼く見えた。
「日本酒は好きか」
「…………お正月に一口飲む程度なので、よくわかりません」
「開けてごらん」
酒瓶を取り出させている間に、流しからグラスを二つ取ってくる。淡い水色の瓶を見て、安達は綺麗ですねと呟いた。白い中指と人差し指が、硝子の曲線を遠慮がちに撫でる。その仕種がいやに官能的だった。喉が鳴りそうになるのを堪え、自分は瓶に手を伸ばした。そして澄んだ液体をグラスに三センチほど注ぎ、相手の前に置いた。彼はいただきますと囁くように言って、グラスに口をつけた。
「…………美味しい。甘口ですね?」
「気に入ったか」
「……ええ、とても」
シャワーを浴びてくるから、好きに飲んでいてくれ。そう言い残し、風呂に向かう。あまり急がずに身体と髪を洗った。
リビングに戻ると、瓶の酒が少し減っていた。手酌で飲んだらしい。肌が薄く色づいて、見るからに美味そうだった。それから二人で向かい合って座り、酒を飲みながらぽつぽつと話をした。ほどよく理性が緩んできた頃合いを見計らい、明日のことを訊ねると、彼はとある駅の名を口にして、昼過ぎにそこで約束していると答えた。先輩というのは同性で、色々あってケーキ屋の下調べをしなければならないのだという。色々あって、の部分が気になったが、安達ははっきり言わなかった。どうやら守秘義務があるらしい。だからその先輩について訊いてみることにした。彼は、俺はあまり好かれていないんですが、と前置きしたうえで、すごく善良で素朴な人ですよ、と笑った。
「以前バーで樋川さんに会ったとき、一緒に飲んでいた人なんですけど」
あのときの男か、と思ったが、黙って肯くだけにした。本当に好かれていなければ、ケーキ屋に連れて行けなどとは言われないだろう、とも思ったが、これもやはり黙っておくことにした。代わりに、善良で素朴な人というのはどんな人間だ、と質問した。安達は暫く考え込み、一筋縄でいく人間だと答えた。それでは善良で素朴な人間が好きなのかと重ねて問うと、酔いで潤んだ硝子の眼球がこちらを見た。
「……俺は、少し悪い人の方が好きです」
目許と指先が、綺麗な薄桃に染まっていた。自分よりも安達の方が、策士としては上なのだろう。本人に自覚がないぶん、自覚のあるこちらに勝ち目などない。しかしそれでも仕掛けてみたくなるのだからどうしようもない。そろそろ次の段階に移るべきだと踏んで、自分は話題を変えた。
「ところで、最近忙しいだろう。疲れているんじゃないか」
安達は首を傾げた。何故突然そんなことを言うのだろう、という顔をしている。だから彼の背後に回り、肩に両手をかけた。
「ん……」
肩から首の付け根の辺りを軽く揉んでやると、安達は小さく声を漏らした。酒が入っているせいで、触れた身体はいつもより熱かった。
「ほら、凝ってる」
「んっ……そう、かもしれません」
細い首筋に浮く骨を舐めるように眺めつつ、やや硬くなった筋肉を揉み解していく。
「肩だけじゃなさそうだな。ほかのところも揉んでやるから、ベッドに行こう」
「…………でも、樋川さんも疲れているでしょう」
「それなら、あとで交替してくれ」
安達は素直に肯いて立ち上がった。酔いが回り始めているようだったが、足取りはしっかりしている。
「うつ伏せになってごらん」
ベッドに上がると、安達は言われたとおりの姿勢をとった。自分もベッドに乗り、相手のズボンの裾を膝までたくし上げ、靴下を脱がせる。どちらかというと靴下を履いている状態の方が興奮するが、履いているものを脱がせるのも、それはそれで楽しい作業だ。現れた白い踵を撫でて、滑らかな土踏まずを指で押す。もう少し安達が能動的なセックスに慣れてきたら、いつかここで自分のものを擦らせたい。そんなことを考えながら手に力を込めた。こちらの思惑を知らない男は、気持ちよさそうにくぐもった声を上げた。
「いいか?」
「……はい。樋川さんは本当に器用ですね……」
そう言って彼は溜め息をついた。あまり快感ばかり与えていると、寝られかねない。それでは元も子もないので、足首から脹脛に移った。強めに指圧すると、痛いのか身体がぎゅっと緊張する。
「揉みにくいから、下は脱ごうな」
素面であれば疑問を抱いたのかもしれないが、今夜は酒が入っている。安達は喉の奥で何か言ったようだったが、それは嫌だやめろといった類の言葉には聞こえなかった。拒絶の意志なしと見なし、自分は下着だけ残して彼の下半身を剥いた。太腿は白くほっそりとして、女とは違い脂肪の壁がないぶん、ひどく無防備に見えた。そんな壊れ物じみた太腿を、膝裏から足の付け根に向かって、両手で包むようにして揉んでいく。
「んん」
付け根の辺りを押すとき、手が滑ったふりをしてわざと会陰を擦った。突然の刺激に、安達は驚いたように腰を揺する。
「ここも随分凝っているみたいだ」
我ながら白々しい発言だ。しかし彼の方はこちらの下心には気づいていない様子で、すぐに大人しくなった。このぶんなら続けても問題ないだろう。そう考えて、もう片方の足を同じように按摩する。やはり付け根にさしかかると、安達は小さく唸って枕を握り締めたが、暴れることはなかった。それで今度は薄い布に包まれた尻に手をかけた。形を確かめるように全体を撫でてから、谷間に両の親指を食い込ませてきつめに揉んでいく。肉が薄いせいで力を入れなければ掴めないが、その禁欲的な硬さが妙に癖になった。
「……あの、…………あの……」
執拗に触りすぎたせいだろうか。安達がもがくように首を捻じり、こちらに視線を投げる。だが、真っ直ぐに見つめ返してやると、濡れた瞳が動揺で揺れた。何度か瞬きすると、何でもありませんと小さな声で言って、枕に顔を押しつけてしまう。僅かに覗く耳殻が赤く熟れているのは、きっとアルコールのせいだけではない。
「次は腰だ」
返事のつもりなのか、単に息が漏れただけなのか、うう、と微かに呻き声がする。その手は、指が食い込むほどきつく枕を掴んでいる。彼が何を考えているのか、手に取るようにわかる。マッサージされているだけなのに、まるで痴漢されているような気分になってしまったことを、ひどく恥じているのだ。ただの尻の肉だ、揉まれたところで気持ちがいいわけではない。が、被虐趣味があるうえに自分で自分を――純粋に性的な意味で――追い込みがちなこの男は、こういった精神的な揺さぶりに対しひどく脆弱だった。
甘い吐息と、微かに上下する背中が描く滑らかな線。まるで水風船のように、欲望が少しずつ肥大していく。しかしそれを割り粘ついた中身を白い肌にぶちまけるには、時期尚早というものだった。だからシャツの中に手を忍ばせるようにして、ぐいと腰を掴む。たったそれだけのことで、安達の息は上がった。彼にとって、腰を掴まれるのは挿入されたときくらいだ。意識してしまうのは仕方がない。
「痛くないか」
「ぁ…………へ、いき、です」
全く平気ではなさそうな声だった。腰は薄く、何処となく成熟しきっていない印象を与えた。力加減を誤ると内臓を壊してしまいそうな、妙な危うさがある。そんな腰回りを視覚と触覚で堪能してから、脇腹から腋下へ掌を滑らせた。小さく息を呑む音が聞こえ、肌の下で筋肉が震えるがわかる。
「くすぐったいか?」
「っ、……は、はい、少し」
答える声には緊張と戸惑いが透けていた。酔いは混乱に取って代わられたようだ。ここで逃げられるわけにはいかない。上半身を揉むという名目で相手の身体を押さえつけるようにのしかかり、先ほど執拗に揉んだ尻に自らの股間を密着させた。
「…………ひ、かわ、さん、あの……あのっ」
文章を組み立てる前に名前を口にしてしまった安達は、あの、から先が続けられず、そのまま口ごもってしまった。それをよいことに、あばらや肩甲骨を好き勝手愛撫しながら、硬くなりかけたものを相手の尻に擦りつける。こちらの準備が整った頃、安達はやっとまとまった言葉を発した。
「ひ、樋川さん、それ、本当にマッサージなんですか?」
「ああ。次は前を揉むから、仰向けに」
彼は、前とは何処だ、と言いたそうな顔をした。あと十秒ほど待っていれば、実際そう言ったことだろう。しかしその前に自分は彼の身体を引っくり返した。彼の話ならいくらでも待てるが、しかし待てない場合もあるのだ。
再び彼の上に馬乗りになると、めくれかけていたシャツを首の辺りまで押し上げる。露わになった平らな胸は、荒い呼吸で激しく上下していた。最近ペッティングをする暇がなかったせいで、男の味を覚えたくせに、乳首は随分清楚な色形をしていた。
「ここも揉んでほしいんだろう」
指を広げた両の掌を相手の胸の上に添え、ゆっくりと円を描くように動かす。指が乳首を掠めるたび、安達は身を竦めた。震える手に手首を掴まれたが、それは抵抗しているというより単に縋りついているだけだった。やがてその手も形だけの拒絶の仕種をやめ、零れる喘ぎ声を塞ぐように彼自身の口許に置かれた。そしてもう片方の手は、恐らく無意識なのだろうが、媚びるようにこちらの太腿を撫で始める。自分は散漫な愛撫を続けながら、そうやって少しずつ彼の頭から理性が溶けて流れていくさまを観察していたが、安達が身体をひねるようにしてもがき出したところで、両方の乳首をきつく摘んだ。
「うあっ」
指の間で抓るようにして転がすと、乳首はすぐに尖って硬くなった。乳頭に爪を立てて押し潰せば、喘ぎ声が露骨に変わる。雄の性器を穴に嵌めてほしがって鳴く、発情した雌の声。
「く……ぁ、ん、んん、んー……」
乳首を嬲りながら、顔を覗き込む。気配に気づいた安達が、閉じていた瞼を上げる。現れた瞳は濡れていた。視線が合うと、彼は何度か瞬きをして、それから既に赤くなっていた肌を更に赤くした。自分は乳首を弄るのをやめ、彼の頬に手をかけて、そこに自身の顔を近づけた。至近距離で見つめると、再び瞼が閉じられる。唇が薄く開いて、その奥に甘い舌が見えた。あと数ミリで口と口が触れるという距離まで来たところで、自分は身体を起こした。
「――よし。終わりだ。交替してくれ」
そう言って、彼の隣に横たわる。ちょうど十数えたところで、安達ががばと跳ね起きた。
「…………え、……あの……、…………え?」
彼は先刻よりも激しく動揺しているようだった。
「あの、どうして、……」
安達は途中で言葉を呑み込んだ。そして顔を伏せて呻いた。さっきまで彼を支配していた混乱は二つに分裂し、それぞれ焦りと苛立ちとに変化していた。
「明日は同僚と出かけるから、セックスはできないんだろう?」
わざとらしく訊ねると、安達は視線を上げた。
「…………でも……」
「ほら、交替だ。揉んでくれ」
安達は葛藤しているようだった。彼の場合、ここまで身体が熱くなってしまうと、性器を弄って射精するだけではもう満足できない。小さな蕾を男の性器で抉じ開けられ、大量の精液で深い部分までたっぷりと汚されながら、卑猥な言葉で耳を犯されないと駄目なのだ。
このままではどうやっても抱いてもらえないことを悟った安達は、欲望を湛えた目で射るようにこちらを見た。そして先ほどのお返しのように、腹の上に乗ってくる。何をするつもりかとみていると、シャツの中に手を差し込まれた。彼は不器用な手つきでこちらの胸を探り、それからシャツに頭を突っ込むようにして乳首を舐め始めた。しかし安達にとっては残念な話だが、そこは自分の性感帯ではなかったため、ただひたすら彼が可愛いだけだった。三十秒ほどで彼は乳首を諦め、首筋に移った。舌先で血管をなぞったり、付け根の辺りを軽く吸ったりする。
「子犬か子猫にじゃれつかれている気分だな」
思わず正直な感想を零すと、今度は口で口を塞がれた。歯の間に舌を突っ込まれたので、傷にならない程度に力を入れて噛んでやる。途端に彼の腰が崩れるのがわかった。安達は慌てて唇を離し、身を屈めた。
「どうした」
安達は何でもないというように首を横に振った。が、そのグレーの下着には黒い染みができていた。
「マッサージ、してくれないのか」
随分と切羽詰まっているらしい。哀れな男は、ううう、と低く唸ってから、思い切ったようにこちらのズボンに手をかけた。そのまま下着ごとずるりと引きずり下ろし、性器に触れる。濡れた目で見つめられながら睾丸を柔らかく揉みしだかれて、既に硬くなっていたものは更に硬度を増した。よい反応を引き出せたせいか、安達も満足げに唇を緩ませる。
「……気持ちいい、ですか?」
「ああ。可澄は揉むのが上手だな」
貶められることに滅法弱い彼は、褒められることにも弱かった。可哀想なくらい弱点しかない男だ。案の定簡単に乗せられてしまい、掌と口を使って陰茎への愛撫を始める。まだそれほど技術はないが、熱心に肉棒に奉仕する姿は非常に扇情的だった。
「そろそろ出してもいいか」
男の頭を撫でて問う。彼は亀頭に吸いついたまま目を上げた。その眼球は、技巧を凝らして複雑にカットされたどんなクリスタルよりも繊細に、きらきらと輝いていた。眼差しだけで射精できそうなほど蠱惑的な瞳。そこに透き通った硝子の声が重なる。
「…………それじゃあ、中でマッサージしてあげます」
どうしようもなく下品な内容なのに、彼の声帯を経由しただけで、その猥褻な言葉は恐ろしく綺麗に響いた。
「ふ……、あ、あ、……ん、……っく」
ベッドサイドのローションのボトルを取ると、安達はそれで自身の穴を解し始めた。随分おざなりなやり方だった。きっと焦っているのだろう。手伝わないと怪我をさせてしまうかもしれない、そう思って伸ばした手は、ぱし、と軽い音を立てて払い除けられた。邪魔されると思ったらしい。
「可澄」
「……き……きもちよく、してあげますから……」
言いながら、彼は自分の体内から指を引き抜いた。そして片手でこちらの性器を掴むと、その上へゆっくりと腰を落とした。小さな蕾を裂くようにして、自分の陰茎が相手の身体に呑み込まれていく。愛撫が足りていないせいで、入り口は圧迫感が凄まじく、内部もまだ熟していなかった。自ら男の上に跨る娼婦じみた行動と、それとは裏腹な処女に似た肉の硬さに、自分でもどうかと思うほど興奮する。
あ、あ、と短く声を上げて震えながら、安達は根元まで性器を収めた。堪えきれなかったのか、勃起したままだった性器の先端から白い液体が飛ぶ。精液はこちらの腹や胸にぼたぼたと零れた。放心したように小さく口を開けて、彼は射精の余韻に浸っていた。それで自分は腰を揺すった。
「ひっ」
「何をしているんだ。まんこでマッサージするんだろう?」
「んぅー……」
白い首筋を、汗が流れていく。その雫を手の甲でぞんざいに拭うと、安達は緩やかに腰を動かし始めた。感じるところが擦れて辛いのか、身体が何度も小さく跳ねる。敢えて自分は手を出さなかった。じっと横たわったまま、閉じていた彼の肉が徐々に溶けて開いていくのを性器だけで味わう。
「あ、うう、ぁ……、しゅ……ご、さん、ぅあ、ああっ……ん、きもち、い、……?」
甘えるように訊ねられて、自分は返事の代わりに射精した。久しぶりだったせいか、射精はかなり長く続いた。
彼の蕾は、ひくひくと震えながら大量の精液を受け止めた。その快楽に蕩けた顔は途方もなく淫らだったが、しかし相変わらず見惚れるほど綺麗だった。
朝昼兼用の食事と洗い物を済ませると、安達はソファに座り込んだ。眉の間には浅く皺が刻まれている。
「揉まれて楽になるどころか、反対に腰が痛くなりました。…………それに、お腹も」
怒っている様子だったが、責め方には迷いがあった。確かに煽ったのはこちらだが、セックスに持ち込んだのは彼の方だ。
「そうか。可哀想なことをしたな。どの辺りが痛いんだ?」
言いながら腹を撫でてやる。すると手首を掴んで引き剥がされた。こちらを見据える眼差しはぞくりとするほど冷たい。叱られるのも悪くはなかったが、あいにくこのあと彼は外出してしまう。特殊な遊戯を楽しむ時間はない。それで機嫌を取ることに決めた。
「夜には帰ってくるんだろう。可澄の好きなものを作って待っているから、何が食べたいか言ってごらん」
「…………その件なんですが、もしよかったら一緒に作りたいんですけど、どうでしょう」
「作りたいって、夕飯を?」
問い返すと、安達は肯いた。そして少し考えてから、いつもお世話になってばかりで悪いので、俺も少しは料理を覚えたいんです、と付け加えた。自分にとって彼への餌付けは、趣味と実益を兼ねた重要な行事であって、下心があるという意味において反省すべきはこちらであり、彼が気にする必要など微塵もなかったが、もちろん一緒に料理をすることに関して異存はなかった。上手くいけば、いつか彼の手料理を食べることができるかもしれないのだ。
「何がいい」
「……できれば魚がいいです」
自分は彼が手伝いやすい魚料理を考えた。
「鮭のムニエルなんてどうだ」
安達は間髪入れずに首を縦に振った。好物だったらしい。
「……それじゃあ、素早く片づけてきます」
鮭のムニエルのために『素早く片づけ』られてしまう彼の先輩のことを、哀れに思わなくもなかったが、安達の機嫌が直ったので気にしないことにした。一度自室に戻り着替えてから出かけるという彼を、玄関まで見送る。
「……何を買って帰ればいいですか」
「俺も出るつもりだから、買い物は気にしなくていい」
わかりましたと肯いて、安達は出て行った。それから三十分ほど時間をおいて、自分も着替えて部屋を出る。
三月上旬、春に分類される時期だが、外気は思ったよりも冷えていた。人通りが疎らな道を、駅に向かって歩く。
安達の行先は、昨夜聞いて把握していた。若者が集まる賑やかな街だ。とりあえず、その駅の傍の書店で時間を潰せばよいだろう。
自分は嫉妬深い性質ではない。常々、彼はほかの人間とも親しくすべきだと考えていた。だが、相手の体調が優れないとなると話は変わってくる。万が一に備えて、すぐ迎えに行けるよう近くにいるというのは、決して悪いことではないはずだ。尾行するわけではないのだから、倫理的にいっても問題はない。
電車を乗り継いで、目的の駅に降りた。駅前の書店は、いまひとつ琴線に触れなかった。少し離れた本屋に足を伸ばして文庫本コーナーを眺めてから、安達にメールを送る。近くにいるから何かあったら連絡をくれ、というものだ。一時間は反応がないだろうと考えていたのだが、返事は数分で来た。
『解散しました。買い物を済ませたら、駅に向かいます』
改札の前で待っているよう返信して、携帯電話をポケットに突っ込む。何も書いていなかったが、どうも体調が悪いようだった。本当に可哀想なことをしたと反省しながら、店の外に出る。
駅に着くと、安達の姿を探した。硝子細工の顔立ちをした男は、雑踏の中でもすぐに見つかった。改札近くのベンチに座り、膝には白い紙袋を抱えている。近づくと、ぼんやりとしていた瞳がこちらを見た。近寄りがたいほど冷たい顔に、表情が生まれる。何度見ても心臓を掴まれたような気分になる、眩しい微笑だ。
「ごめんな。気分はどうだ」
ひっきりなしに響く電車の音や、発車時刻を知らせるアナウンスのせいで、自分の声さえひどく聞こえにくかった。座ったままの相手に顔を寄せて訊ねると、安達は何度か瞬きして、大丈夫です、と笑顔で答えた。声の調子はしっかりしていた。自分もほっとして笑みを作った。彼の膝から紙袋を取り上げ、上体を戻す。
「行こうか」
安達は肯いて立ち上がった。少し歩きづらそうにしている彼に歩幅を合わせ、二人で改札を抜ける。
ホームへ向かうエスカレーターに乗る前に、自分はそっと振り返った。誰かに見られているような気がしていた。だが、こちらに注意を向けている人間を確認することはできなかった。
後日、橋本から、安達の同僚と友人になったという話を聞いた。どうしてそんなことになったのかよくわからなかったが、友人が増えるというのはよいことだと思ったので、安達にもそう言った。すると安達は何ともいえない顔をして、やっぱり樋川さんにも善良で素朴なところがありますね、と、これまたよくわからないことを言った。
「お帰りなさい。少しお話ししたいことがあるので、遅くなると知っていたのですが来てしまいました。三十秒で話し終わりますから、聞いていただけないでしょうか」
ほぼ一息でそれだけ言うと、安達は口を噤んだ。どうやら言葉は既に組み上がっていて、あとはそれを舌先で外へ押し出すばかりらしい。三十秒だろうが三十分だろうがこちらは構わない。だからネクタイを緩めながら、彼の正面に腰を下ろした。
「実は色々ありまして、今度の日曜に、会社の先輩をケーキ屋に連れていくことになりました」
安達がそこで言葉を切ったので、相槌の代わりに一つ肯いた。そして話の続きを待った。だが、いつまでたっても新たなセンテンスは現れなかった。三十秒が経過したところで漸く、話が既に終わっていることに気づいた。
「そうか。気をつけて」
人付き合いは大切だ。同僚と親しくするのはよいことだろう。幸いなことに、自分はその程度のことで嫉妬するような人間ではない。それで快く送り出してやることに決めた。だが、安達は納得していないのか、瞬きしながら視線を彷徨わせた。恐らく不安なのだろう。だから手を伸ばし、彼の髪に触れた。
「安心しろ。妙な勘繰りはしない。ただの先輩なんだろう。行ってくればいい」
すると安達は瞬きをやめてこちらを見た。何を言っているんだこの男は、と言いたげな目をしている。これには自分も戸惑った。やがて安達は再び口を開いた。
「つまり、俺は日曜日に出かけるので、土曜日の夜は『できない』ということです」
「……そういうことか」
嫉妬されるのではないかと気にしていたわけではなく、ただ単に週末の夜に本番ができないことが残念だったらしい。信用されていると喜ぶべきか、ほかにもっと考えることはないのかと呆れるべきか、にわかには判断がつきかねたが、とにかく自分は首を縦に振った。
「今週だな。わかった、覚えておく」
「……お願いします」
安達は口の中で返事をした。この世の終わりのような表情をしている。そんな彼を見ているうちに、相手の言うとおりにしようという気は綺麗になくなってしまった。けれど自分が今、途轍もなく悪い顔をしている自覚はあったので、彼が視線をテーブルに落としている間に立ち上がり、手を洗いに行った。
土曜日は仕事だった。午前六時のアラームで目を覚ますと、一人分のパンを焼き、一人分のコーヒーを淹れ、一人で食事をとる。コーヒーを飲み干したタイミングで、隣の部屋のドアが閉まる音がした。安達だ。
互いに帰りの遅い日が続いているせいか、彼は今週の初めからずっと、自身の部屋で寝起きしていた。朝食だけでも食べに来るよう誘っても、なかなかうんと言わない。どうやら遠慮しているようだ。セックスに関しては一切遠慮をしないわりに、それ以外のところではまだこちらの様子を窺っているような節がある男。相手には非常に不幸な話だが、そんな彼のアンバランスさに落とし甲斐しか感じなかった。
今夜は仕事のあと、うちに来る約束になっている。できないと言っていたが、きっと手で抜き合うくらいはするつもりなのだろう。
自分は携帯電話を手に取ると、恐らく駅に向かっている最中であろう可哀想な恋人に、短いメールを送った。
「お帰りなさい」
水槽を覗き込んでいた男が、振り向いて笑みを浮かべる。自分は目を細めてその微笑を受け止め、ただいまと返した。
「……いいものって、それですか」
手にした袋をテーブルに置くと、安達は興味深そうな目をした。入浴を済ませてからやってきたようで、近づくとよそ行きのフレグランスの代わりに、シャンプーとソープのプライベートな匂いがした。今日は白っぽい薄手のパーカーの下に、黒のスウェットを着ている。そのせいか、いつもより幼く見えた。
「日本酒は好きか」
「…………お正月に一口飲む程度なので、よくわかりません」
「開けてごらん」
酒瓶を取り出させている間に、流しからグラスを二つ取ってくる。淡い水色の瓶を見て、安達は綺麗ですねと呟いた。白い中指と人差し指が、硝子の曲線を遠慮がちに撫でる。その仕種がいやに官能的だった。喉が鳴りそうになるのを堪え、自分は瓶に手を伸ばした。そして澄んだ液体をグラスに三センチほど注ぎ、相手の前に置いた。彼はいただきますと囁くように言って、グラスに口をつけた。
「…………美味しい。甘口ですね?」
「気に入ったか」
「……ええ、とても」
シャワーを浴びてくるから、好きに飲んでいてくれ。そう言い残し、風呂に向かう。あまり急がずに身体と髪を洗った。
リビングに戻ると、瓶の酒が少し減っていた。手酌で飲んだらしい。肌が薄く色づいて、見るからに美味そうだった。それから二人で向かい合って座り、酒を飲みながらぽつぽつと話をした。ほどよく理性が緩んできた頃合いを見計らい、明日のことを訊ねると、彼はとある駅の名を口にして、昼過ぎにそこで約束していると答えた。先輩というのは同性で、色々あってケーキ屋の下調べをしなければならないのだという。色々あって、の部分が気になったが、安達ははっきり言わなかった。どうやら守秘義務があるらしい。だからその先輩について訊いてみることにした。彼は、俺はあまり好かれていないんですが、と前置きしたうえで、すごく善良で素朴な人ですよ、と笑った。
「以前バーで樋川さんに会ったとき、一緒に飲んでいた人なんですけど」
あのときの男か、と思ったが、黙って肯くだけにした。本当に好かれていなければ、ケーキ屋に連れて行けなどとは言われないだろう、とも思ったが、これもやはり黙っておくことにした。代わりに、善良で素朴な人というのはどんな人間だ、と質問した。安達は暫く考え込み、一筋縄でいく人間だと答えた。それでは善良で素朴な人間が好きなのかと重ねて問うと、酔いで潤んだ硝子の眼球がこちらを見た。
「……俺は、少し悪い人の方が好きです」
目許と指先が、綺麗な薄桃に染まっていた。自分よりも安達の方が、策士としては上なのだろう。本人に自覚がないぶん、自覚のあるこちらに勝ち目などない。しかしそれでも仕掛けてみたくなるのだからどうしようもない。そろそろ次の段階に移るべきだと踏んで、自分は話題を変えた。
「ところで、最近忙しいだろう。疲れているんじゃないか」
安達は首を傾げた。何故突然そんなことを言うのだろう、という顔をしている。だから彼の背後に回り、肩に両手をかけた。
「ん……」
肩から首の付け根の辺りを軽く揉んでやると、安達は小さく声を漏らした。酒が入っているせいで、触れた身体はいつもより熱かった。
「ほら、凝ってる」
「んっ……そう、かもしれません」
細い首筋に浮く骨を舐めるように眺めつつ、やや硬くなった筋肉を揉み解していく。
「肩だけじゃなさそうだな。ほかのところも揉んでやるから、ベッドに行こう」
「…………でも、樋川さんも疲れているでしょう」
「それなら、あとで交替してくれ」
安達は素直に肯いて立ち上がった。酔いが回り始めているようだったが、足取りはしっかりしている。
「うつ伏せになってごらん」
ベッドに上がると、安達は言われたとおりの姿勢をとった。自分もベッドに乗り、相手のズボンの裾を膝までたくし上げ、靴下を脱がせる。どちらかというと靴下を履いている状態の方が興奮するが、履いているものを脱がせるのも、それはそれで楽しい作業だ。現れた白い踵を撫でて、滑らかな土踏まずを指で押す。もう少し安達が能動的なセックスに慣れてきたら、いつかここで自分のものを擦らせたい。そんなことを考えながら手に力を込めた。こちらの思惑を知らない男は、気持ちよさそうにくぐもった声を上げた。
「いいか?」
「……はい。樋川さんは本当に器用ですね……」
そう言って彼は溜め息をついた。あまり快感ばかり与えていると、寝られかねない。それでは元も子もないので、足首から脹脛に移った。強めに指圧すると、痛いのか身体がぎゅっと緊張する。
「揉みにくいから、下は脱ごうな」
素面であれば疑問を抱いたのかもしれないが、今夜は酒が入っている。安達は喉の奥で何か言ったようだったが、それは嫌だやめろといった類の言葉には聞こえなかった。拒絶の意志なしと見なし、自分は下着だけ残して彼の下半身を剥いた。太腿は白くほっそりとして、女とは違い脂肪の壁がないぶん、ひどく無防備に見えた。そんな壊れ物じみた太腿を、膝裏から足の付け根に向かって、両手で包むようにして揉んでいく。
「んん」
付け根の辺りを押すとき、手が滑ったふりをしてわざと会陰を擦った。突然の刺激に、安達は驚いたように腰を揺する。
「ここも随分凝っているみたいだ」
我ながら白々しい発言だ。しかし彼の方はこちらの下心には気づいていない様子で、すぐに大人しくなった。このぶんなら続けても問題ないだろう。そう考えて、もう片方の足を同じように按摩する。やはり付け根にさしかかると、安達は小さく唸って枕を握り締めたが、暴れることはなかった。それで今度は薄い布に包まれた尻に手をかけた。形を確かめるように全体を撫でてから、谷間に両の親指を食い込ませてきつめに揉んでいく。肉が薄いせいで力を入れなければ掴めないが、その禁欲的な硬さが妙に癖になった。
「……あの、…………あの……」
執拗に触りすぎたせいだろうか。安達がもがくように首を捻じり、こちらに視線を投げる。だが、真っ直ぐに見つめ返してやると、濡れた瞳が動揺で揺れた。何度か瞬きすると、何でもありませんと小さな声で言って、枕に顔を押しつけてしまう。僅かに覗く耳殻が赤く熟れているのは、きっとアルコールのせいだけではない。
「次は腰だ」
返事のつもりなのか、単に息が漏れただけなのか、うう、と微かに呻き声がする。その手は、指が食い込むほどきつく枕を掴んでいる。彼が何を考えているのか、手に取るようにわかる。マッサージされているだけなのに、まるで痴漢されているような気分になってしまったことを、ひどく恥じているのだ。ただの尻の肉だ、揉まれたところで気持ちがいいわけではない。が、被虐趣味があるうえに自分で自分を――純粋に性的な意味で――追い込みがちなこの男は、こういった精神的な揺さぶりに対しひどく脆弱だった。
甘い吐息と、微かに上下する背中が描く滑らかな線。まるで水風船のように、欲望が少しずつ肥大していく。しかしそれを割り粘ついた中身を白い肌にぶちまけるには、時期尚早というものだった。だからシャツの中に手を忍ばせるようにして、ぐいと腰を掴む。たったそれだけのことで、安達の息は上がった。彼にとって、腰を掴まれるのは挿入されたときくらいだ。意識してしまうのは仕方がない。
「痛くないか」
「ぁ…………へ、いき、です」
全く平気ではなさそうな声だった。腰は薄く、何処となく成熟しきっていない印象を与えた。力加減を誤ると内臓を壊してしまいそうな、妙な危うさがある。そんな腰回りを視覚と触覚で堪能してから、脇腹から腋下へ掌を滑らせた。小さく息を呑む音が聞こえ、肌の下で筋肉が震えるがわかる。
「くすぐったいか?」
「っ、……は、はい、少し」
答える声には緊張と戸惑いが透けていた。酔いは混乱に取って代わられたようだ。ここで逃げられるわけにはいかない。上半身を揉むという名目で相手の身体を押さえつけるようにのしかかり、先ほど執拗に揉んだ尻に自らの股間を密着させた。
「…………ひ、かわ、さん、あの……あのっ」
文章を組み立てる前に名前を口にしてしまった安達は、あの、から先が続けられず、そのまま口ごもってしまった。それをよいことに、あばらや肩甲骨を好き勝手愛撫しながら、硬くなりかけたものを相手の尻に擦りつける。こちらの準備が整った頃、安達はやっとまとまった言葉を発した。
「ひ、樋川さん、それ、本当にマッサージなんですか?」
「ああ。次は前を揉むから、仰向けに」
彼は、前とは何処だ、と言いたそうな顔をした。あと十秒ほど待っていれば、実際そう言ったことだろう。しかしその前に自分は彼の身体を引っくり返した。彼の話ならいくらでも待てるが、しかし待てない場合もあるのだ。
再び彼の上に馬乗りになると、めくれかけていたシャツを首の辺りまで押し上げる。露わになった平らな胸は、荒い呼吸で激しく上下していた。最近ペッティングをする暇がなかったせいで、男の味を覚えたくせに、乳首は随分清楚な色形をしていた。
「ここも揉んでほしいんだろう」
指を広げた両の掌を相手の胸の上に添え、ゆっくりと円を描くように動かす。指が乳首を掠めるたび、安達は身を竦めた。震える手に手首を掴まれたが、それは抵抗しているというより単に縋りついているだけだった。やがてその手も形だけの拒絶の仕種をやめ、零れる喘ぎ声を塞ぐように彼自身の口許に置かれた。そしてもう片方の手は、恐らく無意識なのだろうが、媚びるようにこちらの太腿を撫で始める。自分は散漫な愛撫を続けながら、そうやって少しずつ彼の頭から理性が溶けて流れていくさまを観察していたが、安達が身体をひねるようにしてもがき出したところで、両方の乳首をきつく摘んだ。
「うあっ」
指の間で抓るようにして転がすと、乳首はすぐに尖って硬くなった。乳頭に爪を立てて押し潰せば、喘ぎ声が露骨に変わる。雄の性器を穴に嵌めてほしがって鳴く、発情した雌の声。
「く……ぁ、ん、んん、んー……」
乳首を嬲りながら、顔を覗き込む。気配に気づいた安達が、閉じていた瞼を上げる。現れた瞳は濡れていた。視線が合うと、彼は何度か瞬きをして、それから既に赤くなっていた肌を更に赤くした。自分は乳首を弄るのをやめ、彼の頬に手をかけて、そこに自身の顔を近づけた。至近距離で見つめると、再び瞼が閉じられる。唇が薄く開いて、その奥に甘い舌が見えた。あと数ミリで口と口が触れるという距離まで来たところで、自分は身体を起こした。
「――よし。終わりだ。交替してくれ」
そう言って、彼の隣に横たわる。ちょうど十数えたところで、安達ががばと跳ね起きた。
「…………え、……あの……、…………え?」
彼は先刻よりも激しく動揺しているようだった。
「あの、どうして、……」
安達は途中で言葉を呑み込んだ。そして顔を伏せて呻いた。さっきまで彼を支配していた混乱は二つに分裂し、それぞれ焦りと苛立ちとに変化していた。
「明日は同僚と出かけるから、セックスはできないんだろう?」
わざとらしく訊ねると、安達は視線を上げた。
「…………でも……」
「ほら、交替だ。揉んでくれ」
安達は葛藤しているようだった。彼の場合、ここまで身体が熱くなってしまうと、性器を弄って射精するだけではもう満足できない。小さな蕾を男の性器で抉じ開けられ、大量の精液で深い部分までたっぷりと汚されながら、卑猥な言葉で耳を犯されないと駄目なのだ。
このままではどうやっても抱いてもらえないことを悟った安達は、欲望を湛えた目で射るようにこちらを見た。そして先ほどのお返しのように、腹の上に乗ってくる。何をするつもりかとみていると、シャツの中に手を差し込まれた。彼は不器用な手つきでこちらの胸を探り、それからシャツに頭を突っ込むようにして乳首を舐め始めた。しかし安達にとっては残念な話だが、そこは自分の性感帯ではなかったため、ただひたすら彼が可愛いだけだった。三十秒ほどで彼は乳首を諦め、首筋に移った。舌先で血管をなぞったり、付け根の辺りを軽く吸ったりする。
「子犬か子猫にじゃれつかれている気分だな」
思わず正直な感想を零すと、今度は口で口を塞がれた。歯の間に舌を突っ込まれたので、傷にならない程度に力を入れて噛んでやる。途端に彼の腰が崩れるのがわかった。安達は慌てて唇を離し、身を屈めた。
「どうした」
安達は何でもないというように首を横に振った。が、そのグレーの下着には黒い染みができていた。
「マッサージ、してくれないのか」
随分と切羽詰まっているらしい。哀れな男は、ううう、と低く唸ってから、思い切ったようにこちらのズボンに手をかけた。そのまま下着ごとずるりと引きずり下ろし、性器に触れる。濡れた目で見つめられながら睾丸を柔らかく揉みしだかれて、既に硬くなっていたものは更に硬度を増した。よい反応を引き出せたせいか、安達も満足げに唇を緩ませる。
「……気持ちいい、ですか?」
「ああ。可澄は揉むのが上手だな」
貶められることに滅法弱い彼は、褒められることにも弱かった。可哀想なくらい弱点しかない男だ。案の定簡単に乗せられてしまい、掌と口を使って陰茎への愛撫を始める。まだそれほど技術はないが、熱心に肉棒に奉仕する姿は非常に扇情的だった。
「そろそろ出してもいいか」
男の頭を撫でて問う。彼は亀頭に吸いついたまま目を上げた。その眼球は、技巧を凝らして複雑にカットされたどんなクリスタルよりも繊細に、きらきらと輝いていた。眼差しだけで射精できそうなほど蠱惑的な瞳。そこに透き通った硝子の声が重なる。
「…………それじゃあ、中でマッサージしてあげます」
どうしようもなく下品な内容なのに、彼の声帯を経由しただけで、その猥褻な言葉は恐ろしく綺麗に響いた。
「ふ……、あ、あ、……ん、……っく」
ベッドサイドのローションのボトルを取ると、安達はそれで自身の穴を解し始めた。随分おざなりなやり方だった。きっと焦っているのだろう。手伝わないと怪我をさせてしまうかもしれない、そう思って伸ばした手は、ぱし、と軽い音を立てて払い除けられた。邪魔されると思ったらしい。
「可澄」
「……き……きもちよく、してあげますから……」
言いながら、彼は自分の体内から指を引き抜いた。そして片手でこちらの性器を掴むと、その上へゆっくりと腰を落とした。小さな蕾を裂くようにして、自分の陰茎が相手の身体に呑み込まれていく。愛撫が足りていないせいで、入り口は圧迫感が凄まじく、内部もまだ熟していなかった。自ら男の上に跨る娼婦じみた行動と、それとは裏腹な処女に似た肉の硬さに、自分でもどうかと思うほど興奮する。
あ、あ、と短く声を上げて震えながら、安達は根元まで性器を収めた。堪えきれなかったのか、勃起したままだった性器の先端から白い液体が飛ぶ。精液はこちらの腹や胸にぼたぼたと零れた。放心したように小さく口を開けて、彼は射精の余韻に浸っていた。それで自分は腰を揺すった。
「ひっ」
「何をしているんだ。まんこでマッサージするんだろう?」
「んぅー……」
白い首筋を、汗が流れていく。その雫を手の甲でぞんざいに拭うと、安達は緩やかに腰を動かし始めた。感じるところが擦れて辛いのか、身体が何度も小さく跳ねる。敢えて自分は手を出さなかった。じっと横たわったまま、閉じていた彼の肉が徐々に溶けて開いていくのを性器だけで味わう。
「あ、うう、ぁ……、しゅ……ご、さん、ぅあ、ああっ……ん、きもち、い、……?」
甘えるように訊ねられて、自分は返事の代わりに射精した。久しぶりだったせいか、射精はかなり長く続いた。
彼の蕾は、ひくひくと震えながら大量の精液を受け止めた。その快楽に蕩けた顔は途方もなく淫らだったが、しかし相変わらず見惚れるほど綺麗だった。
朝昼兼用の食事と洗い物を済ませると、安達はソファに座り込んだ。眉の間には浅く皺が刻まれている。
「揉まれて楽になるどころか、反対に腰が痛くなりました。…………それに、お腹も」
怒っている様子だったが、責め方には迷いがあった。確かに煽ったのはこちらだが、セックスに持ち込んだのは彼の方だ。
「そうか。可哀想なことをしたな。どの辺りが痛いんだ?」
言いながら腹を撫でてやる。すると手首を掴んで引き剥がされた。こちらを見据える眼差しはぞくりとするほど冷たい。叱られるのも悪くはなかったが、あいにくこのあと彼は外出してしまう。特殊な遊戯を楽しむ時間はない。それで機嫌を取ることに決めた。
「夜には帰ってくるんだろう。可澄の好きなものを作って待っているから、何が食べたいか言ってごらん」
「…………その件なんですが、もしよかったら一緒に作りたいんですけど、どうでしょう」
「作りたいって、夕飯を?」
問い返すと、安達は肯いた。そして少し考えてから、いつもお世話になってばかりで悪いので、俺も少しは料理を覚えたいんです、と付け加えた。自分にとって彼への餌付けは、趣味と実益を兼ねた重要な行事であって、下心があるという意味において反省すべきはこちらであり、彼が気にする必要など微塵もなかったが、もちろん一緒に料理をすることに関して異存はなかった。上手くいけば、いつか彼の手料理を食べることができるかもしれないのだ。
「何がいい」
「……できれば魚がいいです」
自分は彼が手伝いやすい魚料理を考えた。
「鮭のムニエルなんてどうだ」
安達は間髪入れずに首を縦に振った。好物だったらしい。
「……それじゃあ、素早く片づけてきます」
鮭のムニエルのために『素早く片づけ』られてしまう彼の先輩のことを、哀れに思わなくもなかったが、安達の機嫌が直ったので気にしないことにした。一度自室に戻り着替えてから出かけるという彼を、玄関まで見送る。
「……何を買って帰ればいいですか」
「俺も出るつもりだから、買い物は気にしなくていい」
わかりましたと肯いて、安達は出て行った。それから三十分ほど時間をおいて、自分も着替えて部屋を出る。
三月上旬、春に分類される時期だが、外気は思ったよりも冷えていた。人通りが疎らな道を、駅に向かって歩く。
安達の行先は、昨夜聞いて把握していた。若者が集まる賑やかな街だ。とりあえず、その駅の傍の書店で時間を潰せばよいだろう。
自分は嫉妬深い性質ではない。常々、彼はほかの人間とも親しくすべきだと考えていた。だが、相手の体調が優れないとなると話は変わってくる。万が一に備えて、すぐ迎えに行けるよう近くにいるというのは、決して悪いことではないはずだ。尾行するわけではないのだから、倫理的にいっても問題はない。
電車を乗り継いで、目的の駅に降りた。駅前の書店は、いまひとつ琴線に触れなかった。少し離れた本屋に足を伸ばして文庫本コーナーを眺めてから、安達にメールを送る。近くにいるから何かあったら連絡をくれ、というものだ。一時間は反応がないだろうと考えていたのだが、返事は数分で来た。
『解散しました。買い物を済ませたら、駅に向かいます』
改札の前で待っているよう返信して、携帯電話をポケットに突っ込む。何も書いていなかったが、どうも体調が悪いようだった。本当に可哀想なことをしたと反省しながら、店の外に出る。
駅に着くと、安達の姿を探した。硝子細工の顔立ちをした男は、雑踏の中でもすぐに見つかった。改札近くのベンチに座り、膝には白い紙袋を抱えている。近づくと、ぼんやりとしていた瞳がこちらを見た。近寄りがたいほど冷たい顔に、表情が生まれる。何度見ても心臓を掴まれたような気分になる、眩しい微笑だ。
「ごめんな。気分はどうだ」
ひっきりなしに響く電車の音や、発車時刻を知らせるアナウンスのせいで、自分の声さえひどく聞こえにくかった。座ったままの相手に顔を寄せて訊ねると、安達は何度か瞬きして、大丈夫です、と笑顔で答えた。声の調子はしっかりしていた。自分もほっとして笑みを作った。彼の膝から紙袋を取り上げ、上体を戻す。
「行こうか」
安達は肯いて立ち上がった。少し歩きづらそうにしている彼に歩幅を合わせ、二人で改札を抜ける。
ホームへ向かうエスカレーターに乗る前に、自分はそっと振り返った。誰かに見られているような気がしていた。だが、こちらに注意を向けている人間を確認することはできなかった。
後日、橋本から、安達の同僚と友人になったという話を聞いた。どうしてそんなことになったのかよくわからなかったが、友人が増えるというのはよいことだと思ったので、安達にもそう言った。すると安達は何ともいえない顔をして、やっぱり樋川さんにも善良で素朴なところがありますね、と、これまたよくわからないことを言った。
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