ヴァルネラブル

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第二十一章 かごめ、かごめ

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 声が。
 ――というわけでグラフCのとおり、男性の性欲は十代半ばから後半でピークを迎えます。ちなみにこのグラフだと、何歳頃がピークになっていますかね? 見りゃあ分かるだろと思うでしょうが答えていただきましょうか、では堀君。……そう、十六から十七歳だ。うん? ひょっとしてこの年齢って……ということではい、引き続き堀君、君は今いくつ? ……十七歳。じゃあその隣、笠原君。……十六歳。伊東君、君は? ……十七歳。おいおい、ちょっと待てよ。もしかしてここには十六歳と十七歳しかいないとか? はい、そうなんですねえ。君たち高二男子諸君は、留年した不運な奴を除き、今まさに性欲のピークに生きているわけ。部屋の箱ティッシュかコンドームか、童貞かヤリチンかで違うとはいえ、どっちかの使用量が増えているのは確実なんだけど、自覚していたかな君たちは?……
 声が。
 何処からか声が聞こえる。
 大きくなったり小さくなったり。
 遠のいたり近づいたり。
 まるで寄せては返す波のよう。
 ――さて、硬い話に戻るとだ。君たちが今ど真ん中にいるこの性欲爆発期というのは、何かに重なっていると思いませんかね。そう、受験期です。高二の秋、君たちも大学受験のことで焦っているんじゃなかろうか。しかし意を決して受験勉強をしようとしてもまあ、なかなか進まないですよねえ。じゃあなんで勉強が進まないのか、受験勉強の敵とはいったい何か。部活? ゲーム? 漫画? SNS? それとも友達や彼女との付き合い? いいや、端的にいうと性欲です。性欲なんですよ、性欲。セックスしたいという欲望が君らの集中力を奪っているんです解りますかはいグラフD!……
 頭部を構成する全てがひどく重くて鈍い。
 まるで脳をそっくり抉り取られて代わりに鉛を詰め込まれたかのよう。
 そうやって晒された無抵抗な耳にどろどろと、だらだらと。
 声が。
 声が、流し込まれていく。
 ――続いてこれだ。全国一万人の男子高生に訊きました、セックスは恋人とだけしたいですか、それともヤれるなら誰でもいいですか、お答えくださいアンケート。この結果をまとめたグラフEを見れば一目瞭然、圧倒的多数の男はとりあえず穴があって突っ込めればいいと考えている。君たちだって結局のところそうでしょう。いえいえ別に責めてるわけじゃあないんですよ、だって男というのはそういう生き物なんです、そういうふうにできているんです。種の保存という本能がそうさせているだけなんだから別におかしなことじゃない。下半身に倫理観やら貞操観念やらお花畑やらが持ち込めないのはむしろ当然なんです。……
 不快だ。
 反吐が出る。
 いったい誰がこんな馬鹿げた話をしているのだろう。
 ――君たちくらいの年齢の男が自分で自分の性欲をコントロールできないのは仕方のないことだし、というか我々男は神の采配でそもそも性欲がコントロールできないように設計されているんですよ。
 不快だ。こんな馬鹿げた話は聞きたくない。今すぐこの声が聞こえない場所へ行ってしまいたい。だが手も、足も、瞼さえも、動かない。
 全身が固まり始めたコンクリートの浴槽に浸かっているようで、あたりが暗いのか明るいのかさえも判らない。
 ――そしてなんと、男子高生の性欲を童貞か非童貞かで比較したグラフもあるんですねえグラフF! なんと、なんとだ、童貞は非童貞に比べ、性欲を感じる頻度は一・五倍、セックスに関して妄想する時間はなんと四倍という恐ろしい結果が出ています。つまり童貞の方がむらむらしているし受験勉強の最大の敵である性欲に支配されている時間が長いんですねえ。さあここで残酷な質問をしてみましょうか! この中で、実はまだ童貞だって人はどのくらいいますか! はい手を挙げる!
 いったい、ここは、何処なのか。
 考えようとしても、思考が不快感に絡め取られて上手く働かない。
 ――オマエドウテイダローテェアゲロヨー、エッナナナナニイッテンダヨチゲーヨバーカ、センセーコイツドウテイナノニテヲアゲマセーン、ヤメロッテクソ……
 笑いさざめく無数の声。
 ――あははぁ、誰も手を挙げないですねえ。武士の情けで見逃してあげるとしましょう。それに大丈夫、童貞諸君は今日で念願の脱童貞を果たせるんですから。……
 何が起きているのか。
 ――はいではここで、周りに童貞だと完全にバレている同情すべき男子にも、百戦錬磨ぶっているけど実はチェリーなんだという切ない男子にも、それからとにかく僕は受験勉強に集中したいんだという真面目系男子にも、そしてセックスなんて日常茶飯事な小野田君みたいなハメまくり食いまくり男子にも朗報です。
 小野田。
 小野田……二年の、小野田?
 何故ここで、その名前が?
 ――本日の素敵なゲストをご紹介します。男の癖に我々の煩悩を刺激してやまない、二年A・B・C組現代文担当の――
 笑いさざめく声。
 この空気。
 ここは、ここにいる人間たちは、今喋っている人間は、もしかして、まさか。
「――由比誓先生です! はい、拍手ぅーっ!」
 ばさっ、という音がした。
 同時に、瞼の内側が白くなる。
 歓声が耳を塞ぐ。
 突如襲ってきた眼球の痛みに耐えつつ、鉄塊の重さの睫を押し上げた由比の視界を占めたのは、制服姿の男子生徒たちだった。
 いったいこれは、どういうことだ。
 激しい混乱の中、彼は懸命に情報を集める。
 生徒たちの間から見えるのは白い壁。イエローオーカーの床。そこに引かれた色とりどりの線。バスケットゴール。
「おやおや、どうやらお目覚めのようですねえ」
 体育館だ。
 信じられなかった。
 時計は見えないが、そう遅い時間ではないはず。こんなに大量に生徒が残っていて、おまけに体育館を使って騒いでいる。日付が変わる寸前まで職員室で仕事をする教師も大勢いるのに、どうしてこんなことが可能なのだろう。
「おはようございまぁす」
 突然目の前に、巨大な顔が広がった。
「どうしたんですか、ひょっとして同僚の顔も覚えてないんですか。僕ですよ、化学の朝倉です」
 そう言って男はにたにた笑う。その顔には眼鏡が光っている。着ているのは白衣だろうか。白衣?
「……ぁ」
 思い出した。職員室で、球技大会の日の階段で、たびたび擦れ違ってきた男だ。いつも聞き取れないほど小さな声で何事かをぶつぶつと喋っていた、あの男。
「さて諸君、ここにいる由比先生は、こんな綺麗で清潔な顔をして、実はとんでもない淫売なんです。男と見れば誰とだって寝る淫乱です。いわゆるセックス依存症ってやつで、おまけにドМときています」
 そのフレーズは知っている。
 あの手紙そのままの。
「今彼に入れあげているのは、大学院の後輩と、学部時代の先輩と、それからまさかの自分の姉の亭主。義兄まで食うなんて、本当に筋金入りですねえ」
 呻き声が出そうになる。それを堪えて、自分の身体の状態を把握しようとする。何か床よりも高いものの上に、俯せに寝かされているようだ。恐らくキャスター付きのテーブルか何かだろう。首を捻じって顔だけ横を向いている。両腕がどうなっているのかは感覚が鈍っているため上手く認識できないが、縛られている可能性が高い。
「話を戻すと、受験勉強に集中するためには、健康にして健全な若い性欲を適切に処理する必要があります。もう一度言いますよ、全て受験勉強のためです。これは志望校合格のためなんです。我々教員は、夢に向かって努力する君たちをいつも全力で応援しています」
 喝采。
「――というわけで、察しのいい君たちなら、もうおわかりですね?」
 由比は心の中で笑った。
 ああ、またか。
 田宮が言っていたのはこのことなのだろうか。また添嶋が関与しているのだろうか。あるいはこれは単にいつものことなのだろうか。判らない。判らないがいずれにせよ、たかがレイプだ。心は割り切れる。
 けれど今回は人数が多い。もしかしたら、身体は無事では済まないかもしれない。
 だがそれでも、自分は今度もきっと乗り切れる。乗り切らねばならない。
 それが、由比誓という人生を与えられたときに科されたものならば。
 絶対に意識は失わない。そう彼は決意する。必ず全て記憶する。相手も、行為も、全てだ。

 ――全員、破滅させてやる。



 小野田は時計を見た。午後十時だ。さっきから時間ばかり確認してしまう。
 朝倉は上手くやった。やはり教師が先導したというのも大きいだろう。高校生といっても所詮子供なのだ。自分が声をかけたときには逃げ出した連中も、安心してこの祭りに参加している。けれど。
「なあ、こいつほんとに淫乱なのかよ」
「全然勃ってねーじゃん」
 もう二時間もたつ。
 何故、朝倉は戻ってこないのだろう。
「びびってるせいだろ」
 気のない返事をして、再び文字盤に目をやる。十時十四分。
 ――必要なものを取ってきます。君は彼らを見張っていてください。
 そう小野田に耳打ちして、朝倉は狂騒が始まる前に体育館を出て行った。
「でも確かに、すげえ中トロトロだな。やばい」
「いいからさっさとイけよ。後がつかえてんだよ」
「チカちゃーん、お口がお休みしてるよー。喉までちんこ突っ込まれたくなかったら、きちんとちゅうちゅうしようね?」
 AVそのままの光景だった。下半身を露出した男たちが、ワイシャツを引っかけただけの薄い身体に群がっている。犬のように這わされて後ろから犯され、口にも性器を押し込まれ、周囲を取り巻く何本もの性器から放出される粘ついた液体を浴びて微かに痙攣する男の姿は、痛々しくも凄絶な色気を放っている。最初に相手の舌を噛んだため殴られた頬が、僅かに腫れて赤くなっているさまさえ、嗜虐的な欲望をそそらずにはいられない。
 ネクタイに手をかけられたとき、やめなさい、と由比は言った。私は合意していない、これは犯罪です、と。しかし誰もそんな言葉には耳を貸さなかった。由比自身、何を言ってもどうにもならないことは解っていただろう。それでも服を剥ぎ取られながら、彼は上手く動かない身体で懸命に抵抗していた。お陰で白い肌には、いくつも痣や擦り傷がつけられてしまった。
 プライドの高い男が、この状況であれほど無駄な足掻きを見せた理由が、小野田にはよく解らなかった。
 眺めていると、現在挿入していた生徒が射精したらしく、由比の中から性器をずるりと抜く。すると待ち構えていた次の生徒が、精液の滴る小さな穴に膨張したものをあてがった。一息に挿入されて、由比の背中が苦しげに反る。精液で汚された肩甲骨が震えている。あまり中出しするなと忠告した方がよいだろうか。そう考えたところで、由比の身体の心配をしている己に気づき、小野田は狼狽えた。真っ先に由比をレイプする権利があったのは、自分だったはずだ。それなのに、彼には指一本触れないまま、その身体がいたぶられているのをただ遠巻きに見ている。
「ほーら、中に出すからねー、全部ごっくんしようね、チカちゃん」
「はぁっ、……ははっ堪んねーな……っ、よし、こっちもそろそろ出すぞ」
「じゃあどっちか一滴でも零したらお仕置きな」
「……っく……ふ……チカちゃんの上の口の中、最高」
「……あー……すげーきもちい。このケツまんやべえわ……」
 同時に性器を引き抜かれ、由比は激しく咳き込んだ。精液が気管に入ったのかもしれない。長時間犯され続けてぱっくりと開いた穴から、誰のものとも知れない液体がとろりと溢れた。生徒たちはどっと沸いた。
 口淫させていた生徒が、由比の髪を掴んで顔を上げさせると、その頬を殴る。
「全部飲めって聞こえなかった?」
 そうしている間にも、次の生徒が無理矢理彼の腰を掴み、後ろを犯している。
「なあ、チカちゃんのお仕置きどうするよ」
「その萎え萎えのちんこ切っちゃおうか。どうせメスなんだしいらないだろ」
「面白そうだな」
「なあ、誰か鋏持ってるか」
 もう駄目だ。
「――おい」
 輪の中に入った小野田を、生徒たちは胡乱な目で見つめた。
「んだよ?」
「流血沙汰はやめろ。掃除が厄介だ。あと顔殴るのもよせ。腫れて不細工になったらヤる気失せるだろ」
「……とか言って自分はヤってねえじゃん。びびってんのお前の方だろ」
「あ? 何か言ったか? 聞こえねえよ」
 ぼそりと不平を漏らすその声に向かって低く吐き捨てると、相手は慌てて顔を背ける。場を満たしていた、狂気じみた空気が一気に稀釈されていく。指導者を失った以上、ここにいる人間は誰も小野田には逆らえない。
「なあ……そういえば朝倉はどうしたんだよ、小野田」
 猿どもも漸くあの男の不在に気づいたらしい。性欲でぎらついていた目の色に、徐々に不安が混じり始める。
「あのさ、終わったらどうすんだ、こいつ。放置でいいわけ?」
「朝倉が全部片づけてくれるんだよな? 俺は知らねえから」
「ほっときゃいいんじゃね? 奴が適当に何とかするだろ」
「でもさ、あいつが戻ってこなかったら……」
「馬鹿なこと言うなよ。朝倉が主犯だろ。俺らは奴に言われて――」
「……だけどあいつ、由比をヤっていいとは、一言も言ってなかったよな……?」
 その場にいた六十人ほどの生徒が、一斉に沈黙した。
 六十人……?
 六十人だと?
 六十人の男子高生が、学校の体育館で、同性の教科担任を輪姦した?
 どうして今まで気づかなかったんだ?
 小野田は戦慄する。そして恐らくは、生徒全員が。
 これは、正気の沙汰ではない。
 ほぼ同時に、口と背後をそれぞれ犯していた生徒が、自らの性器を由比の身体から抜き取った。周りで自慰していた生徒も、慌てて自らの衣服を直す。
 誰も何も言わない。ただ血走った目でおどおどと他人の顔を盗み見る。
 あまりにも静寂が深すぎて、一人の小さな呟きが異様に大きく響いた。
「……こいつ、学校とか、警察とかに、言うかな」
 小野田には解る。由比は言う。学校にも、警察にも。そして自分たちを全員破滅させる。
 由比がそういう人間だと知っていたから、最初は単に誰かにレイプさせる気だった。それがいつの間にか、おかしくなっていった。朝倉に介入されたせいだろうか。朝倉は……、おかしい。
「…………言うかもな」
 誰かがぼそりと答える。否定しなければならない、と小野田は思う。言わねえだろ、言えるわけねえだろ、そう言わなければ事態が更に悪化することくらい、彼にはよく解っている。解っているのに、声が出ない。
「……俺さ、男のケツ掘ったくらいで推薦貰えなくなんの嫌なんだよね……」
「俺だってこんなのバレたら……」
 俺だって。俺だって。生徒たちは口々に呟く。俺だって。
 誰もが保身について考えている。悪い傾向だ。
「…………由比って院生なんだろ」
 ずっと黙って床を見つめていた生徒が掠れた声で言う。
「……院生ってさ、将来悲観する奴多いから自殺率高いって聞いたんだけど」
 グラスの水に赤いインクを落としたように、静寂が広がる。誰もが続く言葉を待っている。
 無言の促しに、やがてその生徒は再び口を開く。
「……だったらさ、院生一人失踪したくらいじゃ、誰も驚かないよな」
 背筋が凍った。
 言わなければならない。馬鹿なことを考えるな。それじゃあレイプより取り返しがつかないだろう。くだらない漫画の読みすぎだ。
「……女呼ぶわ。あいつ車持っててさ、俺が呼べばいつでも来るんだ。……東京湾って、こっからどうやって行けばいいんだろ」
「ナビついてりゃ何とかなるんじゃねえの」
「血とか出たら、面倒よな。……やっぱ、首、か?」
 冷静になれ。そんなふうに始末をつけようとしたって、上手くいくはずがない。俺たちはただの無知で無力な高校生なんだ。
「……いいよな、小野田?」
 問われて、しかし小野田は沈黙する。言うべき言葉は頭の中に浮かぶのに、それがどうしても口から出て行かない。蓄積され続ける放てない言葉に押し潰された脳が歪んで、思考も奇妙に捩れていく。
 何故俺はこいつらを止められないのだろう。
 殺すなと、朝倉に任せておけば大丈夫だと、そう言えばいい。
 きっと彼らも心の奥ではそれを望んでいるはずだ。
 それなのに何故、こんな簡単な言葉が言えないのか。
 もしかしたら、俺は、由比のことを、本気で。
 本気で、――。
 突然、がた、と音がした。
 それは微かな音だった。しかし静寂に支配された男たちの耳には、まるで轟音のように聞こえた。
 物音は、体育館の巨大な扉の向こうから聞こえた。
 全員が、扉に目をやった。
 朝倉だろうか。
 そう思って小野田が口を動かしかけた瞬間、扉が凄まじい勢いで開いた。
 そこには、大量の警官がいた。



 喚き声。泣き声。怒鳴り声。フラッシュ。
 ――全部、朝倉先生が仕組んだことです!
 ――朝倉先生に言われてやっただけなんです、ぼ、僕は悪くない!
 ――朝倉先生が、由比先生は男好きの淫乱だからって……
 ――朝倉は何処だよ!朝倉は!
 ――ど、どういうことなんですか、うちの生徒がいったい何を……こらっ撮るな! 未成年だぞ! くそっなんでマスコミまでいるんだ! ……あ、あの、すみません、私はここの校長です。何があったのか教えてください。先程、匿名の電話で呼び出されて来てみたら……
 たくさんの声が。
 声が。
 ――もしもし、聞こえますか。
 何処かから声が聞こえる。
 ――聞こえたら返事をしてください。もしもし。
 返事をして、何になるだろう。
 返事をすれば、ここから出してくれるのか。
 返事をしてみせれば、もう帰してくれるのか。
「………………はい」
 帰りたい。
 言葉なんて通じなくていい。
 心なんて通わなくていい。
 ――ご自分のお名前、言えますか。
 何処かに、帰りたい。
「……ゆい、……ちかう……」
 今までずっと。
 由比誓として生まれてからずっと。
 ずっと。ずっと。
「……メール……を…………」
 ――ユイさん? 聞こえますか、ユイさん……
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