あの時くれた名前~諏訪あやかし記: 神の柱と狐の器

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第3章 シスター・セシリアの語り~葛城少佐・セシリアの妹の回想

東京・大尉時代~葛城少佐視点2

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紫音(村瀬詩織)




 唐突に響いた鋭い銃声。俺の意識はまだある。ということは紫音の用心棒から放たれたものではなかった。銃を持った用心棒は、額から血を流しながら仰向けに倒れている。

 銃の音が続く。これは。訓練された部隊の連携を示す、手慣れた連続射撃の音。

「貴様ら、動くな! ここは軍の特別封鎖区域だ!」

 外から怒号。続いて、土間側の扉が破られ、見慣れた陸軍の制服が雪崩れ込んできた。

 その先頭にいたのは――あの時とは違い丸眼鏡をかけていて、まだ子供であった十一の時の面影とは大きく変わっているものの、見間違えることもない人物。

「永田?」

 呟くと、永田はこちらを一瞥する。あの聡明さと平静さを体現したような目。

「やはり、しくじったか。相も変わらず未熟だな、君は」

 そう言うと奴は振り返って歩き出した。

「この建物の周囲はすでに包囲してある。目標の逃げ場はない。私が君の不手際を埋めてやったんだ。あとは君自身で始末をつけろ」

 そうだ。永田達は紫音に手を出せない。彼らは憲兵ではないから紫音への逮捕権もないし、憲兵大佐から受けた「口頭」の紫音殺害命令も受け取ってない。であれば――俺一人が行くしかない。

 紫音の用心棒たちは次々に制圧されていく。混乱の中、俺は再び足をふらつかせながら紫音を追った。

 

*

 

「まさか、こんな手を使うとはね。私は剣と美貌だけじゃなくて頭も切れるのよ。その私を出し抜くなんて、あなたの策じゃない。きっと、大同義塾時代のあなたのお友達、陸軍きっての逸材、永田鉄山ね」

 紫音は、短刀を手にまっすぐ俺に向かって歩みを進める。あれだ。かつて紫音が語った、信じられない出来事。あの諏訪を統治していた元高島藩主、諏訪忠誠公から受け継いだという短刀。あのあやかし退治の短刀を、俺に対して使っているのだ。

 俺は軍刀を抜いた。圧倒的に剣で勝る紫音を相手にして、こちらが丸腰で相手をするなど死を意味するからだ。しかし――仮に斬りつけたとしても、逮捕という俺の目的は達成できない。俺は刃を逆さにし、峰で迎撃した。

 紫音の素早く、しなやかな斬撃に対して俺は何往復かの攻撃をやりあった。少しでも気を緩めれば、少しでも剣の軌道を間違えれば、即座に俺がやられる。そんな中の紫音の一撃。ぎりぎり俺は反応できたが、その動きを紫音は読んでいた。払う俺の刀をギリギリで避けると俺の胸の中に入る。そのまま胸を一突きで致命傷にできそうな俺にとって大きな隙だ。だが俺はそれでも刀をあきらめず、大きく右へ流されていた刃を、無理やり胸の前へ引き戻し、その突きを切り払う。胸はかろうじて守れた。だが、紫音はそれを見てふっと笑う。

 払われた俺の刀の軌道に自ら身を預けるように体をひねって畳をすべるように一歩踏み込む。その回転の途中で、俺の右腕の外側――肘のあたりへと刃先を滑り込ませたのだ。

「ああ!!」

 先ほど討たれた太ももへの銃撃と同じく、辛い痛み。今わかった。胸への動きは最初から防御されることを見越した囮だったんだ。真の狙いは刀を持てなくするための、右腕への斬撃。

「舐められたものね、峰打ちなんて使うなんて。対等な条件の試合ですら一度たりとも勝ったことないのに、わざわざ実力を下げることするなんてね」

 俺は銃を抜いた。逮捕術で紫音を捕らえるとすれば、他の仲間がいるときにのみ。刀が握れず、丸腰の俺が生け捕りにして手錠をかけるなど、不可能。でも俺は――

「撃てばいいじゃない、直輝。陸軍上層部様のお望みどおりに。私の口封じにもなるしあなたの評価も上がる。最高の終わり方じゃない?」

 照準を合わせてはいるものの引き金を引くことができない俺をあざ笑うかのように、紫音は素早い踏み込みを入れる。再び、胸への一突き。さっきは短刀を払える軍刀があったが、今はない。もしこの一撃を防げるとすれば――

 刃先が俺の軍服に今にも触れようとしていたその刹那。

 銃声。

 他の誰でもない、俺が引き金を引いたはず。それはわかっているのだが、実感はわかなかった。

 紫音の体が止まった。目は大きく見開かれ、唇はかすかにふるえていた。鮮やかな紅が刺されたその唇からは、黒さを含んだ血が流れ、やがては彼女の振袖へと落ち、よく似た色のその服へと一体化する。腕からは力が抜け、もはや短刀を握るのもやっとという様子だった。

 俺は倒れそうになる紫音を肩で支えると、紫音は息も絶え絶えつぶやいた。

「やっと――やっと勝ったじゃない」

 「詩織」は笑った。それは、かつて道場で剣をふるっていた、白狐稲荷神社でふざけて遊んでいた、あの時の笑いと同じだった。

 俺は、その場から動けなかった。血の匂い。焼けた火薬の匂い。彼女の香の匂い。すべてが混じり合い、視界が揺れる。

「これを――受け取って」

 詩織は柄が血で滲む短刀を俺の手のひらに置くと、そのまま俺の両腕に体重を預ける。

「諏訪公が、私に託したもの。でも、もう私じゃ――無理みたい。だから、あなたに――」

 詩織は大きく咳をして血を吐いた。俺はただその詩織の背中に回り、後ろから抱きしめた。

「ようやく――ここで、終われるのね」

 最期に詩織はそう言った。



 

*

 

 詩織が息を引き取ってから、俺は短刀を握りながらその場に立ち尽くしていた。冷え切った畳の感触と、ひじと太ももの痛み、それだけが現実として感じられる。

 やがてゆっくりとこちらに進んでくる足音を感じる。振り向かずとも分かった。永田鉄山。大同義塾で共に過ごし、共に学んだあの男。

 こいつの名は陸軍でも知らない者はなかった。陸軍きっての頭脳だと。大同義塾のあの時、俺が感じていたこいつの姿は本物だった。今や陸軍になくてはならない存在だ。階級もまだ俺よりも下の中尉だったが――実際は憲兵に命令を出す側、軍務局における派閥、統制派のエースとして活躍しており、俺はこいつらの言うことに沿って動く側だった。

 俺は拳を握りしめたまま、詩織の亡骸から目を逸らさなかった。

「――憲兵でないお前たちに逮捕権も――口頭での殺害命令もないのはわかる。だが、人の命がかかってるんだぞ?多少の規則違反くらいして詩織を逮捕するのを助けてくれてもよかったんじゃないのか?」

 永田は表情を変えずに俺を見据える。

「君も気づいていたと思うが、この連中の動きは、徴兵三年程度の兵隊崩れとは言い難い。編成単位で戦場をくぐった現役歩兵、しかも選りすぐりだ。おそらく皇道派の奴らだろうが――ともかく、現在主流派である我々とは別の勢力が、独自に特殊任務部隊を抱え、その一部をここに寝かせていた、そう考えるのが妥当だろう」

「だったらなおさら詩織を逮捕して詳しく供述させた方が全貌解明になるだろうが!仮に詩織が死んでも、あの羽織のやつらが何かしゃべることになるだろうしな」

「残念ながらそれもない。実はここの男衆に関しては『文書による』殺害命令が出ていたから、すべて我々が射殺した。彼らが軍属であることは事前調査による状況証拠から明らかだったし、死体から身元がはっきり分かれば、これはまっとうな内乱。我々の行動は正当な行為となる。だが、詩織さんだけは軍属ではなく、我々が手を下すわけにはいかない。だから君がやる必要があったのだ」

 俺は唖然とした。戦争でもないのにあれだけの人数をすべて殺した、などということがあり得るのかと。確かに永田は大同義塾の時から容赦のない奴ではあったが、ここまで軍人に徹することができているとは。

 そうなれば、ここで残るは詩織。詩織を仮に殺害せずに逮捕し、取り調べで口を割れば、どの派閥の誰が、どの部隊を私兵のように使い、どの程度まで陸軍が腐っているか、名前つきで残ることになる。おそらくそれが、俺たちが詩織殺害命令を受けた真実、つまりは陸軍上層部が隠したい情報、ということだった。

 永田の視線が、床に横たわる詩織に一瞬だけ落ちた。

「私とて上層部の手先となって彼らの尻拭いをするのは気に入らん。だがその記録は、陸軍内部の派閥争いにとっても、議会や新聞にとってもいいネタだ。軍人の一派が遊郭や反社会勢力と組んでいたなど暴かれた暁には、もはや社会の争乱は免れん。民の秩序を守るために軍人になった私としては、どうしてもそんな事態は看過できんのだ」

「それで口頭による殺害命令が出ている俺なら詩織を殺しても上層部から何も言われない――けっ、さすが天才、永田鉄山、すべてがうまくいくってわけか」

 吐き捨てるように言った俺に対し永田は目を細めると、懐から一枚の紙を取り出した。

「君の予備役編入(*4)処分案だ。今朝、軍務局に提出された。だがこれはもう、無効になる」

「――何の話だ」

 永田は丸眼鏡の奥に見える眼光を鋭くして語る。

 俺は陸士の試験成績は合格最低点で合格。そして陸士卒業の席次も最低だった。俺は何も思っていなかったし、むしろ「ギリギリで乗り越えてきている俺は要領がいい」なんて周囲に自慢しながら生きてきたくらいだった。

 だがこのことは知らなかった。憲兵の勤務成績すら最低すべての憲兵将校の中で最低だったのだと。大尉になったというのに被疑者逮捕が誰もいないというのだ。確かに、俺は無意味な国家権力を使うのを避けた。できるだけ相手の言うことを聞き、法律から絶対に逸脱しない範囲で業務を行う。そうなると、不用意な逮捕などできるはずがない。だが、上層部からすると、それが気に入らなかったようだ。

「もし私が君と全く関係のない人間なら、今の上層部と同じ判断をしただろう。この無能な大尉の首を切るとね。だが、もうこの書類は使われない。この一件のすべては君の奮闘として報告される。『花魁・紫音による国家機密の漏洩事件。それを解決したのは、紫音と同じ道場で稽古をともにし、旧知の関係を乗り越えて射殺した憲兵大尉・葛城直輝。自らの感情よりも国家への忠誠を優先した勇士』。その筋書きで、君の予備役編入は取消となるのだ」

 俺は拳を震わせながら、永田を睨んだ。

「そんなこと――望んだつもりなんて、一度もない。んなもん予備役編入の方がはるかにマシだ! 詩織の命に比べれば、軍人としての地位なんざ、どうだっていいんだ!いや、どうせそれだってうまく問題を解決するための方便だろ?『旧知の仲を乗り越えて国家に尽くした憲兵』をマスコミに流せば、この一件もきれいに流れる、そんな筋書きの一つだろうが!」

「確かにそれもある」

 永田は態度を崩さない。直立不動で俺を見つめる。かつて俺が見下ろしていた目線は変わり、こいつは俺とほぼ同じ体格となった。いや、どこか俺よりも大きく見えるその体からの視線は、むしろ上から来ているもののように感じられた。

「なら一つ聞く。軍人が武力を行使せずに仕事ができるのか?」

 にらみつけるわけでもなく、微笑みもせず、ただ一言だけ放つ永田に、俺はただそれを眺めることしかできなかった。

「我々は暴力を引き受ける役目だ。ときには人殺しもする。そうしなければ守れないものがあるから、軍という仕組みは存在しているのだ。誰も撃たずにすべてを守る――そんな都合のいい正義は、この世にはない。君も、そのくらいは理解していると思っていたがな」

 俺は永田に何も言い返すことができず、そのまま永田が踵を返して去っていくのを眺めているしかできなかった。


*4: 将校(少尉以上の階級)を現役から外して非常時の招集にのみ軍務に就く身分へ移すこと。早い話がクビ。



永田鉄山
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