言葉がチートスキルになった世界で、僕だけが黙示録を書き換える破神構文。創造者と被造者の黙示録

みにぶた🐽

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反乱する物語

第1章  残響する記憶

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現代世界に戻って一ヶ月が経った。

 僕の名前は田中アキラ。三十二歳の売れない小説家で、今は六畳一間のアパートでコンビニ弁当を啜りながら、パソコンの画面を眺めている。

 画面には『破神戦記』のファイルが表示されているが、もうそれを開くことはできない。ファイルが破損しているわけではない。開けば確実に中身を確認できるだろう。しかし、僕にはそれができなかった。

 なぜなら、そこに書かれているはずの物語は、もう僕の手の届かない場所にあるからだ。

 あの美しい世界。二つの月が輝く夜空。構文魔法が舞い踊る街並み。そして何より、愛する人たちの笑顔。

 エリシア。カイル。グランベル先生。

 彼らは今、僕なしで生きている。

 僕は椅子から立ち上がり、窓の外を見た。東京の雑踏が見える。車の排気ガス、コンクリートの建物、急ぎ足で歩く人々。魔法なんて欠片もない、現実的で殺伐とした世界。

 しかし、この世界が僕の居場所だった。少なくとも、一ヶ月前まではそうだった。

 携帯電話が鳴った。編集者の山田さんからの着信だった。

「田中さん、新作の進捗はいかがですか?」

 受話器の向こうから、いつものように忙しそうな山田さんの声が聞こえる。

「申し訳ありません。まだ……」

「もう締切から二週間過ぎてますよ。読者の皆さんも楽しみにしているんです」

 読者。その言葉を聞くたびに、僕の胸は締め付けられる。

 あの世界にも、僕という『読者』の存在を感じ取っている人たちがいたのだろうか。エリシアが手紙で書いていた夢の話。カイルが感じていた違和感。

 彼らは、僕が物語の向こう側から見守っていることに気づいていたのかもしれない。

「田中さん? 聞いてますか?」

「はい、すみません。あと一週間だけ時間をください」

「分かりました。でも、これが最後ですよ」

 電話が切れた。僕は携帯を机に置き、再びパソコンの前に座った。

 新しいファイルを開く。真っ白な画面が僕を見つめている。

 何を書けばいい? エリシアたちとの思い出を小説にするべきか? それとも、全く違う物語を創造するべきか?

 しかし、指が動かない。

 キーボードに触れるたびに、あの世界での記憶が蘇る。僕が何気なく設定したキャラクターたちが、生きた人間として僕の前に現れた時の衝撃。彼らの感情が本物だと知った時の喜び。そして、別れの時の悲しみ。

 ふと、机の上に置かれた杖に目が向いた。

 グランベル先生が最後にくれた杖。あの世界の唯一の証拠品。

 僕はそっと杖に触れた。温かい。木の温もりが手に伝わってくる。これは確実に、あの世界から持ち帰ったものだった。

 つまり、あの体験は夢ではない。

 エリシアの笑顔も、カイルの友情も、グランベル先生の優しさも、全て現実だったのだ。

 そして今も、彼らはあの世界で生きている。

 僕なしで。

 杖を握りしめると、微かに光った。一瞬だけだったが、確実に光を放った。

「まさか……」

 僕は慌てて杖を調べた。表面に小さな文字が刻まれているのに気がついた。あの世界の古代語だった。

 大学時代に設定した文字体系が、今でも頭に残っている。ゆっくりと解読していく。

『願いし者に道を示さん』

 僕の心臓が激しく鼓動した。これは、ただの記念品ではない。何らかの機能を持った魔法の杖なのだ。

 しかし、この現代世界で魔法なんて使えるのだろうか?

 僕は恐る恐る杖を構えた。あの世界で覚えた構文魔法の理論を思い出す。

「『扉よ、閉ざされし道を開け』」

 何も起こらなかった。

 やはり、この世界では魔法は使えないのか。

 しかし、諦めるわけにはいかない。必ず方法があるはずだ。エリシアとの約束を果たすためにも。

 その時、玄関のチャイムが鳴った。

 誰だろう? こんな時間に訪ねてくる人なんて、宅配便くらいしか思い当たらない。

 ドアを開けると、そこには見知らぬ女性が立っていた。

 長い黒髪に深い瞳。二十代後半くらいだろうか。美しい人だったが、どこか憂いを含んだ表情をしている。

「田中アキラさんですね?」

 女性は僕の名前を知っていた。

「はい、そうですが……」

「私の名前は黒田ユミ。あなたと同じような体験をした者です」

 同じような体験?

「もしかして……」

「ええ。私も異世界に行ったことがあります」

 僕は愕然とした。他にも、僕と同じような体験をした人がいるというのか?

「少しお話をさせていただけませんか? とても重要なことです」

 僕は彼女を部屋に招き入れた。狭いアパートで恥ずかしかったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 黒田さんは部屋を見回すと、机の上の杖に目を留めた。

「それは……」

「向こうの世界から持ち帰ったものです」

「やはり。あなたも『リターナー』だったのですね」

「リターナー?」

「異世界から現代に戻ってきた人のことを、私たちはそう呼んでいます」

 私たち? 複数いるということか?

「実は、田中さん以外にも何人かのリターナーがいるのです。そして、私たちは共通の問題を抱えています」

 黒田さんは深刻な表情で続けた。

「私たちが創造した世界が、予期しない変化を起こしているのです」

「変化?」

「ええ。本来なら、創造者が現代世界に戻った時点で、異世界は静的な状態になるはずでした。しかし、実際には独自の発展を続けている」

 僕の頭の中で、様々な可能性が駆け巡った。

「それは……良いことなのではないですか? 住民たちが自立して生きているということでしょう?」

「それが問題なのです」

 黒田さんの表情がより深刻になった。

「私たちの世界が勝手に発展することで、現代世界にも影響が出始めているのです」

「現代世界に?」

「はい。異世界の物語が、現代世界の現実を書き換え始めているのです」

 僕は理解できずにいた。物語が現実を書き換える? そんなことが可能なのだろうか?

「具体的には、どのような影響が?」

「例えば」

 黒田さんは手帳を取り出した。

「昨日、渋谷で重力が一時的に弱くなる現象が起こりました。報道では『珍しい気象現象』として処理されましたが、実際には異世界の物理法則が現代世界に漏れ出したのです」

 僕は震えた。

「それから、インターネット上で『構文魔法』という単語が急激に広まっています。誰が最初に使い始めたかは不明ですが、異世界の情報が何らかの形で流入している可能性があります」

 構文魔法。僕が設定した魔法システムの名前だった。

「どうして、そんなことが起こるのですか?」

「推測ですが」

 黒田さんは立ち上がって窓の外を見た。

「私たちが創造した世界が、創造者の制約を超えて成長した結果、現実世界との境界が曖昧になっているのではないでしょうか」

 僕の頭が混乱した。

 あの美しい世界が、この現実世界を脅かしているというのか? エリシアたちの幸せな生活が、誰かに迷惑をかけているというのか?

「そして、もう一つ重要な問題があります」

 黒田さんが振り返った。

「リターナーの中に、異世界に戻ろうとして行方不明になった人がいるのです」

「行方不明?」

「ええ。無理やり異世界への道を開こうとして、現実世界から消失したのです。生きているのか死んでいるのかも分からない状況です」

 僕は杖を握りしめた。もしかすると、僕も同じことを考えていたかもしれない。

「田中さん」

 黒田さんが僕の目を見つめた。

「私たちリターナーで集まって、この問題を解決しませんか? このままでは、両方の世界が危険にさらされてしまいます」

 僕は迷った。確かに、現代世界に悪影響が出ているなら、何らかの対策が必要だろう。しかし、それがエリシアたちの世界を脅かすことになるのなら……。

「他のリターナーは、どのような意見なのですか?」

「意見は分かれています」

 黒田さんは苦しそうな表情を浮かべた。

「異世界を完全に封印するべきだという人もいれば、逆に積極的に関わるべきだという人もいます」

 封印。その言葉を聞いた瞬間、僕の心の中で何かが決まった。

「僕は、エリシアたちの世界を守りたい」

 僕は黒田さんを見つめて宣言した。

「たとえ現代世界に迷惑をかけることになっても、彼らの幸せを奪うことは許さない」

 黒田さんが微笑んだ。それは初めて見る、優しい笑顔だった。

「やはり、あなたもそう考えますか」

「え?」

「実は、私も同じ意見なのです。私たちが創造した世界と住民たちを守りたい」

 僕は安堵した。同じ考えの人がいて良かった。

「では、他のリターナーにも会ってみませんか? 明日の夜、都内で集会があります」

 僕は頷いた。

「ぜひ、参加させてください」

 黒田さんが帰った後、僕は再び杖を手に取った。

 エリシア、カイル、グランベル先生。みんなが幸せに生きている世界。それを守るためなら、僕は何でもする。

 たとえそれが、現代世界を敵に回すことになったとしても。

 杖が再び微かに光った。今度は、確実に僕の意志に反応したような気がした。

 翌日の夜。僕は渋谷の雑居ビルの一室にいた。

 そこには五人のリターナーが集まっていた。年齢も性別も様々で、唯一の共通点は「異世界を体験した」ということだけだった。

 しかし、その全員が、僕と同じような杖や剣、魔法書などを持参していた。

「皆さん、お集まりいただきありがとうございます」

 黒田さんが司会を務めている。

「今日は新しいメンバーとして、田中アキラさんに参加していただきました」

 僕は軽く頭を下げた。

「田中です。よろしくお願いします」

 他のメンバーも自己紹介をした。

 佐藤健一さん(四十代男性)は戦記物の異世界を創造し、そこで王として君臨していた経験があった。

 山本凛さん(三十代女性)は学園恋愛物の世界で、理想的な学園生活を送っていた。

 鈴木望さん(二十代男性)はSF世界で宇宙探索をしていた。

 桃原美咲さん(二十代女性)はファンタジー世界で魔法使いとして活動していた。

 そして黒田ユミさんは、現代ホラー系の世界を体験していたという。

「さて、本題に入りましょう」

 黒田さんが資料を配った。

「現在確認されている、異世界現象の現代世界への影響をまとめました」

 資料には、信じがたい内容が記されていた。

 重力異常、時間の歪み、原因不明の言語の出現、物理法則の一時的変化……。

 全て、僕たちが創造した異世界の特徴と合致していた。

「このままでは、現代世界の秩序が崩壊する可能性があります」

 佐藤さんが重々しく言った。

「私の世界の戦争魔法が現代に漏れ出したら、大変なことになる」

 山本凛さんも頷いた。

「私の世界の恋愛成就魔法も、現実に影響したら社会問題になりかねません」

 しかし、僕は疑問を感じた。

「でも、これらの現象が本当に僕たちの世界が原因なのでしょうか? 確証はあるのですか?」

 会議室に静寂が流れた。

 鈴木さんが口を開いた。

「実は……私、昨日異世界との交信に成功したんです」

 全員が驚いた。

「交信?」

「ええ。私の世界の住民から、現代世界に向けてメッセージが送られてきました」

 鈴木さんは震える手で紙片を取り出した。

「『創造者よ、我々は貴方を待っている。しかし、もし貴方が戻らないなら、我々が貴方の世界に行く』」

 僕の血が凍った。

 もしエリシアたちも同じことを考えているとしたら……。

「つまり、住民たちが能動的に現代世界への干渉を始めているということですね」

 桃原美咲さんが分析した。

「このままでは、両方の世界が混乱することになります」

 黒田さんが立ち上がった。

「だからこそ、私たちが行動を起こす必要があります。放置すれば、取り返しのつかないことになる」

 佐藤さんが拳を叩いた。

「異世界を封印するしかない。私たちの責任として」

「待ってください」

 僕は立ち上がった。

「封印する前に、住民たちと話し合うべきではないでしょうか? 彼らにも意思があります」

「話し合い?」

 山本凛さんが首を振った。

「彼らは所詮、私たちが作ったキャラクターよ。感情があるように見えても、プログラムのようなものでしょう?」

 その瞬間、僕の中で何かが切れた。

「違います」

 僕の声が会議室に響いた。

「彼らは確実に、独立した人格を持っています。僕たちの操り人形ではありません」

「でも、現実的に考えて……」

「現実的?」

 僕は杖を握りしめた。

「現実的に考えるなら、僕たちこそが彼らの世界にとって異物なのではないでしょうか?」

 会議室の空気が険悪になった。

 その時、突然部屋の電気が消えた。

 そして、暗闇の中に声が響いた。

「創造者たちよ」

 それは、聞き覚えのある声だった。

 エリシアの声だった。

「私たちは、ずっと待っていました」

 部屋の中央に、淡い光が現れた。光の中に、エリシアの姿がぼんやりと浮かび上がる。

「アルカディア君……」

 僕は席から立ち上がった。

「エリシア! 本当にエリシアなのか?」

「はい。投影魔法を使って、こちらの世界に意識を送っています」

 他のリターナーたちが騒然となった。

「なんなの、これ?」

「どうして異世界の住民が現代世界に?」

 エリシアは悲しそうな表情で僕を見つめた。

「アルカディア君、私たちの世界が危険にさらされています」

「危険?」

「はい。何者かが、私たちの世界を破壊しようとしているのです」

 僕の心臓が止まりそうになった。

「誰が?」

「分かりません。でも、とても強力な存在です。私たちだけでは対抗できません」

 エリシアの姿が次第に薄くなっていく。

「お願いします。戻ってきてください。私たち……私は、アルカディア君を必要としています」

 僕は手を伸ばしたが、エリシアの姿は光と共に消えた。

 電気が復旧し、会議室は再び明るくなった。

 しかし、全員が呆然としていた。

「今のは……」

「本物の異世界住民だったのか?」

 僕は決意を固めた。

「僕は戻ります」

 僕は杖を構えた。

「エリシアたちを守るために、異世界に戻ります」

「待て、田中」

 佐藤さんが制止した。

「あれは罠かもしれない。冷静に考えろ」

「罠?」

 僕は佐藤さんを見た。

「エリシアが僕を騙すはずがない」

「君はその娘に感情移入しすぎている」

 黒田さんが心配そうに言った。

「確かに彼女たちは魅力的な存在です。でも、私たちには現代世界を守る責任もあります」

 僕は周りを見回した。

 誰も僕の味方になってくれそうにない。

 しかし、僕には迷いはなかった。

「分かりました」

 僕は杖を持って会議室の出口に向かった。

「僕は一人でも戻ります」

「田中、危険だ」

 鈴木さんが警告した。

「無理やり異世界に行こうとした人間は、行方不明になっている」

「それでも構いません」

 僕は振り返らずに答えた。

「エリシアを守れるなら、僕はどんなリスクでも背負います」

 僕は会議室を出た。

 廊下を歩きながら、グランベル先生の杖をじっと見つめた。

「『願いし者に道を示さん』」

 杖に刻まれた文字が、微かに光っているような気がした。

 僕は決意を新たにした。

 必ず、エリシアたちの世界に戻る。

 そして、彼らを脅かす存在から、あの美しい世界を守り抜く。

 たとえそれが、この現代世界との決別を意味することになったとしても。
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