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第一部:王国デフォルト・因果回収編
逆流する聖域
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王都北端。
白一色の石材で築かれた巨大な大聖堂――通称『聖域』。
そこは信仰の象徴であり、同時に、この国の運命を演算・貯蔵し、国民へと配分する心臓部でもあった。
その最深部、『円卓の間』。
選ばれし三名のみが着座を許されるその場で、教皇、公爵、財務大臣の三人が、言葉もなく中央に浮かぶ水晶を見つめていた。
かつては国の繁栄を映し出すように輝いていた《因果の貯蔵庫(リザーブ)》。
だが今、その表面には蜘蛛の巣状の致命的な亀裂が走り、内部では濁流のような光が制御を失って逆巻いている。
「……説明しろ、財務大臣」
沈黙を破ったのは公爵だった。怒気を抑えた低音が、円卓の冷え切った空気を切り裂く。
「なぜ我が国の根幹である因果リザーブが、ここまで損壊している。貴公が管理を怠ったか?」
「め、滅相もございません! 私は規約通りに運用しておりました!」
財務大臣は喉を鳴らし、脂汗を拭って震える指で羊皮紙を掲げた。
「数時間前……突如として“供給源”の一つが消失しました。いえ、正確には――消えたのではなく、こちらへ逆流を始めたのです。凄まじい圧力をもって」
「逆流、だと?」
「はい。まるで、これまで三世代にわたって積み上げてきた負債を一気に突き返されたかのような……未曾有の因果の逆流です!」
その言葉に、公爵が忌々しげに舌打ちをした。
「……ゴールディング家か。あのゴミ溜めに捨てた令嬢だな」
王家と教団は、数代にわたりゴールディング家の『幸運』をこの聖域へと強制転送し続けてきた。
エリーゼ・ヴァン・ゴールディングが背負ってきた不条理なまでの不幸。それは、王都の貴族たちが贅沢を貪り、教団が権威を維持するための『税』として、一方的に搾取された生贄の結晶だった。
「彼女のLUK値をマイナス五百で固定し、その差分をこの水晶に蓄積することで、我々は奇跡を安売りしてきた。……だが、先ほど数値が異常変動を起こしたというのか」
「跳ね上がった、というレベルではございません! 彼女の幸運値は現在――一万を超えています」
「……一万?」
教皇が、初めて反応を示した。
彼の瞳は感情が抜け落ちたかのように虚ろで、その背後の影は、実体を持たないかのように不気味に揺らめいている。
「人の限界値は百。一万など、神が世界を設計した際の基礎数値だ。それを扱える人間など、存在するはずがない」
「ですが現実です! 逆流の影響で、王都各地に“望まぬ奇跡”が多発しています! 老衰寸前の者が若返り、枯れ井戸から酒が湧き、不治の病が完治したと……民衆は騒ぎ立てておりますが、これは異常事態です!」
誰かが理不尽な幸運を得れば、必ずどこかで同等の『負債』が支払われなければならない。
そして今、その矛先は、これまで幸運を横領してきた彼ら自身に向いていた。
パキィィン――!
乾いた破裂音。水晶の一部が砕け散り、光の破片が床に飛び散る。
同時に、教皇の端正な顔が一瞬だけ“老朽化した仮面”のようにひび割れ、その隙間から鈍い歯車の回転音が聞こえた。
「……因果が、私からも吸い出されている。我々は導管に過ぎぬというのに……このままでは、蓄えてきた“権威”そのものが吸い尽くされる」
「教皇様! 公爵様! 緊急報告にございます!」
重厚な扉が乱暴に開かれ、一人の聖騎士が駆け込んできた。
「没落令嬢エリーゼ・ヴァン・ゴールディングが、ギルド中央支部に出現! 伝説級の魔宝石を提示し、一瞬で莫大な資産を回復しました! さらに、彼女を侮辱したアラス・ルミナスはギルドから永久追放を言い渡された模様!」
「……“荷物持ち”だろう?」
公爵が、眉を歪めて騎士の言葉を遮った。
「名はソラ。元勇者パーティ所属の無能と聞いていたが……ギルドマスターが、その男に対し、王族以上の畏怖を示していたとの報告が上がっております」
「ソラか……」
教皇の目が細まり、その奥で数式が明滅する。
「勇者の力も、聖剣の輝きも、すべては『借り物』。三年前、我らが強引に契約を結ばせていたシステム上の英雄たち……その真の貸主(オーナー)が現れたというわけだ」
円卓の空気が、完全に凍りついた。
彼らは理解した。自分たちが神の如く振る舞い、他人の幸運を使い込んできた繁栄は、すべて正体不明の男から「無断で引き出していた負債」であったことを。
「公爵。聖騎士団を動かせ。その男を拘束しろ。生け捕りだ。……抵抗するなら四肢を落としてでも連れてこい。奴の持つ“貸与の権能”は、我らが神域へ至るための鍵だ」
「承知。……フン、たかが荷物持ち一人が、この国のシステムに楯突こうなどと。身の程を教えてやる」
公爵が不敵に笑い、部屋を後にする。 ――そして、一人残された教皇の視界にだけ、無慈悲な赤いログが浮かび上がる。
『――システム警告:不渡りが発生しました』
『債務者:王立教会』
『返済猶予期間:残り30日』
『債権者:ソラ(照合不能/特例管理者と推定)』
「……千年の繁栄が、不良債権扱いか」
砕けた水晶を見つめながら、教皇は掠れた声で呟いた。
王都の平和な夜景の裏側で、巨大な崩壊の足音が響き始めていた。
白一色の石材で築かれた巨大な大聖堂――通称『聖域』。
そこは信仰の象徴であり、同時に、この国の運命を演算・貯蔵し、国民へと配分する心臓部でもあった。
その最深部、『円卓の間』。
選ばれし三名のみが着座を許されるその場で、教皇、公爵、財務大臣の三人が、言葉もなく中央に浮かぶ水晶を見つめていた。
かつては国の繁栄を映し出すように輝いていた《因果の貯蔵庫(リザーブ)》。
だが今、その表面には蜘蛛の巣状の致命的な亀裂が走り、内部では濁流のような光が制御を失って逆巻いている。
「……説明しろ、財務大臣」
沈黙を破ったのは公爵だった。怒気を抑えた低音が、円卓の冷え切った空気を切り裂く。
「なぜ我が国の根幹である因果リザーブが、ここまで損壊している。貴公が管理を怠ったか?」
「め、滅相もございません! 私は規約通りに運用しておりました!」
財務大臣は喉を鳴らし、脂汗を拭って震える指で羊皮紙を掲げた。
「数時間前……突如として“供給源”の一つが消失しました。いえ、正確には――消えたのではなく、こちらへ逆流を始めたのです。凄まじい圧力をもって」
「逆流、だと?」
「はい。まるで、これまで三世代にわたって積み上げてきた負債を一気に突き返されたかのような……未曾有の因果の逆流です!」
その言葉に、公爵が忌々しげに舌打ちをした。
「……ゴールディング家か。あのゴミ溜めに捨てた令嬢だな」
王家と教団は、数代にわたりゴールディング家の『幸運』をこの聖域へと強制転送し続けてきた。
エリーゼ・ヴァン・ゴールディングが背負ってきた不条理なまでの不幸。それは、王都の貴族たちが贅沢を貪り、教団が権威を維持するための『税』として、一方的に搾取された生贄の結晶だった。
「彼女のLUK値をマイナス五百で固定し、その差分をこの水晶に蓄積することで、我々は奇跡を安売りしてきた。……だが、先ほど数値が異常変動を起こしたというのか」
「跳ね上がった、というレベルではございません! 彼女の幸運値は現在――一万を超えています」
「……一万?」
教皇が、初めて反応を示した。
彼の瞳は感情が抜け落ちたかのように虚ろで、その背後の影は、実体を持たないかのように不気味に揺らめいている。
「人の限界値は百。一万など、神が世界を設計した際の基礎数値だ。それを扱える人間など、存在するはずがない」
「ですが現実です! 逆流の影響で、王都各地に“望まぬ奇跡”が多発しています! 老衰寸前の者が若返り、枯れ井戸から酒が湧き、不治の病が完治したと……民衆は騒ぎ立てておりますが、これは異常事態です!」
誰かが理不尽な幸運を得れば、必ずどこかで同等の『負債』が支払われなければならない。
そして今、その矛先は、これまで幸運を横領してきた彼ら自身に向いていた。
パキィィン――!
乾いた破裂音。水晶の一部が砕け散り、光の破片が床に飛び散る。
同時に、教皇の端正な顔が一瞬だけ“老朽化した仮面”のようにひび割れ、その隙間から鈍い歯車の回転音が聞こえた。
「……因果が、私からも吸い出されている。我々は導管に過ぎぬというのに……このままでは、蓄えてきた“権威”そのものが吸い尽くされる」
「教皇様! 公爵様! 緊急報告にございます!」
重厚な扉が乱暴に開かれ、一人の聖騎士が駆け込んできた。
「没落令嬢エリーゼ・ヴァン・ゴールディングが、ギルド中央支部に出現! 伝説級の魔宝石を提示し、一瞬で莫大な資産を回復しました! さらに、彼女を侮辱したアラス・ルミナスはギルドから永久追放を言い渡された模様!」
「……“荷物持ち”だろう?」
公爵が、眉を歪めて騎士の言葉を遮った。
「名はソラ。元勇者パーティ所属の無能と聞いていたが……ギルドマスターが、その男に対し、王族以上の畏怖を示していたとの報告が上がっております」
「ソラか……」
教皇の目が細まり、その奥で数式が明滅する。
「勇者の力も、聖剣の輝きも、すべては『借り物』。三年前、我らが強引に契約を結ばせていたシステム上の英雄たち……その真の貸主(オーナー)が現れたというわけだ」
円卓の空気が、完全に凍りついた。
彼らは理解した。自分たちが神の如く振る舞い、他人の幸運を使い込んできた繁栄は、すべて正体不明の男から「無断で引き出していた負債」であったことを。
「公爵。聖騎士団を動かせ。その男を拘束しろ。生け捕りだ。……抵抗するなら四肢を落としてでも連れてこい。奴の持つ“貸与の権能”は、我らが神域へ至るための鍵だ」
「承知。……フン、たかが荷物持ち一人が、この国のシステムに楯突こうなどと。身の程を教えてやる」
公爵が不敵に笑い、部屋を後にする。 ――そして、一人残された教皇の視界にだけ、無慈悲な赤いログが浮かび上がる。
『――システム警告:不渡りが発生しました』
『債務者:王立教会』
『返済猶予期間:残り30日』
『債権者:ソラ(照合不能/特例管理者と推定)』
「……千年の繁栄が、不良債権扱いか」
砕けた水晶を見つめながら、教皇は掠れた声で呟いた。
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