レベル1のフリはやめた。貸した力を全回収

ソラ

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第2章:多次元市場編

第30話 多次元市場の門番 境界の鑑定士

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黄金の光が、急速に背後へと遠ざかっていく。

管理都市ゴールディングは今、一宇宙の行政中枢であることを辞め、多次元を渡るための「巨大な監査艦」へと姿を変えていた。

次元膜を突破する際の、骨を軋ませるような激しい震動が、艦橋(ブリッジ)を揺らす。

「……ソラ様。銀河外縁、最終防衛線を突破。これより、多次元市場(マルチバース・マーケット)の共有領域へと進入します」

エリーゼの声が、かつてないほどの緊張を帯びていた。
モニターに映し出されたのは、星々の輝きが消えた「無」の海。

そこには、無数のシャボン玉のように異なる物理法則を持つ「宇宙」が点在し、それらを繋ぐ因果の回廊が、網の目のように広がっていた。
俺たちがいた銀河は、その広大な海に浮かぶ、数ある資産の一つに過ぎなかったのだ。

「……空気が、ありません」

ミィナが、震える手で窓の外を見つめる。
彼女が言うのは、酸素のことではない。

艦を包む黄金の障壁が、凄まじい勢いで摩耗していく。
因果の酸素――「存在していい」という世界の許容が、この外側には存在しない。
ここでは、ただ呼吸し、ただそこに在るだけで、莫大な負債が秒単位で膨らんでいくのだ。

「案ずるな。……削られた分は、この先の『取引』で取り戻すだけだ」

俺は椅子に深く腰掛け、膝の上に置いた【マスター・アカウント】を指先でなぞる。
人間としての温もりを失った指先は、今やこの宇宙で最も冷徹な精密機器となっていた。

その時だった。

――停止せよ。

物理的な音ではない。
概念そのものが衝突してくるような、圧倒的な「停止命令」。

ゴールディングの全機能が、一瞬にして凍りついた。
因果の供給が断たれ、黄金の光が瞬時に死の色――灰色へと染まっていく。

「……っ、ソラ様! 外部より、強制的な『資産差押プロトコル』が発動!  コントロールが……奪われます!」

エリーゼが叫び、必死に端末を叩く。
だが、多次元の理は、一宇宙の管理者である彼女の権限すらも「無価値なデータ」として撥ね退けた。

霧のように、前方の虚空から一人の男が現れた。

漆黒の礼服に身を包み、片目に奇妙な銀の単眼鏡(モノクル)を嵌めた男。
彼は優雅な動作で、空中に浮かぶ「手帳」に何かを書き込みながら、俺たちを見下ろした。

『――ふむ。辺境の「第889宇宙」より、新たな資産の流入を確認。  ……管理者は、ソラ。前任の七神(ゴミ共)を解体して、負債を丸ごと買い取った無鉄砲なルーキーというわけか』

男の声には、隠しきれない嘲笑が含まれていた。

『私は、多次元市場・第一境界の公認鑑定士、バザロフだ。……さて、新参者。この先へ進みたければ、まずは「入境税」を支払ってもらおうか』

バザロフが指を鳴らす。
直後、マスター・アカウントが、絶え間ない警告音を鳴らし続けた。

『――警告。強制的な「価値鑑定」を実行中』
『判定:管理都市ゴールディングの全資産価値を――ゼロと断定』
『追徴課税:存在維持費として、現在の全因果の90%を没収します』

「……ゼロ、だと?」

ミィナが絶句する。
俺たちが必死に守り、積み上げてきた世界の価値が、たった一人の男の言葉で「無」にされた。

『当然だ。この上位市場において、単一宇宙の法則に依存した資産など、ヴィンテージの玩具にも劣る。……君たちが金貨だと信じているものは、ここへ一歩出れば、ただの石ころだ。文句があるなら、存在を抹消してからにすることだね』

バザロフは、退屈そうに単眼鏡を弄んだ。
彼にとって、俺たちは市場の隅に転がっている不法投棄物と同義なのだろう。

だが。

「……鑑定士バザロフ。あんたの仕事は、その単眼鏡で『見えるもの』だけを値踏みすることか?」

俺は、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
俺を縛っていた停止命令の鎖が、黄金の火花を散らして千切れ飛ぶ。

『な……っ!? なぜ動ける? 私の「停止」は、多次元の基本定数に基づいた法だぞ!』

「あんたの法は、あくまで『既知の資産』にしか通用しない。……あいにくだが、俺の帳簿(アカウント)には、あんたの市場にはまだ流通していない『未知の債権』が眠っている」

俺は、マスター・アカウントの最新ページを開き、バザロフに突きつけた。

そこに記されていたのは、原始の七神を解体した際に得た、

【宇宙創世時の負の遺産(デッド・コピー)】。

バザロフは一瞬、眉を動かした。
余裕に満ちていた彼の単眼鏡が、カチカチと高速で数値を弾き出す。

『……ほう。創世時のノイズを濃縮した劇薬か。面白い帳簿だ。だが、それはあまりに高リスクすぎて、この市場でも「取り扱い不能な不良債権」として廃棄されたはずだが?』

「採算が合わないからと、あんたたちが倫理的に避けてきただけだろ。……だが、この艦には、それらゴミを浄化して再資源化する『逆因果変換エンジン』が搭載されている」

バザロフの表情から、優雅さが消えた。

「あんたが『ゼロ』と断定したこの艦は、多次元全域の不良債権をすべて『支配下』に置く鍵になる。……違うか?」

『貴様……何を言っているかわかっているのか!  それは市場の均衡を、根底から破壊する行為だぞ!』

「破壊じゃない。……『買収』だ」

俺は、冷徹な瞳でバザロフを見据えた。

「鑑定士バザロフ。あんたを、不当な低評価による業務妨害で逆監査する。……あんたが今、勝手に差し押さえようとした因果。  その延滞利息として、あんたが持つ『境界の通行権』を、この場で強制徴収する」

『な、何……っ!?』

俺がペンを走らせた瞬間、バザロフの漆黒の礼服が、情報の残骸となって霧散し始めた。
彼が誇っていた多次元の法が、ソラが提示した「新たな負債の論理」に、上書きされていく。

「エリーゼ。……彼の単眼鏡(モノクル)を、担保として確保しろ」

「了解、ソラ様。……境界の権利、全額回収します」

絶叫と共に、バザロフの姿が掻き消えた。
後に残されたのは、虚空に浮かぶ、銀の単眼鏡一つ。

俺はそれを手に取り、自らの片目に嵌めた。

視界が、一変する。
ただの「無」だった領域に、無数の「価格タグ」と、複雑に絡み合う「利権の糸」が浮かび上がった。

「……なるほど。これが多次元市場の『正体』か」

ソラの瞳に映るのは、美しき星空ではない。
そこにあるのは、宇宙さえも商品として消費し尽くす、無限に続く、死臭のする「オークション会場」だった。

「ミィナ。……呼吸を整えておけ。ここから先は、一息つく暇もなさそうだ」

ソラは、黄金から虹色へと変質した艦橋の指揮席に、再び腰を下ろした。

帳簿の余白は、まだ果てしなく広い。
その全てを、俺の数字で埋め尽くしてやる。
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