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第2章:多次元市場編
第36話 虚偽の原資
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その光景は、誤差のない均一すぎる静寂だった。
無限に続く黒い書架。そこにはラベルすらなく、ただ純粋な虚無だけが整然と並んでいる。
エリーゼの計測器は、この空間の因果質量が「完全なゼロ」であることを示し続けていた。
「……ソラ様。データ、存在しません。隠蔽されているのではなく……ここには最初から、一文字の記録も、一銭の裏付けも、存在しないのです」
エリーゼの声が、虚無の空間に吸い込まれて消える。
ミィナは、震える手で隣の書架をなぞろうとしたが、その指先は何も掴めず、空を切った。
「……そんなの、嘘です。だって、私たちは……」
言い切れないミィナの言葉を、ソラは無言で受け止める。
片目の単眼鏡(モノクル)を限界まで調整した視界。そこに映るのは、書架を繋ぎ止めている、細く頼りない「信用の糸」だけだった。
「この銀行は、価値を動かしているんじゃない。『価値があるはずだ』という、全宇宙規模の集団幻想を維持しているだけだ」
ソラが歩みを進めるたび、虚無の床から波紋のように数式が広がる。
その時、虚無の最奥から、幾千もの帳簿が羽ばたくような音が聞こえた。
現れたのは、これまでの執行官のような実体を持たない、ただの「光り輝く数字の集合体」。
『――不当なり、監査官ソラ。……我らは嘘を売っているのではない。「存在すること」そのものを信じさせるための、唯一の装置なのだ』
銀行の基幹プログラム――『元帳の意志(レジャー・コア)』の声が響く。
『最初から原資を借りた者などいない。誰もが、ただ「借りたことにした」。そのたった一つの合意が、多次元市場という名の巨大な無限連鎖講(ポンジ・スキーム)の出発点だ。この虚無を暴けば、多次元市場のすべての宇宙は、その瞬間に定義を失い、霧散するだろう』
ミィナの顔から、急速に血の気が引いた。
『……特に、そこにいる少女ミィナ。彼女の記録は、我らの帳簿の極めて脆弱な場所に記されている。我らがペンを置いた瞬間、彼女の存在は「計算ミス」として、誰の記憶にも残らず消去されることになるが……それでも監査を続けるか?』
究極の揺さぶり。
ソラは、静かにペンを回した。
ガイウスら監査部隊の面々も、静かにソラの背中を見つめていた。彼らもまた、この虚無の上に仮初めの存在を与えられた「負債」の一部に過ぎない。
「……ふん。安い脅しだな」
ソラは、嘲笑うようにペンを握り直した。
「あんたたちは、自分たちがいなければミィナが消えると思っているようだが……。……俺の帳簿には、あんたたちの計算外の数字がある」
ソラは、マスター・アカウントの「空白の最終ページ」を、虚無の空間に向けて開いた。
「あんたたちは無から無限を創ったと言うが、そこには必ず『演算の摩擦熱』が発生している。嘘を維持するために消費され、誰にも気づかれずに捨てられてきた、膨大な余剰エネルギー……。それを回収し続けてきたのが、俺のこの帳簿だ」
『……な、何だと……!?』
「あんたたちが『虚無』だと言い張るこの場所を、俺が今から買い取る。……価格は、今まであんたたちが捨ててきた『全残滓(ログ)』だ」
ソラがペンを力強く振り下ろす。
ペン先から放たれた漆黒のインクが、空っぽの書架に、猛烈な勢いで「新たな理」を書き込んでいく。
「監査、継続。……これより、多次元銀行の『架空資本』をすべて実体化し、俺の管理下に統合する」
虚無の空間が、悲鳴を上げるように歪み始めた。
銀行というシステムそのものが、ソラという一人の人間の「記述」によって、再定義されていく。
「消えはしない。……これからは、俺がこの無(ゼロ)に、新しい価値を書き込んでやる」
ソラの瞳は、もはや虹色でも無色でもない。
すべてを呑み込み、再定義する、真の「記述者(ライター)」の深淵へと至ろうとしていた。
無限に続く黒い書架。そこにはラベルすらなく、ただ純粋な虚無だけが整然と並んでいる。
エリーゼの計測器は、この空間の因果質量が「完全なゼロ」であることを示し続けていた。
「……ソラ様。データ、存在しません。隠蔽されているのではなく……ここには最初から、一文字の記録も、一銭の裏付けも、存在しないのです」
エリーゼの声が、虚無の空間に吸い込まれて消える。
ミィナは、震える手で隣の書架をなぞろうとしたが、その指先は何も掴めず、空を切った。
「……そんなの、嘘です。だって、私たちは……」
言い切れないミィナの言葉を、ソラは無言で受け止める。
片目の単眼鏡(モノクル)を限界まで調整した視界。そこに映るのは、書架を繋ぎ止めている、細く頼りない「信用の糸」だけだった。
「この銀行は、価値を動かしているんじゃない。『価値があるはずだ』という、全宇宙規模の集団幻想を維持しているだけだ」
ソラが歩みを進めるたび、虚無の床から波紋のように数式が広がる。
その時、虚無の最奥から、幾千もの帳簿が羽ばたくような音が聞こえた。
現れたのは、これまでの執行官のような実体を持たない、ただの「光り輝く数字の集合体」。
『――不当なり、監査官ソラ。……我らは嘘を売っているのではない。「存在すること」そのものを信じさせるための、唯一の装置なのだ』
銀行の基幹プログラム――『元帳の意志(レジャー・コア)』の声が響く。
『最初から原資を借りた者などいない。誰もが、ただ「借りたことにした」。そのたった一つの合意が、多次元市場という名の巨大な無限連鎖講(ポンジ・スキーム)の出発点だ。この虚無を暴けば、多次元市場のすべての宇宙は、その瞬間に定義を失い、霧散するだろう』
ミィナの顔から、急速に血の気が引いた。
『……特に、そこにいる少女ミィナ。彼女の記録は、我らの帳簿の極めて脆弱な場所に記されている。我らがペンを置いた瞬間、彼女の存在は「計算ミス」として、誰の記憶にも残らず消去されることになるが……それでも監査を続けるか?』
究極の揺さぶり。
ソラは、静かにペンを回した。
ガイウスら監査部隊の面々も、静かにソラの背中を見つめていた。彼らもまた、この虚無の上に仮初めの存在を与えられた「負債」の一部に過ぎない。
「……ふん。安い脅しだな」
ソラは、嘲笑うようにペンを握り直した。
「あんたたちは、自分たちがいなければミィナが消えると思っているようだが……。……俺の帳簿には、あんたたちの計算外の数字がある」
ソラは、マスター・アカウントの「空白の最終ページ」を、虚無の空間に向けて開いた。
「あんたたちは無から無限を創ったと言うが、そこには必ず『演算の摩擦熱』が発生している。嘘を維持するために消費され、誰にも気づかれずに捨てられてきた、膨大な余剰エネルギー……。それを回収し続けてきたのが、俺のこの帳簿だ」
『……な、何だと……!?』
「あんたたちが『虚無』だと言い張るこの場所を、俺が今から買い取る。……価格は、今まであんたたちが捨ててきた『全残滓(ログ)』だ」
ソラがペンを力強く振り下ろす。
ペン先から放たれた漆黒のインクが、空っぽの書架に、猛烈な勢いで「新たな理」を書き込んでいく。
「監査、継続。……これより、多次元銀行の『架空資本』をすべて実体化し、俺の管理下に統合する」
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銀行というシステムそのものが、ソラという一人の人間の「記述」によって、再定義されていく。
「消えはしない。……これからは、俺がこの無(ゼロ)に、新しい価値を書き込んでやる」
ソラの瞳は、もはや虹色でも無色でもない。
すべてを呑み込み、再定義する、真の「記述者(ライター)」の深淵へと至ろうとしていた。
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