レベル1のフリはやめた。貸した力を全回収

ソラ

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第2章:多次元市場編

第37話 記述の代償

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熱い。
脳が、沸騰(ボイル)している。

漆黒のインクが虚無の書架を埋め尽くしていくたび、ソラの視界には数兆もの人生と、数京もの数字が濁流となって流れ込んでいた。
それはかつて銀行が「不要」として切り捨てた残滓(ログ)――嘘を維持するために支払われた、全宇宙の犠牲の総量だ。

「……ぐ、あああぁっ!」

ソラの右腕から、パチパチと青白い火花が散った。
皮膚がめくれ、その下から覗くのは筋肉でも骨でもなく、激しく明滅するバイナリ・コード。
多次元銀行という巨大なシステムを「上書き」する摩擦熱が、ソラという個体の定義を内側から焼き切ろうとしていた。

「ソラ様! 因果の流入量が、個体保持限界(リミット)を突破しています! このままでは、あなたの意識が『全宇宙の取引記録』の中に霧散してしまいます!」

エリーゼの悲鳴が、ノイズ混じりの頭の中に響く。
彼女もまた、ソラを補助するために全リソースを割いているが、それでも追いつかない。

「……止めないで。……書き、上げるんだ……」

ソラの瞳から、虹色の液体が零れ落ちた。
それは涙ではない。溢れ出した過剰なデータが、視覚情報を介して排出されているのだ。

「ソラ様……! お願い、もうやめて!」

ミィナがソラの肩を掴もうと手を伸ばすが、ソラの周囲に展開された「記述の障壁」に弾かれ、弾き飛ばされる。  今のソラに触れることは、高圧の電流に触れることと同義だった。

「…………」

ソラの脳内から、記憶が一つ、また一つと削り取られていく。

昨日の食事の味。
アステリア王国の冷たい風の感触。
……自分を追放した勇者たちの、名前。

それらはすべて、銀行という巨大な帳簿を維持するための「空き容量(スペース)」として消費されていく。

「ガイウス……ッ。監査部隊、全機展開。……オーナーの『存在』を繋ぎ止めろ!」

漆黒の騎士団長が叫び、百人の騎士たちがソラを取り囲むように円陣を組んだ。
彼らが纏う「負債の毒」が、ソラから溢れ出す情報の激流を一時的に吸い込み、身代わりとなって崩壊していく。  騎士たちの甲冑が砕け、影が薄れていくが、彼らは一歩も退かない。

「……恩を、返すのは……今、この時だ……」

ガイウスの声が、ノイズの中に溶けて消える。
彼らの自己犠牲によって、ソラのペン先にわずかな「静寂」が戻った。

「……感謝、する」

ソラは、もはや自分のものかどうかも定かではない右手に力を込めた。

銀行が隠してきた最大の嘘。
それは「世界は欠乏している」という大前提だ。
ソラはその前提を、根本から書き換えていく。

『修正:多次元市場における「価値」の定義を変更』
『新定義:価値とは、銀行の信用ではなく、個々の存在が紡いだ「記録(ログ)」の集積である』

ペンが最後の一線を書き終えた瞬間。
無限に続く「虚無の書架」が、一斉に発火した。
漆黒のインクが黄金の炎へと変わり、空っぽだった棚が、かつて捨てられたはずの「名もなき人々の記憶」で埋め尽くされていく。

銀行の支配が終わる。
幻想の信用ではなく、確かな事実に基づいた、新しい経済の幕開け。

だが、その対価は、残酷だった。

「……ソラ様?」

炎が収まった書架の中心。
そこに立っていたのは、透き通るような白髪に変わり、瞳から一切の感情が抜け落ちた「何か」だった。

ソラは、ゆっくりと自分の手を見つめた。
そこにはもう、傷跡も、温もりもなかった。
ただ、全次元の情報を書き換えるための「装置」としての冷たさだけが、そこにあった。

「……ミィナ。……エリーゼ」

その声は、完璧な調律が施された楽器のように美しく、そして――。
聞きなれた「ソラ」の声とは、決定的に異なっていた。

「……監査は、完了した。……これより、市場の再編を開始する」

ソラが歩き出すたびに、足元から新たな理(システム)が広がっていく。
彼は救世主になった。
だが、その代償として、彼は「ソラ」という名の人間を、この虚無の書架に置いてきてしまったのだ。

「……うそ……。そんなの、嫌……!」

ミィナの慟哭が、新しく生まれ変わった銀行の回廊に、虚しく響き渡った。
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