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第2章:多次元市場編
第39話 不確実性の抵抗
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第零銀河の最深部、光さえも監査の手を逃れる地下マーケット「アビス」。そこは、ソラが構築した完璧な秩序から唯一取り残された、因果の掃き溜めだった。
くすんだネオンが不規則に瞬き、排気ダクトからは重苦しい蒸気が吹き上がる。整然とした黄金の市場に慣れた者には耐え難いほどの汚濁が、ここにはまだ、確かに息づいていた。
「……始まったか」
アビスの最奥、錆びついた円形競技場の中心で、一人の男が天を仰いだ。銀行にすべてを奪われ、路地裏で命を繋いできた老投資家。彼の前には、巨大な真鍮製の球体が不気味に沈黙している。
それは多次元市場の創世記、神々が計算を始める前に捨て去った禁断の遺物。一振りのダイスで銀河の運命を左右する、制御不能な混沌の源泉――『真の乱数発生器(ランダム・エンジン)』。
「秩序(ソラ)が支配する世界に、勝ち目などない。……だが、負ける権利まで奪われてたまるか」
男が重厚なレバーを引き絞った。その瞬間、沈黙していた球体が激しく鳴動し、青白い雷光がアビスの空を切り裂いた。
*
同じ瞬間、多次元銀行中枢の『基幹演算室』。
ソラの瞳に、真っ赤な警告ログが奔流となって流れ込んだ。
『重大なエラー:第零銀河・区画アビスにて非論理的因果の発生を確認。予測精度、0.000001%まで急落』
「……あり得ない。すべての変数は管理下にあるはずだ」
ソラの指先が、空中に展開されたマスター・アカウントを叩く。だが、表示される数式は一瞬ごとにその形を変え、計算が完了する前に別の解へと変質していく。
確率が、死んでいる。1 + 1 = 2になるとは限らない、不条理な揺らぎが、ソラの完璧な帳簿に黒い泥を塗りつけていた。
「エリーゼ、ノイズの発生源を特定しろ。即座に情報の初期化を実行する」
「……特定不能です。ソラ様、これは計算ミスではありません。因果そのものが、自ら『不運』を選択しているような……。私の演算回路が、この無秩序を理解することを拒絶しています」
エリーゼの声に、僅かな亀裂が走る。彼女の機械的なペルソナが、想定外の事態に「恐怖」に近いバグを起こし始めていた。
ソラは無機質な瞳で、遠く離れたアビスの座標を凝視した。
「……ガイウス。いや、影の執行権よ。現地へ向かい、対象を償却しろ。物理的な削除を許可する」
影の中から、漆黒の騎士たちが立ち上がった。彼らはソラの命令に従う意志なき刃。ガイウスの甲冑に刻まれた管理番号が不気味に発光し、彼らは空間を裂いてアビスへと転移した。
*
アビスの競技場に、影の軍勢が降り立つ。ガイウスが放つ『負債の毒』が周囲の空間を腐食させようとするが、乱数発生器から放たれる青白い波動が、その毒さえも「別の何か」へと変質させていく。
「……鑑定不能か。ならば、断つのみ」
ガイウスが漆黒の剣を振り下ろす。だが、その刃が乱数発生器に届く直前、まるで何かに弾かれるように、軌道が強引にねじ曲がった。
確率が、書き換わったのだ。
必中であるはずの一撃が、単なる「空振り」という、あり得ない不運へと転じさせられた。
「……いいぞ。これだ、これこそが俺たちの生きた証だ!」
老投資家が狂ったように笑う。
ソラの支配下では、弱者が強者に勝つ奇跡など存在しない。だが、この混沌の中では、すべての目が「出る可能性」を秘めている。
「――ガイウス、下がって!」
天空から降りてきたのは、ミィナだった。彼女の手には、ソラの管理下にありながらも、彼女自身の情熱で震える聖剣が握られている。
「ミィナ。……君も、不一致を消しに来たのか?」
ガイウスの問いに、ミィナは答えなかった。彼女が見つめているのは、騎士たちではなく、その後ろ側にいるはずの「ソラ」だった。
「ソラ様……聞こえていますか? あなたの計算が届かない場所で、こんなにも激しく世界が脈打っているわ。……これが、あなたが捨てた『心』という名のノイズなのよ!」
銀行中枢。玉座に座るソラの指先が、ぴくりと跳ねた。
モニター越しにミィナの言葉を受け取った瞬間、彼の脳内にある膨大なデータベースから、一つの記憶が、意図せず引き出された。
王国の路地裏で、最後の一枚の銅貨を賭けて笑った、あの日の体温。
「…………」
ソラは無言でペンを握り直す。
だが、その指先からは、熱を持わないはずの火花が、青白く、そして激しく飛び散っていた。
「……ノイズか。ならば、その不確実性ごと、私が買い取るまでだ」
ソラの瞳が、虹色とも無色とも異なる、未知の輝きを宿し始めた。
くすんだネオンが不規則に瞬き、排気ダクトからは重苦しい蒸気が吹き上がる。整然とした黄金の市場に慣れた者には耐え難いほどの汚濁が、ここにはまだ、確かに息づいていた。
「……始まったか」
アビスの最奥、錆びついた円形競技場の中心で、一人の男が天を仰いだ。銀行にすべてを奪われ、路地裏で命を繋いできた老投資家。彼の前には、巨大な真鍮製の球体が不気味に沈黙している。
それは多次元市場の創世記、神々が計算を始める前に捨て去った禁断の遺物。一振りのダイスで銀河の運命を左右する、制御不能な混沌の源泉――『真の乱数発生器(ランダム・エンジン)』。
「秩序(ソラ)が支配する世界に、勝ち目などない。……だが、負ける権利まで奪われてたまるか」
男が重厚なレバーを引き絞った。その瞬間、沈黙していた球体が激しく鳴動し、青白い雷光がアビスの空を切り裂いた。
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同じ瞬間、多次元銀行中枢の『基幹演算室』。
ソラの瞳に、真っ赤な警告ログが奔流となって流れ込んだ。
『重大なエラー:第零銀河・区画アビスにて非論理的因果の発生を確認。予測精度、0.000001%まで急落』
「……あり得ない。すべての変数は管理下にあるはずだ」
ソラの指先が、空中に展開されたマスター・アカウントを叩く。だが、表示される数式は一瞬ごとにその形を変え、計算が完了する前に別の解へと変質していく。
確率が、死んでいる。1 + 1 = 2になるとは限らない、不条理な揺らぎが、ソラの完璧な帳簿に黒い泥を塗りつけていた。
「エリーゼ、ノイズの発生源を特定しろ。即座に情報の初期化を実行する」
「……特定不能です。ソラ様、これは計算ミスではありません。因果そのものが、自ら『不運』を選択しているような……。私の演算回路が、この無秩序を理解することを拒絶しています」
エリーゼの声に、僅かな亀裂が走る。彼女の機械的なペルソナが、想定外の事態に「恐怖」に近いバグを起こし始めていた。
ソラは無機質な瞳で、遠く離れたアビスの座標を凝視した。
「……ガイウス。いや、影の執行権よ。現地へ向かい、対象を償却しろ。物理的な削除を許可する」
影の中から、漆黒の騎士たちが立ち上がった。彼らはソラの命令に従う意志なき刃。ガイウスの甲冑に刻まれた管理番号が不気味に発光し、彼らは空間を裂いてアビスへと転移した。
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アビスの競技場に、影の軍勢が降り立つ。ガイウスが放つ『負債の毒』が周囲の空間を腐食させようとするが、乱数発生器から放たれる青白い波動が、その毒さえも「別の何か」へと変質させていく。
「……鑑定不能か。ならば、断つのみ」
ガイウスが漆黒の剣を振り下ろす。だが、その刃が乱数発生器に届く直前、まるで何かに弾かれるように、軌道が強引にねじ曲がった。
確率が、書き換わったのだ。
必中であるはずの一撃が、単なる「空振り」という、あり得ない不運へと転じさせられた。
「……いいぞ。これだ、これこそが俺たちの生きた証だ!」
老投資家が狂ったように笑う。
ソラの支配下では、弱者が強者に勝つ奇跡など存在しない。だが、この混沌の中では、すべての目が「出る可能性」を秘めている。
「――ガイウス、下がって!」
天空から降りてきたのは、ミィナだった。彼女の手には、ソラの管理下にありながらも、彼女自身の情熱で震える聖剣が握られている。
「ミィナ。……君も、不一致を消しに来たのか?」
ガイウスの問いに、ミィナは答えなかった。彼女が見つめているのは、騎士たちではなく、その後ろ側にいるはずの「ソラ」だった。
「ソラ様……聞こえていますか? あなたの計算が届かない場所で、こんなにも激しく世界が脈打っているわ。……これが、あなたが捨てた『心』という名のノイズなのよ!」
銀行中枢。玉座に座るソラの指先が、ぴくりと跳ねた。
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王国の路地裏で、最後の一枚の銅貨を賭けて笑った、あの日の体温。
「…………」
ソラは無言でペンを握り直す。
だが、その指先からは、熱を持わないはずの火花が、青白く、そして激しく飛び散っていた。
「……ノイズか。ならば、その不確実性ごと、私が買い取るまでだ」
ソラの瞳が、虹色とも無色とも異なる、未知の輝きを宿し始めた。
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