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第一章 エトランゼ

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「御使いとの戦いは以上を持ってエレオノーラ率いる兵達と、我が方との臨時の連合軍が勝利。しかしてその間に奪取されたイシュトナル要塞を奪還するだけの戦力は残されてはおらず、遺憾ながらその場を放棄。以後の動向については五大貴族全体で話しあう必要がありと判断」


 さらさらと紙の上を羽ペンが走り、モーリッツは自分で口に出した言葉をそのまま記していく。


「こんなものでいいだろう」


 慣れ親しんだ自室の執務室。果物の果汁を濃く絞ったジュースを飲みながら、モーリッツは出来上がった手紙を副官に手渡す。

 それを受け取った副官は、改めてその内容を確認してから、わざとらしく溜息を吐いた。


「手紙だからと好き放題を書き過ぎではないのですか? これでは次回の五大貴族会議で槍玉に挙げられますよ」

「そうは言っても、これが事実なのだから仕方がないだろう。あの時点でディッカー卿をイシュトナルに向かわせているとは夢にも思わなんだ」

「本当は気付いていたのでしょう? 共闘の褒美にしてもやり過ぎだとは思いますが」

「あの状況で仲間割れは起こせんよ。ウァラゼルを倒すための手段が向こう側にあった以上な。つまるところ、最初から主導権はあちら側にあったということだ」


 忌々しい、と言わんばかりに鼻を鳴らすモーリッツだが、その表情にはそれほど苦渋の色はない。


「御使い、ですか。このようにはっきりと書いてしまってよろしいのですか?」

「いいも何も、本人がそう名乗ったのだ。書くしかあるまい」

「御使いが人を襲い、それをエトランゼが倒した。果たしてこの事実を教会はどう釈明するのでしょうか?」

「……教会の権力は絶大だ。どうとでも理由を付けるだろう。それに姿を消したカーステン卿のこともある」

「それでは、エレオノーラ様は教会とオルタリアの両方を敵に回すことになりますね」

「それはそうだろうな」


 身体を解すためにモーリッツが両腕を伸ばし、軽く肩を回しながら続ける。


「……何もかもが、これまでと違う」

 父王の死から始まったエレオノーラの逃亡劇は、誰も予想だにしない形で収まった。

 果たして何処までが人に手によって運ばれ、何処からが運命によって形作られたのか、神ならぬモーリッツには判るはずもない。

 ただ、小さな予感が一つ。


「変革はまだ終わらぬ。そもそもがおかしかったのだ。我等にない力を持った異邦人、エトランゼがこの世界にやって来て十年以上、よくも変わらずに過ごせていたものだ」

「正しいかどうかは別として、それにはやはりエイスナハルの影響力が大きかったからでしょう」

「そう。そしてそれは変わってしまった」


 エトランゼに討たれた御使い。

 それらは容赦なく、人の命を刈り取る。神の使いどころか、悪魔にも等しい存在だった。

 それが意味するところ。そしてその事実を目の当たりにした人々がどう変わっていくか、今なお王宮で自らの地盤固めをしているヘルフリートには理解できていないだろう。


「楽しそうですな」

「そうか?」


 顔に出ていた不用心さを反省し、厳めしい表情を作って見せる。

 それを見た長年の付き合いである副官は、小さな笑いを零した。


「これから変わっていくぞ、この大地は」


 その声色には、モーリッツ自身がそうあって欲しいという希望が含まれているようにも聞こえたが、長い付き合いからそれを指摘しても否定されると判っていた副官は何も言わず、ただ頷くだけだった。
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