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第八曲 てんさい
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「ごめんね、唱くん」
「謝る暇があったら、この問いやって」
「……はい」
放課後の教室でクラス委員の唱に勉強を見てもらう。厳しいことを言う唱だけれど、歌代のシャープペンの動きが止まるとすぐに気がついてくれる。基本的に面倒見がいい人だ。普段からこっそり見ていると、クラス委員の仕事もいつも真面目に取り組んでいる。だからこそ、こうやって勉強を見てくれているのだ。
さらさらな濃茶色の髪を、こんなに近くで見られる日が来るなんて思わなかった。なんとなく照れくさくて自分の黒髪をいじる。それが悩んでいる動きに見えたようで、唱が「どれだ」と手もとを覗き込んできた。急な接近は心臓が壊れるからだめだ。
志望校に合格して、これからはじまる高校生活に期待で胸を膨らませていた入学式の日が二か月弱前。一学期の中間テストでいきなり赤点ぎりぎり、浮かれた気持ちなどはるか遠くに飛んでいった。歌代の成績を心配した担任教諭が唱に、勉強を見てやってくれ、と頼んだのだ。申しわけないからいいと言ったのに、真面目な唱は「はい。わかりました」と優等生の返事をした。
「どうしてここまで放っておいたんだ。中学のときからこの調子だったんだろ」
「なんでわかるの?」
「問題のとき方を見ていればわかる。基礎がめちゃくちゃだ。よくうちの高校受かったな」
「だよね。奇跡かな」
はは、と笑ってみても、唱は渋面を崩さない。かなりぎりぎりで滑り込んだ高校合格だから、間違いなく奇跡なのだ。それに対して唱は、入学式で生徒代表として挨拶をしていた。生徒代表に選ばれるのは入試でトップだった生徒だ。四月から唱を見ていて、成績だけではく生活態度も優等生だとわかる。
「……」
せっかくふたりきりなのにな。
自分が悪いのだけれど、それでももう少しいい雰囲気になってくれても、と肩を落とす。
気がついたときには唱が好きだった。唱の外見が整っているからではなくて、彼の真面目さや、人への気遣いができるところに惹かれたのだ。自然とまわりを立てる、大人びたところも恰好いい。でも接点があまりない歌代は、こっそりと見ているしかできなかった。
だからこの機会を逃したくない――のだが、なかなかうまく距離が縮まらない。歌代の脳みその具合が、相手を呆れさせるばかりだ。
「ぼんやりしてないで、次これ」
「う、うん」
唱に視線を向けると見惚れてしまうので、ノートと教科書に注視して、わざとらしくならないように目の先を固定する。現状では唱に見惚れる資格さえない気がする。
「お。天才唱に勉強見てもらってんのか」
「え?」
教室に顔を覗かせたクラスメイトの男子が、ふざけた調子で笑った。
「歌代相手じゃ、唱も大変だ」
「……」
そのとおりなのでなにも言い返せない。授業で当てられて歌代がきちんと答えられたことがないと知っているクラスメイトは、唱に同情するようなことを言いながら、どこか馬鹿にしているとも感じられる声音で言った。
「ま、天才にかかれば歌代もなんとかなるかもな」
声をあげて笑われ、恥ずかしくて悔しくて、でも自分が悪いんだと俯いて唇を噛む。たしかに勉強が苦手だが、やらないでいてできないのではなく、やってもできないのだ。自分なりの頑張りさえ馬鹿にされたようで、胸が痛くなった。
「歌代だって頑張ってるんだ。そういう言い方はやめろ」
「え?」
唱の口から出た言葉に、驚いて目をまたたく。男子生徒も言い返されると思わなかったのか、戸惑うような表情を見せている。
「それに、きみだって歌代を笑えるレベルじゃないだろ。今日も当てられたときに答えられていなかったようだけど?」
男子が頬をかっと赤くした。唱があからさまに嫌みを言うところなんてはじめて見たので、歌代も驚きでなにも言葉が出ない。唱は、わざとらしく口角をあげる。
「歌代がきみよりできるようになるのも時間の問題だ。きみの言うとおり、『天才』の俺が勉強を見てるんだからな」
歌代を擁護してくれる優しさにぼうっと頬が火照って、心音が高鳴る。好きな相手にこんなことを言ってもらって、どきどきしないでいられるほうがおかしい。
唱に言い返せなかった男子生徒は、舌打ちをしてから去っていった。歌代は嬉しいけれど、唱に敵ができたのではないだろうか。
「と、唱くん、大丈夫なの?」
「なにが?」
「……えっと」
具体的になにがと答えられず、口ごもる。唱が嫌われることや悪く言われることが気に入らない、なんて返答をしたら、気持ちがばれるかもしれない。ばれるのは、せめて呆れられないくらいの脳みそになってからがいい。
「あんなことを気にするなら、正しい答えを出してくれ」
「……頑張ります」
今は問題をといて、正解を出すことを一番に考えよう。気持ちを引き締め、唱が解説をしながらシャープペンでノートに書き込んでいく数字を凝視する。字も綺麗だな、なんてまた集中が乱れ、頭を小さく一度振った。
カチ、と唱がシャープペンの芯をペン先に押し込む。
「今日はこのくらいだな」
「ありがとう。なんだか頭がよくなったみたいに感じる」
「調子に乗るな。まだ基礎中の基礎だ」
呆れられても、本当にそんな気がするのだ。今まで自分ではまったくとけなかった問題を、悩みながらでもとけることが嬉しい。喜ぶ歌代に、唱は困ったような笑みを向ける。表情があまりに優しくて、頬に熱が集まった。
「歌代は素直だな」
「それって、馬鹿正直とも言うんじゃないかな」
「変なところで頭がまわるな」
感心されて逆に恥ずかしい。自慢ではないが屁理屈は得意なのだ。
「僕にだって、できることのひとつくらいあるんだよ」
胸を張って見せると、唱は噴き出して笑った。表情を崩して笑っていると少し幼い。
ちょっと可愛いかも。
美形な唱を可愛いと思うなんて、なんだか気恥ずかしい。こんな一面を見せてもらえたら、嬉しくてたまらなくなる。
「そうか。じゃあ、勉強もできることのひとつにしないとな」
わ、と口に出そうになって慌てて呑み込んだ。子どもをあやすような笑顔だけれど、あまりに優しくて感動するほどだ。好きな人のこんな表情を見られるなら、いくらでも頑張れる。
帰り支度をして一緒に教室を出る。ふたりで帰れるなんて思わなかった。勉強を頑張ったから、神様からのご褒美なのかもしれない。
「じゃ、また明日」
「うん。今日は本当にありがとう」
ホームへのエスカレーターをあがっていく唱の姿を見送り、どきどきしながら歌代も唱と反対方向のホームへのエスカレーターにのる。情けないきっかけでも、結果的に唱と少し仲良くなれた気がする。
電車を待っていたら、唱が乗る方向のほうが先に電車到着のアナウンスが流れた。なんとはなしに向かいのホームに目をやると、唱と目が合っただけではなく、小さく手を振ってくれた。
「わ、わ」
慌てて振り返したけれど、すぐに電車が来て遮られてしまった。ほんの数秒のやり取りで、心臓が爆発しそうだった。
それから続けて唱に勉強を見てもらい、授業の内容がわかるようになってきたし、当たっても答えられることが増えた。嬉しくて成果を毎回報告する歌代に、唱は「見てたから知ってる」と苦笑しながらも褒めてくれるのだ。同じクラスだからその言葉は当然なのだが、そんなやり取りも嬉しくてまた報告する。今では授業で当てられないかとわくわくするくらいだ。唱が優しい笑顔をたくさん見せてくれるから、気持ちがどんどん膨らんでいく。
唱に勉強を見てもらうことが、すっかり習慣づいてきた。今日もふたりで教室に残る。
「最初のときが嘘みたいだな」
歌代のノートを見た唱が目を丸くする。
「唱くんのおかげだよ。ありがとう」
「これなら、もう俺が見なくてもいいかもしれない」
「あ……」
そうだ。歌代が勉強を理解してひとりでできるようになったら、唱に見てもらう必要はなくなるのだ。そのことをすっかり忘れていた。
「で、でも、まだこの辺とか間違えるし明日の範囲も見てみたら全然わからないしこれからの授業についていけるか心配だし」
息継ぎもせず言い連ねる歌代に、唱は目をまたたく。身を乗り出して自分のできない具合を力説すると、唱が困ったように微笑んだ。
あ、またこの笑顔だ……。
この優しい表情は、何度見ても心臓が高鳴る。身を乗り出していたことでいつもより近い距離なことも手伝って、頬が燃えそうなほどに熱くなった。俯いて椅子に座り直す。
「わかったわかった。そんなに必死にならなくてもいい」
「う、うん。ごめん」
「とりあえず、明日の範囲だな」
俯く視線の先に教科書をめくる手があって、その動きの美しさにどきりとする。唱がなにをしてもどきどきするのだから、どうしようもない。少し節っぽい指も長くて綺麗だ。
ふと顔をあげると、開けたままの教室の扉の向こうに、先日嫌なことを言ってきた男子生徒が見えた。教室の前を通るところのようで、しっかりと目が合ってしまった。
「天才はなに考えてるかわかんねえし、近づきにくくて友だちもいないんだから寂しいよなあ」
あきらかな悪口に腹が立つ。言い返してやろうと椅子から腰をあげると、唱が手首を掴んできた。
「いい。本当のことだから」
「でも……!」
「いいんだ」
唱がよくても、歌代はなにか言ってやらないと気がすまない。でも本人が止めるのを振りきることはできなかった。
「……」
静かに椅子に座ると、唱の手が離れていった。掴まれた手首を撫でる。まだほんのりと温もりが残っている。普段ならば胸が高鳴るだろうが、今は苦しい。
「わかってるんだ。自分がつまらない人間だってこと」
あまりにつらそうな言い方で、なにも言葉が出せない。ただ聞いているしかできないことが情けなくて、唇を噛む。
「……俺だって、天才になりたかったわけじゃない」
零れ落ちた声に顔をあげる。唱は感情の見えない瞳をしていて、心臓が掴まれたようにぎゅっと痛んだ。
今、自分にできることはなんだろう。考えてみるが浮かばない。それでも唱を元気づけたかった。そんなことないよ、と言いたい。
「僕は天才になりたいよ。だって明日の範囲もわからないんだから」
自信満々に胸を張ると、唱は虚を突かれたように目を見開き、ふっと噴き出した。
「そんなこと、偉そうに言うなよ」
「勉強ができないのは僕の取り柄だからね。唱くんが天才なのも、唱くんの良さだよ」
少し強めの口調で言うと、唱は驚きを隠さずに目をまばたく。驚きの表情が緩み、くくっと声を押し殺して笑ったかと思ったら、お腹をかかえて笑いはじめた。
「歌代、それはまずい。勉強が苦手なことを自慢するな」
「するよ。勉強が苦手なことを自慢できるんだから、得意なのはもっと自慢できるんだよ!」
「……!」
言葉の意図が伝わったらしい。はっとした唱は、目に溜まった涙を指で拭いながら頷いた。
「ありがとう。そうだよな、いろんなことを卑屈に考えすぎてた」
「そうそう、前向きに能天気に行こー!」
自分の馬鹿さ加減を見せているようだが、唱が笑ってくれるならかまわない。明るく呑気に言いきると、唱はゆっくりと深呼吸をした。それからまた笑い出す。
「だめだ、ツボに入った」
唱がこんなに笑っているところを見たことがなくて、嬉しくてもっとなにかしたくなる。でも、そうそう思い浮かばない。知恵を絞って頭を悩ませていると、唱はそんな様子さえおかしそうに笑う。
「悪い、歌代がおかしいんじゃなくて」
「いいよ、僕も自分でおかしいこと言ったって思ってるし」
それでも、さすがに恥ずかしくなってきた。
僕、めちゃくちゃ恰好悪いんじゃない……?
客観的に考えてみたら、激しく情けない男としか取れなかった。頬が火照るのを感じながら唱の笑顔を見ていると、ようやく笑いがおさまった唱は穏やかな微笑を向けてくれた。笑い涙で少し揺れる瞳が綺麗だ。こんな顔を見せてくれるなら恰好悪くてもかまわない、と思える。
「俺、やっぱり天才って呼ばれるようになれてよかった」
「そうだよ、なろうと思ってもなれないからね」
僕みたいに、とまた胸を張ると、唱は「やめてくれ」と噴き出した。
「俺が天才じゃなければ、歌代の勉強見てやれなかったからな」
「うんうん」
「歌代の勉強を見るのは俺が専属になるから、他のやつに教わるなよ」
「うんう……え?」
言葉の意味がわからず首をかしげると、唱はこれまでに見せたことのない、愛でるような瞳を向けてきた。
「返事したな? 約束」
小指を差し出され、思考も身体も固まる。動かない歌代を急かして、唱が「ほら」と言うので慌てて小指を出した。絡まった指にきゅっと力がこもって唱を見ると、目が合った。視線を合わせたまま、「ゆびきりげんまん」と幼い頃に何度もやった指きりをする。
「嘘ついたらキスする」
「えっ」
それは嘘をつくしかない。
(終)
「謝る暇があったら、この問いやって」
「……はい」
放課後の教室でクラス委員の唱に勉強を見てもらう。厳しいことを言う唱だけれど、歌代のシャープペンの動きが止まるとすぐに気がついてくれる。基本的に面倒見がいい人だ。普段からこっそり見ていると、クラス委員の仕事もいつも真面目に取り組んでいる。だからこそ、こうやって勉強を見てくれているのだ。
さらさらな濃茶色の髪を、こんなに近くで見られる日が来るなんて思わなかった。なんとなく照れくさくて自分の黒髪をいじる。それが悩んでいる動きに見えたようで、唱が「どれだ」と手もとを覗き込んできた。急な接近は心臓が壊れるからだめだ。
志望校に合格して、これからはじまる高校生活に期待で胸を膨らませていた入学式の日が二か月弱前。一学期の中間テストでいきなり赤点ぎりぎり、浮かれた気持ちなどはるか遠くに飛んでいった。歌代の成績を心配した担任教諭が唱に、勉強を見てやってくれ、と頼んだのだ。申しわけないからいいと言ったのに、真面目な唱は「はい。わかりました」と優等生の返事をした。
「どうしてここまで放っておいたんだ。中学のときからこの調子だったんだろ」
「なんでわかるの?」
「問題のとき方を見ていればわかる。基礎がめちゃくちゃだ。よくうちの高校受かったな」
「だよね。奇跡かな」
はは、と笑ってみても、唱は渋面を崩さない。かなりぎりぎりで滑り込んだ高校合格だから、間違いなく奇跡なのだ。それに対して唱は、入学式で生徒代表として挨拶をしていた。生徒代表に選ばれるのは入試でトップだった生徒だ。四月から唱を見ていて、成績だけではく生活態度も優等生だとわかる。
「……」
せっかくふたりきりなのにな。
自分が悪いのだけれど、それでももう少しいい雰囲気になってくれても、と肩を落とす。
気がついたときには唱が好きだった。唱の外見が整っているからではなくて、彼の真面目さや、人への気遣いができるところに惹かれたのだ。自然とまわりを立てる、大人びたところも恰好いい。でも接点があまりない歌代は、こっそりと見ているしかできなかった。
だからこの機会を逃したくない――のだが、なかなかうまく距離が縮まらない。歌代の脳みその具合が、相手を呆れさせるばかりだ。
「ぼんやりしてないで、次これ」
「う、うん」
唱に視線を向けると見惚れてしまうので、ノートと教科書に注視して、わざとらしくならないように目の先を固定する。現状では唱に見惚れる資格さえない気がする。
「お。天才唱に勉強見てもらってんのか」
「え?」
教室に顔を覗かせたクラスメイトの男子が、ふざけた調子で笑った。
「歌代相手じゃ、唱も大変だ」
「……」
そのとおりなのでなにも言い返せない。授業で当てられて歌代がきちんと答えられたことがないと知っているクラスメイトは、唱に同情するようなことを言いながら、どこか馬鹿にしているとも感じられる声音で言った。
「ま、天才にかかれば歌代もなんとかなるかもな」
声をあげて笑われ、恥ずかしくて悔しくて、でも自分が悪いんだと俯いて唇を噛む。たしかに勉強が苦手だが、やらないでいてできないのではなく、やってもできないのだ。自分なりの頑張りさえ馬鹿にされたようで、胸が痛くなった。
「歌代だって頑張ってるんだ。そういう言い方はやめろ」
「え?」
唱の口から出た言葉に、驚いて目をまたたく。男子生徒も言い返されると思わなかったのか、戸惑うような表情を見せている。
「それに、きみだって歌代を笑えるレベルじゃないだろ。今日も当てられたときに答えられていなかったようだけど?」
男子が頬をかっと赤くした。唱があからさまに嫌みを言うところなんてはじめて見たので、歌代も驚きでなにも言葉が出ない。唱は、わざとらしく口角をあげる。
「歌代がきみよりできるようになるのも時間の問題だ。きみの言うとおり、『天才』の俺が勉強を見てるんだからな」
歌代を擁護してくれる優しさにぼうっと頬が火照って、心音が高鳴る。好きな相手にこんなことを言ってもらって、どきどきしないでいられるほうがおかしい。
唱に言い返せなかった男子生徒は、舌打ちをしてから去っていった。歌代は嬉しいけれど、唱に敵ができたのではないだろうか。
「と、唱くん、大丈夫なの?」
「なにが?」
「……えっと」
具体的になにがと答えられず、口ごもる。唱が嫌われることや悪く言われることが気に入らない、なんて返答をしたら、気持ちがばれるかもしれない。ばれるのは、せめて呆れられないくらいの脳みそになってからがいい。
「あんなことを気にするなら、正しい答えを出してくれ」
「……頑張ります」
今は問題をといて、正解を出すことを一番に考えよう。気持ちを引き締め、唱が解説をしながらシャープペンでノートに書き込んでいく数字を凝視する。字も綺麗だな、なんてまた集中が乱れ、頭を小さく一度振った。
カチ、と唱がシャープペンの芯をペン先に押し込む。
「今日はこのくらいだな」
「ありがとう。なんだか頭がよくなったみたいに感じる」
「調子に乗るな。まだ基礎中の基礎だ」
呆れられても、本当にそんな気がするのだ。今まで自分ではまったくとけなかった問題を、悩みながらでもとけることが嬉しい。喜ぶ歌代に、唱は困ったような笑みを向ける。表情があまりに優しくて、頬に熱が集まった。
「歌代は素直だな」
「それって、馬鹿正直とも言うんじゃないかな」
「変なところで頭がまわるな」
感心されて逆に恥ずかしい。自慢ではないが屁理屈は得意なのだ。
「僕にだって、できることのひとつくらいあるんだよ」
胸を張って見せると、唱は噴き出して笑った。表情を崩して笑っていると少し幼い。
ちょっと可愛いかも。
美形な唱を可愛いと思うなんて、なんだか気恥ずかしい。こんな一面を見せてもらえたら、嬉しくてたまらなくなる。
「そうか。じゃあ、勉強もできることのひとつにしないとな」
わ、と口に出そうになって慌てて呑み込んだ。子どもをあやすような笑顔だけれど、あまりに優しくて感動するほどだ。好きな人のこんな表情を見られるなら、いくらでも頑張れる。
帰り支度をして一緒に教室を出る。ふたりで帰れるなんて思わなかった。勉強を頑張ったから、神様からのご褒美なのかもしれない。
「じゃ、また明日」
「うん。今日は本当にありがとう」
ホームへのエスカレーターをあがっていく唱の姿を見送り、どきどきしながら歌代も唱と反対方向のホームへのエスカレーターにのる。情けないきっかけでも、結果的に唱と少し仲良くなれた気がする。
電車を待っていたら、唱が乗る方向のほうが先に電車到着のアナウンスが流れた。なんとはなしに向かいのホームに目をやると、唱と目が合っただけではなく、小さく手を振ってくれた。
「わ、わ」
慌てて振り返したけれど、すぐに電車が来て遮られてしまった。ほんの数秒のやり取りで、心臓が爆発しそうだった。
それから続けて唱に勉強を見てもらい、授業の内容がわかるようになってきたし、当たっても答えられることが増えた。嬉しくて成果を毎回報告する歌代に、唱は「見てたから知ってる」と苦笑しながらも褒めてくれるのだ。同じクラスだからその言葉は当然なのだが、そんなやり取りも嬉しくてまた報告する。今では授業で当てられないかとわくわくするくらいだ。唱が優しい笑顔をたくさん見せてくれるから、気持ちがどんどん膨らんでいく。
唱に勉強を見てもらうことが、すっかり習慣づいてきた。今日もふたりで教室に残る。
「最初のときが嘘みたいだな」
歌代のノートを見た唱が目を丸くする。
「唱くんのおかげだよ。ありがとう」
「これなら、もう俺が見なくてもいいかもしれない」
「あ……」
そうだ。歌代が勉強を理解してひとりでできるようになったら、唱に見てもらう必要はなくなるのだ。そのことをすっかり忘れていた。
「で、でも、まだこの辺とか間違えるし明日の範囲も見てみたら全然わからないしこれからの授業についていけるか心配だし」
息継ぎもせず言い連ねる歌代に、唱は目をまたたく。身を乗り出して自分のできない具合を力説すると、唱が困ったように微笑んだ。
あ、またこの笑顔だ……。
この優しい表情は、何度見ても心臓が高鳴る。身を乗り出していたことでいつもより近い距離なことも手伝って、頬が燃えそうなほどに熱くなった。俯いて椅子に座り直す。
「わかったわかった。そんなに必死にならなくてもいい」
「う、うん。ごめん」
「とりあえず、明日の範囲だな」
俯く視線の先に教科書をめくる手があって、その動きの美しさにどきりとする。唱がなにをしてもどきどきするのだから、どうしようもない。少し節っぽい指も長くて綺麗だ。
ふと顔をあげると、開けたままの教室の扉の向こうに、先日嫌なことを言ってきた男子生徒が見えた。教室の前を通るところのようで、しっかりと目が合ってしまった。
「天才はなに考えてるかわかんねえし、近づきにくくて友だちもいないんだから寂しいよなあ」
あきらかな悪口に腹が立つ。言い返してやろうと椅子から腰をあげると、唱が手首を掴んできた。
「いい。本当のことだから」
「でも……!」
「いいんだ」
唱がよくても、歌代はなにか言ってやらないと気がすまない。でも本人が止めるのを振りきることはできなかった。
「……」
静かに椅子に座ると、唱の手が離れていった。掴まれた手首を撫でる。まだほんのりと温もりが残っている。普段ならば胸が高鳴るだろうが、今は苦しい。
「わかってるんだ。自分がつまらない人間だってこと」
あまりにつらそうな言い方で、なにも言葉が出せない。ただ聞いているしかできないことが情けなくて、唇を噛む。
「……俺だって、天才になりたかったわけじゃない」
零れ落ちた声に顔をあげる。唱は感情の見えない瞳をしていて、心臓が掴まれたようにぎゅっと痛んだ。
今、自分にできることはなんだろう。考えてみるが浮かばない。それでも唱を元気づけたかった。そんなことないよ、と言いたい。
「僕は天才になりたいよ。だって明日の範囲もわからないんだから」
自信満々に胸を張ると、唱は虚を突かれたように目を見開き、ふっと噴き出した。
「そんなこと、偉そうに言うなよ」
「勉強ができないのは僕の取り柄だからね。唱くんが天才なのも、唱くんの良さだよ」
少し強めの口調で言うと、唱は驚きを隠さずに目をまばたく。驚きの表情が緩み、くくっと声を押し殺して笑ったかと思ったら、お腹をかかえて笑いはじめた。
「歌代、それはまずい。勉強が苦手なことを自慢するな」
「するよ。勉強が苦手なことを自慢できるんだから、得意なのはもっと自慢できるんだよ!」
「……!」
言葉の意図が伝わったらしい。はっとした唱は、目に溜まった涙を指で拭いながら頷いた。
「ありがとう。そうだよな、いろんなことを卑屈に考えすぎてた」
「そうそう、前向きに能天気に行こー!」
自分の馬鹿さ加減を見せているようだが、唱が笑ってくれるならかまわない。明るく呑気に言いきると、唱はゆっくりと深呼吸をした。それからまた笑い出す。
「だめだ、ツボに入った」
唱がこんなに笑っているところを見たことがなくて、嬉しくてもっとなにかしたくなる。でも、そうそう思い浮かばない。知恵を絞って頭を悩ませていると、唱はそんな様子さえおかしそうに笑う。
「悪い、歌代がおかしいんじゃなくて」
「いいよ、僕も自分でおかしいこと言ったって思ってるし」
それでも、さすがに恥ずかしくなってきた。
僕、めちゃくちゃ恰好悪いんじゃない……?
客観的に考えてみたら、激しく情けない男としか取れなかった。頬が火照るのを感じながら唱の笑顔を見ていると、ようやく笑いがおさまった唱は穏やかな微笑を向けてくれた。笑い涙で少し揺れる瞳が綺麗だ。こんな顔を見せてくれるなら恰好悪くてもかまわない、と思える。
「俺、やっぱり天才って呼ばれるようになれてよかった」
「そうだよ、なろうと思ってもなれないからね」
僕みたいに、とまた胸を張ると、唱は「やめてくれ」と噴き出した。
「俺が天才じゃなければ、歌代の勉強見てやれなかったからな」
「うんうん」
「歌代の勉強を見るのは俺が専属になるから、他のやつに教わるなよ」
「うんう……え?」
言葉の意味がわからず首をかしげると、唱はこれまでに見せたことのない、愛でるような瞳を向けてきた。
「返事したな? 約束」
小指を差し出され、思考も身体も固まる。動かない歌代を急かして、唱が「ほら」と言うので慌てて小指を出した。絡まった指にきゅっと力がこもって唱を見ると、目が合った。視線を合わせたまま、「ゆびきりげんまん」と幼い頃に何度もやった指きりをする。
「嘘ついたらキスする」
「えっ」
それは嘘をつくしかない。
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