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幸せのかたち④
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「ただいま」
「おかえり。あら、藍斗くん。久しぶりね」
「お久しぶりです」
微笑む詠心の母親に、緊張しながら頭をさげる。詠心についていって、彼の部屋に入ると同時に手を握られた。
「詠心?」
真剣な顔をして、ぎゅっと強く手を握ってくる。どうしたのかと緊張する藍斗に、詠心はまっすぐな視線を向ける。
「頼むから、小響さんには近づかないでくれ」
「どうして?」
前から不思議だった。詠心が春海を嫌っていること。春海は藍斗に危害を加えたり悪さをしたりなんてしない。いつも助けてくれる人だ。
「春海くんはいい人なんだよ。詠心もちゃんと話してみればわかるから」
「いい人でも、藍斗が小響さんみたいになったらって思うと絶対嫌だ。だから近づかないでほしい」
「春海くんみたいに……?」
頷いた詠心は怖いほどに真剣な目を向けてくる。いつもと同じ文句かと思ったのに、今日はなんだか様子が違う。
身じろぐこともできないくらいの緊張感に、ごくりと唾を飲む。藍斗の表情が強張っても、詠心は厳しい瞳を緩めなかった。やはりいつもと違う。
「小響さんみたいに特定の相手を作らないで遊ぶようなこと、藍斗にはしてほしくない」
「僕、そんなことしないよ」
そもそも藍斗に寄ってくる人なんていない。男子だろうと女子だろうと、地味で平凡な藍斗を相手にしたいなんて思わない。春海は見た目が整っているから、遊ぶことができるのだ。春海は見た目が整っているだけではなく、性格も穏やかで優しいので、みんな遊びでも近づきたいのだろう。
「わかってる、藍斗はそんなことしない。それでも心配なんだ。それに」
「それに?」
他にもなにかあるようで、詠心は思案げに一瞬目を逸らした。
「俺は藍斗が好きだから、他の人とふたりきりになられると苦しい」
視線が藍斗に戻り、まっすぐに見つめられる。身体が動かなくなり、思考まで固まった。好き……?
詠心は視線を揺らすこともなく、ただじっと藍斗を見ている。数度まばたきをした藍斗に、詠心は唇を引き結んだ。
「詠心……?」
突然で、なにを言われたのかよくわからない。言葉の真意をさぐるように見つめ返した藍斗に、詠心は眉を寄せた。口の中で「好き」と詠心の言葉を繰り返してみる。瞬間、意味がはっきりと理解できた。
「あの、……僕」
冗談とか友人としてとか、そういうことではないのだ。詠心は恋愛感情を向けてくれている。
なにをどう答えたらいいかわからなくても、なんらかの返事をしないといけないことはわかる。ただ、自分の心がわからない。
詠心は友人で、去年――高校一年のときからそばにいてくれた。偶然自宅が近いこともあり、よく話をするし一緒にいる。春海も優しいけれど、詠心もとても優しい。いつでも藍斗を気遣ってくれる言葉に何度も救われた。話しにくい藍斗の家庭の事情も真剣に聞いて受け止めてくれている。自身を頼ってほしいとまで言う、見た目だけではなく心まで恰好いい友だ。誰よりもそばにいて、いつも藍斗に安心をくれる。詠心が好きかと聞かれたら、好きだと即答できる。でも、それが詠心の告げてくれた想いと同じものなのかは、わからない。
「あ、あの……」
「答えはいらない」
迷いながら口を開いた藍斗の顔の前に、詠心が手のひらを出す。言葉だけではなく、態度でも制止されて口を噤む。上目に詠心の表情を窺う。怒っている様子はないが、つらそうに見える。
「詠心……?」
「本当に答えはいらないんだ。無理に頷かせるつもりもない。藍斗の負担になりたくない」
「――」
心の奥に寂しさを覚える。なんだろう、この変な感じは。冷たい風がひと筋通り抜けるのと似た、心細くなる感覚だ。迷子になったような、頼りにしているものがぱっと手から離れたような感じがする。
思わず目を伏せ、交わった視線を断つ。藍斗が詠心を負担に思うことなんてないのに。
「……あ……」
もしかしたら、詠心は藍斗が春海に頼るたびに、「悪いから」と言うたびに、こんな気持ちになっていたのかもしれない。何度も繰り返した自分の言葉を反省する。詠心を頼りにしていないわけではなく、申しわけないだけなのだ。でもその遠慮は、たぶん詠心に寂しさを感じさせている。気がつかなかった。
好き……。今度は心の内で繰り返す。心に起こる波紋は広がって広がって、全身に巡った。
薄暗くなってきた頃に帰宅し、自室に入った。ぼんやりとしながらベッドに腰かける。詠心の気持ちを知らなかった。友人として好意を持ってくれているだけだと思っていた。
「本当に返事しなくていいのかな」
答えはいらないとはっきり言われた。藍斗がもやもやとするから返事をして、気まずい関係になるのは嫌だ。詠心とはずっと仲良くしていたい。だからといって、詠心の言うとおり返事をしないでいていいのだろうか。
どうしたらいいかわからず、とりあえず窓にかかっているネイビーのカーテンを閉める。カーテンを閉めただけで急に室内がしんと静かになったように感じる。自分の呼吸音が妙に気になって、深呼吸をした。
ぼうっと足もとを見ていたら、スマートフォンが鳴動した。確認すると詠心からのメッセージで、緊張してどきりとする。
『今夜もゆっくり休んで』
続いて『おやすみ』とスタンプが送られてきた。詠心はよくこうして藍斗を気遣ってくれる。でも、いつもと同じなのにどことなく違う。藍斗の心情が違和感を起こさせるのかもしれない。
なんと返そうか悩んでいると、さらにスタンプが届いた。キャラクターが変顔をしているスタンプで、『SMILE』とカラフルに彩られた文字が並ぶ。詠心の意図どおりに噴き出して、ひとりで小さく声をあげて笑う。藍斗の心の中を、詠心は簡単に読んでしまう。悔しいけれど、こういうところが詠心らしい。気遣いをそのまま受け取って、頬をマッサージするように手でつまんで動かした。
「おかえり。あら、藍斗くん。久しぶりね」
「お久しぶりです」
微笑む詠心の母親に、緊張しながら頭をさげる。詠心についていって、彼の部屋に入ると同時に手を握られた。
「詠心?」
真剣な顔をして、ぎゅっと強く手を握ってくる。どうしたのかと緊張する藍斗に、詠心はまっすぐな視線を向ける。
「頼むから、小響さんには近づかないでくれ」
「どうして?」
前から不思議だった。詠心が春海を嫌っていること。春海は藍斗に危害を加えたり悪さをしたりなんてしない。いつも助けてくれる人だ。
「春海くんはいい人なんだよ。詠心もちゃんと話してみればわかるから」
「いい人でも、藍斗が小響さんみたいになったらって思うと絶対嫌だ。だから近づかないでほしい」
「春海くんみたいに……?」
頷いた詠心は怖いほどに真剣な目を向けてくる。いつもと同じ文句かと思ったのに、今日はなんだか様子が違う。
身じろぐこともできないくらいの緊張感に、ごくりと唾を飲む。藍斗の表情が強張っても、詠心は厳しい瞳を緩めなかった。やはりいつもと違う。
「小響さんみたいに特定の相手を作らないで遊ぶようなこと、藍斗にはしてほしくない」
「僕、そんなことしないよ」
そもそも藍斗に寄ってくる人なんていない。男子だろうと女子だろうと、地味で平凡な藍斗を相手にしたいなんて思わない。春海は見た目が整っているから、遊ぶことができるのだ。春海は見た目が整っているだけではなく、性格も穏やかで優しいので、みんな遊びでも近づきたいのだろう。
「わかってる、藍斗はそんなことしない。それでも心配なんだ。それに」
「それに?」
他にもなにかあるようで、詠心は思案げに一瞬目を逸らした。
「俺は藍斗が好きだから、他の人とふたりきりになられると苦しい」
視線が藍斗に戻り、まっすぐに見つめられる。身体が動かなくなり、思考まで固まった。好き……?
詠心は視線を揺らすこともなく、ただじっと藍斗を見ている。数度まばたきをした藍斗に、詠心は唇を引き結んだ。
「詠心……?」
突然で、なにを言われたのかよくわからない。言葉の真意をさぐるように見つめ返した藍斗に、詠心は眉を寄せた。口の中で「好き」と詠心の言葉を繰り返してみる。瞬間、意味がはっきりと理解できた。
「あの、……僕」
冗談とか友人としてとか、そういうことではないのだ。詠心は恋愛感情を向けてくれている。
なにをどう答えたらいいかわからなくても、なんらかの返事をしないといけないことはわかる。ただ、自分の心がわからない。
詠心は友人で、去年――高校一年のときからそばにいてくれた。偶然自宅が近いこともあり、よく話をするし一緒にいる。春海も優しいけれど、詠心もとても優しい。いつでも藍斗を気遣ってくれる言葉に何度も救われた。話しにくい藍斗の家庭の事情も真剣に聞いて受け止めてくれている。自身を頼ってほしいとまで言う、見た目だけではなく心まで恰好いい友だ。誰よりもそばにいて、いつも藍斗に安心をくれる。詠心が好きかと聞かれたら、好きだと即答できる。でも、それが詠心の告げてくれた想いと同じものなのかは、わからない。
「あ、あの……」
「答えはいらない」
迷いながら口を開いた藍斗の顔の前に、詠心が手のひらを出す。言葉だけではなく、態度でも制止されて口を噤む。上目に詠心の表情を窺う。怒っている様子はないが、つらそうに見える。
「詠心……?」
「本当に答えはいらないんだ。無理に頷かせるつもりもない。藍斗の負担になりたくない」
「――」
心の奥に寂しさを覚える。なんだろう、この変な感じは。冷たい風がひと筋通り抜けるのと似た、心細くなる感覚だ。迷子になったような、頼りにしているものがぱっと手から離れたような感じがする。
思わず目を伏せ、交わった視線を断つ。藍斗が詠心を負担に思うことなんてないのに。
「……あ……」
もしかしたら、詠心は藍斗が春海に頼るたびに、「悪いから」と言うたびに、こんな気持ちになっていたのかもしれない。何度も繰り返した自分の言葉を反省する。詠心を頼りにしていないわけではなく、申しわけないだけなのだ。でもその遠慮は、たぶん詠心に寂しさを感じさせている。気がつかなかった。
好き……。今度は心の内で繰り返す。心に起こる波紋は広がって広がって、全身に巡った。
薄暗くなってきた頃に帰宅し、自室に入った。ぼんやりとしながらベッドに腰かける。詠心の気持ちを知らなかった。友人として好意を持ってくれているだけだと思っていた。
「本当に返事しなくていいのかな」
答えはいらないとはっきり言われた。藍斗がもやもやとするから返事をして、気まずい関係になるのは嫌だ。詠心とはずっと仲良くしていたい。だからといって、詠心の言うとおり返事をしないでいていいのだろうか。
どうしたらいいかわからず、とりあえず窓にかかっているネイビーのカーテンを閉める。カーテンを閉めただけで急に室内がしんと静かになったように感じる。自分の呼吸音が妙に気になって、深呼吸をした。
ぼうっと足もとを見ていたら、スマートフォンが鳴動した。確認すると詠心からのメッセージで、緊張してどきりとする。
『今夜もゆっくり休んで』
続いて『おやすみ』とスタンプが送られてきた。詠心はよくこうして藍斗を気遣ってくれる。でも、いつもと同じなのにどことなく違う。藍斗の心情が違和感を起こさせるのかもしれない。
なんと返そうか悩んでいると、さらにスタンプが届いた。キャラクターが変顔をしているスタンプで、『SMILE』とカラフルに彩られた文字が並ぶ。詠心の意図どおりに噴き出して、ひとりで小さく声をあげて笑う。藍斗の心の中を、詠心は簡単に読んでしまう。悔しいけれど、こういうところが詠心らしい。気遣いをそのまま受け取って、頬をマッサージするように手でつまんで動かした。
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